いつもと違う君,

 



 目の前を歩くその人は、果たして本物なのだろうか。

 そんな疑問を頭に浮かばせつつ、俺はひたすら後を付いて歩いていた。


 いやいや、普通あんな事言われたら来るはずがない。自分だったら絶対に来ない。

 けど、現に彼女は居る。なぜかここに居る。なぜだ? 途方もなく良い人なのか? それとも……まさかM気質なのか。


 そんな事は本人に聞けば手っ取り早いんだろうけど、自分が犯してしまった行動がまだ尾を引いている。だからこそ、声を掛ける勇気が出ない。

 それに良く見ると……匙浜さんはいつもの制服姿じゃなかった。まぁ休日だし、当たり前だとは思う。けど、考えてみると私服姿を見るのは初めてだ。

 ベージュのふんわりとしたロングスカートに茶色のカーディガン。鞄はいつもの物だったけど、見れば見る程その雰囲気はより一層大人っぽく感じる。


 とはいえ、付いて来てと言われてから一言も会話が無いのは正直怖い。行先は勿論分からないし、自分から聞く勇気もないというまさに八方塞がり。一体どこへ行くつもりなんだろう。


 そんな一抹の不安を抱えながら、匙浜さんの後に付いて行くと運動公園の外にあるバス停でその足は止まった。すると、なんともタイミング良くバスが現れ……匙浜さんは迷う事なく乗車する。


 バス? もしかして駅に行くのか? 

 日曜日なのに案外空席の目立つ車内。そんな中、空いている窓際の席に腰を下ろした匙浜さん。とりあえずどこか座らないと……そう思いキョロキョロ開いている席を探していると、座っている匙浜さんと目が合った。その顔は、やっぱりどこか怒ているような風に見える。


 というより、今まで見た事のない表情である事に変わりはない。柔らかい笑顔、穏やかな顔、そして少し興奮してる顔に焦ってる顔。それとは全く違う顔。思い当たるのは怒ってる顔しか浮かばない。その瞬間、頭の中では緊急会議が行われた。


 やはり怒っている。そして、その表情のまま俺を見ているその理由はなんだ。

 早く座れ? 

 離れて座れ?


 考えろ……考えろ葵日向。サッカーでも瞬時の判断は重要だろ? それを活かす時だ。

 その刹那、一瞬だけ匙浜さんの視線が動いた。それは空いている隣の席を見たような……そんな気がした。


 ん? 隣? 確かに空いてるけど……病院でも隣に座ってけど……怒ってるんだよな? それで尚且つその張本人に座れと……って、考えてる暇はない。間違ってたらごめんなさい。


「えっと……失礼します」


 恐る恐る呟きながら、ゆっくりと隣の席に腰を下ろして匙浜さんの様子を伺う。嫌がる素振りは……ない。いや何の反応も無いって言うのが正しいのだろう。だが、とりあえずは正解だったのだと一安心する。


 こうして相変わらず無言のまま数分が経過した。

 流石に隣に座ってこれじゃあマズくないか? 


 そんな雰囲気に耐えかねた俺は、勇気を出して声を掛けようと試みた。だが、それは次の停車場所のアナウンスによって見事に打ち砕かれる。なんというタイミングの悪さだろう。なんて悔しがっていると、匙浜さんの手が停車ボタンに伸びていく。


 ピンポーン


 鳴り響くボタンの音、だが当の匙浜さんはそれ以降は無反応。

 ヤバイ。これ俺、どこか良からぬ場所に連れて行かれるのでは? けど、いくらなんでも匙浜さんに限ってそんな事は……


 絶え間なく頭に浮かぶ思考。すると、ついにバスがゆっくりと速度を落としていく。

 目的の場所に付いたのか?


 すると、


「じゃあ行こうか」


 久しぶりの匙浜さんの声は、やっぱりいつもよりもどこか冷たいような風に感じた。そんな雰囲気に、


「あっ、あぁ」


 慌てるように席を立つと、またもや無言でその空いたスペースをスルっと抜けていく匙浜さん。

 その行動にはやっぱり怒っていると思わざるを得ない。だが、付いて行かなければもっと嫌な予感がする。ましてや、原因は自分なんだから仕方がない。


 どうするべきか。いや、謝るべきなのは分かってる。けど、こんな雰囲気の匙浜さんに話し掛けられる……


 ピッ


「あっ、2人分払います」


 ピッ


 ん? 2人分? 

 そんな声と共に、確かに2度聞こえた電子音。ステップを下りていく時にチラッとこっちを見た仕草。

 これはもしかして俺の分まで払ってくれた? 運賃箱の前を通り掛かった途端、運転手さんの


「ありがとうございました」


 という言葉がそれを確信に変える。

 マジか。俺の分も払ってくれた? やっ、優しい。何だいつもの匙浜さん?

 そんな行動に、少しだけテンションが上がった俺。それでも料金は払わないといけないのでは? ふとそう思い……無意識の内に前を歩く匙浜さんに声を掛けていた。


「あっ、匙浜さん! バスのお金払うよ」

「大丈夫」

「いやでも……」


 ちゃんと払うよ! なんて言おうとした瞬間、匙浜さんは歩くのを止めて俺の方を振り返る。

 その顔は……やっぱり怒っていた。


「むー!」


 そして、なんと言うかそんな感じで唸るような……声と共に鋭い眼つき。そんな姿は……またしても初めましてのモノだった。


「あっ、いや……あっ、ありがとうございます」


 震えるような俺の声に納得したのか。また颯爽と歩き出す匙浜さん。

 正直分からない。怒ってるのに、お金を出してくれる。でもそれを出そうとするとやっぱり怒って……


 一体どうしたんだ? 匙浜さーん!




 こうして、なんとも理解不能な匙浜さんに付いて行き、バスから電車。更にもう1度電車に乗り継ぐ事、1時間位だろうか……窓の奥に広がるのは壮大な海の景色。


 結局の所、今に至るまでまともに匙浜さんとは会話をしていない。と言うより出来ないと言った方が正しいのかもしれない。何とも言えない雰囲気の中、交わした言葉と言えば、


『次下りて?』

『はい』


『こっち』

『はい』


 それだけ。怒っているのは分かる。分かるんだけど、電車代は全部払ってくれるという矛盾。

 勿論バス代のみならず電車代を払ってくれた時、ありがとうって言ったよ? シカトされたけど。

 それにやっぱり俺も払うよ。って言ったよ? まぁ振り向いてまたムスッとした表情されたけど。


 シカトって事は怒ってるんだよね? その割に離れた席に座ろうとしたら恐ろしい眼光で睨み付けてさ。

 今もこうして隣に座ってるんですけど……怖いのか怒ってるのか優しいのか。正直理解が追い付かなくて、なんて声掛けて良いのか分からないんですよね?


 とりあえず……匙浜さんの指示を待つか?




 相変わらずの無言。

 視線は真っ直ぐ大海原。

 そんな時間が数分続いた頃、


「次で降りよう」


 ついに匙浜さんの声が耳に響く。


「分かった」


 非常に長かった。最初に乗った電車はものの数分で乗り換えて、方向的にもどこら辺に行くのかは想像ついた。でも、この電車には結構な時間乗っていた。しかも電車というある意味密閉した空間。話をするにも、しにくい状況から解放されるのは嬉しい限りだ。

 外に出て、なんとか上手く会話をしてそして……許してもらおう。よしっ、行くぞ葵日向!


 そんな決意を胸に、匙浜さんの後を追って電車を降りる俺。一歩足を踏み出したそこは、なんとも染み切った空気に包まれたように清々しい。

 すると、視先の先には何やら文字が書かれた看板。恐らくこの駅の名前に違いなかった。


 どれどれ? この気持ち良い場所は一体どこかな? 徐々にピントが合っていく視界。そして白い看板に書かれていたのは、


 石島駅。


 石島駅? 勿論地名は知ってる。けど何かが引っ掛かって仕方がなかった。

 石島……駅? それもなぜか聞き覚えのあるような、そんな気がしてならなかった。

 石……島……? そんな俺なんてお構いなしに、駅の構内を進んで行く人の姿。長い髪に、初めて見た私服姿……


 その瞬間、ふと……思い出す。


 はっ! ちょ、ちょっと待った! 石島駅って……匙浜さんが住んでる所じゃね?



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