第5話 スノータイムブルース
大戸に誘われるまま俺は、小学校の屋上に出た。外は雪が降っていて、とても寒い。でも、人には雨に打たれたい日があるように、今はこんな寒空の下で雪に降られたい気分だった。俺と大戸は、街が見渡せるベンチに腰掛けた。だが、街の景色は霧に覆われて見ることは出来なかった。
白い雪が降りしきる真っ暗闇な世界には、俺と大戸しかいない。とても幻想的な光景だった。
「結構な雪だね、おーちゃん」
「ホントだな。でも、こんな外の状態でいいのか?」
「うん。雪って東京じゃああまり降らないじゃない?むしろ嬉しいかも」
「その気持ちは分からないでもないな」
そう言って手のひらを夜空にかざした。手にかかる雪の冷たさが、自らの生を実感させる。死んでしまっている大戸は、この雪の感触を本当に味わえているのだろうか。
「大戸、俺は…」
「おーちゃん。おーちゃんは墓の前で、そして私の前で何もかもを話してくれた。だから、今度は私が話す番」
「大戸…」
大戸は、俺の目を見て話し始めた。死者の目とは思えないほど、力のこもった目だった。
「おーちゃん、大変だったよね。それに、ずっごく辛かったんだと思う。そして、そんな風にしちゃったのは、私が死んでしまったから。…ごめんなさい、勝手にいなくなって」
「違う、大戸が謝ることなんて何も無い。俺が弱かったから、俺が情けなかったから」
「ううん、情けなくなんかないよ。おーちゃんは、ただ生きるために必死だっただけ。恥ずかしがるようなことじゃないよ」
「でも…」
「多分、私が死ぬことも、おーちゃんが苦しんじゃうことも、いわば”運命”だと思うの。人の力じゃどうにもならない、神様が決めたような…そういう類のもの。だから、受け入れるしかないんだと思う」
俺は黙って、大戸が言う言葉を聞いていた。思えば、こんなに深く話をするのは初めてかもしれない。
「人生は選択だって言葉があるけど、私はそうは思わない。人生は運命なの。楽しむことも、悲しむことも、苦しむことも、…死ぬことも。最初から神様が決めているんだ。だから…」
大戸は、涙ながらに言った。
「私に囚われて生きるのは、やめて。生きている人が死者に囚われて自分を見失うなんて、おーちゃんが救われないよ」
生者が死者に諭される。おかしな話だと思ったが、それも俺らしいなと感じた。
「大戸の言うことはもっともだと思う。でも、大戸は、唯一無二の俺の想い人なんだ。昔も…今も。そんな人の死を、運命なんて言葉で片付けて、達観的に生きることなんて俺には…」
「…私はおーちゃんの人生から完全にいなくなった訳じゃないよ。おーちゃんがいつかたどり着く場所に、先にいるだけ。それに、私はおーちゃんの思い出の中に強く生きている。だからこそ、その強い思いが私をこの世界に再び呼び寄せたんだ」
大戸は俺の手を握って、そのままその手を俺の頬に持ってきた。
「私は、また戻ってこれた。こうしておーちゃんの手を握ることが出来るし、頬の温もりも感じられる」
そう言う大戸の手は、とても柔らかいけど冷たくて、何より優しかった。
「だから、もう囚われなくていいんだよ。前に進んでいこうよ、おーちゃん」
涙が、止まらなかった。でも、今まで流した涙とは違って、あたたかい涙だった。
「大戸、これからは…ずっと、一緒にいてくれるか」
「私はいつでも、おーちゃんのそばにいるよ」
大戸はにっこりと笑って、そう言った。
過去という鎖に縛られ続けてきた俺が、救われた瞬間だった。
その後も俺たちは、手を繋いで夜通し話し続けた。何気ない日常の話から今まで話したことも無い様な哲学的な話まで、沢山した。
「大戸は神様が全ての運命を決めているって言っていたけど、酷い話だよな。生きてる俺たちの気持ちを無視して、勝手にそういうのを押し付けて」
「そうだね、私もその運命を押し付けられて死んじゃったから。…おーちゃんは、神様って信じてる?」
「俺は…正直分からない。信じてないと思っていても、いつのまにか信じてないはずの神に祈ってしまうこともあったから」
「…神様って、一体なんなんだろうね」
「それも分からないけど…強いて言うなら、誰の心の中にでもいる、無能な全能者、だろうな」
長い時間、話し続けた。次第に雪は止み、真っ暗闇だった空もほんのり明るくなり始め、夜の終わりを告げていた。
「もう朝だよ、おーちゃん」
「早いな、そんなに長く喋ってたのか俺たち」
「あっという間だったね」
朝日を前にして、ようやく睡魔が襲ってきた。欠伸をしたら、息が白く残ってすぐに消えた。
「ふふ、おーちゃん眠いの?」
「まあ、徹夜してるみたいなものだからな。眠くもなるよ。大戸は眠くないのか?」
「うん、全然眠くない」
凄いな、と感心していると大戸が膝をポンポンと叩きはじめた。俺は怪訝そうな目でそれを見る。
「何してんだ、大戸」
「もう、分からないかな。膝枕してあげるって言ってるんだよ、おーちゃん」
「なんだいきなり、恥ずかしいな」
「嫌ならやめとく?」
「お願いします」
「あはは。じゃあどうぞ、寝てください」
俺はベンチの上で横になり、大戸の膝に頭を乗せる。ああ、今俺、凄い幸せだ。
「どう?おーちゃん」
「心地いいね、凄く」
「それは良かったよ」
そうこう言っていると、辺りがより一層明るくなった。地平線の向こうから太陽が昇っていた。暁光が辺りに積もった雪を照らし、雪もその光を白く反射している。真っ暗闇だった夜とは対照的に、世界は真っ白に覆われていた。
「そういえば、大戸さ」
「なあに?おーちゃん」
「告白の返事、聞いてなかったなって思って」
「…普通、膝枕までしてる女の子にそういうこと聞いちゃうかな」
「…すまん」
「あはは、いいよ別に。そうだなあ、返事か…」
大戸は、一瞬考えたかと思ったら───
「っ!?」
ふっ、と唇と唇を重ね合わせた。
「…これが返事かな、おーちゃん」
驚きすぎて、何も返答が出来なかった。心臓がドキドキしすぎて破裂しそうな勢いだった。
「…ありがとう、大戸」
「どういたしまして、おーちゃん」
暁の雪上で、初めて俺たちはお互いの愛を通わせた。それは何よりも純粋で、何よりも情熱的で、何よりも美しかった。
いよいよ、睡魔が強くなってきた。目蓋が重くて、目を開けるので精一杯だった。
「おーちゃん、寝てもいいんだよ?」
「なんか、寝たら大戸がどっか行ってしまいそうで怖いんだよな」
「大丈夫、私はずっとおーちゃんのそばにいるよ」
「…悪いな」
「ううん、全然」
こんな時間がずっと続けばいいのにな、と思った。
「…朝日滲む新たな日に踏み出す僕は、あの夏と何ら変わりはないのさ」
「ん?大戸、いきなり歌ってどうしたんだ」
「子守唄だよ、おーちゃんが気持ちよく眠るためにね」
「それはありがたいな。ちなみに、その曲は?」
「夏日憂歌。少し昔の曲だよ」
「へぇ…今聞いた限りだといい曲そうだね」
「でも今は全く夏じゃないけどね。そこだけが残念かも。今歌うなら…そうだね、雪日幽歌って所かな」
「それはまた随分と、素敵な響きだな」
「でしょ」
「大戸。…続き、歌ってくれないか」
「もちろんいいよ、おーちゃん」
大戸が歌う静かな子守唄に包まれて眠りにつける。そんな優しい幸せに包まれながら、俺は暁に眠った。
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