葛藤の中,

 



 スタメンから外す。


 それは選手権予選を目前に、1番聞きたくない言葉。けど、いざ耳にするとそこまで驚きはしなかったし、なんというか……やっぱりか。そんな感情の方が大きい。

 まぁ監督がわざわざ昼休みに指導室に呼びつける時点で、何となく嫌な予感はしていた。おかげで瞬間的なダメージは防げた気がする。


 とはいえ、スタメンを外される事実とスタメンで試合に出られない悔しさは別物。監督が言う以上覆る事はないけど、どうしても聞きたかった。


「そう……ですか。あの、監督。理由は何ですか」


 Aチームの中で俺とポジションを争うのは3年生と1年生の2人。経験豊かな先輩と、才能あふれる後輩。途中で交代する事もあったけど、その多くは後半も終盤の時だった。

 俺がスタメンを外れるという事は、そのどちらかが代わりになるという事。その序列が変わった理由は思い当たらない。だからこそ聞かざるを得なかった。


 そんな俺の質問に、監督は1つ息を吐くと真っすぐ俺を見てこう言った。その言葉はハッキリと覚えてる。正直、ここ最近の調子の良さだとか、単純に実力で選んだとか……そう言われた方がマジだったのかもしれない。それ位、それは俺の心に深く刻まれた言葉。


「…………ここ数試合、お前は指示に従わない事があった。ただ……それだけだ。サッカーはチームスポーツ。後は……分かるな?」


 チームスポーツ? そんなの知ってる。

 後は分かるな? 何が分かるって?


『お前は指示に従わない事があった』


 ここ数試合、指示に従わない。指示に……従わない事があった?

 それは……いつの試合の事ですか。


 その瞬間、スタメンになって出場してきた試合を必死に思い出した。でも監督の指示を無視した記憶なんてなかった。どれだけ記憶を辿っても、思い出しても……そんな場面は出てこない。


 監督の勘違いじゃないか。そう思ったりもしたけど、目を逸らさず俺を見つめる真剣な眼差しの監督。どこか悲しげな監督。そんな姿を前にしたら、それは一瞬で消し飛んだ。



 監督の言っている事は……本当なんだ。



 自分では覚えていない。今までの試合内容は全部覚えているのに……記憶がない。それでも監督は覚えてる。


 自分の記憶には無い。

 だが、他の人は覚えてる。


 ……記憶の矛盾。


 その事実が頭に浮かんだ途端、俺の体は一瞬にして悪寒に襲われる。

 だってそれはついさっきまで、どこか遠くへ行っていたモノだったんだ。まるで無くなってしまったんじゃないかって錯覚する位、存在感が無くて……記憶から消えかけてた事実。


 理由は分かる。理解している。けど、それを認めたくなかった。信じたくなかった。


 軽度認知障害の……症状を。




 その日の部活はいつもと同じように行われた。ただ1つ違った事と言えば試合形式の練習でAチームのファーストグループ。いわゆるスタメンに名前が呼ばれなかった事。俺の代わりに呼ばれたのは3年の先輩。分かってはいたけど、実際に体験すると……結構心にくるモノがある。

 それと変わったのは俺だけじゃない。右サイドの海斗とボランチの岡部。この2人もファーストグループには呼ばれなかった。


 海斗は俺と同じく2年になってからはスタメンで試合に出続けていた。岡部は先輩と競い合う形で交互に出番があったけど、インターハイ予選ではスタメンの座をもぎ取っていた。そんな2人も俺と同じように外されていた。

 昼休み。話を終えた監督に、


『次は鍔を呼んでくれ』


 そう言われた時……俺の時と同じような嫌な予感は感じた。それに、その後に呼ばれたのは岡部。2人共戻って来た時は普通の顔してたし大丈夫かなとは思ったけど……悪い予感は的中した。


 ファーストグループの面々は、全員が見事に3年の先輩達。そして外されたのは俺達2年。

 後から話を聞くと、2人共外された理由は揃って連携不足。特にインターハイ予選準決勝で終了間際に喫した失点の事を引き合いに出されたらしい。

 カウンター気味に出されたフライスルーパスに反応したのは岡部と海斗、そしてGK。体力的にもキツくて、お互いに声も掛けられずに全員がボールをクリアしようとして結果的に3人が交錯する事に。そして誰にも触れられなかったボールはそのままゴールに吸い込まれた。


 状況的に仕方がなかった気もする。けど、監督の決定は絶対。それに監督が俺達を呼んでスタメンを外した理由は、この日の部活で何となく感じる事も出来た。

 全体練習の半分を占めたのはカウンターの練習。勿論今までも練習自体はしていた。けど、この日ファーストグループが意識していたのはまさに全員でディフェンスをして、素早くカウンターに移るというモノ。より一層組織的なディフェンスが必要となる戦術は、メンバー同士の連携と信頼関係があってこそ成し得るモノだ。

 だからこそ、付き合いの長い3年生をスタメンに選んだ。選手権前にしては大胆な戦術の変更。それには監督の覚悟が見え隠れする。


 何としてでも漆谷高校に勝つんだって覚悟が。


 俺にはその覚悟を踏みにじる権利なんてない。ましてや何度も言うように監督の決定は絶対だ。つまり、俺達がスタメンに復帰できる可能性はゼロに近い。それでも、2人の顔は死んじゃいなかった。むしろ挽回してやろうって、やる気に満ち溢れていた。


 だが、俺はどうだろう。


 メモをして、日記も書いて……毎朝確認作業を行う。前の日の事も、一昨日の事も1週間前の事だってちゃんと記憶に残ってた。


 でもそれは、なっていただけなのかもしれない。

 それに気付かされ、スタメン復帰の希望も殆ど見えなくなったサッカー。つい昨日まで楽しんでいたはずのサッカー。正直……ショックだった。


 もちろん数%の可能性を込めて、練習が終わった後に海斗に聞いてみた。俺は試合中、監督の指示を無視してプレーした事があるのか。それが試合結果に響いた事があるのか。海斗なら、何の躊躇もなく本当の事を言ってくれると思ったから。その答えは……


「無視? 無視って言うか時々突拍子もない事する時はあったな。ボール回せって言ってんのに急にドリブルして……急いでヘルプ行くと、なんか急に動いてる割に結構パスが上手く繋がって……なんていうか、ファンタジスタってやつ? お前ってそういう雰囲気あるよ。それに…………」


 監督に言われた事そのままだった。


 試合中、俺は心底サッカーを楽しんでいた。もちろん指示にも従って、チームワークを大切にして戦い結果を出して来たと思ってた。

 海斗に言われて思い出したプレーだって、自分の中では先輩達と目があってイケると確信したモノばかりだった。


 けど、聞けば聞く程、それとはどんどん掛け離れていく。

 自分がどれだけ作戦を無視してプレーしていたのか。


 海斗が興奮すればする程、どんどん不安になって行く。

 自分がどれだけ指示を無視して、皆を困らせていたのか。


 褒められるたびに、自分がどれだけ思い上がっていたのか思い知る。

 投薬も生活もこなして、症状を抑えていたという……


 勘違い。


 それはどんな事よりも悲しくて、悔しくて……怖かった。



 ――――――――――――



 その日を境に、常に心の中に渦巻いていた不安。毎日の生活で、今までと同じ事をしていてもそれが消える事はなかった。そして、その不安な気持ちが一気に大きくなる時がある。それは、匙浜さんと話している時だった。

 いつもと変わらず、真っすぐに話し掛けてくれる姿がいつにも増して羨ましくて……つい自分を比べてしまう。それに、


「葵君! ついに選手権予選が始まるね!?」


 笑顔を見せ、楽しそうに話す匙浜さんを前にしたら……不安な素振りなんて見せられなかった。今までだったらなんでも言えたはずだった。もちろん症状に対する向き合い方も不安な事も。そしてその度に耳にしたアドバイスに何度も救われた。けど、その時ばかりは言えなかった。


 でもまぁ、友上先生にはあっさり見破られたけどね?




「葵君? 何かあったのかぃ?」

「えっ? 何もないですよ! ははっ」

「葵君。ガッカリするような事言うけど……葵君は嘘つくの下手だからね」


 結果として、洗いざらい友上先生に白状する事になった俺。けど、不思議と話し終えた瞬間、どこか心が軽くなった気がした。

 そんな心情は、どうも顔にも現れたようで、先生の顔にはいつもの笑顔が表れていた。そしてゆっくりと、口を開く。


「それって……勘違いじゃない?」

「えっ?」


 突然の一言に、思わず気の抜けた言葉を発してしまった。けど、その後の先生の説明には納得と言うか、安心したを覚えている。


「軽度認知障害の症状として特徴的なのは、それを見た事、聞いた事すら思い出せないって事なんだよ? 例えば、葵君が友達との約束を忘れたとする。約束したんだよ? って友達に言われても、約束した事すら覚えてない。だから余計混乱するし、悪化すればそれが怒りに変わる。けど、今の話を聞くと、そのプレーをした時の事は思い出したんだよね?」

「はっ、はい。でも自分の意図と……」


「それって、いわゆるセンスって事じゃない?」

「セッ、センス?」


 「僕はあんまりスポーツの事は詳しくないんだけどね? いわゆるゾーン? ここをこうすれば点数が入る。その道筋が見えるっていうか、サッカーで言うと……ファンタジスタってやつ」

「いやいや、ファンタジスタって……」


「まぁ合ってるかは分からないけどね? 勿論、そうなると監督さんが意図しない行動だって言うのも分かるよ。チームの方向性的にスタメンを外されるってのも……十分理解できるかもしれない。ただ1つだけ確信があるとすれば……」

「あるとすれば……」

「葵君が今悩んでるそれは、軽度認知障害の症状とは言いにくいって事だよ」


 少し自分でも納得できない所もあったけど、先生の言葉はかなり胸に響いた。

 おかげで、今まで感じてた不安や怖さは薄れていて、意外と早い段階で清々した気持ちにはなれたんだ。でも、問題は……思いもよらない人物。




「私、来週は用事あるから見に行けないけど……再来週からは応援行くよ。ちゃんと勝ち進んでね?」


 先生のおかげで、軽度認知障害に疑いはどことなく晴れた。けど、それとスタメンで試合に出られないのは別問題。

 だからこそ、匙浜さんのその言葉にどこか安心した自分が居た。その理由は良く分からない。けど、スタメンじゃない自分を見られなくて良かったって気持ちがあったのかもしれない。試合で活躍すればもしかするとスタメン復帰もあり得る。そのチャンスだって思えたんだ。


 よくよく考えればおかしいよな? スタメン落ちは仕方なくて、気付かない内に症状が出ていた事が怖かったはずなのに……彼女の前では試合に出られない自分が恥ずかしく思えたんだ。この頃は、不思議とそれを変だなんて思いもしなかった。

 まぁ自分では気付いてなかったけどさ、多分この頃には俺は……匙浜さんの事が気になってたんだよ。いつからかは分からないけど。


 だから……格好つけたかったんだよ。


 けど、そんな希望も儚く消えた。1回戦2回戦と予想通りスタメンからは外れ、出場したのは両試合とも後半の10分間だけ。

 勿論、余計な事は考えずにプレーしようと思っても、頭のどこかに指示に従わないとって意識が集中しすぎて……自分でも分かる位に動きは固くて、全然楽しくなかった。それは次の試合までの1週間の練習でも、変わる事がなかった。

 そして金曜、明日の準々決勝のスタメンが発表された。もちろんそこに俺の名前は……無かった。




 次の日、気分は最悪だった。試合が始まるのは午後、俺は重い足を引きずりながら、いつものように病院へ足を運んでいた。


 そんな俺の前に現れた匙浜さん。彼女はいつもと変わらない雰囲気そのまま、いつもと変わらず話し掛けてくれた。


 いつもなら嬉しいはずなのに……その日に限ってはそれが辛かった。


「今日は午後からだよね?」


 いつものように楽しそうに話す匙浜さんにはとうとう言えなかった。言えるはずがなかった。自分はスタメンを外れたって事を。


「やっぱり生で見る迫力は違うよね?」


 目を輝かせて、期待している。そんな匙浜さんを見るのが苦しかった。


「この前は1アシストだったよね。今日はゴールとかかな? 葵君は本当に足速いもんね」


 純粋なサッカーファンとして見に来てくれてる匙浜さんの前で、中途半端な自分のプレーをしたくなかった。けど、そうする事しか出来ない自分に腹が立って……悔しかった。そんな姿を匙浜さんに見せたくないって心の底から思った。


 格好付けたくて、本当の事を言えない自分。今のプレーが恥ずかしくて見て欲しくない自分。

 そんな葛藤が、頭の中を過って……少しおかしくなってた。おかしくなっていた。


 だから俺は…………最低な事を口にしてしまった。何度謝ったって許されないと思う。


「……来なくて……いい……」

「えっ?」


 それ位最低な事を、


「来なくて……いい……」

「えっと……あっ、ごめんごめん。ちゃんと隠れて見えない所に……」


 匙浜さんに言ってしまったんだ。


「頼むから……見に来ないでくれ」



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