身重
焦りに近いものを抱いていたと思う。いうなれば俺は妊婦で、腹に巨大な赤子を抱えている。まだ、その子の顔は見たことがない。産んだことがないのだから、当たり前だが……。ともかく、その子の存在しか、俺は未だ感じられていないのだ。周囲では、当の昔に出産した親子が、手を連れて仲良さげに歩いている。俺にも、同じものは備わっているというのに。
この子は随分昔からいる。少なくとも、五年前にはいた。その頃は小さくて、成長を待つばかりであった。もっとも、なるだけ早く生みたいとは思っていたが、未熟なのもよくないのでひたすらにその子に栄養をあげていた。
気が付けば二年が過ぎ、さてその子は産道を降りようとしていた。周囲の状況、自らの境遇からみて、この子は社会的で社交的な、受け入れられ易い存在なのだと思った。しかし、彼が頭を覗かせたところで、彼はどういうわけか、また腹の中へと戻っていってしまった。
俺は相当困惑した。ある種の怒りすら覚えていた。身重というのはすべからく辛いものなのだ。仕方ないので、また育てる日々が続いた。この子は大きくなるばかりで、ついに生まれなかった。
さらに二年がたって、また陣痛がやってきた。そうか、やはり、この子は世俗的に正しい子なのだと知った。そして、彼はまたしても俺を裏切った。するすると体に戻っていく。それにかすかに触れた指先が湿っていた。
俺は嘆いた。なぜ、こんな痛い思いを何度もしなくてはいけない。赤子は大きくなるばかりで、もうすぐ俺の内臓を潰しつくし、脳をも侵すだろう。皆が赤子を持っていることも知っている。それを生むのに、大なり小なりの苦痛が伴うことも知っている。だが、俺ほど大きな腹を持った人間は見たことがない。大きくなった子供ならいくらでも見た。彼らは時に親すら超えるのだ。それでいいのだ。
だが、それは決して腹の中では起こりえない。出生だ。出生が必要なのだ。なのに、俺の子は未だ産まれない。何年だ。あと何年待てばいい。そして、膨れすぎたこの腹の中身。生まれるときは、親を殺して出てくるしかないのではないか。だとしたら、俺はこの子を殺すべきなのか。
俺は、恐ろしい。この子がこの腹を引き裂き、俺を食らう未来が。俺は恐ろしい。俺がこの子を殺し、空っぽになった胴体を携えて生きていくことが。俺は焦っている。これらがまだ回避可能なことを示す本能が、ついに諦めて、黙りこくる日が近いことを悟っているからだ。俺は急がねばならぬ。栄養を与えすぎたこの子を産まねば、俺の人生はろくでもないものになる。三つ子も四つ子も持っている連中とは違うのだ。この子に専心し、産み、育てるしかない。だから、この身が可能なうち、早く、産まねば。
……あるいは、子はすでに死んでいるのか。
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