第3話

 夏樹はすぐに、動く事が出来なかった。いちいちリアクションなんてする体力や気力なんて無い。それでも、お化けやら、幽霊が苦手な夏樹は、叫ばずにはいられなかった。恐怖が腹の底から込み上げてくる。

「あっ、あああ、ああああ!!!!」

 叫んだつもりが、変な呻き声になってしまった。驚いた拍子に、椅子から転げ落ちる夏樹。

「ガシャン!」

 派手な音を立てて倒れる、椅子と夏樹。夏樹は思いきり、お尻を打った。海月先生の表情は微動だにしない。相変わらずの、眠たそうな目つきだ。何事も無かったかのように紅茶を飲んでいた。


「ふむ。大丈夫かね?三谷君。すまない、驚かせるつもりはなかったんだが・・見た目は、ドラキュラが入っていそうなキャスケット型の・・と言うよりコフィン型の棺桶と言ったところかな・・長方形だしな。まぁ、そもそも棺桶かどうか、怪しいが。なるほど、ここまでの大きさはなかなか、見たことが無いというか、前例が無いのではなかろうか?」


「えっと、先生これ、見えるんですよね?だったら、何なんですか?この黒いの・・話の流れから、僕に憑りついている、カラミタって事ですよね?・・というか、いつから、僕の後ろに居たんですか?」


 夏樹は黒い棺桶?から少し距離を取り、椅子を起こして、それに座りなおした。海月先生は少し考えている様子だったが、さらっと、こう答えた。


「ふむ、それは・・部屋に入った時からだったかな・・まぁ、特に何もする気は無さそうだったし、問題は無いかと思ってね?ハッキリ見えるようになったのは、君が感情を吐き出した辺り・・だな。それまでは、ぼんやりとしか、見えなかった」


「ええ!、この部屋に入った時からですか?それって、最初からじゃないですか!もう、言って下さいよ・・でも、この黒いのって、僕の精神エネルギーを喰っているんですよね?・・あまり、喰われている実感が無いというか・・むしろ、他のカラミタを吸い込んでましたよ?これ・・。どういう事なんだろう?・・」


「そうだな、普通のごく一般的なカラミタは人の精神エネルギーを喰らうんだが、稀に同じカラミタを自らの糧にする、カラミタが存在しているんだ・・理由は分からないが・・」


「・・共食いするって事・・ですか?」


 海月先生は、二杯目の紅茶をカップに注いでいた。


「ああ、流石三谷君だな。その通りだ。話が早くて助かる。専門家の間で、この存在の事を「エニグマ」と呼称している。ややこしくなるからな・・。意味はそのまま、謎という意味だ・・こいつらを生物と見ていいのかは分からないが、共食いをする生物が珍しいという事は無い。自然界でも、そういう生物はいるしな・・例えば・・カマキリのメスはオスを食べてしまう。あれは産卵期の時にエネルギーが足りなくなるから、栄養価の高いオスを食べるそうだが・・なかなか、オスのカマキリは勇気がいるな・・。求愛は文字通り、命懸けだ。話を戻すが・・私の持論なんだが、恐らく君に憑りついているカラミタ・・「エニグマ」は他のカラミタに君のエネルギーを奪われたくないんだろう・・気に入ってしまったから、エネルギーを独り占めしたいのではなかろうか?」


「え?・・そんな理由・・ですか?」


 ・・何だろう・・カラミタに憑りつかれているけれど、他のカラミタからは守ってくれている・・いいのか、悪いのか・・どっちだ?駄目だ、頭が・・脳みそが全く働かない・・。


「エニグマを使って、カラミタの奴らを退治する者達のことを、「リベレイター」と呼称している。三谷君。同じ事をもう一度言うが、君にはリベレイターの資格があり、人類をうつ病から救う、という使命があるのだ。まぁ、カラミタを退治したからと言って、うつ病がこの世から無くなるか、と言われると断言は出来ない。ただ、ここ最近はあまりにもうつ病患者が増えて、自殺する者も、どんどん増加しているのも事実。医療だけではどうにも出来ない事もある。だが、君にもメリットがある。それは、自分の精神エネルギーを喰わせる代わりに、他のカラミタを喰わせるんだ。そうすれば、一時は君の「エニグマ」はお腹一杯になって、君からエネルギーを喰わなくなる。それがさっき、三谷君が言った、エネルギーを喰われている気がしない、という疑問に対する答えだ。確定事項ではないが、恐らくそうだろう。我々と同じように食欲にも限度がある。今までの研究・・報告書などによると、「リベレイター」は普通のうつ病患者より長生きが多い。それに実は私も、「リベレイター」だったりする。そんなに強くはないがね?」


「・・ん?あれ?そう・・なんですか・・普通だったら、もっと驚かないといけないのかもしれないんですが・・僕の驚く許容範囲を超えていて、もう、無反応になってしまっているというか・・冷めているというか・・」


 夏樹は、告げられた事実に対して、どう反応すればいいのか、理解する事が出来なかった。完全に脳が働いていない・・。

 ・・ほって置いても、カラミタに精神エネルギーを吸われて・・喰われて・・死ぬ。でも、代わりに他のカラミタを喰わせれば、僕の命は延命する事が出来る。共生するか、殺されるか・・でも、先生も「リベレイター」って言ってたよな?・・もしかして・・。


 ふと夏樹の視線が地面に転がっているボールペンにとまる。さっき夏樹が転んだ拍子に、転がって落ちてしまったのだろう。無意識にそれを拾い上げた。すると、「トントンっ」と誰かに肩を叩かれた。夏樹は、反射的に叩かれた右後ろを振り向く。そして、振り向いている途中で、冷汗が背中を流れていくのを感じた。背中がゾクゾクして、かなり不快な感覚だ。強制的に脳がフル回転して、思考が巡る・・。


 ・・・あれ?先生は僕の真正面に居るのに・・何で僕は振り向いているのだろう?・いや、だって、後ろから肩を叩かれたんだから、後ろを振り向くのは当然なんじゃ?・・後ろ・・後ろ?先生が肩を叩いたんじゃないのか?いや、先生は僕の視界から消えそうになっている、というか、お茶を飲んでいる・・。僕が振り向いているのだから・・そりゃ、そうだ・・後ろに誰か居たっけ?・・・・あっ!

 夏樹は数秒にも満たない時間に、考えて、答えにたどり着く。

 ・・あ、見たら駄目なヤツだ。これ。だけど、この行動をもう止める事なんて出来ない・・考えたくないけど、まさか・・エニグマが?うわっ、これは、またびっくりして、ひっくり返っちゃうぞ?・・いやいや、あんな黒い長方形の無機物っぽいのが、肩を叩けるわけないじゃないか。きっと気のせいだったんだ。だから、落ち着こう!もう驚く気力も、体力も残ってないし。たぶん大丈夫だ。うん!・・。

 夏樹が後ろを振り向いた。そこには、黒い棺桶のような物から観音開きのように真ん中から扉が少しだけ、開いていて、その隙間から真っ黒な細い子供のような腕が伸びていた。その掌には、ボールペンが乗っている。まるで夏樹に「これも落ちていたよ?」みたいな感じで差し出しているのだ・・。夏樹の中で何かがプツンと途切れた。


「・・!!て、てててて、手?!・・うぴゃああああああああああ!?」


 夏樹の頭の中は、完全に混乱していた。驚きと、恐怖で、思考が働かないのだ。それにホラー系も苦手であるので、意識が恐怖で飛びそうになっている。今、目の前で起こっている現象に対して、これは本当に現実なのだろうか?と。むしろここは、意識を失った方が楽なのでは?と思うほどに。目の前で起きた事が信じられない、いや、信じたく無い。


 すると、先生の冷静な声が聞こえてきた。


「ふむ、なるほど、中に何か居たのか・・という事は棺ではなく、柩だったのか。ああ、因みにどういう違いなのかと言うと、棺桶に亡骸が入っている状態を柩と、書くんだ。まるで、四角い箱に入った人のように見えるだろ?「久」の部分が。視覚的にも区別がつくようにしているんだそうだ」


 そう言うと先生は、メモ用紙に二つの漢字を書いて、説明しながら見せてくれた。が、夏樹には、そんなメモ用紙を見ている余裕は無い。


「あ、あの、せ、先生・・そ、その・・」


 夏樹は辛うじて、頭を先生の方にゆっくりと向ける事が出来た。


 ・・へ~そうなんだ・・初めて知ったなぁ・・・じゃなくて!!・・


 夏樹は何かを言おうとしているのだが、思考が働かず、口をパクパクするだけで要領を得ない。それに、動悸が激しい。心臓の音が良く聞こえてくる。それを察したのか海月先生が、


「ん?何かな?三谷君?ああ、まぁ、私は仕事柄、葬式関係の知り合いも多くてね・・特にまだ、気にすることもないよ。ただの雑学さ。それに中の何かが生き物でさらに、亡骸だった場合の話だ。それが棺桶でもなく、生き物としていいのかどうか分からないが、少なくとも、動いているし、亡骸では無い様だしね?」


 夏樹は、フルフルと首を小さく横に振った。声が出せないので苦肉の策である。・・そうなんだけど、そうじゃなくって!・・。


「・・漢字の違いは、どうでもいい?それよりも、何で手が出ているのかって?・・ふむ、それは私には分からないなぁ・・カラミタは様々な形の存在が確認されているからね・・。まぁ、そのほとんどが、黒い靄みたいな、霧みたいな感じだったか・・。植物のようだったり、動物のようでもあったり、ハッキリとは解明されてないんだが、クッキリと視認出来るカラミタは、大体厄介で強いぞ?人型も確認されているが、全身はまだ無いかな・・上半身だけだとか、体の一部だけとか。私の経験と様々な研究結果、交戦資料なんかと比較してみたんだ。私の推論だが、人型で全身あって、クッキリ見えるカラミタは、多分相当ヤバいと思っていいと思うぞ?ありがちな設定で、分かりやすいだろう?」


「そ、そう・・なんですね・・・」


 やっと喋れるようになった夏樹。

・・流石先生。僕が言いたい事が分かるなんて・・凄い・・。 そして思わず、無意識に、差し出されている黒い腕・・掌?の上のボールペンを、エニグマから受け取った。すごく自然な流れで・・。

 ・・僕は、何をやっているんだ?・・こんな得体の知れないモノからボールペンを受け取るだなんて・・どうかしてる・・いや待てよ?でも僕が落としたボールペンを拾ってくれたって事・・だよね?・・じゃぁ、案外いい奴なのかな?・・。


 そんな事を考えていると、黒くて細い腕?がスルスルと棺桶の中に戻っていった。そして開いていた扉が閉まる直前、夏樹はナニかと合った。暗闇の中に浮かび上がる、真っ赤な光。一つしか明かりは無いのだが、夏樹はそれが直感で瞳だと思った。丸い光の中に、瞳孔のようなものが見えた。猫のような、人のような形・・その両方だったのかもしれない。片目でこっそりとこちらを、窺っているように見える。その光が瞬きをするように点滅した。夏樹はその赤い光から目を離す事が出来ない。

 ・・なん、何だ?・・目?・・・怖いのに、目が離せない・・不思議と見入ってしまう・・。吸い込まれそうな・・綺麗な朱だ・・あれ?・・僕は何を・・しているんだっけ?・・。夏樹の意識が飛びそうになったその瞬間、蓋が閉まるのと同時にその赤い光は消えた。


「三谷君?どうしたんだ?箱の中でも見えたのかな?私も若干中身が気になっていてね。目の前に箱があったら、つい開けてしまいたくなるのは、中身を知りたくなってしまうのは、どうしようもない欲求だよ、まったく・・。開けてはいけない物、なら尚更ね?私も人間だから仕方ない事なんだろうけど・・好奇心という衝動は抑えられないんだ・・」


「いや、まぁ、勝手に自分から蓋を開けてましたけどね?コレ・・。というか、何かと目が合いましたけど・・」


「ふむ、そうか、じゃあ中に何か居るのは確定だ。一歩前進したぞ?三谷君。そうだな、せっかくだから、君のエニグマに名前を付けてやったらどうだろう?親近感が湧いていいのではないか?しばらく一緒に行動を共にするのだし。因みに、私のエニグマはこの子だ。・・可愛いだろ?」

 そう言いながら先生は下から何かを抱え上げて、机の上にそっと置いた。

「・・見ての通り、普通の兎に見えるだろう?これが私のエニグマだ。この子に君の道案内をさせたんだ。名前はゴマ太郎だ」


「え?ゴマ?」


・・そう言えば、黒い兎の後を追っていったら、ここに辿り着いたんだった。そうだよね、普通は黒い兎が、建物の中に入って行かないよね?・・


「も~違うっちゃ~。海月ちゃん・・変な名前教えんでよね?・・一応メスやから、うち。太郎って・・それはオスやんか!・・適当にもほどがあるやん?ていうか、ゴマって何処から出てきたん?黒いから?でもそれやったら、黒ゴマ太郎やん?うちの認識では、ゴマっていうとまぁまぁ、白いで?あれ?でもそれやったら、白ゴマ太郎になるんかな?」


 何処からともなく、明るい少女のような声が聞こえてきた。夏樹は慌てて部屋を見渡すが、夏樹と海月先生以外に人は居ないようだ。


「ちょい、ちょい、うちが話してるんやけど?ここっちゃ!」


 認めたくないけれど、机の上の黒い兎が、二本立ちになってこっちに話しかけているようだった。もうここまで来たら、何が起こっても多少の事では驚かないようになった気がする夏樹。


「あ、えっと、初めまして、白黒ゴマ太郎さん?」


「そうそう、うちの名前は白黒ゴマ太郎・・って!違うんよ!白でも黒でもないんよ!まぁ、色は黒いけど、ラビス!ラ・ビ・スっちゃ!」


「あの、先生、これは?・・」


 即座に、海月先生に回答を求める夏樹。


「ん?私のエニグマだが?もふもふしているぞ。まぁ、なんとなくだが、三谷君のエニグマには近づけさせないほうがいいかもしれないな。もしかしたら、ラビスが食べられてしまうかもしれないし。そこのところはどうなんだろうね?」


「え?彼の後ろの、黒い箱って、カラミタなん?大きいんやなぁ、まぁ、多分やけど、大丈夫やと思うで?滅多な事が無い限り、同級を食べたりはせんと思うけどなぁ?食べるとしたら、もっと低級の奴らやし。うちはこう見えて実はな?けっこう上の位やねん」


「上の位?」


 ・・なんだろう、さっき先生も言ってたけど、カラミタの強さみたいなものなのかな?というか、よくしゃべるなぁ、この兎・・。


「せやで!、うちはなんと中級のカラミタなんよ!上級の奴らには勝てないかも、やけどな?・・こうやってな?うちみたいに、この世界の動物とか植物とかの形に成れてる奴は大体、中級から上級のカラミタなんよ。あ、そうそう、カラミタの強さはな、うちらの世界では、三段階に分かれてるんよ。分かりやすいように。そうやなぁ、カラミタの六十パーセントくらいが低級で、中級が三十五パーセント。上級が残りの五パーセントやな。おおよそやけど。うちが見た限りでは、あ、えっと、三谷くんやったっけ?君のカラミタ、共生型の奴はエニグマやったな?それは、せいぜい、低級から中級になるか、ならないかくらいやと思うなぁ・・あんまり力を感じんし・・」


「そ、そうなんですか・・・カラミタの世界って、簡単に言うと、弱肉強食みたいな世界なんですか?」


「そうやな、まぁ、この自然界でも強い奴が弱い奴を食べたりするやろ?ただ、同じ人間を人間がたべようとは、あんまり思わんやん?同じくらいの強さやったら、補食の対象にはなりにくいんよ。時と場合によっては、食料の取り合いをする時はするなぁ。今のこの世界は食い物にはあんまり困らんもんな?人間は・・」


「話の腰を折ってすまないが、本当に三谷君のエニグマは低級から中級くらいの強さなのかね?ラビス?私にはもっと強そうに見えるのだけれど」


「海月ちゃん、どうしたん?なんか気になる事があるん?まぁ、不気味と言えば不気味っちゃけど、・・・ん?」


 突然、ゴマ太郎・・ではなく、ラビスの動きが止まり、うさ耳がピクっピクっと動いている。何かを感じたのだろうか?さっきから、夏樹の後ろにあるエニグマをジッと観察している。動作が、本物の兎にしか見えない。


「いや、逆や。この大きさなのに、力を感じなさすぎる。まるで、外側に自分の存在を知られんように・・わざわざ、殻を作って閉じこもって、悟られんようにしとるんか・・中になんかおるんやったっけ?・・うちの力でも、中身までの強さが、感じ取れへんな・・相当弱いんか、それとも隠せるだけの力があるんか・・でも、何かどっかで懐かしいような・・」


「え?それって、つまり強いかもって事ですか?」


「現時点では、分からんなぁ・・これ、うちみたいに、話せるんかな?ちょっと話しかけてみて、いい?」


 ラビスが夏樹に許可を求めてきた。

 ・・いいと思うけど、喋るのかなぁ、この箱。意志はあるみたいだったけど、誰かの問いかけに対して、反応するのかな?それにしても、なんでわざわざ、自分の力を隠したりするのだろう。仮に強いのだとしたら、堂々としてたらいいのに。まぁ、あんまりおっかない格好の化け物が、僕の傍にいても、それはそれで、困るのだけれどね・・。


「あ、えっと、はい。箱の中に何か居るのは確かなので、呼びかけに答えてくれれば、こっちもコミュニケーションがとれて、助かります・・」


「うん!せやな!じゃぁ、いくで?・・おーい!箱の中のキミ!もしよかったら、うちらと、おしゃべりせん?うちはな、ラビスって言うんやで?中々お目にかかられへん中級のカラミタなんよ?王宮に仕えてて、メイドみたいな事をやってたんよな。まぁ、主な仕事はめっちゃ可愛い姫さんがおったんやけど、その姫さんの・・遊び相手というか、お目付け役というか、お姉ちゃん?・・みたいな立ち位置やったんよ?教育係兼護衛みたいな感じ?・・あ!そやそや・・」


「ん?どうした?ラビス?何か気が付いた事でもあったのかね?」


 突然呼びかけを中断してしまったラビスに対して、海月先生は疑問を投げかけた。するとラビスは首を横に振ったのだった。


「いや、違うんよ、急に思い出した事があってな?海月ちゃんには前に言った事なんやけど、うち、実は人を探してんるんよ。人っていうか、カラミタやけどな?」


 ・・いやいや、ちょっと待って、色々とツッコミどころが盛沢山な内容だったんだけど。王宮って、えっと・・「ハオス」だったっけ?向こうの世界の名前って・・。もっと混沌とした世界なのかと思ったら、王様が統治してる世界なの?意外と海外的な感じなのかな?この世界と近い・・のかな?まぁ、いいか。今はあんまり脳みそが働かないから、考えるのは止めておこう・・。もう僕は驚かないぞ・・。


「それが、ラビスさんのこっちに来た、理由なんですか?」


「う~ん、まぁそれもあるなぁ・・というかそれがほぼ目的やな。理由なんて他にも沢山あるんやけど・・う~ん、まぁ、本当は機密事項なんやけどな?うちがお世話してた、姫さんが、実はな、行方不明なんよ?これは上級のカラミタの中でも、極々少数しか知らん事なんよな。うちは信頼されているから、問題ないんやけどな?会議でうちが探すように命令が下ったんよなぁ・・」


 ラビスは何処か遠くの方を眺めていた・・。きっと色々大変だったのだろう。うつになってからというもの、夏樹は相手の気配が読み取れるようになっていた。特に元気の無い人が、無理やり明るく振る舞っていたりするとすぐに直感で分かってしまうのだ。その姿を見て、夏樹自身も少し悲しくなってしまう。ラビスは人ではないが・・。


「・・そうなんですか・・お姫様が見つかるといいですね?・・僕はもう家族とか親戚とかは、居ないですから、誰かに会いたいと思っても会えないんです・・友達とかもほとんど居ませんでしたし・・。みんな病気とかで亡くなったんですけど、高校生の時に母が癌で亡くなってしまって。親戚と言っても、ほぼ他人みたいな所で、二年ほど暮らしたんですが、その親戚も交通事故で亡くなってしまったんです。それを知ったのはその家を出てから、仕事を始めてすぐの事でした。正直あんまりいい思い出なんか無かったので、まぁ他人事程度。そうなのか、くらいでした。本当に天涯孤独になったのかって。日々を生きるだけでも精一杯だったんです。本当は、凄く怖いんです。これから僕の人生はどうなるんだろうって。会社も辞めたらどうなるんだろうって。夜は眠れませんでした。朝起きてたら目が覚めるのか不安でした・・僕は・・・・・」


そこで言葉が詰まってしまう夏樹。自分が話していて、胸の奥から、鼻の奥から、熱いモノが込み上げてくる。天涯孤独。言葉で表現するのは簡単だ。というか、あんまりこの世界に孤独な人間なんて居ないんじゃないかと思っていた時期もあった。誰かしら、家族とか、知り合いとか、親戚は探せば居るのだろう。天涯孤独・・それがまさか自分自身に当てはまるなんて。子供の頃は思いもしなかった。海月先生が優しい口調で夏樹に語り掛ける。


「三谷君、辛ければ無理に話さなくていい。ただ、自分の身の上を私に話してくれたのは、私を信用してくれた、という事かね?だったらそれはとっても嬉しい事だ。そして、君は一つ間違っている。君は天涯孤独なんかじゃぁない。辛くなったらいつでも此処に来るといい。私が居る。君の帰ってくる場所になってあげようじゃないか。こうして、お茶でも飲んで、お喋りでもしよう。もちろん君の治療も兼ねているがね」


「せやで、みたにん。うちもおるし。モフモフしていいんよ?・・そうか、うちちょっと喋りすぎたなぁ、みたにんは凄く辛い過去があったりして、全くそういう事を考えずに話してしもうたわ。色んな人間がおるんやなぁ。許してな?」


「あ、いえ、大丈夫です。もう、こう言う話は慣れっこなので、いや、誰かにベラベラと話したという訳では無いんですけれど。ラビスさんの方こそ、優しいですよ。人って、中々、大人になるにつれて謝れなくなってしまいますから。ラビスさんはいい人?というか、いいエニグマですよ。というか、この僕の横のエニグマ・・反応無いですね・・あれ?というか、みたにんっていうのは?」


 海月先生が部屋の机の隅に置いてある、デジタル式の時計に目を向けた。


「ふむ、もうこんな時間か。三谷君、まぁ、一旦エニグマの事は置いておいて、疑問や質問なんかもあるだろうが、今日の診察はこれぐらいにしておこうか。ただ、話が前後するが、君の見た動画の黒い桜、あれは普通のうつ病患者には見えない。見えるのは、命が危険な状態の患者か、リベレイターの素質を持つ者だけだ。ここで言う命の危険な状態と言うのは、

 命を絶とうとしている者か、カラミタに限界まで、精神エネルギーを喰われているか、その両方か、に分けられる。いずれ、生きる気力が無くなり、ほとんどの患者は死ぬ。カラミタにも種類があってね。少ししかエネルギーを喰わないものと、一度憑りついたら、宿主が死ぬまで、エネルギーを喰らいつくす奴もいるんだ。そして一番危険なのが、一度カラミタにエネルギーを喰われてしまうと、別のカラミタも引き寄せてしまう体質になってしまうんだ。そうやってカラミタに群がられて、根こそぎエネルギーを喰われてしまう。そうすると人は生きる気力を失い、最悪の場合生命機能が停止する。まだ十分に寿命もあるのに体の機能が著しく低下してしまい、多くの場合自殺してしまう。正確にはカラミタにそうさせられてしまうんだ。洗脳みたいな感じでな。何故そこまでするのかはまだ解明されていない。一説によれば、人間の負の感情エネルギーが好物だから死ぬ直前の感情が美味いからとか、なんとか・・。まぁ人間には分からない事だ。死ぬ直前の感情なんて、死ぬ直前になってみないと分かりっこないだろう?」


「・・なんだか、思っていたよりも邪悪な感じですよね?ちょっと怖いです。悪魔みたいな奴ら、ですね・・」


 海月先生は、こくりと静かに頷いた。


「全く同感だ。闇と言うより、悪だな。勿論人間側から見てだが。向こうは我々人間の事を食料としてしか見ていないのだから。ああ、それから、うつで心に、胸にぽっかりと穴が開いたように感じるのは、エネルギーを喰われているからだな。見た目には分からないが、スピリチュアルな観点から視ると本当に穴が開いている。専門家になればそういうのは見れるようになってくる。話を聴く限りでは、君はまだ、自殺は考えていないようだが・・」


「そう・・ですね・・」


 ・・カラミタにも強いのと弱いのが居るって言っていたし・・今回の僕の場合はカラミタに憑りつかれていた。そのせいで、他のカラミタが襲ってくるから危険だったはずなんだけど、僕に憑りついているカラミタが特殊なヤツで、僕に近づくカラミタを片っ端から食べていたって事になるのか・・。他のカラミタに渡したくないほどに、僕ってそんなに美味しいのかなぁ・・。嫌なような、嬉しいような・・複雑な感じだ・・。


「つまり、三谷君の場合はリベレイターの素質があったという方になるな。君にくっついているのは、エニグマで間違いないだろう。今のところは我々の味方だ。こういうのは、直接本人を見なければ、診察で診断を下すのは中々難しい。だから直接ここに来てもらうんだ。これで数日中に三谷君が死んでしまうという可能性は、大方無くなったようだ。色々と脅してすまなかったね。そのくらい言わないと、手遅れになってしまうケースが過去に何度もあってね・・・。多少強引ではあるが、少しでも多くの命を助けるためだ。本当に命の危険があれば、私とラビスで直接そのカラミタを退治する手筈なんだ」


「・・なるほど、退治・・ですか・・それで、その人を助けるって事ですね?あ、でもラビスさんってあんまり戦うイメージが無いというか、ただのモフモフの黒い兎にしか見えないんですけど・・」


「ふふんっ。うちはこう見えて強いんよ?低級のカラミタやったら、あっという間にポコやん!」


「そうなんですね・・」


 夏樹は半信半疑である。・・いやだって、ただの兎にしか見えないんだけど・・。あ、でも兎が妙な方言で喋ってくる事自体、変な話だよね・・。


 その様子に気が付いたのか、ラビスが海月先生に話しかけた。何だか、ずっとぴょこぴょこ動いている。


「あ!なぁ、海月ちゃん!疑ってるんやけど。みたにん、うちが強いって思ってない顔やん。ホントなんよ?うち、強いんよ?」


「ふむ、まぁ、三谷君もリベレイターになってくれれば、エニグマの使い方も覚える事が出来るし、ラビスの強さも分かって貰えると思うが。ついでにうつの症状も劇的に良くなる。それは保証出来る」


「・・でも本当に僕なんかが・・出来るんでしょうか?今は大丈夫ですけど、普通に生きているだけで、なんの拍子もなく、突発的に死にたい、とか、辛い、とか、マイナスの感情ばかりが浮かんでくるんですけど・・」


 ・・この感情で、自分が押しつぶされそうになる・・僕のせい、なのか、うつのせい、なのか分からない。何が良くて、何が悪いのか、何の為に生まれて来たのか・・。分からない・・ワカライナイ・・ワカラナイ・・。


「ふむ、そうだな、死にたいと思ったり、生きるのが辛いと思ったりするのは別に悪い事じゃない。意外と皆そう思う事は多々ある。それに、君の命は君のモノだからね?まぁ、だからと言って粗末に扱ってもいけない。だって、勿体ないだろう?折角この地球に生まれてきたのだから。この世界は中々貴重な経験が出来るんだ。まぁ、死ぬ事によって人々に新たな気付きを与えるという、使命を持った魂もあるにはある。まぁ、私も微力ながら、うつで苦しんでいる人達を助けてあげたい、少しでも楽にしてあげたい、とは思っているんだ。私が生きている時間で、出来る事なんてそんなに無いのかもしれないが。全ての人を救う事は出来ないかもしれない、それでも、私の目が届く範囲では、精一杯この仕事を続けていきたい所存だよ。だって、うつ病はとっても苦しいからね?誰かが傍で支えてあげないと、簡単に壊れてしまう。そんな私も昔は、うつ病だったんだ。完治はしていないが、昔と比べると大分楽だよ。これは使命というか、私のやりたい事だな。どっちかと言うとね・・」


 海月先生はそう言うと、儚げに笑った。その表情は何と言うか、とっても苦労してきたんだろうな、と思わせるには十分過ぎるくらいだった。微笑んでいるのに、その心の奥は、夏樹でも推し測る事は出来なかった。


 ・・そうか、そうだったのか・・先生も・・うつだったのか・・。まぁ、ラビスが一緒に居る事自体、そうだろうなって薄々感じてはいたんだけど・・使命か・・。


「だとしたら・・僕の使命って、うつの脅威から人類を守るって事・・なんでしょうか?・・僕になんて、何の取柄もない、力も覚悟も無い人間なのに・・誰かを守るなんて・・出来るんでしょうか?」


 到底そんな事を出来る状態ではない、と言うのは夏樹自身が一番分かっている。しかも、いまいちフワッとしている。カラミタの事とか、リベレイターの事とか。言いようの無い、見えない恐怖が夏樹を襲う。


「ふむ、使命と言うのは誰かが決めるものではないんだ。自分で決める事が大切なんだ、三谷君。ただ、使命と言われると、重く感じてしまう。目標とか、目的くらいに考えるといい。それでもだ。もし、三谷君が我々の手伝いをしてくれるのなら、物凄く助かる。少なくとも私は助かる。それは確かな事だ。ついでにうつの症状もどんどん軽くなっていく。根本の原因に直接攻撃出来るからね。そうだな、これは私からのお願いだ。どうか君を救わせてくれないだろうか?人類をうつから、救ってくれないだろうか?まぁ、勿論、断ってくれても構わない。その場合でも君の治療は続ける。それは、私の医師としての義務だからね?」


「・・僕は・・」


 ・・どうすればいいんだろう・・リベレイターになって、人々を救うというのは、僕が出来る事。それをする事によって、僕自身も救う事になる。別に悪い話じゃない。ここはやはり、リベレイターになるしかないんじゃないのか・・ほって置いても、いずれ、カラミタが襲ってくるみたいだし。戦い方を学んだ方がいいに決まってる・・。


「あの、少し時間を頂いてもいいですか?すぐに決められなくて・・すみません。その、あまり時間が無いってのも分かるんですけど・・。今日はいろんな事があり過ぎて、自分で頭を整理したいんです。そんなに脳みそが働かないんですけどね・・」


「・・ふむ、そうだな、こちらとしても、こんな訳のわからない話をしてすまなかった。すぐに決められないのも当然の事だ。私でも、すぐには結論は出せないだろう。暫くの間は君のエニグマがカラミタから守ってくれるだろうし。ゆっくり家に帰って、リベレイターの事を考えてみて欲しい。後、三谷君、君はさっき自分には何の取柄も無いと、言っていたが、そんな事は無い。何の取柄も無い人間がこの世に存在するなんてことはあり得ない。どんなに最低で最悪な人間にも、何かしらの取柄がある。得意な事がある。そして、どんなに完璧そうに見える人間にも、苦手な事や、弱点がある。それが見えないのは、他人に見えないようにしているだけだ。三谷君には・・そうだな、それは自分でもう一度思い出してみるといい。私が言っても、あまり説得力が無いかもしれないしね?無いと決めつけているから、本来の自分が見えなくなっているんだ。・・今のありのままの自分を信じる事、愛する事が出来る様になった時、一つ世界の真理にたどり着けるだろう。・・ふふ、まるで、今から魔王を倒す勇者が最初の村で長老に言われるようなセリフになってしまったな・・」


「いや、少し違う気がするで、海月ちゃん。パーティーメンバーが中盤近くで中ボスに負けてしまって、セーブゾーンの、教会の神父さんに言われそうなセリフやと思うんやけど・・」



「・・いや、突然謎の地下ダンジョンに現れる、敵か味方か分からない黒ずくめの魔法使いっぽい老人、が言いそうなセリフ。そして新しい技を教えてくれる・・感じ?」



「あ、それな、確かにうちもそっちの方が、しっくりくるわ・・」

ラビスがうんうんと頷き、同意を示す。


「ふむ、中々詳しいね?三谷君。ゲームも好きなのかい?」


「え?いや、僕はRPG系は苦手でして・・どっちかと言うとモンスターとかを直接退治するやつとか、アクション系の方が得意ですね・・ん?僕今、何か言いましたか?」


・・あれ?会話が嚙み合ってないような・・?


「ふむ、ん?あれ?地下ダンジョンがどうとか、行っていなかったかね?ラビスではないし。そうだろう?」


 と、海月先生がラビスに確認をとる。ラビスは少し首を右に傾けた。


「あれれ?みたにんが地下ダンジョンって言ったんやないの?」


 しばしの沈黙が部屋を支配する。どこからだろうか、恐らくは外だろう。車の走行音や、バイクのエンジン音も微かに聞こえる・・。


 ・・この部屋の中に居るのは、僕と、先生とラビス・・・後は考えられるのは、僕のエニグマだけ・・。まさか、僕の右斜め後ろにいる、このエニグマが喋ったのか?・・・そんなバカな、だってただの四角い棺桶みたいな箱が喋るわけないよね?・・。


 夏樹は、ゆっくりと、自分の後ろに居るエニグマの方に顔を向けてみた。エニグマは何も言わない。物音一つ立てず其処に居た。すると話題を変えるように海月先生が呟いた。


「ふむ、まぁ、きっとシャイなヤツなんだろう。ゆっくりと仲良くなっていけばいいさ。そうだな、三谷君。次の診察はいつにしようか?基本的には2週間後にもう一度ここに来て欲しいのだが・・ああ、もちろん今通院している病院には私から連絡をしておくよ。少し通院の距離が伸びてしまうが・・構わないかな?」


「あ、はい、それは別に問題無いです。こちらこそ、これから、よろしくお願いします」


「そうか、そして出来るなら、次に診察に来る時までに、リベレイターになるかどうかの件、考えてみてくれ。全ては自分の選択だ。どちらを選んでも、それは君が決めた事なら、間違いではない。自分の判断を信じるんだ。そこだけはブレないようにね?」


「はい、分かりました。しっかり考えてみます・・」


「ふむ、よし、それでは今日はもう帰っていいよ?遥々ここまで来てくれて有難う。お疲れ様だったね?三谷君。また次に会えるのを楽しみにしているよ。もし何かあったらすぐに私に連絡をしてほしい。電話番号を教えておくから、気兼ねなく電話をしてくれ」


 そう言うと先生は名刺を一枚、そして、白い封筒を夏樹に差し出した。それを受け取る夏樹。


「ああ、それと今回の診察料はおまけしておくよ、少し騙していた所もあったのでね。次からはちゃんとお代は払ってもらうから、そのつもりでね?後、今日の交通費だ」


「えっと、本当にいいんですか?あ、有難うございます。それでは、今日はこれで・・」


「ああ、またね。帰りは気を付けてくれ・・」


 夏樹は立ち上がり、海月先生に礼をして、診察室を出たのだった。

 扉を最後まで閉める直前、ラビスが、


「またね!みたにん!」


 と言っていた。何だか、診察を受ける前よりも、少し気持ちが楽になっているような気がした。久しぶりに誰かと話しをしたから、だろうか。それとも普段では考えられないような、体験をしたからか。


 ・・とにかく、これからどうするか・・考えてみよう・・。何だか不思議な時間だったなぁ・・海月先生はとっても優しいし、ラビスはまぁ、変だけど、面白い兎だったし・・暫くは、僕のエニグマが守ってくれるみたいだから命の危険は無いみたいだし、なんだろう・・変な感じだ。今は頭が働かないからだと思うけれど、この気持ちを上手く説明することが出来ないや・・。世界は僕の知らない事だらけ、だったんだなぁ・・。

 そう思いながら夏樹は、激動の驚きっぱなしの一日を終えて、帰路に着くのだった。

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