ひとつ

あぶくたった

 その町は街道沿いに位置しており、人の往来の多い場所だった。町の中心部には旅籠屋はたごやなどの旅人相手の店から、青物屋などの店まで種々様々な店舗が並び、多くの人々で賑わっていた。

 一方、町のはずれの方に近づくと、今度は民家が増え始め、下町風情が香り出す。母親たちは洗濯や井戸端会議に精を出し、子供たちは近所で集まって遊んでいる。

 子供たちが一人の子をオニにして、他の子はオニの周りに円を描くように囲む。そして彼らは歌い出す――。


   あぶくたった 煮えたった

   煮えたかどうだか食べてみよう

   むしゃむしゃむしゃ

   まだ煮えない


   あぶくたった 煮えたった

   煮えたか どうだか食べてみよう

   むしゃむしゃむしゃ

   もう煮えた


   戸棚に入れて 鍵を掛けて ガチャガチャガチャ

   ご飯を食べて ムシャムシャムシャ

   お風呂に入って ゴシゴシゴシ

   おふとん敷いて 寝ましょ


   トントントン 何の音?

   風の音 あーよかった

   トントントン 何の音?

   木がゆれた音 あーよかった

   トントントン 何の音?


 そうして、オニの子が答える。

「お化けの音!」

 それを聞いた瞬間、子供たちは蜘蛛の子を散らすように走り出し、鬼ごっこが始まった。みな楽しそうな声を上げて笑顔を浮かべている。

 しかし、そんな子供たちを羨ましそうに眺めながら歩く少年がひとり居た。彼は何本もの傘を抱え、とぼとぼと歩いている。これから町の中心部にその傘を売りに行くところなのだ。

 彼のような子供は物珍しいものでもない。遠くの村では稼ぎが少ないために、彼のように子供が手伝って働くことは少なくない。彼の場合は、親が作った傘をわざわざ山を越えて人の多い町にまで売りに来ているのである。

 しかし、子供に山を越させるなどの危険な行為をさせるのは親としてどうだろう、と思われることだろう。が、彼の場合は彼がせざるをえないのである。彼の父親は亡くなっており、母親が傘を作っているのだが、その母親までもが今は病にかかってしまい、売りに行けるのは彼だけとなってしまったのだ。

 彼は遊びたい気持ちを我慢し、母親のために傘を売りに行く。少しでも多く売って、母親の病を治す薬が買いたいのだ。最近咳き込みがちな母親を楽にするためなら遊ぶことなど犠牲にしても構わないと、彼は考えていた。

 遊ぶ子供たちを尻目に、彼は町の中心部へと足を運んだ。



 町の問屋に数本買い取ってもらい、残りを自力で売ることになる。少年は通りの一角に陣取り、道行く人に「傘は要りませんか」と声を掛けつづける。

 だが雨も降っていないのにわざわざ荷物を増やそうとする輩はどこにも居ない。少年は下を向き、全く売れない状況に溜め息をひとつ吐いた。

 そこに、元気出せよとでも言うように、頬を冷たいものが叩いた。手で触れて何であるかを確認し、空を見上げた。

 雨が降りだす。

 少年は自分が濡れないように、商品のものよりもぼろい傘を取り出し、差した。降り落ちる雨粒が傘を叩き、籠もった雨音が騒がしく少年を包み込む。

 道行く人は各々、持ち物を頭の上にかざして走ったり、近くの店の軒先に潜り込んだりする。だが、中には少年の傘屋を見つける者も居た。何人かの人々が少年のもとに行き、傘を次々に買っていく。

 少年は嬉しさと動揺を覚えつつも、何とかすべて売り切ることができた。

 これでおっ母に薬を買って帰れる、と少年は思った。

 売り上げをまとめ、薬屋へと急ぎ、そして薬を購入した。

 少年がいざ帰ろうとすると、店の人が彼に話しかけた。

「今から山向こうまで帰るんか?」

「はい。早くおっ母に薬飲ませたいんで」少年は答えた。

 それを聞き、店の人は少し悩んでから言葉をかける。

「ん~……そうか。余計な心配かもしれんがの、近頃あの山じゃ神隠しが起こっとるから、気ぃ付けえよ」

「神隠し……?」少年は不安そうに訊き返す。

「ああ。この前も一人、行方をくらませちまった。どこを探しても出て来んかったわ。おめぇぐらいの年頃の子供やったんよ。やから気を付けるんやぞ」

「分かりました。気を付けます」

 少年は店を後にする。胸の中では『神隠し』という言葉が汚泥のようにべったりとくっ付き、胸をざわつかせていた。しかし、早く家に帰らないといけないという思いが勝り、少年は山の方へと足を向かわせる。

 少年は歩きながら空を見上げた。雨はもう上がっており、雲は切れ間を見せている。どうやらただの夕立だったようだ。雲間から太陽が顔を出し、西の空で眩い光を放っていた。

 暗くなる前に山を越えないと、と少年は考える。そして、薬を大切そうに小脇に抱えて走り出した。



 道がぬかるんでおり、少年は思うように走れない。どうやら町よりも山の方が雨が激しかったようで、山道は想像以上にひどい有り様となっていた。

 それでも足を止めるわけにはいかず、少年は早足に道を進んでいく。

 だが、それよりも早くに太陽が沈んでいく。山の途中から空を窺えば、そこには太陽の姿はなく、赤みだけが残されていた。その残りもわずかで、山の中には闇が広がりつつある。

 少年の焦る気持ちを嘲笑うかのように、ついに闇が完全に森を覆ってしまった。少年は足元を確認することが困難になり、ときおり泥に足を取られそうになる。文字通り一瞬先は闇という状態に、少年は途方に暮れざるをえなかった。

 どうしよう……この薬をおっ母に飲ませてやりたいのに……。少年は心の中で呟く。

 すると、願い通じてか、少年の瞳に一点の光が映った。

 明かりだ!、と気付いた瞬間に、少年はその方向へと駆け始めた。

 徐々に近づくにつれて、それが家の明かりであることが分かった。明かりが点いているということは、誰かが居る証拠だ。少年は家に歩み寄り、その戸を叩く。

「すみません。開けてくれませんか」

 数秒して、中から足音が近づいて来る。戸のつっかい棒を外す音が聞こえると、すぐに戸が開かれた。

 大柄な男が立っていた。その姿から木こりか狩人であると少年は考える。

「なんでぇこんな時間に。ガキが一体なんの用だ」

 男は低い地鳴りのような声で問いかけてきた。少年はその男の眼を見、その眼光の鋭さから狩人であるとなぜだか確信した。

「道に迷ってしまったので、一晩だけ置いてもらえませんか」

 男は改めて少年を見る。頭の先から足の爪先まで、舐めるようにゆっくりと。そして答えを返した。

「良いだろう。ほら、入んな」

 男は脇に寄り、通れるように譲る。少年は「ありがとうございます」と謝意を述べ、小屋の土間に踏み入った。

 男は少年が入ったのを確認すると、戸を閉め、しっかりとつっかい棒をはめた。

「好きなとこに座んな」

「あっ、はい」

 少年は男の言葉に甘え、囲炉裏の周りに腰を下ろす。

 囲炉裏には鍋が吊るされ、火にかけられていた。鉄製の鍋の中はぐつぐつと煮え滾り、湯気を絶えず天井に向けて上らせている。その湯気に乗って香る匂いを嗅ぐと、その美味しそうな匂いに少年は空腹感を誘われた。

 ぐぅぅ、と少年の腹がみっともない音を立てる。少年は顔を俯かせ、手で腹を抑えた。囲炉裏の炎が少年の顔を照らして紅く染め上げる。

「なんだおめぇ、腹ぁ減ってんのか」

 男の問いかけに対し、少年は軽く顔を上げ、頷く。

「なら食うか? ちょうど頃合いだ」

 男は鍋の中をかき混ぜながら言った。そして、近くのお椀へと手を伸ばし、そこに鍋の中身を注いだ。

 少年は湯気のあがる椀と箸を受け取り、その中身に口をつける。温かい液体が口内に流れ込み、同時に旨みが溢れかえる。荒さはあるが旨みの凝縮された濃い汁は非常においしいものだった。喉を鳴らしながら汁を呑み込むと、食道を通って胃に進み入るのが感じられた。

「どうだ、美味いか?」

「はい、すごく美味しいです」

 そう言って少年は具を次々に口に運ぶ。そのがっつく様を見て、男は口元を緩ませる。

「そうかそうか、そんなにうめぇか。まだあるから遠慮せずに食いな」

 そう言って男は自分の椀にも注ぎ、音を立てながらその中身をすすった。

 しばらくして、男と少年は食事を終えた。

 少年はお腹が満ち足りている感覚からつい欠伸を漏らしてしまう。その様を見て、男は話しかける。

「そいじゃ腹も満たしたことだし、もう寝るかい。見たところ、だいぶ疲れとるようやからのう」

 そう言うと男は立ち上がり、奥の部屋に向かう。布団を一組敷くと、少年に声を掛ける。

「薄い布団しかねえがいいか?」

「いや、布団まで用意してもらわなくても」

 少年は遠慮を見せる。しかし、その遠慮を男は突っぱねる。

「ガキのくせになに遠慮してんだ。いいから使いな」

 男は少年に布団を使うように急かし、それに応えて少年は奥の部屋に入った。

 布団に座り込んだ少年を男は見ながら言葉を掛ける。

「いい夢見ろよ」

 そう言い残し、男は奥の部屋と囲炉裏ある部屋を隔てる襖を閉めた。

 奥の部屋は囲炉裏の明かりを失い、急に暗くなる。それに応じるように眠気に襲われ、少年は倒れるように布団で眠りについた。



 眠りが浅くなり、少年は現実と夢が混ざりあって区別ができなくなっていく。どこか遠くで不思議な音が聞こえる。

 トン……トン……という包丁で何かを切るような音。

 それが現実のことなのか夢の中でのことなのかを判断することはできない。

 眼に映るのは深く淀んだ闇だけであり、それはまるで底が見えないほど濁った沼を見ているような感覚を起こさせ、引き込まれそうな感じとともに、触れたら二度と戻れないような恐怖をもたらしてくる。

 少年は重い瞼を上げた。徐々に目の前がはっきりと捉えられるようになってくると、閉まっていたはずの襖がいており、一筋の光が少年の顔に向かって差し込んでいた。

 あれ……襖が開いてる……?

 少年は起き抜けの朦朧もうろうとする頭で思った。そして偶然開いてしまったのかと思い、襖を閉めようと身体を起こそうとする。

 が、身体が重い。まるで全身が鉛になってしまったかのように、重く怠い感覚に支配されてしまっている。

 なんだ……これ……?

 何度も起きようとするが、身体がいう事をきかない。まるで金縛りにかかってしまったかのように動きそうにない。

 少年は男に助けを求めようと口を開く。

「た……う……ぇてえ……」

 言葉にならない呻き声が漏れる。掠れた声だけが零れるばかりだ。

「ああ……ぅう……ぁう……」

 必死に伝えようとするが、まったく言葉にならない。どうやら身体だけでなく舌までもが動かせなくなってしまったようだ。

 少年は口をゆっくりと動かすが、口の中では舌などがまったく動かせない。そのため発する声は言葉をなさず、ただの呻きとなってしまう。

 少年の呻きが聞こえたのか、襖の向こうから足音が聞こえてきた。それは少しずつ近づき、襖の隙間から差し込む光を遮った。

 小さな音を立てながらゆっくりと襖が開かれる。差し込む光は増えていき、同時に襖の向こうに立つ影の輪郭をなぞっていく。

 その影はあの男のものだった。

 だが、あの優しげな印象は消え去っている。男は囲炉裏の炎を背に受けており少年側には影がかかっているが、暗みを帯びた顔の中で白い眼だけが不気味に少年を見下ろしているのは分かった。そこに宿るのは冷たさだけであり、少年はまるで氷水に手を突っ込んだような感覚を覚え、全身に鳥肌を走らせる。

「ありゃー、もう起きちまったのかい」

 男はにんまりと口角を吊り上げ、白い歯が眼と同じように黒い影に映える。

「もう少し時間がかかると思ったが、まあ、変わりねえか」

 不敵な笑みを浮かべながら男は近づいて来る。すると、残った襖の陰から怪しく光るものが姿を現した。それは囲炉裏の炎を映し、赤い光を帯びているノコギリだ。

 だが、その赤さは炎の色によるものではなかった。そのノコギリはもともと赤い色をしていたのだ。

 男は少年の視線がノコギリに釘づけになっているのに気付き、自慢げにかざしながら話す。

「このノコギリが気になんのか。そりゃあそうだよな。ひでえ見てくれだかんな」

 男はぶんぶんとノコギリを振り回す。その空気を切る音が少年の恐怖心を煽っていく。

 男は少年の横に着き、その場に屈みこむ。ノコギリをこれ見よがしに少年の目の前に持っていき、それについて語っていく。

「この赤さの出し方を教えてやろうか? 聞きてえよな? 簡単に出せんだ。こうやって……」といい、男は少年の腹部の辺りにノコギリの歯を立てる。そして動かす動作を見せて切るふりをする。「ごりごり切って表面に血を塗りたくんだろ。そんで、そのまま置いときゃ、面白いように血と錆びで真っ赤になりやがんだ。だが、刃物が錆びたら使いもんにならねえと思ってんだろ? 普通はそうだろうな。切れ味が悪くちゃ、かなわねえからな。けどな、人を切るには錆びてんのはうってつけなんだ。おめえも味わったら分かるぞ。ひでえ痛みらしいからな」

 男は少年に顔を近づけ、ケタケタと笑いながら楽しそうに語った。少年は恐怖に縁どられた瞳をわなわなと震わせながらその様を見ることしか出来なかった。

 恐怖心が溢れかえっている少年の反応を楽しみながら、男は話を続ける。

「んじゃあ、さっそく足でもいっとくか?」

 そう言うと男はノコギリの歯を少年の足首の上に乗せる。少年はその感触を感じ取り、目を白黒とさせる。

 逃げないと……。

 少年は死の危険を直に感じ取る。呼吸は小刻みとなって早まり、鼓動は早鐘を打ち鳴らす。少年の荒い息遣いに重ねるように、男は不気味な笑い声を漏らしながらノコギリを引いた。

 少年の足にノコギリの歯がじわじわと食い込む。肉の繊維一本一本を引き千切っていくような感覚が少年の足を襲った。

「ああぁああぁあぁぁあぁああぁ……」

 少年は言葉にならない声を叫ぶ。

 切れ味のよい日本刀などで一刀両断にされるのならば、すぐに死が微笑みかけてくるのだろう。しかし、錆付いたノコギリはまるで真綿で首を絞めるようなもので、じわじわと痛めつけ苦しめ、死は遠いところから見下ろして嘲笑っている。

 そのゆっくりと歩み寄る死を感じながら、少年の頭の中では走馬灯のように過去の記憶が巡る。そして、思い出す。病と闘う母親の存在を。

 おっ母に薬を届けないと……いけないんだ、と少年は強い想いを抱く。

「ああああああああああ!!」

 少年は恐怖によるものとは違う声を叫び、身体を起こした。いわゆる火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。少年は起き上がると同時に、そのままの勢いで男を殴りつける。男は驚いたような表情を浮かべたまま、少年の拳骨によって体勢を崩し、部屋の端に向けて派手に倒れ込んだ。

 少年は薬を抱え、足の痛みなどを忘れて部屋を飛び出した。しかし痛みを忘れようが傷ついた足ではそれほど速さが出せない。捕まる恐怖を胸に抱きながらも、少年は囲炉裏の脇を抜けていく。

 囲炉裏には先ほどとは違う鍋が火にかけられているのが見えた。それはとても大きな鍋であり、ぐつぐつと煮え滾り、もうもうと湯気をのぼらせる。

 少年は戸のつっかい棒を外し、なんとか外に逃げだした。だが、興奮から感じなくなっていた痛みがじわじわと足を這い上りはじめる。足首が熱を帯びだし、燃えているかと錯覚してしまうほどになっていく。

 けれど足を止めるわけにはいかない。言う事をきかない足を引きずってでも、少年は前に進み続けた。

 遂に、小屋の戸から漏れ出る光は闇に吸い込まれていき、辺りは闇の領分と化していく。目の前は黒一色に塗りたくられ、身体までもが闇に染まっていった。

 聞こえるのは少年の乱れた呼吸と風がもたらす葉擦れの音。木々を揺らす風は生暖かいもので、少年の不安を逆撫でして膨らませる。


 一方、男の方は少年が逃げ去るのをただ見送っていた。男にはあのまま少年を切り刻むつもりはなく、足を怪我させて逃げ出させることが目的だったのだ。端から少年の椀にしこませてあった薬も、しばらくのあいだ寝かせて動きを封じることを目的としたものであったため、量も少なめに抑えていた。

 男の目的はただ一つ。

 それは少年が男に対して抱いた第一印象通りに、狩人が行うことである。しかし、男の狩りの対象は獣ではなく、人間であった。

 男は人間狩りの始まりを嬉嬉とした笑みで飾り、片手に血錆びを帯びたノコギリを持つと、闇に包まれた森へと歩を進めた。


 少年は闇の中で息を潜めていた。

 別に逃げることを諦めたわけではない。月明かりさえ差し込まない暗闇の森の中で、無闇に動き回ることを止めたのだ。

 男から逃げるにはとにかく動き回ることの方が得策と思えるかもしれないが、この闇夜の中での移動はほぼ不可能であった。地面は雨の影響でぬかるみ足を取られやすいうえ、一寸先に道があるか崖があるかすら判別できない。故に、下手に動き回れば自らの首を絞める羽目になり得る。

 だから、少年は闇に息を潜め、夜が明けるのを待つことにした。それに、何も見えないのは男の方も同じはずだという考えがあり、音を立てたりさえしなければ見つからないとも思っていた。

 闇にその身を染めて、少年は少しでも周りが見えるようになるのを待つ。足の痛みは消え去ることは決してないが、無理をしていないだけに出血量は最小限に抑えられていた。

 ガサガサ……ガサ……。

 少年の耳に怪しい音が聞こえてくる。少年が男が近くを歩いているのだと思い、息を殺し、自らの存在を消す。

 ガサ……ガサ……。

 音は徐々に近づいて来る。少年は心がざわついていくのを覚え、心拍が早まる。

 こっちに来るな、こっちに来るな、と少年は心の中で願う。

 早まる鼓動が少年の体の中で大きな音を立て、周りに響き渡っているのではないかと疑ってしまうほどだった。

 ガサ……ガサッ。

 音がすぐそばで止まる。

 心臓がドクンと鳴る。

 少年は息を殺した。

 異様な静寂がその場を支配し、緊張感が張りつめていく。しかし、張りすぎた糸が耐えきれずに切れてしまうかのように、プツンッ、と緊張が切れる。

 どんっ、と押された感触が少年の中を突き抜けた。少年は突然のことに頭が真っ白になり、そのまま地面に倒れ込む。抱えていた薬は手元を抜け、深い闇に呑み込まれてしまう。

「みぃつけた」

 男が楽しそうな声を上げたが、それは少年の心に恐怖感しかもたらさなかった。少年は必死に逃げようと、ばたばたと動き、地面をかきむしる。

「俺の鼻はよく利くんでな、おめえの場所はすぐに分かっちまたわ。もう少し楽しませてくれると思ぉとったのにのお」

 男が淡々とした声で残念がっていたが、少年の耳には届かない。少年は、嫌だ、死にたくない、と言葉をなせない呻き声を上げ続けた。

「もう逃げれんようにせんとな」

 そう言うと男は少年の足を押さえつける。少年は必死に足をばたばたとさせるが、男の手はびくともせず、少年の足は固定されてしまう。

 そしてふたたび、少年は足に激痛が走るのを覚えた。男があの切れ味の悪いノコギリで、完全に足を切り離そうとしているのだ。

 その痛みは激痛なんて言葉では言い表せられないほどのものだった。あまりの痛みに少年の頭は処理しきれなくなり、自ら意識を切り離す。少年は最後の呻きに合わせて口から血色の泡を吹き、涎をポタポタと地面に垂らす。

 少年が気を失ったことに気付かず、男はノコギリを振るい続け、最後には少年の足を切った。

「足は『悪し』ってな」と男は嬉しそうに声を上げたが、少年が気を失っているのに気付き、「なんだ気ぃ失っちまったんか。ま、その方が楽ってもんか」と呟いた。

 男は足を切った少年を抱え、自分の家へと連れ帰った。



 その後、少年の姿を見たものは居なかった。

 少年の母親の依頼により、地元の有志による捜索隊が出されたが、見つかったのは少年の足だけだったという。

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