装置

 やはり自然はいいものです。そこに個人が現れません。無数の意思が秩序なく絡み合ったフェルト生地みたいな結果だけが提示されています。私は、それら一つ一つを紐解くことができず、故に自然は私に何も与えません。あまりに巨大な壁を前に立ち尽くすように、あらゆる変化も影響もなく、だから人々は自然を見ると癒しを感じるのでしょう。

 一方、街は駄目ですね。どこをどう見ても、そこに意図がある。それが感じられ、容易に理解される。だから街にいると人は常に情報の処理を強いられるのです。望むとも望まざるとも、意識的だろうと無意識的だろうと、それは確かに行われている。その証拠に、人は歩道を歩きます。別に車道を歩いたっていいじゃないですか。でも、そうしない。用途に反するから。


 自然は人ならざるものたちが、我々の認める秩序を超えて構成されています。そのカオスといったら尋常でなく、間違いなくこの社会に取り込まれた全ての人工物より不誠実で不純でしょう。

 だから、いい。

 理解できないものは何もくれません。すると、我々は不思議と、何もくれないのをいいことに、感じるものを自ら作り出します。そして、勝手に感動します。マッチポンプもいいところですが、あらゆる人工物が無限の解釈を許さない以上、そうすることでしか、万人の癒しを与えられなかったのでしょう。我々が高い金を払って動植物を飼うのも、そこにカオスを見、勝手な解釈で癒されたいがためでしょう。

 別に否定はしませんよ。ただ、癒しを産む装置が外界にあるのではなく、自らの意思で癒される者だけが存在する。これが言いたいだけです。

 わかったら、とっとと癒されてください。最も複雑で理解不能で、そして偉大な自然をあなた方はもう持っているでしょう?

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