第6話

 夏樹は部屋の中で眠っていた。まだ起きていないのが何となく分かる。しかし、夏樹は見たことの無い世界に居る様な気がした。この世界とは全く違う別の世界。恐らくは夢。夢の中だという事がうっすらと分かる。夢を見ているのだ。

 ・・ここは何処だ?外に居る。空を見上げると曇天の空。何処までも厚い雲が広がっているのが分かる。遠くの方で、爆撃のような音が聞こえる。「ドォーン!ドォーン!」と。花火でないのは確かだ。足元に視線を向けると、どうやら丘の上に立っている。眼下に鬱蒼と木が茂った森があって、少し遠くの方に大きな中世ヨーロッパに出てきそうな、立派なお城がポツリと建っていた。某テーマパークにあるお城に似ている。遠くにあるから見えにくいが、お城のあちこちから煙が出ていた。赤い光、あれは、恐らくは火だ。お城が燃えているのだ。風に乗って、煙と火薬の臭いが漂ってくる。侵略されているのだろうか。ここで夏樹はある事に気が付いた。今この景色を見ているのは自分じゃない。何故なら視線を下に移した時に自分の足が見えたのだが、夏樹よりずっと細くて、白い足で、しかも裸足だった。明らかに少女の足である。ワインレッドの奇妙な模様のスカートの裾が見えた。フリルの付いたドレスのようだ。模様だと思っていたがそうではない。白いスカートが何か、塗料か何かで汚れているのだ。それも違う。塗料だと思った物は恐らくは血だ。自分の血なのか、誰かの血なのかは分からない。赤黒い血がこびりついて少し、乾いている。ただ、ここまで必死になって逃げてきたという感情が伝わってくる。あの燃えているお城から、森を走って抜けてきたのだ。枝や葉、石なんかで足がボロボロになりながら・・。それと同時に絶望にも似た、少女の深い悲しみと、嘆き、恐怖、この状況が理解出来ていない混乱した思考が流れてくる。いや、理解している。本当は全て分かっている。分かっているが、それを認めてしまうと、もう二度と立ち上がる事は出来ないくらいの絶望が待ち構えている。認めたくないのだ。今この目の前で起こっている現実を。残酷な現実を受け止める事が出来る程、少女は大人ではない。その小さな体で受け止めるにはあまりにも酷過ぎた。運命は少女に、どれ程の過酷を背負わせたのだろうか?・・立ち止まるわけにはいかない。止まってしまえば、殺されてしまう。沢山の死を目の当たりした。日常からかけ離れた惨劇。少女は首から下げているアクセサリーを両手で血が滲むほど握りしめる。どうか皆が無事であって欲しいと、祈る。自分を逃がすために、犠牲になっていった人達。どうかまた、いつもの素敵な笑顔を見せて欲しいと、無理だと分かっていても、切に願う。少女の口から震えながら声が漏れる。

「・・お父様・・お母様・・わ、私は・・どうすれば・・」

 小さな肩が小刻みに震える。全て投げ出して、逃げてしまいたい。自分も死ねば、もうこんなに悲しい思いをしなくていい。何度そう考えた事か。この護身用に持たされた短剣で、自分の首を刺せばすぐに楽になれそうだ。そうじゃないと、胸が張り裂けそうだ。悲しみで押しつぶされてしまいそうだ。でも感情で心臓は張り裂けない。胸を貫かれたような痛みがあるのに、体は無傷。心臓も動いている。では、この痛みは何処から来ているのだろうか?分からない。心が痛いのか?涙はもう枯れて流れる事は無い。・・ああ、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。胸が痛い。どうにかして!こんなに痛いのに!いらない!こんなに苦しい感情なんて、痛くてたまらない!誰か、助けて!この痛みから、私を救って・・お願いします・・。何でもしますから・・。要らないこんな、こんな酷い世界。要らない要らないイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイイラナイ・・。

 少女が絶望に飲み込まれそうになったその時。誰かの声が聞こえた。

「・・さぁ、こちらです。急いでください。この洞窟を真っ直ぐ進めば、神殿の祠に出ますので、そこで、身を隠していて下さい。必要であれば、あの力を解放して、御身をお守りください。すぐに追手が迫って来ております。残念ながら一刻の猶予も無いのです。辛いのは分かります、幼い貴方にこのような事を申し上げるのは本当に、本当に、酷なのですが・・早くお逃げ下さい。感傷に浸るのは、後です。ここは我々で食い止めますので・・それと、自害なさるのはお辞めください。何故なら、貴方をここまで逃がしてきた、犠牲になった仲間に対して失礼です。貴方が死んでは、貴方のお父上とお母上、そして、彼らの魂が報われません。元も子も無いのです・・ですので、どんなに辛く、苦しくても、必ず生きて下さい。必ず、ですよ?それが今、貴方に出来る事なのです」

 一緒に逃げた来た人達だろうか、どんな姿なのか、こちらからは確認することは出来なかった。

「せやで!気をしっかり持たな!絶望するんは、まだ先や!あんたは絶対に生きんといけんのや!もう後ろを振り返ったらダメやけんな!追手はうちらで何とかするから、クルクスもこっちに来てるって、さっき連絡あったけんな?安心して。だからな、振り返らず、走るんや!また、一緒にお菓子作ろうな?・・・・・・あ、お菓子と言えば、まだ厨房に焼きかけのクッキーがあったんやった・・しまったなぁ・・持ってくればよかったやん・・。何回も言うてることやけど、お菓子くらい作れんと、立派なレディになれんけんな?・・まぁ、だから、足を止めたらいかんで?」

 寸での所で我に返る少女。もう少しで、少女の意識は消えて、別の何かになるところであった。その意識を引き戻したのは、いつもの、他愛無い会話だった。それが現実に少女の意識を繋ぎとめたのだった。

「あ、・・え?クッキー?・・この状況でクッキーの心配?・・でも、食べたいなぁ・・貴方が作るお菓子はとても美味しいから、また、作って欲しいな?だから、必ず、私の所に帰って来てね?また、皆で、お菓子作りたい!二人とも、お願いね?絶対に、絶対に、死なないで!私を一人にしないで・・」

 涙ぐむ少女。視界がぼやけているが、黒っぽい服を着たその二人の人物が、親指を立てて、サムズアップのジェスチャーをしている姿が薄っすらと見えた・・。そして少女は薄暗い洞窟の穴へと消えていった。何があったのか、この先に何が持っているのか、どんな過酷があるのか、この後、少女はどうなったのか。それを知る術は夏樹にはなかった。


 夏樹は意識が、段々と上昇してくるのが分かった。

 ・・ああ、これはもう目が覚める兆しだ。僕はもうすぐ目が覚める・・。

 近くに、ひつぎが居るのだろうか?最近ひつぎの気配を感じ取れるようになってきた夏樹。離れていると流石に分からないが、ある程度近くに居ると、僅かではあるが、認識出来るようになった。そして何かが、夏樹の右手を握っているような感覚がする。夏樹はゆっくりと瞼を開ける。いつもの天井だ。少し視線を右に向けると、ひつぎが箱の蓋の隙間から黒い手を伸ばし、夏樹の右手を握っていた。前回リベレイターになると宣言してから四日経っていた。

「あ、ひつぎ、おはよう。どうしたの?手なんか握って?」

「・・別に、ただ、夏樹がうなされていたから・・悪夢でも見たのかと思って・・」

「え?あはは、大げさだなぁ、僕は別に大丈夫だよ?」

 夏樹は上半身を起こして、左手で目の辺りを擦った。するとある事に気が付く。

「あ、あれ?涙が・・欠伸でもしたのかな?・・」

 眠っている時に、少し涙が流れる事はよくある事だ。ただ今回の場合、頬が濡れすぎているような気がした。それに加え、全身が汗でずぶ濡れになっていた。

「・・とても苦しそうだった。そんなに嫌な夢でも見た?」

「・・嫌な・・夢か・・それにしても、やけにリアルだったような・・あ、もう手を放しても大丈夫だよ?なんか、ゴメンね?心配かけちゃって・・。最近は滅多に夢なんて見なかったのになぁ・・」

 夏樹の握っていた手をそっと放し、黒い手は箱の隙間にスルスルと戻って行った。そして音も無く、扉が閉まる。


 ・・ひつぎに心配をかけちゃったか。でも、ひつぎはなんか、とてもいいカラミタなんだろうなぁ・・安心するというか、嬉しかったなぁ。手を握ってくれて・・。小さい頃、母さんに風邪をひいて寝込んでいた時に握ってもらったくらいしか、記憶がないぞ・・あ、なんか恥ずかしくなってきた・・・。それにしても物凄く、あの少女の感情が流れ込んできて、まるで本当にあった事のように感じたなぁ・・今の僕は感情が死んでるから、特になにも感じなかったけれど・・。あれはそもそも僕ではないし。何だったんだろう?・・あんまり見た事のない世界だった、お城みたいなのがあったし・・でも知っている人が出てきたような・・まぁ、夢だから知ってる人が出てきても、変な話じゃないよね?・・。


「・・うわ、でも凄い寝汗だ・・。あ、僕ちょっとシャワー浴びてくるね?ああ、べっとり汗が出てる・・最近はそんなに暑くないのにね?少し散歩を始めたから、代謝が良くなったのかなぁ・・」

 そんな事呟きながら、夏樹はバスルームに入っていった。夏樹の部屋のバスルームはトイレと別の部屋になっていて、洗面台とやや小さめのバスタブ、シャワーが付いている。トイレとバスルームが別が良かったのでこの部屋を借りている夏樹。服を脱いで、洗面台の上にある鏡をチラッと見てみた。そこには髪がボサボサの、冴えない顔の青年が映っていた。まだまだ眠たそうな顔をしている。髭も少し伸びていて、清潔そうには見えない。近所だとそんなに見た目は気にしなくてもいいが、流石に今度病院に行くまでには、髭と髪を何とかしないといけないだろう。

 ・・そう言えば、昨日、僕は寝る前に歯を磨いたっけ?・・いや待てよ、そう言えば、模擬戦が今週の日曜日にあったじゃないか・・やっぱり今日髪を切りに行こうかな・・。

 そんな事をシャワーを浴びながら考える夏樹。散髪と考えるだけで、憂鬱な気分になる。しかしこのボサボサの髪のまま、試験会場に行くのも気が引ける。・・・・第一印象って結構大事だと思うからなぁ・・何処か近くて安い散髪屋は無いかなぁ・・後でネットで調べてみよう・・。

 体に付着した水分を、バスタオルで拭き取り服を着る夏樹。冷蔵庫から、水の入ったペットボトルを取り出し、一気に半分ほど飲み干す。普段はそんなに飲まないが、悪夢でうなされていたのか、寝汗を大量にかいてしまったので、その分いつもより多めに飲んだ。ついでに、朝ごはんの代わりになる昨日買っていたトマトジュースも、一気に飲んで早速スマホで、近くの散髪屋を探した。ひつぎはもう部屋の中には居ないようだった。

「・・う~ん、中々近くには無いかなぁ・・」

 ・・あ、そう言えば、散髪屋さんとか美容院とかって、コンビニよりも店舗の数が多いとかって昔聞いた事があるぞ・・。やっぱり身だしなみは、生活する上でも大事ってことなのかなぁ・・。多いはずなんだけれども、近くには無い・・か・・。まぁしょうがないか・・二駅くらいの所に千円カットのお店があるから、そこに行こうかな。まぁでも前に一度試しに行ったことがあるんだけど、角刈りになって、凄くショックだった事があったからなぁ、一概にも安ければいいという訳でも無いし・・。

 夏樹はここから一時間程悩んだ結果、たまには気分を変えて、美容院に行ってみようという決断を下したのであった。理由は、歩いて行ける距離にあり、もしまた美容院に行く機会があれば、そのお店を行きつけにすればいいと思ったからだ。滅多に行くわけでもないので。どちらにせよ、初めて行くという事は、絶対にあるモノなので、この際勇気を出して行くことにした夏樹。

 髭を剃って、黒いTシャツとジーンズに着替えて、近くの美容院に向かう。歩いて二十分くらいの場所にその美容院はあった。電車には乗らないので、道を間違えない限りたどり着けなという事は無いだろう。スマホの地図を見ながら、目的の美容院まで無事に到着した夏樹。意を決して夏樹は、お店の扉を開ける。シャンプーや整髪剤の独特な臭いが香ってくる。久しぶりに嗅いだ。夏樹がお店に入って、一時間くらいが経過。暫くするとさっぱりした顔の・・髪の青年が出てきた。夏樹は自分では気が付いていないが、そこそこ顔立ちの整った爽やかイケメンである。ただいつも伏せ気味で、前髪も長かったりするので、暗い印象を持たれがちだった。今回は、スタッフの人に「イメチェンしたいので、短めの、最近の流行りの髪型でお願いします」と注文したのであった。何故イメチェンしたい、とか言ったのかは自分でも分からなかった。何かを少しずつ変えたかったのかもしれない。オーダーする声はとても小さかったが・・。

 ・・ああ、何だか、髪を切っただけだったのに頭が軽い!それはそうなんだけど、こう、何と言うか、物理的にじゃなくて、気持ち的にも軽くなったというか・・シャンプーも気持ちよかったし・・。髪を切りにきて良かったなぁ・・なんて言ってたっけ?この髪型・・。美容師さんは・・えっと・・名前覚えずらいなぁ。マッシュウルフ・・スリー・・・ショー・・サイドグラ・・・とか何とかだった気がする。うん。ちゃんと覚えてないけど。取りあえず気持ちが軽くなったから、よしっ。まぁ、五千円くらい取られちゃったけど。仕方ないよね・・。美容院だし・・。

 代金のことよりも、スッキリとした頭と気持ちの方が嬉しかったので、特に気にならなかった夏樹。髪を切った、ただそれだけで、夏樹の心は少しだけテンションが上がったのであった。

 夏樹がもと来た道を帰っている途中で、ふと後ろが気になって振り向いてみた。もちろん後ろには何もない。が、一瞬だけ黒い何かが目の前を横切って行った。

「ん?なんだ?・・まさか、兎とかだったりとか・・なんてね・・」

「にゃぁー」

「なんだ、普通の黒い猫か・・気にし過ぎだったかな・・」

 その直後、夏樹の背中がゾクリとした。猫を見たからではない。路地の前方に何かが居る。背中を何かが見ている。歩いていたから大分体は温まっていたはずなのだが、夏樹の体の至る所から、冷汗が滝のように流れてくる。危険だ。夏樹の直感がそう告げる。恐怖というより、これは・・この感じは、死、そのものだ。死んだことが無いから分からないが、死の臭いがする。後は、ビリビリする。何だろうか、射すような、殺気だ。これしか言葉が思い浮かばない。夏樹は軽くパニックになる。正面を向いたら、その何かを見てしまう。だが、そのままでは部屋に帰れないので、思い切って見るしかない!夏樹が正面を向くとそこには・・・。

「これは、これは、お初にお目にかかります。わたくし、デミオスと申すものでございます。気軽にデミー、とお呼びください。ところで、三谷夏樹さん、ですよねぇ?」

 黒いスーツに黒い手袋、そして細身のいかにも怪しい男が居た。

「・・えっと、そうですけど・・何か用ですか?・・僕は帰宅途中なんですが・・変な勧誘とかだったらお断りしますけど・・と言うか、何で僕の名前知っているんですか?」

 その黒いスーツの男・・デミオスは目が細く・・と言うか瞑っているのか?切れ目で、口は笑顔を保ったまま、紳士のように、右手を胸に当ててお辞儀をしていた。シルクハットは右手に持っていて、お辞儀が終わるとまた被った。クラウンの部分が少し長めだ。髪はオールバックだが、物凄く長い。背中くらいまであるのではないだろうか・・。赤っぽい黒色のサラサラの髪。身長が高い。百九十センチメートルくらいはあると思う。夏樹との距離は僅か四メートル程の場所に立っていた。よく見ると悪魔の尻尾みたいなのが生えている。住宅街のある路地に普通では考えられない正に異質な存在がそこには居た。周りの風景と合ってない。

 ・・うん。これは、人間じゃないな、絶対そうだ。見たまんま、悪魔か何かだよ?こいつ・・。死神の次は悪魔か・・なんか不吉だなぁ・・。

「おぉっと、これは失敬。いえねぇ?勧誘とかじゃぁ無いんですよ?そんなに、お時間は取らせませんので。ええ。すぐに終わりますからねぇ?一つこちらの質問に答えて頂くだけですから。わたくし実は、王様から直々に勅命を受けていましてねぇ?行方不明になっている、姫様を探しているんですよ。姫様と言っても本当のおや・・いえ、それは別にどうでもいい事ですねぇ。う~ん。いや、それにしても凄いですねぇ?さっきから、割かし本気のプレッシャーというか、殺気を放っているんですが・・普通の人間だったら、気絶しますねぇ・・流石はリベレイターと言ったところでしょうか・・中々三谷さんは、面白いですねぇ・・」

「え?リベレイターを知っている?・・何者なんですか?貴方は?もしかしなくても、カラミタですよね?」

 夏樹の警戒度が一気に上がる。もしカラミタだったとしたら、間違いなく危険だ。だって、こんなにも人型に近いのだ。中級よりもっと上位もしくは上級のカラミタの可能性の方が高い。


「ええ、ええ、知っていますよ?中々に厄介です。お察しの通り、わたくし、カラミタで御座いますねぇ。位はパノです。ああ、パノとは上級と言う意味ですねぇ。因みにメスィが中位、カトが下の位ですよ?」

 ・・あ、終わった、このデミオスとか言う奴、上級だ・・。パノが上級って意味か・・こんなに会話が出来ている時点で気づくよね・・。どうする?ひつぎを呼ぶか・・でも何だろう・・直感がこいつとひつぎを合わせたらいけないって言っている。危険だ。ただ、僕に出来る事も無いぞ・・。いやぁ、そんな事言ってる時間は無いのだけれど・・。しかも何故か僕の名前を知っているし・・。本当に姫様を探しているのかも怪しいぞ・・。そう言えばひつぎも姫様を探しているとか、なんとか言っていたような・・。知り合いなのかな?・・その辺りは、プライベートな事かなと思って、ちゃんとひつぎに聞いて無かったな・・。

「んんん?警戒心が強くなりましたねぇ?大丈夫ですよ?そんな取って喰いはしませんから。安心して下さい。わたくしは、ちゃんと節度もって食事をしますので。ええ。まぁ、しかし、三谷さんからはかなり上質のベイツの香りがしますねぇ?実に美味しそうです。ああ、久しく上質なベイツは食していませんでしたねぇ・・。ああ、これは失敬、本題にい入りましょうか。それでは質問しますよ?」


 ・・何なんだ、こいつも僕の事、美味しそうとか言ってるぞ・・。複雑だ。非情に複雑な気持ちだ・・。

「・・何でしょうか?・・」

 相変わらず、デミオスの表情は笑顔のままだ。これはこれで、さらに不気味さが増している。普通に考えて、怖い。相手の感情が一切読み取れない。笑顔なのに・・。それ程に相手と自分の力量差が激しいのだろう。

「実はですねぇ?わたくし、こう見えて部隊のリーダーを務めているのですが、部下も何人も居るんですけどねぇ?姫様を探している部下の一人がまだ帰って来ていないんですよ。まぁ、わたくしの部隊ですから、中々の精鋭を揃えたつもりだったんですが・・自由行動はさせていたのですけども、流石に何日も帰ってこないとなると、何かあったのかと考えてしまいますよねぇ?わたくしも考えて、考えて、出た結論が、ああ、もしかしたら人間とプラティオに倒されてしまったのではないか・・と」

「プラティオ?」

 ・・そう言えば、あの死神みたいな奴がそんな事言っていたような・・。どういう意味なんだろう?・・。

「ええ、そうです。プラティオとは我々カラミタではなく、人間共と行動している、言わば、裏切り者、と言う意味ですねぇ。ええ、かなり侮辱した最低の呼び名ですねぇ・・。まぁ、たまに同じ人間のベイツを奪い合って喧嘩なんかはしますが、流石に喰ったりまではしないんですよ?同族なのでねぇ?全く、腰抜けの穏健派の奴らときたら・・。例外もありますけれど。・・何か・・・・知りませんか?」

 ・・やっぱり、部下って、あのひつぎが吸収した、死神みたいなカラミタの事だ!絶対そうだ!・・ど、どうしよう・・なんて答えるべきなんだ?怒っているのか、心配しているだけなのか・・。常に笑顔だから分からないぞ・・。人の感情を読み取るのは得意なんだけれど、カラミタとなると全く分からない。もしかしたら、復讐しに来たのか?

「えっと・・その、多分倒したような気がしますけど・・、まぁ、沢山戦闘をしてるので、いちいち、死神みたいな恰好の奴なんて、覚えてませんね。こっちも生きるのに必死なので・・」

 ・・よし、これで、なんとか誤魔化せたかな?・・・。


「なるほど、なるほど、確かにそれは、そうですねぇ?・・・あれ?でもオカシイですねぇ・・。わたくし、部下の姿形は伝えていなかったはずなんですが・・。一体何処から、というイメージが出てきたのですか?遭遇してみなければ、そんな事、言いませんよねぇ?」

 ・・あっ、しまった!・・思わず口が滑ってしまったぞ・・。ヤバい、どうしよう。殺されるのか?やっぱりここはひつぎを呼ぶしかないのか?

「か、仮に、そうだとしたら、どうするんですか?復讐でもするんですか?僕はあまり戦いたくはないですけど・・」

 ・・ここは、強気だ、はったりでも何でもいい!誤魔化すんだ!・・。


「いえ、いえ、そんな復讐なんて、古典的な事はしませんよ。ただ単に、わたくしの部下が弱かっただけの話ですから。弱肉強食なので仕方ありません。そういう世界ですからねぇ。弱い奴は、喰われるだけなのです。実はまだ言っていませんでしたが、わたくし、もう一つの任務がありましてねぇ?プラティオを見つけては処刑しているんです。ああ、処刑だけしているという訳では無いんですよ?強い方は我々の部隊にスカウトしているのです。わたくし、人事も担当しております。中々、精鋭が育たなくて・・。苦肉の策ですねぇ・・。しかも!なんと!、ベイツの人間も一緒にスカウトしているのです。そっちの方が色々手間が省けますので。即戦力になる人材をスカウトしているのですよ?昔のように右も左も分からない新人を丁寧に育てるといった、非効率な事は止めたのです。何せ時間は有限ですから。初めから能力がある人材を、中途採用した方が実に理にかなっているでしょう?コストも減らす事が出来ますしねぇ?つまり、三谷夏樹さん?貴方を我々、「ルペルシカ」にスカウトしたいのです!如何でしょうか?わたくしの部下を倒した時点で、実力はかなりのもの。申し分ありません!貴方のカラミタはまだ姿が見えませんが・・。まぁ近くには居るはずなので、この話も聞いていると思いたい・・。処刑されるよりかは、かなりいい案だと思いますよ?」


 ・・いや!こいつ、何言ってんだ?嘘でしょ?はっ?カラミタの仲間になれだって?冗談だよね?・・そうだよね?・・。

「・・・・・その、ルペルシカって言うのはどういう目的で活動してるんですか?何する集団なんですか?」


「ああ、そうでした、そうでした、わたくしとしたことが。大前提を伝えていませんでしたねぇ?我々の活動方針なんですが、それは勿論カラミタの安全を守る事です。安全と言っても昔は今ほど危険では無かったのですが・・。今の王様がちょっと国の方針を変えましてねぇ?もっと仲間を増やして人間界を侵略してしまう勢いなんですよ。わたくしとしては人間を滅ぼしてしまうと、ベイツにありつけなくなってしまうので、あまり気が進まないのです。それは置いといて、どうです?人間に絶望していませんか?己の私利私欲のためなら、手段を選ばない権力者や、一向に良くならない経済。いつまでも何の為に戦っているのか分からない無駄な戦争。本当に助けを必要としている人達を見て見ぬふりの居眠りばかりしている政治家たち。いじめの無くならない学校で、知らぬ存ぜぬで通す教師達。本当に大事な事を伝えないマスコミ。テレビ番組なんて、いかにも美味しそうなグルメの番組や、クイズの番組ばかり。芸能人のどうでもいい不倫の話題ばかりをするワイドショー。会社の利益ばかりを求めて、社員を使い捨ての部品のように捨てる会社。路上に寝ている人達を自分より劣っていると勘違いして、襲う馬鹿な子供達。人の弱みに付け込んで、お金をだまし取る詐欺師達。己の浅はかな行為のせいで子供を捨てる、若い親。ああ、まだまだ沢山ありますが、どれもこれも人間だから出来る所業ですねぇ?まとめると、権力とお金が無ければ何も出来ないじゃぁないですか。お金に縛られている。逆にお金と権力が有れば、どんな悪行をしても罪に問われない。法で裁くことが出来ない。ああ、知っていますか?人間の悩みはほとんどが人間関係とお金だったりするんですよ?くっくっく、わたくしは、そういう所、結構好きですよ?自ら地獄の中に居るなんて。この世界はマイナスのエネルギーに満ちています。実に素晴らしい!わたくしにとっては、とても、とても、居心地のいい場所なんですよ?でも、こんな人間たちは別に居なくなってもいいと思いませんか?三谷さん?」


 ・・なんて答えればいいんだ・・。そりゃぁ、確かに考えた事はあるけれども・・。こいつ人間について詳しくないか?・・。

「・・でも、僕も人間です。確かに世界を人を、恨んだ事もあるにはありますけど・・。それでも、最近少し分かった事なんですが、今僕がこうなっているのは、誰のせいでもなく、世界のせいでもなく、僕自身の選択の結果なんじゃないかと・・」


「なるほど、なるほど、全ては自分が招いた結果だと?確かにそれも一理ありますねぇ?ですが、貴方は何故会社を辞めたのですか?仕事が出来なかったから?それとも、大きなミスをした?・・いえ、違いますよねぇ?貴方は仕事を完璧にこなしていた。無能な上司が無理に組み立てた計画のせいで、遅くまで残業をする羽目になったのお忘れですか?それが、初めのうちはこんなものなのか、と諦めもつく。ですがそれが、二度目、三度目、挙句の果てに一年間ずっとだったら?残業をさせられているのは、貴方のせいなのですか?派遣社員なのに新人の正社員の教育を任せられるのは、それは、貴方が優秀だからそうなのかもしれないですが、仕事とは別にこなさなくてはいけない。しかもそれをやったとしても、正社員のほうが給料が高い。報われないですよねぇ?やって当たり前だと。しかも次々に新人は会社を辞めていく。だからまた初めからやり直し。いつまで経っても自分の仕事を手伝える人材が育たたない。結局自分が遅くまで会社に残って残業をする事になる。これも貴方のせい、なんですか?しなければ、納期に間に合わないから残業をするのでしょう?わたくしからすれば、少しくらい、仕事が遅れても何も問題ないですけどねぇ?後は、どう考えても上司の過失だったのに、その仕事のミスを貴方の先輩に擦り付けらて先輩は会社を辞めなければいけなくなった。その先輩が貴方にとっての唯一の救いだったのに。今まで頑張って来られたのは、この先輩が貴方を何度も助けてくれたから。しかし、数か月後、貴方にある知らせが届く。先輩が自宅で、首をくくって自殺していたという事を。貴方はあまりにも突然に起こってしまった事に対し、頭が、混乱して、とうとう、お葬式に行く事が出来なかった。確かに、そこまでメンタルがボロボロだと、お葬式なんていけませんよねぇ?それは心の中の最後の一線。越えてはならないその線をとうとう、越えてしまった。貴方は上司に、会社に、世界に、人間に絶望したはずだ。これも貴方のせい、なのですか?選択の結果がこう、なのですか?貴方が望んだものでしたか?これが選択の結果で良かったのですか?全てが自分の選択の結果で起こった事だと?どうしようも無い事だと、わたくしはそう思いますが。これだけの事を経験した貴方のベイツは、さぞかし、美味でしょうねぇ?三谷さんは、かなり真面目なお方ですよ?ええ。実に信用できる人間だ。そういう人間は実に、実に、操りやすいですねぇ。おっと、コホン、これは失敬」


 ・・何だろう、この感情は・・と言うかやけに詳しいな僕の事。ファンなのかな?あまり聞きたくなかった・・その話は・・。

 夏樹は何も答える事が出来なかった。過去の嫌な記憶が、頭の中をグルグルと回って、冷静な対処が出来ないでいた。感情が、虚無に飲まれる。心に黒い穴が広がって行く。


「・・・ぐっ・・・・ううう・・」

 デミオスは相変わらず笑顔のまま。夏樹の異変気が付いていないのか、それともわざと気が付いていないフリなのか。どちらか夏樹からは判断することが出来なかった。


「おや?どうされました?ご気分が優れませんか?ああ、そうだ、人間のままでも、大丈夫ですよ?肉体なんてただの入れ物にすぎませんから。貴方の望む姿でカラミタに転生出来ます。ハオスでは人間の姿のままでも構いません。元人間の方も大勢いますから。ハオスの方がこちらの世界よりもよっぽど理に適っていますよ?全て実力次第です。三谷さんはかなりお強い。わたくしが保証しましょう。あちらの世界でわたくしに意見出来たり、命令出来たりするのは王様くらいですから。滅多な事が無ければ他のカラミタに襲われたりはしません。わたくし、こう見えて、結構偉い身分なのです。貴方の頑張り次第で富、名誉、名声何でも手に入れる事が出来ます。まぁ、すぐには答えは出せないでしょう。さぁ?どうですか?実に魅力的だと思いますよ?我々と一緒に、充実した時間を謳歌しようではありませんか!悪い人間を根こそぎ食べてしまいましょうよ?ねぇ?どうです?素敵な提案だと思うのですが?」


 ・・どうです?ってどうなんだろう?・・カラミタになって人を襲えって事だよね?そんな事出来る訳ないだろう?僕は人間だ!カラミタじゃない!・・・でも、それで、世界が良くなるのなら・・僕がカラミタになれば、悲しむ人達を救う事が出来るのなら・・。夏樹の気持ちが揺れる。もはや何が正しいのか誰にも分からない。何が間違っているのか、何が正しいのか。夏樹は感情が揺れ過ぎて、思考が上手く働かない。とその時!


「・・小僧。・・あまり奴の話に、耳を貸すな・・・・」


 ・・な、何だ?・・誰が喋った?・・ひつぎじゃないぞ?低く渋い声だ。何処から聞こえた?・・。

 夏樹が辺りを見渡すと、夏樹と、デミオスの間に割って入った大きな影があった。前長四メートル位(尻尾を含めて)はありそうな、大きな獣だ。それは黒い毛並みの大きなライオンだった。そのライオンが夏樹の方を向いて喋ったのだ。黒い毛並みの中に、浮かび上がるように二つの透き通るほど綺麗な、夏空のような青色の瞳が夏樹を眺めていた。

 ・・ら、ライオン?・・が喋ったぞ・・!?何なんだ?この黒いライオンは?カラミタ?・・いや、違う、ラビスさんと同じ感じがする・・。エニグマって事か?・・・。じゃあ近くにリベレイターの人が居るって事?・・。助けてに来てくれたのか?・・。


「おや、おや、これは、これは・・・・プラティオの分際で・・いえ、元王国軍団長殿じゃぁないですか?こんな所で、一体どうしたのですか?ああ、なるほど、なるほど、貴方が三谷さんの相棒・・エニグマだったのですねぇ?それなら三谷さんの強さが納得出来ますねぇ?貴方の能力の一つである、ブレイブハートは他者に、勇気を奮い立たせる事が出来る。簡単に言えば、士気を上げる事が出来る。だから、わたくしの殺気にも三谷さんが耐える事が出来た。ああ、ですが、残念ながらわたくしは、仕事の真っ最中でしてねぇ?貴方の相手をしている場合では無いのですよ?三谷さんに用があるのです。だから邪魔しないで頂きたい。それとも貴方も我々の仲間になりますか?別に人間の味方をしても、貴方にとってはなんのメリットも無いように思えますが?もし、そうするのであれば、今までの行いには目を瞑りましょう。わたくしが王様に直に謁見して、罪を許してもらえるように取り計らいますよ?」

 夏樹の目の前に現れた、その黒いライオンはゆっくりとデミオスの方に顔を向けた。夏樹にもこの黒いライオンが、デミオスを明らかに警戒しているのが分かった。黒い毛が逆立っている。


「ほう?この儂が貴様らの仲間になると?人間の味方をしても、なんのメリットもないと?ふんっ、何かの冗談か?断る。それにしても・・また、懲りずに人間を勧誘しているのか?そうまでしないと、貴様らの部隊は人手不足なのだな?部隊のトップが自ら、勧誘に来るとは、この小僧はよっぽど強いのか?それとも、ただ単に、ベイツ目当てか・・どちらにせよ、イドルを増やす訳にはいかない。ここで貴様を倒す」


 黒いライオンは明らかに相手を挑発している。すると、ここまでずっと笑顔だったデミオスの表情が、少しだけひきつった笑顔になった。その表情の変化を夏樹は見逃さない。初めて感情を露わにしたのだ。今、デミオスは苛立っている。ひりついた空気が辺りを漂い始めた。場の空気が物凄く重たく感じる・・。次の瞬間にも、この黒いライオンがデミオスに飛び掛かって行こうとしているのが夏樹には分かった。

 ・・あれ?また新しく聞く単語が出てきたぞ・・。イドルって何のことだ?・・こういうのを一触即発っていうのかな?・・体が怖くて、動けないぞ・・。ひつぎをやっぱり呼ぶしかないか?・・どうしよう・・。


「貴方がわたくしを?・・くっくっく、こちらの世界で人型にもなれていない貴方が?・・実に愉快ですねぇ?別にわたくしは貴方と戦う気なんてこれっぽっちもないんですよ?本当にこちらに戻って来て欲しいと思っているのです。昔の仲間だった時のよしみです。さぁ、三谷さんを渡してください。そうすれば、わたくしはすぐにでも、撤収いたしますので。ついでに貴方もこちらに加われば、一石二鳥、いえ、四鳥くらいの価値がありますねぇ?ええ。無益な争いは止めましょうよ?わたくし達が争っても、この上なく意味の無いことなんて無いでしょう?」


 デミオスは両手を広げ、大げさに無防備であるという事を強調して見せている。一方、黒いライオンは牙を剥き、威嚇体制に入っていた。鋭い牙がちらりと見えた。ただ、一歩も夏樹の前から動こうとはしない。本気でこのデミオスと戦うつもりなのだろう。

「ほう?貴様と、戦う事に意味が無いと?ふんっ、儂には有る。お釣りがくるくらい、有益な事だ。それに知らんのか?こちらの世界では、人型よりも、四足歩行の獣の方が生身の人間より、圧倒的に強いのだぞ?」

 ・・うわぁ、この黒いライオンさん、めっちゃ煽ってるじゃん。でもあのデミオスの方は、余裕な感じを崩していないぞ・・。

 数十秒、数分と経過して、その時間は僅かだが、夏樹にはとても長く感じられた。夏樹は黒いライオン越しに、デミオスの方を窺ってみた。するとある事に気が付く。デミオスの真後ろに、黒い大きな箱がいつの間にか居た。ひつぎである。デミオスは後ろにひつぎが居る事に気が付いていない様子だ。・・あれ?ひつぎがデミオスの後ろにいるぞ・・。いつの間に?助けに来てくれたのかな・・。

 すると、唐突にデミオスが夏樹に話しかけた。夏樹の僅かな視線のズレを見逃さなかったのだ。恐らくと言うか、相当の手練れだ。

「おや?・・・どうしました?三谷さん?わたくしの後ろに何か居ましたか?まぁそう簡単にわたくしは背後を取られたりはしませんよ?何せ、滅多にわたくしと同等かそれ以上のカラミタはこちらの世界には来ていませんからねぇ?もし取れるとしたら、あのお喋りなメイド・・は無理ですね?うるさいからすぐ分かります。・・元王国騎士団団長も、気配で分かりますし、大きいですもん。というか目の前に居ますし・・。後は、姫の直属の護衛・・はあまり見た事ないので・・どうでしょう?わたくしは、それなりにつよ・・っぐぅ!?」


 急にデミオスの言葉が途切れた。慌てて、夏樹が良く目を凝らしてデミオスを観察すると、黒い腕が十本以上箱の隙間から出ていて、デミオスの体を羽交い絞めにしていた。そのうちの一本は首を絞めている。だからデミオスは途中で喋る事が出来なくなったのだ。そして、心なしか、場の空気が軽くなって来たような気がした。恐らくはひつぎが、デミオスの力というか、エネルギーを吸っているから、ではないだろうか?


「お前も、十分にうるさい。夏樹は、渡さない。私は、お前より強い。このまま喰っても構わないが・・お前は不味い・・というか、生理的に無理。二度と夏樹に近づくな・・・あと、何故お前も姫様を探している?やはり、国王の指示か?」


「・・・うぐぐぐぐっぐぐぐぐ!!」


 デミオスは全身を羽交い絞めにされているので、身動きが取れない。ついでに首も絞められているので、話す事も出来ず、笑顔が歪んで、本当に苦しそうな様子だった。その様子を見ていた黒いライオンが、少しだけ警戒を解いたようだった。

「ほう?中々やりおるな。しかし、あの箱は、古の力に酷似しているな。気配を完全に消すことが出来るのか・・。アレは小僧のエニグマか?」

「え?あ、はい。そうです。というか、ひつぎ!首を絞めてたらそいつが喋れないよ?」

 観察して、デミオスが可哀そうに見えてきたので、ひつぎに拘束を緩めるようにお願いしてみた夏樹。すると、ひつぎは、

「・・確かに・・」

 そう呟いて、首に絡みついている黒い手を少しだけ緩めた。

「・・・かはっ、これは、これは、ごほっ、驚きましたねぇ?というか、油断しましたよ・・まさか、王家の力を使うモノが居るとは・・わたくしの部下がやられたのも、納得いきますねぇ?周りの世界と自分を完全に遮断する力・・貴方が姫様の直属の護衛・・ですねぇ?それで貴方が三谷さんのエニグマ・・ですか・・なるほ・・・ぐがっ!!」

 再び、ひつぎが、拘束を強めた。

「・・質問に答えてない。余計な事は喋らないでいい・・」

 そして、また、拘束を強くする。黒い腕の締め付け具合が、みるみるうちに、強くなっていった。指が、首に食い込んでいる。一体どれ程の力があるのだろうか?ひつぎを怒らせてはいけないと、心に固く誓う夏樹だった。

「がはっ、これは、かなり手厳しいですねぇ・・。詳しい事はわたくしも知らないんですよ・・。なんでも、姫様ではなく、姫様が受け継いだ何かを探しているらしくて、これ以上は知りませんよ?本当・・です・・ですから、この、締め、付け、を解いて、下さい、・・・ませんか?」

 デミオスが苦しそうに、言葉を吐き出していた。ひつぎは何かを考えているようだ。手を緩める気は無い様だ・・。

「・・受け継いだ?・・そう・・その何かが必要になったという事?でも今更になってどうして?」

「そ、それは、わたくし、にも、わ、分かりかねますねぇ・・少し、聞いた話によると、王が、古代に封じられている、何かを、解こうとしている、とか。その力で、一気に人間界を滅ぼすつもりなんでしょう?」

 すると、黒いライオンさんも話に加わった。

「ほう?まさか、古代の禁忌に手を出そうと言うのか?あれは、我々にも手が負えない物だと聞いたことがあるぞ?詳しくは知らんが。厄災そのもを封じているようだとも聞いた。人間界が無くなれば、我々の世界も対消滅してしまうが、王が?そんな馬鹿な事を?」

「おや、おや、失言ですよ?いくら馬鹿でも、王様なのですから、わたくし達が、あずかり知れぬ、考えが、おありなのでしょう・・ほとんどの民なんてそんな事は、露程も知りません・・近いうちに、カラミタと人間の全面戦争、になる、かもしれませんねぇ・・あくまで、予想ですが・・」

「そんな事は、絶対にさせない」

 珍しく、ひつぎの声が、ハッキリと聞こえたような気がした。いつもは、くぐもって聞こえるからだ。

「貴方一人で、一体、何が出来るのですか?足掻いても、無駄です。もうこの流れは誰にも、止める事が出来ない。神がいたとしても!くっくっく、あっはははははははは!!」

「私は、一人じゃない、だから、もう、逃げない。お前はここで倒す!それから、姫様を先に見つけるのも私だ!」

 ひつぎがそう宣言した時、デミオスの体が黒い靄となり、消えていった。本当にひつぎが倒してしまったのだろうか。靄が完全に消える前にデミオスの声が聞こえてきた。

「今回は、わたくしの負けですねぇ。三谷さんを勧誘しに来ただけでしたのに、中々頼りになるお仲間が居る様で・・予想外でしたねぇ?わたくしは、かなり用心深いので、今回は分身でしたが、いずれまた、お会いする時が来るでしょう。そして、黒い箱の貴方。わたくしの背後を取るなんて、かなりお強い。貴方も姫様を探しているのでしたねぇ?一体誰の命令なのでしょう?なんとなく、予想は付きますが・・今回はそれなりにいい収穫がありました。ええ。それでは、その時はまた、宜しくい願いしますねぇ?御機嫌よう・・・・」


 そう言い残すと、デミオスの気配は完全に消えたのであった。場の空気が一気に軽くなった。例え分身だったしても、侮れない相手であった。

 ・・分身だったのか・・それにしても強すぎだなぁ・・本体が来てたら多分僕は速攻で、連れ去られていたような気がする・・。でも、本当にひつぎが助けに来てくれて、良かった。ひつぎも相変わらず強いのだけれど。あ、そう言えば、この黒いライオンさんは何処から来たんだろう?

 夏樹は助けに来てくれた、黒いライオンに話しかけた。

「あ、あの、さっきは助けて頂いて、有難うございました。お陰で何とか助かりました。その、エニグマなんですよね?お名前を聞いても?僕は三谷夏樹と言います」

 黒いライオンは、ゆっくりと夏樹の方に振り返る。見れば見る程、黒く美しい毛並みだ。こんなに立派なライオンは見た事がない。というか黒いライオンを見た事が無いのだが・・。大きくがっちりした体格や、ふさふさのたてがみ、近くに居るだけで、圧倒されてしまいそうだ。だが、何となくだが、凄く優しそうな、そんな雰囲気と威厳を感じる。悪いカラミタではないのは確かだと言える。

「ほう、最近の小僧にしては、礼儀をわきまえておるな?本当は様子を見るだけだったのだが、あ奴が、あまりにも気に食わなくてな。目の前でイドルにさせてはいけないと思っただけだ。申し遅れた、儂はレオルド。気が付いているとは思うが、スズラン所属のエニグマだ。また、会う機会もあるだろう。長いは無用。小僧・・いや、三谷。貴様も早く家に帰るといい。あのデミオスは特に気を付けろ。本当に悪魔のような奴だ。簡単に人の心の隙間に入り込んでくる。奴の実力は、残念ながら相当の力を持っている。パノの中でも更に上位に位置するのだ。あ奴のせいで、国がいくつも滅んだ。それ程危険極まりない。あ奴と戦う時は、自分の意志をしっかりと持て。心配は要らぬとは思うが・・油断するな、いいな?」

 そう言うと、レオルドはゆっくりと夏樹の前を通り過ぎて、路地裏に入って行った。

「あ、あの!イドルって何ですか?よく分からない単語が出て来たんで、気になったんですけど!」

 夏樹は、レオルドに質問をした。他の単語なら気にしないのだが、なんと言うか、このイドルという単語は、夏樹の心に引っかかったのだった。

 レオルドは、歩みを止める事無く、どんどん路地裏の闇に消えていく。完全に姿が見えなくなるその直前、レオルドが歩きながら質問に答えた。

「イドルか・・・そうだな・・三谷、いずれ、嫌でもこの存在と向き合う時が来るだろう。なに、すぐに分かる・・」

 そう言いながら、レオルドの姿が消えたのだった。

 ・・何だったんだろう?イドルの意味って。凄く気になるなぁ・・まぁ、今度海月先生にでも聞いてみようかな・・。それにしても、黒いライオンって、カッコいいなぁ・・。夏樹がそんなことを考えていると、いつの間にかひつぎが、夏樹の近くに移動していた。

「ああ、ひつぎ。ありがとう、助かったよ・・・あの、レオルドさんも言ってたけれど、デミオスとかって言う悪魔みたいな奴って、そっちの世界で有名なの?」

 ひつぎは暫く黙っていたが、暫くして、

「・・あれは、主に、口では言えないような事を専門に行っている、特殊部隊。表立って出来ない・・例えば、暗殺とか、密輸、反乱分子の処刑、何でもする。戦争も引き起こす事が出来ると噂の、危険なヤツら・・誰の命令も受け付けず、唯一命令を下せるのが、時の王だけ。ルペルシカという部隊は他のカラミタと違って、何と言うか・・冷たい・・後、残虐的なのも多い暗躍する部隊」

 聴けば聴く程、危険で残虐な、カラミタ達なのだろう。

「冷たい?・・感情が希薄って事?・・あっ、血も涙も無いって事?なるほど、暗殺部隊というか、秘密組織って感じか・・忍者みたいな感じかなぁ・・でも、分身だったとしても、あのデミオスは、何か、こう、凄く嫌な匂いだったなぁ・・血と言うか、死そのものみたいな・・・」

「あれの嫌な噂は後を絶たない。しかし、これと言った証拠も残さない。だから、今まで推測する事しか出来なかった。かなり狡猾。いずれ、また、戦う事になるはず・・。今回の戦闘で完全に消滅させようとした。でも、まさか分身だったなんて・・。私もまだまだ、未熟」

「そっかぁ・・いや、でもひつぎは強いよ!分身だったとしても、あのデミオスはかなりヤバい奴だって、なんとなくだけど、僕ですら、そう感じたからね・・。あ、でも、もっとびっくりしたのが、他のエニグマ、レオルドさんが助けに来てくれた事かなぁ・・。凄かったよね?黒いライオンなんて、クールでカッコいいじゃん?どんな人がリベレイターなんだろうね?ムキムキの歴戦の戦士みたいな人かなぁ・・あはは、なんてね・・」

 夏樹は、少し興奮気味だった。そもそも敵じゃなくて良かった。あんなカラミタが出てきたら、恐怖で動けない。また死神みたいなお化けみたいな、カラミタとは違う怖さがある。それよりもあのデミオスの方がもっと、得体が知れなくて怖いのだが。エニグマだから、近くにリベレイターが居たという事なのか、それとも自動で自分の意志で動けるタイプなので近くにパートナーが居なくても大丈夫なのか、いずれにせよ、いつか分かる時が来るだろう。ひつぎは何かを考えているようで、暫く黙っていた。それを少し不思議に思った夏樹。

「ん?どうしたんだ?ひつぎ?何を考えているの?」

「・・・夏樹は、ああいう、獣の姿が好きなのか?・・確かに私は見た目は、ただの黒い縦長の箱・・。シンプル過ぎるし・・それもそうか・・・いや、でも本当は私も・・いや、何でもない・・今、言ったことは忘れて欲しい・・なんでもない・・・」

 ・・・なんだろう?心なしか、ひつぎが落ち込んでいるような気がする。あくまで、声のイントネーションが少し落ちたくらいの感覚だったんだけど、え?僕、何か悪い事言ったかなぁ?・・・・ん?あれ?そう言えば、ひつぎって自分の事を「私」って、呼んでたかな?・・・あ、そうか!例え分身だったとしても、上位の・・パオ?じゃなくて、パノのデミオスを撃退したんだから、ひつぎの強さって、確実に中位より上って事だよね?もしかしたら、パノくらいの強さがあっても、おかしくないぞ・・。そういう所をもっと、もっと、褒めて欲しかったのかな?もしかして・・。だから少しテンションが下がったのか・・ああ、それはすぐに気が付けなかったなぁ。まぁ、そうだよね。一番に自分のパートナーを沢山褒めてあげなきゃね?僕は戦いを見てるだけ、見守る事しか出来なかったんだから・・。しっかり労ってあげないと・・。

「ああ、いや、ひつぎは本当はパノくらいの強さだったりするんじゃないの?だって、中級のカラミタじゃ歯が立たないでしょ?本当に良かったよ。ひつぎが僕のパートナーで。でなければ、僕はとっくの昔に死んでる。たまたま、偶然だったとしても、ひつぎが僕を選んでくれて本当に良かった。じゃなきゃ、デミオスとか他のカラミタに簡単にベイツを喰われて、廃人とかになってたよ・・。もしかしたら、自殺してたかもしれないし・・そう考えると、ゾっとするけどね・・。それに形とかはそんなに気にしないけどなぁ。シンプルでいいと思うよ?若干中身がどうなっているのか、気になると言えば、気になるけどね・・僕の予想だと、宇宙空間みたいになってるのかなって。何でも吸い込んじゃうから。ブラックホールみたいな?まぁ、どんな姿形だったとしても、ひつぎはひつぎのままって事かな?」

「・・そう。どんな、姿形でも、私は、私、か・・・。後、そんなに褒めなくていい・・そういうのには、あまり慣れていない・・」

 ・・あれ?もっと喜んでくれると思ったんだけどなぁ。なるほど、僕と同じで、褒められるのに慣れてないんだ、きっと。確かにその気持ちも分かるなぁ。なんか、恥ずかしくなっちゃうもんね・・。

「えっと、そっか、ご、ゴメン。でも、本当の事だからさ。まぁ、じゃぁ今日はもう帰ろう!なんか、お腹空いてきたし・・いつものスーパーマーケットに寄ってから、帰ろう。ひつぎも何か食べる?何かお礼がしたいんだ。僕のお小遣いの範囲だったら何でも頼んで。人間の食事って口に合うのかな?でも今日は助かったよ。ありがとう」

 夏樹は、自分の素直な気持ちをひつぎに伝えた。ひつぎの返答は、予想外であった。

「・・夏樹を助けるのは、当然。・・・・・う~ん。一つ頼みがある。また、夏樹のベイツを分けて欲しい・・あれはかなり、満足する」

「えっ?そんなんでいいの?まぁ、カラミタのご飯って、言われてみれば人のエネルギーだもんね?そっか、じゃあ、そうしよう。早く部屋に戻ろうか。これから、無理しない程度に頑張っていこう・・」

「・・・分かった・・」


 夏樹とひつぎは帰路につく。これからこの二人にどんな運命が待ち受けているのか。ただ、その時は、確実に近づいていたのだった。

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