カフェテラスの忘れ物

かおるさとー

 

 遠く遠くの星を見つめていると、不思議な気持ちになりますよね。

 自分はいったいどこにいるのだろう。

 私たちの星は今、宇宙のどこをさまよっているのだろう。

 星々はこの瞬間も、おそらくは二度とやってこない場所を、さびしげにさまよっているのです。

 限りなく一方通行で、果ての知れないあてなき旅を、どこまでも続けているのです。

 その中で、私やあなたのような小さな命が生まれ、それぞれの時を過ごし、死ぬ。世界はそれの繰り返しです。

 私たちだけではありません。星もいずれは死にます。この世のものにはすべてに命があり、限りがある。この宇宙空間でさえも、いつか終わりの時がやってきます。私たちの寿命なんて宇宙の長大な歴史に比べればまばたきよりも短い時間ですから、その終わりの時を一緒に迎えることはもちろんできませんけど、そういった想像を膨らませていくと、なんだか不思議な気持ちになりませんか?

 え。

 なんでこんな話をしているのか、ですか。

 それはもちろん、必要な話だからですよ。とても必要な話です。

 なんですか、その顔は。

 そんなに眉根を寄せないでください。しわになりますよ。

 もう。不機嫌そうですね。

 これでも急いでやってきたんですよ。少しくらいねぎらいの言葉をかけてくれてもいいじゃないですか。

 まさか。無駄話をしていたつもりはありません。つまらなかったですか?

 コーヒーがくるまでの、大事なおしゃべりですよ。

 まああなたから見たら、単なる四方山話よもやまばなしかもしれませんね。

 きらいですか、四方山話。

 そうですね。おもしろければ、どんな話でも楽しく聞けますよね。

 おもしろくない話をおもしろく聞かせるのは難しいです。話し手の腕に左右されますから。

 つまり、私のトーキングスキルが試されるわけですね。

 すみません。なにぶん、こういったことは不慣れなもので。

 ああ、いえ、大丈夫です。がんばります。がんばらせてください。

 最後まで聞いてくださいね。

 どこまで話しましたっけ。

 そうでした。宇宙の話でした。

 遠く遠くの星を見つめていると不思議な気持ちになる。これは、たぶん憧れなのだと思います。

 生物が大地の上から、星の上から離れるのは危険なことです。自殺行為です。

 なにしろ支えになるものがなくなるわけですから。空の上でも、宇宙の中でも、放り出されてしまったら私たちはまともに生きられません。元々そういう場所で生きられるような構造をしていないのだから、当然と言えば当然なのですけど。

 それでも、憧れはあるのです。

 鳥のように空を飛びたい。

 この星を飛び出していきたい。

 他の星へと渡ってみたい。

 そんな夢物語を、ついつい抱いてしまうものなのです。

 だから、人は空を飛び、宇宙に飛び出す乗り物を作りました。

 なんでしたっけ。人類が初めて別の天体へと着陸した出来事。

 ああ、そう、アポロ計画でしたね。11号でしたか。

 やっぱり教科書で知ったお話というものはなかなか覚えられませんね。生まれる前の話ですから。

 月に、降り立ったんですよね。

 生身じゃ外に出られないから、全身を包み込むような強化スーツみたいなものを着て。

 しかも、長期間の滞在はできなかったんですよね。

 不思議ですよね。そんな技術しかなくて、危険度も今と比べたら相当に高かったはずなのに、どうしてそこまでのリスクを負ってまで月に行ったのか。

 なんにもないところなのに。

 でもそこが、たぶん憧れというやつなんじゃないかなあと思うわけです。

 いえいえ、もちろんわかってますよ。実際には資源の確保とか、大国間の競争とか威信とか、いろいろな要素が絡み合った結果なのだと。

 しかし、憧れというのも決して見逃せない要素ではないかと思うのです。

 なにより人には、未知のものを知りたいという強い思いがあります。

 宇宙なんて私たちからすれば未知の塊じゃないですか。

 だからそこに飛び込みたい、この星を飛び出したい、あの遥か彼方まで続く世界のすべてを理解したい……と思うのは自然なことだと思うのですよね。

 それをやめるべきだったのか、それともやっぱりやらなければいけなかったのか。

 当時の人間に聞いてみたいです。宇宙に飛び出すことって、本当に必要なことでしたかって。

 ……いえ、これは意地悪な質問ですよね。

 そんなのわかりきっていることです。

 必要だったに決まってます。

 いくら憧れがあっても、恐怖感はぬぐえません。

 星を離れて、あんなに暗く冷たい場所へと飛び出す行為が、恐ろしくないわけがないんです。

 それでも人類は、私たちはそれをやった。

 やらなければいけなかったに決まっているじゃないですか。

 …………反応が鈍いですね。

 もう少し真面目に聞いてほしいです。これは大事なことなんですよ。

 まだコーヒーは来ませんね。

 まだ時間はありますね。

 聞いてください。

 人は星を離れました。生まれ故郷を飛び出して、別の天体に移り住まなければならなくなったのです。

 コロニー、ですか? ああ、古いアニメにそういうのがあったという話は聞いたことがあります。検索すれば出てきますね。

 違いますよ。そうじゃありません。

 じゃあ、あなたが思い出せるように、一つずついきますね。

 宇宙は広大で、暗く、さびしい場所です。それはわかりますね。

 星と星の間には、人間サイズでは途方もない距離の隔たりがあるのです。

 そこを人間が渡りきるなんて、そんなことをしようとしたらどれだけの時間がかかると思いますか?

 太陽系を基準に考えてみましょうか。一番近い恒星がプロキシマ・ケンタウリの4.3光年でしたか。データ送信だけなら、“クレイブ時間短縮装置”で光の650倍の速さで座標転送できますけど、それだって一度に送れるデータはせいぜい数人分です。数十万の命を正確かつ安全に移動できるわけではありません。言葉の意味がわからなくてもスルーしてください。なんとなく理解してくれればいいです。

 近くの衛星や同じ恒星系の惑星ならともかく、違う恒星系に移動するのは相当な時間が必要なのです。

 でも、人類はそれをやらなければいけなかった。

 なぜなら太陽系は侵略されてしまったから。

 正確には浸食というべきでしょうか。空間そのものが消滅していく謎の現象――“空喰い”が人類史上初めて観測されたのです。

 あれが何者かの手による攻撃なのか、それとも単なる自然現象なのか、人類には見当もつきませんでした。しかし対策は立てなければならない。結局、人類は非常に単純な対応を行いました。

 逃げたのです。

 “空喰い”が起こらない場所へと逃げ出したのです。

 幸いにも浸食スピードは非常に緩やかなものだったので、『ホーム』と呼ばれる移動船を数万基作り、人類は“空喰い”から少しでも遠ざかるように、それぞれの船で八方散り散りに、星を脱出しました。

 ここまではいいですか?

 SFですか。そうですね、似たような内容の物語がかつて作られたのは知っています。今でも検索すれば見れますね。読めます。実は古典を読むのは大好きなんです。

 でもこれは、現実の歴史なんです。

 そう、今のあなたには夢物語にしか思えない話かもしれませんね。そんな話をする私は、妄想の激しい、ちょっとパートナーに選ぶにはいかがなものかと思ってしまうような、痛々しい女かもしれません。

 でも私は、忘れ物を取りに来たんです。

 それを回収するまでは、帰るわけにはいきません。

 このカフェも人が増えてきました。急がないといけません。

 続けます。

 私がいた『ホーム』はα96号でした。たくさんの人間が乗り込みましたが、実際に人の身を保ったまま乗り込んだのはほんの数十人でした。

 人が別の恒星系にたどり着き、永住できるような星を発見することは、確率的には不可能と呼んで差し支えありません。人が人のまま渡るには、宇宙は広大すぎます。

 なので肉体を一時的に放棄し、記憶や肉体情報などの人物データのみを保存することにしたのです。

 いつか新たな星にたどり着いた時、彼らは肉体を取り戻すでしょう。しかしそれがいつになるのか、本当にそのいつかがやってくるのか、それは誰にもわかりません。

 それでも消滅するよりはましだと、彼らは、文字通りの天文学的確率に賭けたのです。

 それ以外の、肉体を持ったまま乗り込んだ「クルー」と呼ばれる人々は、普段は低温スリープモードで過ごし、緊急時にのみ目覚めて事態に対応しました。“空喰い”以外にも小惑星の接近やライフシステムの異常など、危険は常に存在したからです。

 スリープモードを繰り返すことで、肉体は次第に劣化していきます。そのときはダメになった肉体を分解して再構成しました。それでも僅かな劣化は抑えられず、やがて再構成もできなくなりますが、そのときは船外に投棄して、また新たな肉体を別に用意しました。要は器を替えるのですね。それを何度も何度も繰り返して、私たちは果てしない旅を続けるのです。

 私は肉体を持ったまま乗り込んだ人間でした。今の私の体は果たして何体目の器なのでしょう。調べればすぐにその数字もわかりますが、そんなものに意味がないことは私自身が一番わかっています。だから調べません。その数字を見て改めて絶望することに何の意味があるでしょう。

 そう、絶望です。

 この果てなきあてなき旅を続けることは、絶望と同義だったのです。

 人類はわずかな可能性に賭けたと言いましたが、その人類という名で実際に活動しているのは私という個体なのです。私と、同じように肉体を持って『ホーム』を管理・維持しているたった数十の個体なのです。それぞれはただのちっぽけな一個体にすぎません。意識も、ちっぽけな一つにすぎません。その脆弱な精神でこの底なし沼のような放浪を、いつまでも続けていられるほど、人は強くないのです。少なくとも私は、もう限界まで来ています。

 この肉体が滅ぶと、バックアップされている記憶が別の器に入れられます。そしてその器が再び私として活動するのです。

 中には自殺を遂げた肉体もあったかもしれません。他のクルーに殺してもらったこともあるかもしれません。それでもシステムが、“私”を再び生み出します。

 このシステムを止めることはかないません。私たちの管理権限より上位のシステムだからです。

 早く。早く。どこか。どこでもいい。早く。たどり着きたい。

 そんな懇願を何度も繰り返しながら、α96号は旅を続けます。

 今も、この真っ暗な宇宙の只中を、さまよい続けています。

 果てなき一方通行の、あてのない旅を。

 しかし、その道の途中にあるものを落としてしまいました。

 正しくは落としたのではなく、逃げ出したのですが――

 私の精神はもう限界まで来ています。しかしクルーの中には、その限界を超えてしまった人もいるのです。

 それは突然の出来事でした。クルーの一人が緊急脱出用のポッドで船外へと飛び出したのです。

 最初は何事かと思いました。ポッドを使用しなければならないような危急の事態が発生したのかと考えました。

 そうではありませんでした。彼は自発的に外へと飛び出したのです。

 そして『ホーム』には戻ってきませんでした。

 逃げたのです。

 危機から逃れるためのこの放浪から、逃げる旅から逃げたのです。

 それで何かが変わるわけではありません。逃げてもまた別の器に彼の記憶データが入れられて、彼の代わりを果たすだけです。逃げた彼を捕まえるわけでも、ペナルティが課せられるわけでもありません。

 彼はこの暗黒の世界で、ひとりぼっちになってしまったのです。

 『ホーム』に居続ければ、その管理下における生命の安定は保障されます。システムから逃れることの方が危険なのです。

 ポッドには一応、生命安定装置が備え付けられていますが、それは『ホーム』の設備に比べたらささやかなものです。

 一個体が長く生き続けられるほど、宇宙は優しくありません。

 なにより、“空喰い”の猛威がどこまで広がり、迫っているのか、正確な観測は不可能ですから、逃げた先でその猛威に飲み込まれないとも限らないのです。

 どこにも逃げ場はないのかもしれない。そんな世界で一人で生きられるわけがありません。

 私はそれを放っておけませんでした。

 彼は自分から逃げ出したのですから、助ける義理はないのかもしれません。

 ですが、彼は仲間です。

 肉体を持って活動する、同じクルーです。

 パートナーです。

 置いていけるわけがないのです。

 私は彼と同じように小型ポッドで船外に出ました。逃げるのではなく、回収のため。落し物を、彼という忘れ物を、再び拾いに行くため、彼がいるであろう予測地点へ向かいました。

 本来はこれも自殺行為です。宇宙ではほんの少しのずれが何光年もの距離のずれにつながります。命取りになるのです。予測地点に到達しても、彼はいないかもしれない。それだけならまだしも、『ホーム』に戻れないかもしれない。そうなったら一巻の終わりです。私という個体の生涯はただの無駄死にで終わります。

 私の死も、『ホーム』のシステムにおいてはささいなことかもしれません。私が予定時間内に戻れなかったら、『ホーム』は新たな“私”を生み出すでしょう。そして変わることのない逃避行を続けるでしょう。引き返したり立ち止まることなど、ありえないことなのです。

 死にたくはありません。

 それでも、行かなければと思ったのです。

 幸い、彼の乗ったポッドは無事に発見できました。

 私はシステムにアクセスして、彼の状態を確かめました。

 彼は眠っていました。

 眠りの中で、仮想世界の中で、普通の生活を送っていました。

 宇宙の広大さを意識したら、人は正気を保てないそうです。だから精神安定のために、生命維持装置は夢を見せるのです。

 かつて人々が生命の星で送っていた、平和な生活の夢を。

 文明レベルで言えば、西暦2000年代になるでしょうか。情報処理技術における革新が起きた頃らしいのですが、当時の人々は光以上の速さの通信が行えなかったらしいですね。

 でもカフェはあったんですね。

 温かいコーヒーを飲んで、誰かと待ち合わせをして、他愛のないおしゃべりをして、サンドイッチの味を楽しんで。そんなおとぎ話のような平和な場所が。

 これが、あなたが見ている夢ですか?

 こうして周りを見渡してみると、この時代の人たちもそんなに私たちと変わらないのかもしれませんね。服装や言葉や世界の認識具合に差はあっても、根幹にあるものはきっと同じです。

 誰かと一緒にいたいと思う気持ちは同じ。

 大通りをたくさんの人が歩いています。隣の席でカフェオレを飲む学生がいます。向かいのビルで清掃作業をしているおじさんがいます。レジでお金を払っている女性がいます。横断歩道を手をつないで歩く親子がいます。

 この人々のさざめきは、きっと私たちも持ち合わせているのです。

 『ホーム』内で送る、少ない仲間たちとのやり取りは、さざめきにもならない静かなやり取りですけど、それは間違いなく私たちの心の支えになっていたのです。

 あなたは違いますか?

 あなたは私と離れて、さびしくありませんでしたか?

 私は、さびしかった。

 あなたがいない『ホーム』は、宇宙空間に放り出されるよりさびしかった。

 あなたが死んだのなら、あきらめもつきます。しかしあなたは生きている。

 新たな個体が生まれても、それはそれまでのあなたじゃないのです。

 今の私にとってのあなたは、あなただけ。

 わかりますか? あなただけなんです。

 この呼び掛けに、応えてくれますか?

 このカフェも、カフェから見える世界も、本当に平和です。

 でもこれは偽物。

 この人々の喧騒もさざめきもデータにすぎません。

 あなたの脳に同調して送り込まれる電気信号が見せる幻影なのです。

 今のあなたは、光さえ届かない暗黒の世界にただようポッドの中で、ひとりぼっちなのです。

 それを自覚するのは恐ろしいことです。正気を保てないかもしれません。

 でも安心してください。今はふたりぼっちです。

 私は今、あなたのポッドとドッキングして、直接交信を行っています。

 あなたが外からのアクセスを遮断して、誰とも交信を行えないようにしていたから、わざわざシステム内部にハッキングして、いろいろいじくりまわして、やっと接続に成功したんですよ。

 あとはあなたが応えてくれるのを待つのみです。

 思い出しましたか? 今の自分の状況を。

 迎えに来ました。

 戻りましょう、『ホーム』へ。

 それとも、いやですか?

 やっぱり一人の方がいいですか?

 迷惑なら、私もあきらめて引きあげます。ちゃんと『ホーム』に戻れるかわからないけど。

 戻れなかったら、私もひとりぼっちになってしまいますね。

 そのときは、あなたについていこうかな。

 それも、いやですか?

 はっきりしてください。

 ……だいたい、あなたが逃げたりするからいけないんです。

 さあ、手を伸ばして。指を差し出して。

 あなたから、私の手を握るんです。

 そうしないとロックが解除されません。

 あなたから私にアクセスしてくれないと、正常な交信がいつまで経ってもできませんよ。この仮想空間のカフェにいつまでも取り残されちゃいます。コーヒーを飲んでくつろいだりしていたら、一生抜け出せなかったかもしれません。

 あなたの精神を動揺させないように、わざわざ回りくどい説明をした私に感謝してくださいね。

 ほら、早く。

 繋ぐんです。手を。

 記憶の底にありますよね。昔、まだ私たちのオリジナルが星の上に住んでいたころ、恋人同士だった私たちは、人ごみの中ではぐれないように手を繋いでいたでしょう。

 その記憶にある私たちと同じように、優しく私の手をとってください。

 そうしたら、実感できます。

 一人じゃないということを。

 繋いだら、もう離しませんから。指先に力を込めて、万力のごとく離しませんから。

 ずっと一緒です。

 ただ、まあ……

 ふふ、そうですね。

 目覚めたら、ビンタの1発くらいは覚悟していてくださいね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カフェテラスの忘れ物 かおるさとー @kaoru_sato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ