桜……散る,
独特な日差しの温かさを窓越しに感じながら、俺は1人電車の座席に座っている。
暫くすると、徐々に速度を落としていく電車。そして停車したと同時に聞こえるアナウンス。
ゆっくりと腰を上げ、ドアから1歩外に出るとフワッと優しい匂いが体を包み込んだ。
それらを全身で感じる度に改めて思い知らされる。あぁ、春が来たんだと。
そんな感傷に浸りながら、次々に降りていく人の流れに乗って改札をくぐると、すぐ目の前には駅の入り口。
その上に掲げられた看板に書かれていたのは、石島海岸駅の文字。今までは滅多に来る事の無かった場所だけど、あの日以降利用した回数は結構増えた。とは言っても両手で数える位なのだけど。
そんな事を考えながら駅を後にすると、駅前には時期も相俟って沢山の人で溢れている。
ただ、そんな中1人だけ目を引く人影があるのを俺は見逃さない。目を向けると、どうやらその人も俺に気付いたようだった。
お互いに近付き顔を見合わせると、そこからは……いつも通りのやり取りが始まる。
「おはよう、花。結構待ったかな?」
「おはよう日向。全然だ……よ……」
「ん? どしたの? そんなジロジロ見て」
「あっ、ごめんごめん。日向の私服姿ってなかなか珍しいなって」
「あぁそう言えば、大体花と会う時はチームジャージだな。 病院でも」
「でしょでしょ? だから……」
「こらっ、ジロジロ見すぎだって! そっ、それより早く案内してくれよ。花一押しの場所」
「はいはい……っと! うん。それで……どうやって行こうか? ちょっと距離があるんだよね」
「どうやってって、花は行く時どうやって行ってんだ?」
「私は毎年歩いて行ってるよ? 大体20分位かな?」
「じゃあ歩いて行こう。運動も兼ねて」
「運動も兼ねてって……ほぼ毎日運動してるじゃない。ふふっ。でも、了解! じゃあ付いて来てね」
こうして、俺達はゆっくりと歩き出す。約1年前の約束を叶える為に。そして花一押しの……桜を見る為に。
歩いて20分。その道中は長いようであっと言う間だった。
もっとも、目的の場所は少し高台にあるらしくて、その道のりは殆どが上り坂。にも関わらず、サッカーをしてる俺はともかく、花も息切れ1つしてなかった事には驚いた。
なんてそんな心配する位、話題は尽きずにひたすら話をしていた。まぁ、お互い3年になって色々と話したい事も多かったっていうのもあるけど、必然的に話の内容は新学期の話や将来の事。
進学か就職か。この時点で俺は近くの仙宗大学へ進学したいと決めていた。学力の面は……まぁギリギリだったけど、交通の便やサッカー部も強豪で大学1部リーグに参加しているという事もあって、そこまで迷いはなかった。
そんな中、花も仙宗大学への進学を考えていると聞いた時は驚いたし嬉しくもあった。しかも既に学校の先生になりたいという夢まで持ってるようで、改めて自分とは違う先を見据えた考え方に感心を覚える。それでも、
「先生か……そういえば
「春……さん……?」
「あっ、いや! だってそう呼ばないと……」
「…………ふふっ、知ってるよ?」
時折見せる、花らしくない姿は健在。ちなみに春さんっていうのは花のお母さんの名前だ。
ホワイトデーのお返しに驚かせようとして、内緒で花の好きな物を聞いたんだけど……その時に情報提供との交換条件で名前呼びを強制されたのが始まり。
それが花に知られた時は焦ったよ。花の前では言わないようにしてたのに、それを嘲笑うかのように絡んで来て……まぁ結局、
『じゃ、じゃあ私は日向君の事呼び捨てで呼ぶ! 良いよね? ひっ、ひな……た』
それで何とか事なきを得たから問題は解決……済みだと思いたい。さっきみたいに時折眼つきが鋭くなる時もあるけど……ね。
なんて事で盛り上がっていると、徐に視界の中に鮮やかなピンク色の花びらが姿を見せるようになった。
それは坂を上る度に増え、それと共に優しい香りも鼻に残るように。そして曲がり角を曲がった瞬間だった。その目的の場所が目の前に現れる。
石島公園。
聞いた事はあるけど、実際に来るのは初めての場所。そしてそれを悔やむのに時間は掛からなかった。
「ヤバイ……な……」
公園の入り口からでも分かる沢山の桜。学校に行く道すがらにも桜の木はあったけど、ハッキリ言ってそれとは桁が違う。
真っすぐに伸びる道。その両側から、触れるんじゃないかと思う位に近くに見える桜の花。
「ふふっ、行こう?」
近付く度にその存在は大きくなり、公園の中に1歩足を踏み入れるとまたしてもその姿は変化を遂げる。
まるで無数の桜に囲まれたような感覚。一面のピンク色に、時折風と共に空を舞い飛ぶ桜の花。その全てが見た事もない光景で、その全てが嗅いだ事のない優しい匂いで、その全てが感じた事のない落ち着いた雰囲気だった。
「綺麗だ……」
それは思わず口から零れた言葉。嘘1つない本心。
「本当? 嬉しいな」
隣で一緒に桜を見上げる花は、そう言って……優しく笑みを浮かべる。
舐めていたと言えば聞こえが悪いかもしれない。ただ、俺自身桜まつりというものに興味がなかったのは事実だった。
ただこの瞬間、そんな考えは一瞬にして消え去る。と同時に、どうしてもっと前から来なかったのか? そんな後悔の念さえ覚えた。
ただ歩くだけで綺麗で心が洗われる。そんな表現が正しいのかもしれない。
それ位どこか安心しきったような、落ち着いた雰囲気が体全体を包み込んで、気持ちが良かった。
ただ、この桜が花の一押しって訳ではないようで、
「私が日向に見せたいのはもうちょっと行った所にあるんだ。あとちょっと高い所登るけどね?」
その言葉に付いて行くと、公園内に更に小高くなっている場所が見えて来た。
「ここだよ?」
上り坂をしばらく登ると、ようやく終わりが見えて来る。そして平坦になった地面に足を踏み締めゆっくりと視線を上げると、そこに広がっていたのは……
「マジかよ……」
満開の桜越しに見える、石島湾の景色。
「綺麗過ぎるだろ……」
沢山の桜の木と花びらに、一望出来る石島湾と浮かぶ島々。そして雲1つない青空は、今まで見た事がない位の……
「本当? ここがね? 私の一押しスポット。日向にも見てもらいたかったんだ」
「これは凄い…………花?」
「うん?」
「連れて来てくれてありがとう。本当に」
「ううん。全然だよ?」
絶景だった。
まさか桜を見て感動出来るとは思いもしなかった。けど、実際に目の当たりにして強い衝撃を受けた事に間違いない。そして気が付けば花に、公園内に植えられている桜の種類や、満開の時期なんかを聞いてたりして興味を抱くようになっていた。
知らず知らずの内に花を質問攻めにしてたけど、当の花は嫌がる様子も見せずに笑ってたっけ?
むしろ俺が桜に興味を持ってくれたことが嬉しいみたいで、徐々に1の質問に2答えてくれるようになっていた。
そしてそんな状態で公園をグルっと1周すると……俺は完全にその魅力に憑りつかれ始めていた。花を見るとリラックス出来るって言う話は聞いてはいたけど、それをものの見事に身を持って体感したんだから当然だった。
「マジか……凄いな」
「でしょ? ふふっ」
そして改めて、花には感謝しか浮かばない。
こうして話に花を咲かせている最中、ふと時計に目を向けると時刻は丁度お昼頃だった。それに気付くと、自然とそういう良い匂いに反応してしまうのは人間としての本能なのだろうか? 辺りを見渡すと沢山の屋台が並んでいるのが見える。
そう言えば今までの自分は、桜まつりと言ったら屋台ってイメージの方が大きかった気がする。そう考えると少しだけ精神年齢が上がったような気がした。
ただ、食欲には流石に勝てない。
「花、お腹空かないか?」
「そう言えば……あっ、もうお昼だね」
「なんか買ってくるよ。何食べたい?」
「私は何でも良いよ? 好き嫌いないから」
「じゃあ適当に買って来ようかな」
「じゃあ私も……」
「いいって。結構並んでるし、花はそこのベンチに座ってて?」
「でも……」
「混んでる所じゃ、座る場所確保も重要だろ?」
「うーん……じゃあお願いします」
正直、ここへ連れて来てくれた事には本当に感謝しか浮かばない。それにこれ位しかお礼が出来ないのが現状だった。だから……
「了解」
花に座る場所の確保をお願いして、俺は1人屋台へと向かって歩き始めた。
それから無事、焼きそばやらたこ焼きやらをゲットした俺は、花の待つベンチに向かっていた。
少し時間は掛かったけど、定番の物は買えたし満足してくれるはずだろう。なんて考えていた時だった、視線の先に見えたのはベンチに座る花の姿と……その目の前に佇みながら話をする女の子の姿。
何か話をしているようで、暫くすると手を振ってその女の子はどこかに行ってしまった。
もしかして友達? よくよく考えれば、この辺りは花の地元と言っても良い。そうなれば花の知り合いも当然多い。
待てよ? 何にも考えてなかったけどそんな所で俺と一緒に居ても良いのか? その変な噂とか……
その瞬間、変な緊張感が体を過ったけど……
「あっ、お帰り日向。並んでくれてありがとう」
自分に向けられた笑顔で、少し気持ちは晴れた。
「全然。はい」
「ありがとう」
変に考える必要もないのかもしれないのかな?
「いくらかかったの?」
「いいって、これは俺のおごり」
「ダメだよ! ちゃんと半々にしよ?」
「大丈夫だって!」
「大丈夫じゃないよ? そこはちゃんと……」
「ここ紹介してくれたお礼。だから大丈夫!」
「えぇ……でも」
「いいんです」
「もう……ふふっ」
「ふっ」
花から何かを言われない限りは。
桜の花びらの下で、焼きそばを頬張る。そんなの2年前には思いもしなかった。
ましてや隣に花が居るなんて、1年前でも想像できなかった。
そう考えると高校に入って今まで、色んな事があって……あっと言う間。特に花との関係は随分変わったよ。
「そう言えば、本当に日向はこういう所最近来た事ないの?」
「ん? 小学校以来全然だな」
「中学校の時、付き合ってた子とも?」
「ぶっ! ゴホゴホ。なっ、何いきなり変な事言ってんだよ」
「ふふっ」
出会いは最悪だったのに、今じゃ結構身近な事まで話せる仲になった。
ちなみにこの話もいつぞや話の話題でポロっと口にした事。正直、子どもの遊びみたいなものだったのかもしれないけど、中学時代好きって感情も分からないままクラスの女子と付き合った事がある。
まぁ結果として、いつもサッカーしか考えずデートもしない俺に飽きたのか、ナチュラルにお別れしたけど……しばしば花にはネタとして引っ張り出される。
ちなみに、
「花はどうなんだよ? 小学校の時から好きだった奴いたんだろ? こういうとこ来なかったのか?」
「来たって言っても、大人数だったからね?」
花には小学校の時から好きな同級生が居たらしい。けど、花の親友もその人の事が好きで、花は自分を押し殺して応援する側に。結局親友とその人は付き合っているらしい。
初めて聞いた時は、なんとも少し複雑な感情だったっけ。悲しいやらなんと言うか……それでもお互いにそんな事を言える位の関係になったのは……改めて凄いと思う。
友達?
「あっ、そう言えば桜で思い出した。私ね? 行ってみたい所があるんだ」
「ん? どこ?」
仲の良い女友達?
「あのね、青森県の黒前市にある後黒公園って所なんだけど、そこも桜が有名でね。その中でも、桜の絨毯って呼ばれてる場所を見てみたいんだ」
「青森? それに桜の絨毯って……」
親友?
「桜が終わる頃、公園の周りにあるお堀に桜の花びらが浮いて、桜色の絨毯を敷き詰めたかのような光景なんだ」
「一面が桜の花びらって事か?」
それとも……
「そうそう。ネットとかでは見た事あるんだけど、実際に生で見てみたいなって思ってね」
「まぁ画面で見るのと、生で見るのとじゃ違うよな」
自分でも良く分かってなかった。
どういう立場で接しているのか分からなかった。
どういう感情を抱いているのか分からなかった。
「そうだよね? 凄いんだろうなぁ」
ただ、
「…………じゃあ、来年見に行くか?」
「えっ?」
一緒に居るだけで楽しかった。話をするだけで楽しかった。
気兼ねなく自分を出せる存在なのは間違いなかった。
だから、自然と口から零れた。
「だって来年は予定通りに行くと大学生だろ? その位の遠出は許してくれるんじゃないかな。それに終わりの時期ってゴールデンウィークとかその辺だろ? だったら休み利用すれば行けるはず」
「そっ、そうだと思うけど、日向…………一緒に行ってくれるの?」
無意識の内に、花を喜ばせたい一心で……
「ん? まぁ……花が……良いなら」
「ほっ、本当……?」
「ありがとう」
その笑顔を望むかのように。
――――――――――――――――――――――――
その日をキッカケに、花とは病院以外でも会う事が多くなった。
まぁ3年になりサッカー部の方針が変わって、日曜日は完全に休みになったのが大きいのかもしれない。
1日完全に休息日を設けて、心身を回復させる事が大事という思い切った監督の決定。それが結果として現れるのは早かった。
インターハイ予選では宿敵漆谷高校を破って、見事インターハイ初出場を果たすなど効果テキメン。もちろん俺はスタメンとしてフル出場を果たした。
本戦では東京の強豪
花はもちろん全試合見に来てくれた。流石にインターハイには来られなかったけど、試合前にも試合後にも労いのメッセージをくれたり、応援を欠かさずしてくれた。
それだけじゃない。病院で話をするのは勿論、いつしかお互いにここが気になる。行ってみたいなんて話す事が多くなったっけ。そしてそのまま予定が合う日を見つけて出掛ける。
徐々に回数は増え、それが当たり前のようになっていた。
しかもなぜか、花のお父さんやお婆ちゃんの誕生日に呼ばれたり……この辺りは春さんの暴走みたいだけど、断る訳にも行かずに何度かお邪魔をした。
花と春さんに加え、2人とも話しやすい雰囲気だったから、気まずくはならなかったけど……まぁ嫌な印象は与えていないと思いたい。特にお婆ちゃんは、花曰く小さい頃に両親が遅い時にご飯を作ってくれたり面倒を見てくれた事もあって大好きだそうだ。
もちろん花のお父さんにだって嫌われたくはない。まあ話をする限り、ダンディな顔立ちなのに大仏のような性格で怒るイメージが湧かないけど……内心何を思われているのかは分からない。
ただ、今の所辛うじてマイナスな事は花からも春さんからも聞いてない。
そして、サッカーも高校最後の年としては最高のスタートを切った。家族は相変わらずの騒がしさで、症状も落ち着いている。
そして花との関係も変わらず順調だった。
なんでも話せて何でも笑い合える存在。
憧れであり、尊敬できる存在。
……のはずだった。
けど、自分でも分かっていた。
一緒に過ごす度に少しずつ、花に対する感情が変化している事に気付いていた。
ただ、それを表立って口には出来ない。
表立って表わす事は出来なかった。
今の充実した関係を壊したくはなかったから。
……このままの関係で居続けたい。
心の中で思いを固めよう。そう考えていた時だった。
ある日、俺が送った朝のメッセージに花からの返事がなかった。
それは何気ない、けどいつもと違う出来事。
だがそこまで違和感を覚える事でもなかった。
……はずだと……思っていた……
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