第四章
第39話 柳暗花明
「インスタントだけど」
「………ありがとうございます」
僕は恐怖からくる震えを、まるで季節のせいにするかのように毛布にくるまり、差し出されたインスタントコーヒーで体内も温める。
着の身着のまま駆け出してきた僕は、行ったことの無い裏道で、気を失っていた。
それをこの
普段はOLさんのようで、僕を見つけた日も帰宅途中で偶然、見かけたらしい。
一人暮らしの柳さんは、怯える僕を、優しく家に招いてくれた。
何があったのか、帰る家はあるのか。
普通の大人なら問いただす僕の素性を一切聞かず、ただこうして慈悲の温もりを提供してくれている。
まるで宗教経典の一節かとさせ感じてしまうのは、柳さんの人間愛というより、やはりあの出来事のインパクトが、未だに僕の心を殻に閉じ籠らせているのだろう。
「でも、おいしいでしょ」
柳さんの言う通り、このコーヒーはとても美味しかった。
「はい……美味しいです」
「じゃあ、笑ってよ」
「え?」
「一度でいいからさ、君の笑顔が見てみたいな」
「こ、こうですかね」
僕はお礼と言えば、あまりに簡単だが、とにかく彼女の望みを叶えてみた。
「また見せてね」
ああ、何もかもが温かい。僕みたいな得体の知れない奴を拾った点からも、どこか柳さんには孤独な香りが漂っている。
独身OL特有のものなのか、あるいは彼女の魅力なのか。それは僕のような読書バカな大学生には区別がつかないが、それが子どもの僕には、大人っぽく映った。
「本当に、ここまで親切にしてくださって、ありがとうございます」
「急に改まるね。いいよ、気にしないで。どうせ私の気まぐれみたいなもんだから」
「気まぐれ、ですか」
「そうそう、だからさ、君が笑顔を見せてくれさせすれば、私は満足だよ」
「ありがとうございます」
「うん、可愛いよ」
誰かから笑顔を褒められた事なんて一度もなかったせいか、鏡を見ずとも、自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。僕は年頃の女の子じゃないぞ。
これがお姉さんの魔力ってやつかな、恥ずかしい。
「ところでさ、君、名前は?」
「そ、そうでしたね!?ごめんなさい。あ、明智宗太です」
「明智って名字カッコいいね」
「残念ながら、推理は出来ませんけどね」
「名前の方は小五郎みたいな渋い系じゃないんだね」
「不釣り合いですか?」
「ううん、可愛い」
まただ。正体不明の大学生を招き入れるといい、さてはモテOLさんだったか?
どうりで綺麗な顔立ちなのに、独身だったのか。
僕も大人の毒牙とやらに仕留められぬよう、気を付けなければ。
特に、今みたいな同居スタイルだと尚更だ。
深雪さんの時と同じ羽目になるのはもう勘弁だ。
人生のモラトリアム期間とされる大学生。『若さゆえの過ち』とやらは、もう十分、骨の髄まで染み込んだ。
深雪さん……智花さん…………彩香…………
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