いつゝ

かごめかごめ

 空には月が昇っていた。だがさくを抜けたばかりで未だ細く、その光は地上を照らすには不十分であった。薄暗さに支配された地上を、白い石畳が一本伸びている。その先には厳格な雰囲気を纏った古びた神社があった。

 神社にはどうやら人が居るようで、障子越しにその灯がゆらゆらと揺れていた。灯された明かりは柔らかな光を投じ、複数の人影を障子に映し出していた。

 十人足らずの人々が集まっていた。彼らはみな声をひそめ、話し合いをしていた。

「近年、地力が弱まっておりますな。収穫量は減る一方だ」

「そのくせ年貢は減らないのだから、ろくでもないことですな。村人たちの生活は貧しくなるばかり」

「わたしも村人たちのおかげでここをどうにかやりくりできている身。ですからこのままでは共倒れになってしまいます」

「ふむ……これはどうすべきでしょうか……。どなたか案は御座いませんか?」

「こうなってしまっては、にえを出すべきなのでは?」

人身御供ひとみごくうをやるというのか。しかし……んん……それも致し方なしか……」

「そうですな。ここまで地が疲弊してしまっては、誰かを捧げる他ありませんな」

「では、生贄は誰に致しましょう」

「やはり生贄は女子であろう。どこかにちょうどよい娘は居らんのか」

「確か村はずれに住んどる弥吉のとこに娘っこが居たはずじゃ。齢は……そう、七つじゃったかのう」

「それはちょうどいい。若い娘は御神のお気に入りですから、その娘でよろしいかと」

「その娘が適任だな」

「では、その娘を祭りの日に山に贄に出すということで、この場はお開きに致しましょう」

「神主さん。弥吉のところに娘を出すようお伝え願いますよ」

「わ、わたしですか。……分かりました」

 そして、人々はぞろぞろと神社を後にし、薄暗い闇の中に消えていった。神社には一人の男が残っていたが、彼が明かりの灯火を吹き消すと、男の姿も闇に飲まれた。




 暗かった世界は徐々に光を手にし、明るさを増していく。星々は太陽の接近を感じてその身を隠し、空には青さが戻っていく。太陽が山陰から顔を覗かせると、どこかで一番鳥が声を上げて朝の到来を告げた。優しい陽光の温かみが世界を包んだ。

 太陽が姿を完全にあらわした頃、村はずれの小屋から一人の男が出てきた。名は弥吉。夜の寺で話題に上がっていた男だ。そして、弥吉の後ろを小さな女の子が追って出てきた。

「お父さん! いってらっしゃい」

「おう、行ってくらあ。さくらも良い子にしとけよ」

「うん、分かった!」

 さくら、と呼ばれた少女は元気の良い返事を返し、ぶんぶんと手を振った。弥吉はさくらに笑顔で手を振り返しながら、そのまま町の方へと歩いていった。

「さくら。明日の祭のための準備を手伝ってちょうだい」

 小屋の中から女の声がさくらに投げられた。さくらは道の先に消えていく弥吉の背中から視線を外し、「はーい」と言って小屋の中に戻った。

「お母さん、準備って何すればいいの?」

「そこの草餅をちょうどいい大きさに分けてちょうだい」

「分かったー」

 さくらは木桶に入った大きな草餅の塊から小さく摘み取り、掌の上で転がして形を整えた。綺麗な形になると、出来上がった餅を大きな葉の上に乗せて丁寧に包み込んだ。餅はすべてで三つ出来上がった。米の収穫量の減少の影響か、その量は例年よりも少なめに抑えられていた。

「お母さん、出来たよ。上手でしょ」

「そうね。きれいに出来たわね。じゃあ、これを神社に持っていきましょうか」

 さくらは彼女の問いかけに対し、目を輝かせながら「行く行く!」と嬉しそうな声を上げた。二人は身支度を整えると、出来上がった餅を抱えて神社の方に仲良く歩いていった。



 さくらと母親は神社に着いた。まだ太陽は気怠そうに中空に向かっているところであり、温もりの薄い冷たい空気が境内には残っていた。二人の口からは白い息が漏れ、冷たい空気の中に溶けて消えていった。

 明日が祭りだというのに、境内には誰一人としていなかった。人の気配ひとつ残されておらず、神の土地に足を踏み入れたという感覚が一層際立った。静かなその場に二人の足音が響く。

「神主さんはどこかしら」と母親が呟き、辺りを見渡す。

 境内には枯れ葉一枚落ちておらず、掃かれた後であることは明らかであった。しかし、まだ朝は早いうちに入るだろうというのに、境内には神主の姿は見当たらなかった。日々行っているであろう掃除などの日課をしていれば、どこかにその姿を見つけそうなものであるのに、二人の眼には誰も映ることはなかった。

 それから二人はしばらく神主の姿を探してみたが、神社はもぬけの殻であった。彼女らの声は神社内に虚しく響くばかりで、返ってくる答えは静けさばかりだった。

「神主さんはどこかに行ってしまっているようね。お餅は目のつくとところにでも置いておきましょう」

「神主さんどこ行ったんだろうねー」

「どこ行ったんだろうね」

 母親は包んだお餅を神社の目立つところに置き、さくらとともに神社を後にした。さくらは母親と手を繋ぎ、抑えられない思いからか腕をぶんぶんと楽しげに振りながら家路を進んでいった。



 家に帰ってからは、母親はいつもと同じ日課をこなしていた。念頭には明日の祭のことはあったことはあったが、家事の手は抜くことなく、掃除や洗濯をちゃっちゃとこなしていた。一方、さくらの方は明日の祭が楽しみで仕方がなく、終始そわそわとしていた。家事で忙しい母親のもとに何度も行っては、「明日のお祭り楽しみだね」とはやる気持ちを漏らし、母親の邪魔ばかりしていた。けれど母親は顔色ひとつ濁すことなく、柔らかな笑みと共に「そうだね」と同意を示し、気持ちを盛り上げていくさくらを一人眺めて微笑んでいた。

 気怠そうに空を漂っていた太陽は西の空に沈み、惜しんでいるかのようにその赤みを空に多く残していた。夜は空に残る赤さを面倒臭そうに押しのけ、空を黒く染め上げていく。夜の到来を感じ、星たちがその身を輝かせ始めた。細身の月が潜めていた姿を現し、星々の間を闊歩し始める。夜だというのに、空は光の粒で賑やかになっていた。

 さくらの家では夕食の準備を行っており、囲炉裏では美味しそうな鍋が湯気を立ち上らせながら煮込まれていた。さくらは物欲しそうに鍋の中身を眺めながら、鍋の煮込み具合を窺っていた。母親は台所で鍋に入れる最後の具材を切り分けているところだった。ちょうど切り終えると、一口大に切り分けられた具を手に抱え、鍋の中に落とした。具材は沸騰するお湯の中に消えていき、さくらはその瞳をいっそう輝かせた。

 そこで唐突に家の戸が開かれた。鍋の方に集中していた二人だったが驚くことはなく、それが父親である弥吉の帰宅であることを分かっていたために落ち着いていつも通りの迎えの言葉をかけた。

「おかえりー」「おかえりなさい」

 二人はほぼ同時に声を上げ、戸の方に顔を向けた。そこには二人の思った通り、弥吉の姿があった。しかし、その表情は暗く沈んでおり、その場に立ち竦んでいるようであった。

「どうか……したのかい?」

 さくらの母親が深刻そうな表情を浮かべて問いかけた。弥吉はハッと我に返り、視線を右往左往とさせて取り繕ったような笑みを浮かべながら答えた。

「い、いや、なんでもないんだ。……た、ただいま」

 弥吉は明らかに落ち着かない様子で囲炉裏の傍に行き、敷かれた座布団の上に腰を下ろそうとした。が、そこで動きを止めた。しばし沈黙で固まった後、母親の方に向き直った。

「ちょっと話したいことがあるんだ。来てくれるか……」

 弥吉は低く沈んだ声を彼女にかけ、彼女の腕を掴んで外に行くよう誘った。

「な、なんだい、急に」

「いいからッ」と言い、そのまま弥吉は彼女を家の外へと無理やり連れ出していった。

 さくらは事態がどういうことかよく分からず、一人きょとんとして二人の様子を見ているだけだった。二人は家の外に出ると、ぼそぼそと何かを話していた。さくらにはそれを聞き取ることはできず、何の話であるかはまったく分からなかった。

 少しの間二人の話が続いた後、突然母親が血相を変えて家の中に戻ってきた。あまりに突然のことに驚いているさくらをさらに驚かせたのは、戻るなり母親が抱きしめてきたことだった。

「え……どうしたの、お母さん」

 さくらは戸惑うばかりで、なぜ母親が抱きしめてくるのか分からなかった。遂には、母親はそのまま嗚咽を漏らし、頬に涙を伝わせ始めた。肩を小刻みに揺らし、全身が震えだすのを抑えるようにさくらを徐々に強く抱きしめていった。

「いたい……いたいよ、お母さん」

 さくらはあまりに強く抱きしめられたために、呻くように言葉を漏らした。さくらの言葉を聞いてようやく母親は冷静さを取り戻し、その手を離した。

「ごめんね、……ごめんね」

 母親はそう言って、涙を零しながら優しくさくらを包み込んだ。さくらは相変わらず戸惑いの色を浮かべるばかりで、どうして母親がそれほどまでに気を乱したのか知る由もなかった。

 その後は、いつもと同じように時は流れていった。二人はさくらが何かあったのかいくら訊いても何も答えなかったが、いつも以上にさくらに対して優しく接していた。さくらが好きな食べ物をさくらに分けてあげていたし、弥吉に至っては高価な砂糖菓子をお土産と買ってきていた。さくらは浮かべていた疑問を忘れ、その夜を存分に楽しんでいた。明日が祭りであることとも重なり、さくらの嬉しさは頂点に達しているほどだった。

 夜は、早く祭りの朝を迎えようとしているかのように、その闇を深めていった。



 翌日。弥吉、さくら、そして母親の三人は祭りへと向かった。祭りの行われる神社の近くには多くの出店が並び、その日限りの興を謳歌していた。彼ら三人もその祭りの中に入って楽しんでいた。弥吉と母親はさくらをいつも以上に可愛がり、まるで別れを迎える前のように出し惜しむことなくできる限りのことをさくらにしてやっていた。

 昼前になり、神主が神社から姿を現した。人々はみな静まり返り、神主の言葉に耳を傾ける。

「本日は年に一度の祭りの日でございます。皆さん、存分に祭りをお楽しみください。ただ、祭りの日は山神様が山の木々の本数を確認するので、山にだけは決して入らないようにしてください。加えて、非常にお伝えしにくいことなのですが、近年の地力の弱まりを受けて、わたしを含めた宮座での協議の結果、田の神でもある山神様に生贄を捧げることとなりました」

 神主の口から出た『生贄』という言葉に、村人一同がざわついた。さくらは両親二人に「いけにえってなーに?」と疑問をぶつけたが、二人は悲しそうな眼をして苦笑いをするばかりで答えようとはしなかった。

「皆さん、お静かに願います。話はまだ終わっておりませんので。――では、生贄の話に戻らせていただきます。生贄を誰にするかはわたしたちの一存で選ばせて頂きました。生贄の条件として、性は女、年齢は若い方が良い、ということから、生贄は弥吉さんのところのさくらさんとなりました」

 神主の口から『弥吉』『さくら』という言葉が出た瞬間に、村人全員の視線がさくらに集中した。当の本人であるさくらはなぜ皆が自分を見ているのかが分からず、恐さと困惑から母親の手を強く握りしめていた。

「ねぇ、お母さん……。なんでみんなが私のことを見てるの? ねえ、なんで? ねえ?」

 握った母親の手をしきりに振りながら問いかけつづけた。しかし、母親は何も答えることなく、静かに涙を零れ落とした。

「ごめんね……ごめんね……」

 母親は震えた声で何度も謝った。加えて、弥吉はさくらを抱きしめ、擦れた声を漏らした。

「すまん……さくら……」

 さくらは未だに事態を理解できてはいなかったが、両親の二人は涙を流し、嗚咽を漏らしながらさくらを抱きしめた。両親二人の呻くような鳴き声が、境内に小さく響いていた。

「お別れのところを非常に申し訳ないのですが、そろそろ時間が迫っています。さくらさんをこちらにお連れ願いますか」

 神主が三人のもとに声をかけた。両親の二人は恨めしそうに神主を睨んだが、最終的にはさくらから離れ、彼女の手を引きながら本殿の方へと向かっていった。

 本殿の前に着き、さくらは二人の手から離れて一人で舞台へと上ることとなった。舞台に上がった小さな少女に皆の視線が集まる。さくらは想像だにしていなかった状況に置かれ、緊張と混乱が混ざった気持ちになっていた。そんなさくらをよそ目に、神主は勝手に事態を進めていく。

 空高くに太陽が昇り、時間はまさに正午を迎えようとしていた。神主はさかきの枝の先に麻の繊維でできた糸が無数に取り付けられた大幣おおぬさを取り出した。

「さくらさん、少しの我慢ですから」

 そう言うと神主は大幣を右に左に、上に下に振り回し、口からは何か呪文のようなものを漏らし始めた。さくらはそんな神主の姿に恐怖を覚え、身を強張らせた。しかし、神主は止めるどころかさくらの方へと大幣を持っていき、彼女の輪郭をなぞるかのように彼女身体の周りで大幣を忙しなく動かした。そして最後に、大幣を彼女の頭の上で何度も振った。あまりにも目の前で大幣を振り回されたために、さくらは危険を感じてつい目を閉じた。視界は真っ暗となり、耳には大幣の振られる音と神主の謎の呪文だけが届いてきていた。

 しばらく大幣が振られ続け、神主は呪文らしきものを唱え続けていた。人々は息を飲んで事の成り行きを見守る。神主は何かと闘っているかの如く必死に言葉を紡ぎ続け、さらにはその語調は徐々に強まっていっていた。語調の強まりと共に、人々の期待の念も膨らんでいく。そして、遂に――――

「はああああああ!!」

 神主が全身の気をぶつけるが如く大声を上げた。突然の出来事にさくらは全身を震わせ、肩を大きく弾ませた。神主の声はさくらの耳の奥で何度も反響を繰り返していた。しかし神主の声が消えていくにつれ、大幣が振られていた音も、頭の上で振られているという感覚もなくなっていることにさくらは気が付いた。

 恐るおそるといった調子で、今まで固く閉じていた瞼をゆっくりと上げていく。すると、驚くべきことに目の前には神主の姿どころか、村人ひとり居なくなっていた。もちろんさくらの両親二人の姿もなく、跡形もなく全ての人間が消え去っていた。

「みんな……どこいったの……?」

 静寂の満ちた境内に、さくらの小さな声が溶けて消えていった。刺すような静けさに囲まれ、さくらは心細さと寂しさから自然と涙が込み上げてきた。

「お父さん……? お母さん……? みんな、どこ行っちゃったの……?」

 彼女の声は徐々に震えだし、鼻声に変わっていく。目元に溢れた涙は零れ落ち、さくらの頬に一筋の跡を刻んだ。さくらの視界は涙の影響でぼやけ始め、建物や木々の輪郭はぐにゃぐにゃと歪んで見えた。口からは大きな泣き声を漏らしながら、誰かを探すためか震える足を動かして辺りをさまよい歩いた。しかし、やはり誰の姿もなかった。神社は完全に無人と化しており、建物はさくらを突き放すように物静かに佇んでいるばかりであった。

 さくらはその場にへたり込み、より一層大きな泣き声を上げた。まるで泣いていれば誰かが助けてくれると信じているかのように、さくらは必死になって泣き喚いた。けれど、その声は虚しく辺りに響くばかりで、誰の耳にも届くことはなかった。

 必死に声を張って上げられた泣き声はかすれを帯びだし、聞くに堪えない悲鳴のようなものへと変わっていく。喉はしゃがれ、涙はれ、望みは枯れ果てていった。

 だが、そこでさくらの視界に一つの人影が飛び込んだ。さくらと同じぐらいの歳の頃に思える、小さな人影。その人影は本殿の影からさくらを窺っているように顔をひょっこりと出していた。さくらは急に現れた希望にすがるように声をかけた。

「ねえ!」

 さくらは必死に声を張ったが、実際に出たのは掠れた弱弱しい声だった。しかし、そんな声でも人影は警戒したのか、本殿の影にその身を隠してしまった。

「ねぇ、待ってよ……待って……!」

 さくらはへたり込んでいた身体を起こし、覚束ない足取りながらも影の跡を追った。

「待って…………待ってよ…………」

 ふらふらとしていた足が互いにぶつかり、さくらは足がもつれて転んでしまった。地面に突っ伏し、頬の涙跡に砂がくっつく。

「待って……」とさくらは懇願するように零した。口元の砂がさくらの吐く息でかすかに動いた。

「――ダイジョウブ?」

 唐突にさくらは声を掛けられた。その声は真上から聞こえ、さくらは驚きと喜びの混ざり合った気持ちで顔を上げた。視界に一人の少女の姿が飛び込んだ。背格好はさくらとそれほど変わらない程度の大きさで、まさしくそれはさくらが追っていた人影であった。

 だが、さくらは人影の正体である少女の容姿を見て、絶句してしまった。

 少女の顔は醜く歪むどころか、完全に傾いていた。足先から首までは真っ直ぐと普通の人間通りに伸びているというのに、頭だけが直角に曲がってしまっている。首と頭がどうやってくっついているのかと思ってしまうほど曲がってしまっていたのだ。身体にはまるで泥水で何度も洗ったかのようなボロ切れを纏っており、その布切れから生え出ている手足は黒く染まっていた。まるで墨汁に何時間も浸けていたかと思ってしまうほど、芯から黒かった。だが、問題は色だけでなく、手足の表面は壊死でもしているかのように醜く腐り果て、触れれば裂けて中身を零す腐った蜜柑の果皮のようであった。

「ダイジョウブ?」

 少女は金切り声にも似た、脳天を突き上げるような奇声じみた声で再び問いかけた。その顔は不思議そうに首を傾げているのか、元から傾いているのか分からないほど、直角に傾いている。

 そのままで彼女はさくらの周りを心配そうにゆっくりと一度回った。裸足であった彼女の足が地面を踏み、不気味な足音がさくらの耳に届いた。それはまるで腐った蜜柑を潰した時のような音であった。地面を踏むたびに、ふしゅぅ、という気体が抜けるような音を漏らし、張りなんて太古の昔に失ったような腐った肌が砂と擦れて剥がれ落ちていた。

「ダイジョウブ?」

 少女はさくらの目の前で止まり、顔を下ろしてさくらの顔を覗き込んだ。さくらは少女の顔をまざまざと目撃する。

 少女の顔は醜いという言葉の範疇を超えていた。眼球は腐り果てた末に溶け落ちたのか、眼窩がんかには不気味な黒い穴だけが開いていた。鼻は肉が腐り落ち、黒ずんだ肌の中に白く粉っぽい骨が顔を覗かせていた。唇は食いちぎられたかのように原型を失い、口の中には数本の歯が歯茎にしがみ付いているだけで、残っていることが逆におかしいと思わせる有り様であった。肌には百歳を越えた老婆のような深い皺が幾重にも刻まれ、垂れた肉がそのまま支えられることなく裂けて落ちたのか、頬の辺りには白い骨が剥き出しになっている箇所さえあった。

「ダイジョウブ? ダイジョウブ? ダイジョウブ? ダイジョウブ? ……」

 少女は同じ言葉を何度もくり返しながら、直角に曲がった顔をさくらの方へと近づけていった。少女の口から漏れた腐臭じみた口臭が鼻にかかり、さくらはわずかに顔を歪めた。

「だ、大丈夫だから」

 さくらはそうとだけ言って、鼻を押さえつつ顔を後ろに引いた。少女は顔を近づけるのを止め、真っ暗な二つの穴でさくらを見つめていた。

「……ヨカッタ」

 不意の言葉にさくらは驚きを隠せなかった。少女は相変わらず黒い穴をこちらに向けていたが、口元を緩ませ、微笑んでいるようであった。だが、笑みで寄った皺に肌が耐えられず、口元の皮膚が数片破けて落ちた。微笑んだからと言っても、少女の不気味さは顕在であった。

 しかし少女の微笑みや優しさがさくらの心を動かした。見た目が不気味で明らかに悪しきものであるような印象であったが、実際は心優しい存在なのではないかと思い始めたのだ。それは幼さがもたらす無邪気さに加速され、さくらは目の前の少女を信じてもいいと考え出していた。

 さくらは引いていた頭を戻し、少女と近くで向き合う。

「心配してくれてありがとう。私はさくら。あなたの名前は?」

 少女はしばらく黙っていた。それはまるでさくらの反応に驚いているようだったが、ようやくそのボロボロの口を動かして答えた。

「ワタシノナマエハ――――カゴメ」

 その声はまるで新しい仲間ができた時のような、嬉しそうな声であった。




 さくらとカゴメは二人で歩いていた。さくらには特に目的地があるわけでもないし、両親を探したいような気持ちもあった。だが、僅かながらにさくらの先を歩くカゴメに付いていく形となっていた。

「ねえ、どこにいくの?」

 さくらは斜め前を歩くカゴメに言葉を投げる。だが、カゴメの口からは何の返事も返って来なかった。

 カゴメの直角に曲がっている頭が、ちょうどさくらの方に頭の先を向けていた。さくらはカゴメの頭をまじまじと見てしまう。頭には髪の毛があることにはあるのだが、下手な草刈りをした後のように生えている所とそうでないところがぐちゃぐちゃに混在していた。髪がないところは無理やり切られたために極端に短くなっているだけのところもあれば、髪の毛を強制的に引き抜かれたのか、頭皮ごと持っていかれて頭蓋骨が顔を見せているようなところすらあった。残っている髪の毛もしっかりと根付いているわけではないようで、カゴメが歩くたびにはらりはらりと数本の毛が抜け落ちていた。頭皮自体が腐っているようであるのだから、毛根が死んでいても当然と言える有り様だった。

 さくらは気分が悪くなり、視線をカゴメから外して少し辺りを見渡してみた。空には太陽の姿があったが、なぜだか動いている気がしなかった。雲もいくつか浮いているのが見えたけれど、どれもこれもそこに打ち付けられているように全く動いていなかった。空はまるでただの絵のように、時が止まってしまっていたのだ。

 耳を澄ませてみても、しんと静まり返っていた。風ひとつ吹かず、虫が草むらを飛び跳ねる音さえもしない。世界は死んでいるかのように静けさに包まれていた。初めて体感する無音により、さくらは耳が痛くなるのを感じた。意識が向くと痛みは徐々に増し始める。痛みは耳から胸へと落ちていき、さくらの胸をムカつかせていった。吐き気にも似た感覚が込み上げてくるのをさくらは感じた。その感覚を吐き出すように、さくらは言葉を吐いて無音を掻き消す。

「ねえ、カゴメ! どこに向かってるの?」

 焦りと疲れが滲んだようなさくらの声を聞き、カゴメは唐突に足を止めた。さくらは急に止まったことに驚き、自らも足先に力を入れて立ち止まった。

 カゴメは無言でゆっくりと黒ずんだ右腕を上げ、ボロボロの肌に包まれた手を動かして人差し指である方向を指した。

「アソコ」

 まるで興味がないような冷めた言葉でカゴメは言った。さくらはカゴメの指が指す方向を辿って、何を指差しているのかを見た。

 山だった。ここからはそれほど距離が離れておらず、今までの感じで歩いていけば、すぐに着いてしまうほどの距離だ。

「あの山にいくの? でもなんで?」

 さくらは視線をカゴメの方に向き直して問いかけるが、カゴメは再び歩き始めていた。さくらは少々苛立ちを覚えながらも、置いて行かれないようにカゴメの後を追った。



 さくらはカゴメが指差した山の入り口に立っていた。距離はさくらが感じた程度のもので、カゴメの後を追っていたら知らぬうちに着いていたという感じだった。

「それで、これからどうするの?」

 先に着いて立ち止まっていたカゴメに疑問をぶつける。カゴメはすぐには答えず押し黙ったままだったが、再び不意に手を上げて山の中を指差した。

「ノボル」

 カゴメはそう告げると、またも一人で足早に山の中へと踏み込んでいった。

「もう! 待ってよ」と言い、さくらもカゴメの後を追った。

 山の中が今までより一層静かに思えた。静寂にはいくらかの種類があるんだと感じざるを得ないほど、山の中の静寂は異様さを持っていた。さくらという異物に対し、静寂は容赦のない圧迫をかけていた。さくらは息苦しさにも似た感覚を覚えながらも、カゴメの背中を追うことしかできなかった。



 さくらは肩で息をしていた。わずかながらに脇腹も疼き始め、喉の奥がひどく乾き始めた。それほど長いこと山を登っていたわけではなかったのだが、やはり例の息苦しさに似たものも関係していたらしく、呼吸が乱れてひどく簡単に疲れ果ててしまったようだった。

 さくらは精力の失われつつある瞳でカゴメを見上げたが、彼女は変わることなく慣れたような調子で淡々と登っていっていた。

 しばらくして、ようやく山の傾斜が緩くなりはじめる。さくらは一歩一歩の重みが軽くなるのを感じながら、呼吸を徐々に深呼吸にも似た大きなものへと変えていく。だが、いくら吸っても空気が足りていると感じることができず、呼吸は荒くなる一方であった。

「ツイタ」

 唐突に声が届いた。さくらは聞き逃しそうになりながらもなんとか聞き取り、落としていた視線をカゴメの方に上げた。すると、目の前には綺麗な光景が広がっていた。

 そこは山の中にありながらも、とても開けた場所だった。これまで進んできた森の中はうっそうと木々が生い茂り、一筋の光の侵入さえも許さないような暗く不気味な場所だったのに対し、目の前の光景はとても明るかった。木々はまるでそこからは別の世界となっているかのように、その場所に侵入しようとはしていなかった。明確な境界線が引かれているわけでもないのに、きれいな弧を描いて森とその場所は分けられていた。

 その場所の上にはぽっかりと穴が開いており、そこから燦々さんさんと日光が降り注いでいた。地上には森の中では一切見かけなかった草花が繁茂し、日光を反射して美しい色に輝いていた。

 柔らかな輝きに包まれたその場所の中央には、一本の大樹が生えていた。随分昔からそこにあるようで、根はどんな風にも負けないほど深く根付き、枝は日光をすべて掌握しようとしているように縦横無尽に伸び、緑葉を茂らせていた。

 さくらが眼前の景色に見惚れていると、中央にそびえる大樹の陰から何かがひょっこりと顔を出したのに気付いた。最初は一人や二人だったのだが、徐々にその数を増していき、十人近くにまで増えた。

「キタキタキタキタキタ……」と木の影から顔を出したものたちが口々に呟く。そして、そのまま木の陰から身を出し、さくらの方へと駆け寄ってきた。

 駆けてくるものたちは皆、カゴメのような少女だった。肌が腐り、所々肉が抉れて骨が顔を出していた。ただ、それぞれの特徴というものもあり、カゴメのように首が曲がってしまっている者もいれば、そうでない者もいた。中には、腕があり得ない方向に曲がっている者もいれば、足が片方しかなく飛び跳ねながらさくらの方に近づいて来る者もいた。

「あれは……みんなカゴメの友達?」

 さくらは幾分かの怖さを抱きつつ、恐るおそるカゴメに訊ねた。けれど、カゴメは何も答えることなく、黙りきっていた。そんな間に駆けてくる者たちがさくらの目の前に到着した。

「コノコ? コノコ?」

「アタラシイコダ」

「カワイイネ、カワイイネ」

「アソボアソボ」

 十人足らずの少女が自分勝手に喋っていた。耳が痒くなるような高音がさくらの耳を撫でつける。口々に勝手なことを全員で喋り続けた。あまりの勢いにさくらは少々圧倒されてしまった。

 寄ってきた少女はみんな目玉がなく黒い穴しか開いてなかったが、視線が注がれているのをさくらはひしひしと感じた。まるで刃物で刺されてそのまま切りつけられていくように、全身を視線が刺して舐めていくのを感じた。足元から不快感が込み上げ、身体から肩、首へと上っていくと全身が小刻みに震えた。その感覚を振り払い勇気を振り絞るために、さくらは口を開いた。

「ね、ねえ、まずは落ち着こ。……ね?」

 すると、急に不気味な少女たちは水を打ったように黙った。あまりにも一瞬で静かになるものだから、言った本人であるさくらが動揺を覚えてしまうほどだった。

 黙った少女たちが黒い穴をいくつもさくらに向け、しげしげと注いだ。さくらは動揺でざわついた心をなんとか落ち着かせようと努めながら、言葉を紡いだ。

「……わ、私は、さくら、って言うの。……みんなは……なんて名前……?」

 さくらの発した疑問を耳にすると、少女たちはみな堰を切ったようにどっと喋り始めた。

「ワタシハカゴメ。ナカヨクシヨ」

「カゴメヨ」

「ワタシ、カゴメッテイウノ」

「カゴメッテイウナマエヨ」

「カゴメ。ヨロシク」

「カゴメカゴメ。ワタシハカゴメダヨ」

「えっ……?!」とさくらはつい声を漏らしてしまった。

 それはさくらにとってあまりにも衝撃的だった。まさか全員が自分を『カゴメ』と言うとは思ってもみなかったからだ。

 さくらの心を再び動揺が蝕んでいく。落ち着きを失った心が足を震わせる。寒気にも煮た恐怖感が全身を襲い出した。

「アッ、カミサマダ」

「カミサマカミサマ」

「カミサマ、オカエリ」

 かみさま……? 白紙になりつつあったさくらの頭にぽっと疑問が浮かんだ。けれど、その言葉はまるで初めて聞いた言葉のようで、何を意味する言葉であったかすぐには思い出せなかった。

 かみさまってなんだっけ……?

 茫然自失のような有り様で佇んでしまっていたさくらの背後に、大きな影がぬっと現れた。影は、他の少女と異なり小奇麗な格好をしたさくらを見つけ、いらだち気味に言葉を向けた。

「アンタ……何だい……?」

 地鳴りのような低く響く女の声。言葉を耳にしただけだというのに、心臓を一突きされたかのような衝撃がさくらを襲った。さくらは背筋に悪寒が走るのを感じ、額に冷や汗が滲み始めた。全身はまるで凍りついてしまったかのように動かなくなり、小刻みに震えるばかりだった。

「アンタは何だって訊いているんだよ」

 再び重く響く声が問いかけてくる。さくらの身体はまるで体内で女の声が反響しているかのように小さく震え続けた。

 一方、さくらの周りに集まっていた少女たちは口々に「オカエリオカエリ」と言いながら、蜘蛛の子を散らすようにさくらのもとから走り去っていった。さくらは一人残され、恐怖に飲みこまれていった。

 さくらの後ろに立っていた女がゆっくりと歩み始め、さくらの脇を抜けた。さくらは今まで声以外に何も分からなかった相手の姿を視界の端にようやく捉えた。その姿は人のようであったが、人の域を超えていた。

 女の身体はひどく太っており、一歩歩くたびに地面を踏みしめる鈍い音が響いた。だが、その程度なら単に太っているだけであるのだが、女の身長はさくらの五倍近くはあった。その様は野生の熊でも相手になりえないと思えるほどで、さくらはこんな人間が目の前に居ることが信じられずに目を丸くしていた。

 巨大の肉体の上に乗せられている頭がぐるりと回り、ひどく高いところからさくらのことを見下ろした。さくらは目線だけを上げ、そして女の視線とぶつかった。

 女の顔は言葉では言い表せられないほど醜いものだった。肌は南瓜のような凸凹とした固いものとなっており、柔らかさなどとは無縁となっていた。肉の付き方はどうやったらそこまで付くのかと言えるほどであり、垂れた肉がまだ別の肉の上に重なり何重にも厚い層を形成していた。鼻は俗に言う団子鼻であるのだが、あまりにも肉が集まり過ぎてその大きさは握った拳程度にまで膨れ上がっていた。さらには、鼻の先が目の方に寄っているために鼻の穴が丸見えになり、まるで猪の鼻であった。唇は腫れ上がっているのかと思ってしまうほどに肉がついてぶよぶよと膨らんでおり、その重みに耐えられずに口は常に半開きの状態となっていた。眼は周りに肉が付いているというのに、不気味と言うほどに飛び出ていた。そのまま零れ落ちてしまいそうなほど出ており、ギョロギョロと動く様は人間の眼ではなく、魚のそれに近かった。

 女の腫れぼったい大きな唇が動き、唾液の糸を引きながら言葉を発した。

「アンタ、可愛いねぇ――……」

 それは褒め言葉でも何でもなく、恨みがましさに満ちたような言葉だった。女は舐めるようにさくらの全身を見ると、再び唇を動かした。

「憎らしいねぇ……妬ましいねぇ……恨めしいねぇ……不快だねぇ……むかつくねぇ……。アンタ…………――――――消えな」

 女はそう告げると、手を上げ、さくらの上にかざした。その瞬間、さくらの全身を異様な圧迫感が襲った。すべての方向から押し潰さんとする力が加えられ、まるで土砂崩れにでも巻き込まれたかのようだった。さくらは全身を痛みに襲われ、骨が悲鳴を上げ、今にも折れてしまいそうな勢いであった。あまりの痛みのために、さくらの目元から涙が押し出された。

「きれいな涙だねぇ――……。けれど、私はきれいなものが大っ嫌いなんだよ」

 女は吐き捨てるように言うと、さくらに加えている力をより一層膨らませた。さくらは呼吸すらできないほどの圧力に襲われ、今にも意識を刈り取られてしまいそうだった。

 だが、そこで一つの声が邪魔に入った。

「お待ちください、山神様!」

 必死に呼びかける声は、森の陰から姿を現した男のものだった。突如現れた男に、山神と呼ばれた女は一層いらだちを増したが、そのためにさくらへの集中力が削がれ、さくらは山神の力から解放された。だが、さくらの身体にはまだ鈍い痛みが残り続け、さらにはひどい脱力感や疲労感に襲われ、さくらは膝を折ってその場に倒れそうになった。

 しかし、そこで森の陰から姿を現した男がさくらのもとに駆け寄り、彼女の身体を受け止めた。さくらは朦朧とする意識のなか、重くなった瞼をなんとか持ち上げ、自分を受け止めた人の姿を捉えた。

 それは神主だった。神主はさくらの身体を支えながら、彼女の惨状を目の当たりにして眉根に皺を寄せていた。

「アンタは何だい? その娘の連れかい?」

 神主はさくらに向けていた苦々しそうな視線を上げ、山神の方に向き直る。

「そのようなものです」と言い、神主は気を失ってしまっていたさくらの身体を優しく地面の上に下ろし、そして立ち上がった。「この度は山神様にお願いがあって伺わせていただきました。失礼は重々承知しておりますが、話を聞いていただけないでしょうか。お願いします」

 神主は地べたに膝を付け、土下座をして懇願した。神主が頭を下げたまま固まり、辺りには静けさが立ち込めだす。だが、束の間の静寂は山神の声にかき消された。

「願い? 随分と図々しい若造だね。立場をわきまえない餓鬼は嫌いだよ。……けれど、きれいなものはもっと嫌いだ。だから、アンタがその娘の連れだと言うのなら、ともに消えてもらうだけだよ」

 山神はそう言うと、再び手を上げ、神主の上にかざした。神主の身体を、さくらを襲ったのと同じ力が襲った。神主は全身に痛みが走るのを感じたが、耐えて口を動かす。

「お願いします。話だけでも聞いてください」

「諦めの悪い餓鬼だね。さっさと消えて無くなっちまいな」

 山神は神主にかける力を増させ、より強い圧力が神主の身体を襲った。神主は腹部を殴られたかのように一気に息を吐きだした。あまりの圧力にまともな呼吸もできず、浅い呼吸が続く。だが、神主は必死に言葉を紡ぎ続けた。

「は、話だけでもお聞き願います。……捧げ物もご用意して、おりますから」

 神主の言葉を聞くと、山神は急に彼にかけていた力を引いた。

「ほう、捧げ物とな?」

 山神は眉を上げ、興味深そうに訊き返した。神主は圧力から解放され、身体を起こして貪るように深呼吸を繰り返した。そして、神主は乱れた呼吸を平静時に戻しながら、言葉の先を続けた。

「はい、そうでございます」

「それで、その捧げ物とは何だい?」

 神主は横たわっているさくらの方をチラと見て、言った。

「この娘にございます」

 神主が言葉を放つと、しばしの沈黙が下りた。だが、すぐにその場は山神の笑い声に包まれた。天を突くような笑い声が辺りの空気を振るわせ、周りの木々をざわめかせた。

「ハハハハハ。それはつまり、生贄ということかい」

「そうでございます」と神主は無表情で答えた。

「人というのはやはり良いねえ。自分たちが助かるためなら、あんな可愛らしい子供ですら犠牲にするのだから。本当に人は醜く汚い生き物だねえ……。――――けれど、醜いのは嫌いじゃないよ」

 そう言うと、山神はおもむろに歩きだした。神主の脇を抜け、そのままさくらの傍に立った。

「この娘は私の好きにしていいんだね?」

「はい、山神様のお好きなように」と神主は冷たく答えた。

「そうかい。なら、頂かせてもらおうかね。おい、カゴメや」

 山神の声に応え、中央に立派に立つ大樹の後ろからいくつかの影が顔を出した。

「ナニ、カミサマ?」

「ナニナニ?」

「ナンカヨウ?」

「カミサマヨンダ?」

 顔を出したカゴメ達は口々に好きなことを言いながら、大樹の後ろから姿を現して山神のもとに集まった。

「お前たち、この娘を捕まえておきな」

「ワカッタ」

「ショウチー」

「リョウカイリョウカイ」

 そして、カゴメ達は倒れているさくらの四肢を押さえ込んだ。だが、そこで身体を触れられることによりさくらは目を覚ました。朧な意識のなかで視線を動かし、自分がなぜかカゴメ達に押さえられているのを知った。

「あれ……みんな……なに……してるの……?」

 さくらは舌足らずな口調で訊くが、カゴメ達は小さく笑うばかりで何も答えようとしなかった。しかし、代わりに山神がさくらに答えた。

「何って、アンタをこれから食べるのさ」

 山神の不敵な笑みに添えられて発せられた言葉を聞き、さくらは「えっ……?」と小さく漏らした。だが、次の瞬間にはさくらの口からは悲鳴が止めどなく発せられた。それは山神がさくらに対して行った行為によるものだった。

 山神は、驚くべきことにさくらの心臓付近に手を喰い込ませていた。勢いよくさくらに向けて落とされた山神の手は、さくらの皮膚を割き、肉をえぐり、そして、がっしりとさくらの心臓を掴んでいた。

 山神はさくらに突き刺した手を刺した時と同じような勢いでさくらの身体から抜き取った。しかし、そこには手だけではなく、さくらの心臓までもが握られていた。さくらの心臓は抜き取られたことにまだ気づいていないかのように何度か鼓動を繰り返し、千切れた血管の管から血を滴り落としていた。

 さくらは今までに体感したこともない痛みに襲われ、まるで雷に打たれたかのように全身で凄まじい痛みが暴れまわっていた。あまりの痛みに意識は白く塗りつぶされていき、痛み以外のすべてを考えることなんぞ出来なくなってしまった。そして、真夜中に蝋燭を吹き消した時のように、どっと闇が押し寄せ、最期には全てが黒く塗りつぶされていった。

 死んださくらには目もくれず、山神は恍惚とした表情で手に持った心臓を見つめていた。そして、舐めるように一頻り見ると、その大きな口を開き、さくらの心臓を口の中に放った。下品にクチャクチャと噛む音を唇の間から漏らしながら、山神はさくらの心臓を味わい、飲みこんだ。

「ふう、やっぱり人の心臓は良いもんだね。残りはお前たちの好きにしな」

 山神がそう言うと、さくらの身体を押さえていたカゴメたちは喜びの声を上げた。

「ワーイ」

「ヤッタヤッタ」

「マッテマシタ」

「タノシミダッタンダ」

 カゴメたちは好きなことを勝手に喋りながら、爪を立ててさくらの身体を切り裂き、そのまま食べ始めた。さくらの身体はみるみる内に真っ赤に染まり上がり、そして、原形すらも失っていた。

 山神はそんなカゴメ達を横目に見ながら神主の方に振り返り、問い質した。

「それで、アンタの願いってのは何だい。生贄を食べたからには聞いてやらないとね」

 神主は微かに震える唇を開き、自分たちの願いを語り始めた。



 翌年、村は久々の豊作となり、多くの村人が幸福に満たされたそうだ。

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