一歩踏み出せば,

 



 その日は、生憎の晴れだった。

 意気揚々とバスから降りるサッカー部の面々。それに比べて俺の足はずっしりと重く感じている。

 その理由は考えなくても分かるし、覚えもある。けど念の為……そう思いスマホの画面に目を向けると、そこにはやはりメッセージが表示されたままだった。


【いい天気だね。頑張って!】


 残念ながら、つい10分前に届いたそれは夢ではなかった。ということは差出人も変わる事はない。

 連絡先自体は知っていた。今や誰もが知っているメッセージアプリ、そのID登録をしたのは大分前の話。けど、どうせ毎週土曜日の決まった時間に病院で会えるし、今までメッセージのやり取りは全くなかった。

 だからこそ、初めて送られた匙浜さんからのメッセージ。


【出来るだけ頑張るよ】


 なんて平静を装って返事をしたものの、その存在が足だけでなく心にまで重くのしかかる。



 ――――――――――――



 1週間前、突如耳に飛び込んで来た練習試合見学。最初こそ驚いたものの、実際そこまで気にはならなかった。

 匙浜さんを疑う訳じゃないけど、全くサッカーに興味のない人が試合を見に来るなんて考えにくい。その場でうっかり口から出てしまっただけなんだろうと。

 だが、1週間後……つまり昨日だ。いつものように病院で姿を見せた彼女は開口一番、


『天気予報だと明日は晴れだね』


 うっかりどころか、本気で見に来る気満々だった。その様子には流石に焦ったよ。聞き間違いとさえ思った。


『あっ、明日?』

『うん。練習試合でしょ? 仙宗市運動公園で』


 少しとぼけてみたけど、そんなの全く効果なし。そう言いながら浮かべる笑みに、いつもとは違うプレッシャー染みたモノを感じ取ったのは言うまでもない。それに、どこか嫌ならやんわりと断ればいいものの、


『隠れて見てるから……良いかな? 見に行っても』


 ここに来て顕著に現れる異性とのマッチアップ経験不足。匙浜さんと話すうちに面と向かっての会話はそれなりになったはずだった。けど何かを頼まれる、お願いされるなんて経験は片手で数える位。それも学級委員引き受けて欲しいとか、海斗の好きなタイプ教えてとかその程度だ。

 ましてや目の前で、自分に返事を委ねられるなんて……断る術を知らなかった。



 ――――――――――――



 こうして、何とも言えない気持ちのまま俺はピッチの上に立って居る。

 2年生になって、何とか掴んだスタメンの座。いつもならメンバー発表で名前が呼ばれる度に嬉しくて安堵したけど、今日に限って言えば何も感じなかった。そんな事よりも緊張というか不安というか……煮え切らない気持ちがどこか渦巻いている。


 ピー


 そんな中、試合開始のホイッスルが響き渡った。別に見られるのが恥ずかしいとか、集中出来ないとかそんな事じゃない。症状と向き合おうと決めた時、サッカーは俺にとってかけがえのないもだと再認識した。ゆっくりと、ケガが再発しないように徐々に練習を再開させて……ここまで来た。


 左足でのトラップも、パスもクロスもシュートもそつなくこなせるように。

 ピッチを駆け回るスプリントはもちろん、怪我してから負担にならないようにランニングばっかりしてたからスタミナだって前より備わった。

 けどまだ……本当の自分を取り戻せていない事がある。それは……


 全力でボールを蹴る事。

 全力でダッシュする事。


 今までは、ある程度セーブしながら上手く対応出来た。パスもクロスもシュートもコントロール重視。オフザボールの時だって、少し抑えたダッシュを繰り返す事で、それが結果に繋がった。

 今日だって、いつものようにプレーするつもりだった。……つもりだったんだ。


 ふとスタンドに目を向けると、真ん中付近にはベンチに入れない各校の部員とマネージャーが応援している。その中に匙浜さんの姿を捉える事は出来なかった。

 けど、初めて送られたメッセージと昨日の言葉が頭に浮かぶ。それに今まで何度も接した中で、どうしても匙浜さんが嘘を付くなんて考えられなかった。

 隠れて見てるか。だとしたら匙浜さんは見てるはず。このサッカーの試合を。


 その事実が……いつものプレーをしようとする俺を苦しめる。そして恐怖と不安を掻き立てる。


 匙浜さんと話す時は、自分の全てを曝け出してた。それは1番の秘密である症状の事を共有できる関係だから。自分の事はなんでも話せたし、匙浜さんだって何でも答えてくれた。

 そんな彼女に、折角興味を持ってサッカーを見に来てくれた彼女の前で、



 本当の……本気の自分を見せなくてもいいのか?



 そんな疑心暗鬼に苛まれる。

 結局、その決断を出来ないまま試合は始まっていた。


 別にいつも通りやったって、初めて見た匙浜さんには分からないだろ? 

 そう思う反面、本当にそれでいいのか? どこからかそんな心の声が響き渡る。


 もし思いっきり振り抜いて、また怪我したらどうするんだ?

 そんな考えが頭を過る反面、自分の体を信じろ。どこからともなく聞こえる声が頭に響く。


 どうするべきか……


「日向!」


 その一瞬、聞こえて来たのは海斗の声。視線を向けると、目に入ったのは中学時代から何度も使ってきたアイコンタクト。


 ポジション交換!?

 右サイドバックの海斗と左サイドバックの俺が意図的にポジションを交換する。そうする事で対峙する相手は混乱し、フォーメーションが崩れやすくなる。もちろん守りの俺達が攻撃参加する事で、ディフェンスは薄くなるけど、先制攻撃するにはもってこいの動き。中学時代の十八番でもあった。


 確かに監督の前で披露して褒められた事はあったけど、指示はあったのか? 

 そんな疑問もあったけど、海斗の不敵な笑顔に……乗ってやらない訳には行かない。


 いつも通り、斜めに移動してポジションを変える。すると相手ディフェンスは一瞬焦り、俺達はノーマークになる。そこを目掛けての出された長いパス。それを受け取ったのは……逆サイドの海斗だった。

 上手くトラップして、そのままゴール前にクロスを上げる。エリア内で競い合う敵味方。そんな様子を目に、俺はそのままペナルティエリアの少し外で、こぼれ球に反応出来るように準備をしていた。


 海斗の蹴り出した鋭いクロス。ディフェンスとキーパーの間に出されたそれは、いわゆる良いクロスだ。けど、そこは相手キーパーが触り、惜しくもその場から掻き出される。


 大きな弧を描くボール。それを目で追う選手達。俺もその1人のはずだった。けど、そのボールは明らかに俺の方へと向かってくる。移動しなくとも、まさにボールが近付いて来る。そんな状況だからこそ、他の選手たちよりも幾分か余裕が生まれた。


 どうする? とりあえずトラップして、エリアの中央に居る先輩にパスか。いや、体勢崩してるし密集してるから無理そうだ。

 じゃあゴールの正面に立ってる岡部か? そのままミドルシュート……ダメだ、岡部の後ろにディフェンスが居る。体ぶつけられて体勢崩されたら、一気に囲まれてボールを取られる。


 ボールが宙を舞ってから、そこまで時間は掛かっていない。けど、不思議とそれがスローに感じて、頭の中では色々なシチュエーションを構築出来た。だが、その全てが上手くゴールに結びつかない。


 じゃあ一体……

 そうこうしている内に、徐々にボールは俺のところへ向かってくる。もうそこまで……時間はない。


 どうする!

 その時だった、


 ―――どうせなら今日の自分はこれだけ色々な事を知れて、幸せな1日を過ごしたんだよって、明日の自分に自慢したいじゃない?―――


 匙浜さんの言葉が……


 ―――今日はもっと色んな事知って、昨日よりも幸せな1日にしてみせるって思わない?―――


 何処からともなく頭の中に過ぎった。


 ―――そうすればその日1日が……もっと楽しくならないかな?―――


 正直なんでいきなり浮かんで来たのかは分からない。でもそれに気が付いた瞬間、確かに見えた気がしたんだ、俺とゴールの左隅を繋ぐ……光が。

 それは不思議な感覚だった、言い表せない位不思議な感覚。そしてそれに引き寄せられるように、体が勝手に反応する。


 右足を一歩踏み出し、そのまま地面を捉える。それは穴を開ける位、強く強く。

 それを軸にして、左足を振り上げる。少し斜めに傾けた体、そこに向かって落ちて来るボール。

 タイミングはバッチリだった。膝から下をコンパクトに振り、スパイクに感じるボールの感触。


 そしてそのまま、左足に力を込める。


 音すら感じない。ただ、その軌道は目に映った光の後を追うように、寸分の狂いもなく向かって行った。そして息つく暇もなく聞こえて来た、


 シュパッ


 ゴールネットの乾いた音。


 その光景に自分自身が一番驚いていた。言葉も出ないとは正にこういう事なんだろう。けど、一呼吸おいて聞こえた、


「日向ー!」


 誰かの声。

 それを皮切りに海斗が、岡部が、先輩達が一斉に俺の周りを囲む。


 そこまで来て、ようやく実感が沸いた。

 俺は確かに……思いっきり左足を振り抜いた。

 全力で……ボールを蹴る事が出来たんだと。




「じゃあ先行くぞー」

「はい」


 着替えが終わり、先に控室を後にする先輩達。残るのは俺と海斗の2人だけだった。


「それにしても日向。今日はキレッキレだったなぁ」

「そうかな?」


 タオルをリュックに入れながら、そう口にする海斗。キレキレだった……それ以上嬉しい誉め言葉はない気がする。

 結局あの後、なにかが外れたかのように思いっきり走って、思いっきりボールを蹴りまくった。おかげで1得点2アシストという結果が残せたのは勿論、あれだけ動き回って酷使したのにこの左足には何の痛みも感じなかった。


 怪我が怖くて、抑える事が当たり前になっていた左足。そのトラウマを打ち破れた事は素直に嬉しかった。それにもう1つ。


 俺は徐にポケットに入れていたスマホを取り出すと、画面をタップする。ついさっき試合後のミーティングの最中に感じた微振動の感覚はメッセージの受信の合図。それとなく誰なのか……期待はしていた。


 そして明るくなる画面。その中央に表示されたのはメッセージとその差出人。



【お疲れ様。やっぱり生の迫力は違うね。それと、ナイスシュートっ!】



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