触れる死

 死と言うものがわからなかった。いなくなるということが、それほど重大なことに思えなかった。だから、彼女が死んだ時も、薄い胸の中の心臓を、柱時計の振り子みたいな、刻々と動かしていた。

 彼女がいない日々は驚くほど、いつも通りだった。考えて見れば、一緒にいる時間より、離れている時間のほうが長かったから、当然といえば当然だった。

 だが、長いこと会わずにいたから、少し話をしたくなった。彼女が好きだったホットチョコレートが美味しい店も、見つけたことだし。電話をかけようとして、ふと気づいた。


 彼女ともう会えないのだ。


 待ち合わせに遅れて小走りで走ってきて「ごめんね」と言う姿も、日差しが苦手だからと大きな帽子をかぶって電柱にぶつかる姿も、「寒い」と言って小さな身体を私の腕のなかに押し込んでいたずらっぽく笑う姿も、「またね」と言いつつ名残惜しくこちらを見る姿も、その全てを二度と見ることはないのだ。

 全ては、私の記憶の中だけになったのだ。もう二度と姿をもって現れてくれないのだ。

 そう察した瞬間、涙が止まらなくなった。その瞬間、彼女は死んだのだった。


 彼女がこの世からいなくなった瞬間、あるいはその直前に、自分の時計の針を止めておけばよかった。彼女の死を知らなければ、彼女との再開の可能性を留めておくことができたのに。

 けれど、私は進む。いや、流れる。彼女が死の直前に私につけた引っ掻き傷が癒える度に、彼女の存在を示すものが世界から減る度に、彼女は遠ざかっていった。

 私は恐ろしい。今は、彼女は死んでいるが、いつか全ての彼女の残滓がなくなった時、彼女はなかったことになるのではないか。

 だから、記憶の中の彼女をなんとかこうして現実に呼んでいる。

 けれど、こうして現れた彼女は、彼女のコピーの複製品。そうして汚すくらいなら、薄れる彼女のコピーを嘆きつつ愛でたほうが良いのでは。

 ぐるぐると恋慕と恐怖、時間とが混ざり合うが、やはり彼女は何も言わない。


 おしゃべりな彼女は、やはり死んだのだった。

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