だからどうした

 冬が来ると思っていた。枯れ木のような身体では越せないだろうと、すこしばかり溜め込んでみたら、いとも簡単に太ってしまった。ああ、削りだされた木造のような峭刻さはなりを潜め、果実のような曲線が身体を形成する。こんな姿ではもう着飾ることも出来まい。


 だから、裸になろう。美しくあることが、上等であることができずとも、せめて誠実でありたいのだ。


 ここからは、ビール腹の醜い中年男性の裸体も裸足で逃げ出す汚さだから、地獄をみたい人だけ一緒に来てくれれば良いと思う。一緒に、といったのは、書くからには私も一緒にそこまで堕ちて行かなきゃいけないんだよ。だから、一緒に。


 はじめようか。


 日々を虱を潰すようにして過ごしている。末端の些細なことに目をとられて、根本に触れないのだ。とっくに、何がしたいのか……いや、何をすべきかはわかっている。書くんだ。書くしかないんだ。この狭い部屋から出るためには、壁を破って物語を語り、ビルディングの広告にならなきゃいけないのだ。それを待っている人なんて、もう誰もいないけれど、俺がそうしなきゃ報われないんだ。穢多の感性と非人の才能をもちあらせた俺が、唯一生き残る手段。

 そうだ、生存をかけた闘いなのだ。

 けれど、俺は日々を無為に過ごしている。蝋でもいいから羽を作らねば、目の前に迫る津波を生き残れぬというのにだ。

 何を思っている? 怒号をあげて一歩づつ近づく波が幻影かと? あるいは、自分は魚のようにそこを悠々と生き残れると? 一度ならず二度そこで溺れ、死んだ身なのに、今さら何を思う?

 ああ、そうだ。俺は馬鹿だ、愚かだ。世界を救うと誓願を立てても、結局はそれもオナニーだ。全ての望み、希望、恐怖でさえも、自己満足だ。満たされぬと嘯くのも、実際のところそもそも器がないからなのだ。自分で自分をあまりに簡単に満たせてしまうから、他人の介入する余地がない。そのくせ、パラノイアにかかっているから他人に満たしてもらおうとする。それらが延々と繰り返されて、生まれた怪物。臆病なゾンビ。それが俺だ。食わなくても生きていける。とうの昔に死んでいるから。それでも自分の腹のために他人を食う。そのくせ、他人を襲うことを恐れる。恐れ、慄き、慟哭し、食い、後悔する。そしてまた空腹だけを感じる。全く救われない。俺が求めている安寧など生者にのみ与えられるもので、溺死体に過ぎない俺には決して訪れない。

 この見せかけの飢えを終わらせるには、引き金を引くしかないのだ。もっと直接的にいえば、諦めるのだ。あらゆる夢や希望、そして恐怖を。もとより死体だから、なんでもいいのだ。全てを諦めて、日々を享受すればいい。

 だけれど、俺は未だこうして書いている。いろんな感覚が身体に去来するから、まだ生きていると勘違いしているのかもしれない。だが、身体は正直だ。既に死んだ人間はもう一度死ねないのだ。だから、到来する死になにも対策しない。

 ああ、そうか、なぜ動けないのかいまわかった。ごちゃごちゃ煙に巻いたが、結局、俺の人間性が既に壊れているからなのか。人間社会に混じる動く死体。

 そりゃ、人間の道理で動くわけないか。

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