第40話 トラウマを刻んだ愛
「おはよ」
「………え、あっ、ごめんなさい!」
「いいよ、もともと寝かせてあげるつもりだったし」
連日の疲れが溜まっていたのか、知らぬ間にソファーベッドを独占してしまっていた。厚かましいにも程があるが、柳さんは本当にうわべだけで『構わない』と言っている訳ではないのが伝わる。
何もお互い知らないのに不思議だ。綺麗なのに、つっけんどんと言うか、失礼な話、おしとやかでは無いのが、話しやすいのかも。
あれだな、憧れだけど友達でもある女性の先生みたいな感じ。
「ボーっとしてどうした?どこか具合でも悪いのか?」
「い、いや……」
僕は何を呆けている。長い停滞はようやく過ぎ去り、ここからようやく、僕だけの読書ライフが始まるんだ。
そうだ、僕の読書ライフが……!
朝からえらく意識の高いことを考えていたが、またもや問題が一点。
本が無い。
今、手元にないだけでなく、自宅に帰っても蔵書は三分の一程度しかない。
そう、深雪さんの家に置いたままだからだ。
深雪さんの家に行くのも、自宅に帰るのも、やはり今はまだ気が乗らない。
第一、家主がどこに居るか分からない以上、赤の他人である僕が、深雪さんの家から、たとえ僕の蔵書と言えども持ちだすことは
彩香の方も…………
「ねえ」
「え?」
「君、今日は予定あるの?」
「いえ、特には」
「そっか、まあ、私は仕事なんだけどさ。じゃあ、そうだな、はいこれ」
「いや、流石にこれは……」
いくら僕でも合鍵を受け取るのは気が引ける。
「じゃあ、ずっと家に居るの?」
「…………確かに」
ようは、合鍵がなければ、僕はこの家を留守にできなくなり、それは僕が居候を続けるという事に直結してしまうのだった。
合鍵というワードに短絡的な返事をしてしまった。こういうのが一番恥ずかしかったりする。
「じゃあ、これ」
「はい、確かに預かりました」
「行ってきます」
日常で頻繁に飛び交うその言葉が、嬉しそうに挨拶を交わしていた彩香や深雪さんとの記憶を瞬時に蘇らせた。僕はどうすればいいんだ………!
「行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
大人っぽい口紅を塗った柳さんは、優しく微笑み、ドアの向こうへ消えた。
僕はまた性懲りもなく、誰かの帰りを恋しく思ってしまった。
それは不思議と、柳さんだと断言することは出来なかった。それでも、『本当は柳さんを待ちたい訳ではない』と否定もせず、ただぼんやりと彼女の帰りを待つのだった。
握りしめた合鍵は、早くも僕の温もりを帯びていた。
その温もりは、柳さんが優しくしてくれた温もりであると思うと、より大事そうに手に包み込むのだった。
僕の手と鍵が同化しそうな勢いで。
唯一気掛かりなのは、僕の手に鉄の匂いが付くことだ…………
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