第3話 鞦韆院楽(しゅうせんいんらく)の夜は更ける

朝のニュースで、高速バスが事故にあい犠牲者が出ているという報道があった。俺は少し嫌な気分になったが、あいつは関係ないと勝手に思い込んでいた。しかし、昼になっても、夜になっても、日をまたいでも、大戸からの返事が来なかったことで、俺は嫌でも大戸が事故に巻き込まれたと思わざるを得なかった。不安になった俺は、そんなはずは無いと大戸に連絡を電話をした。しかし、いくらかけても繋がらなかった。プルルル、という音が俺の焦燥感をよりかき立てた。業を煮やした俺は、ネットで今回の事故の犠牲者を調べた。そんなことはあるわけが無い、そう自分に言い聞かせながら。

しかし、現実は残酷だった。犠牲者リストの中には、“大戸花凛”の名前が書かれていた。最初、俺は同姓同名の別人だと思った。でも、頭の中の冷静な俺は、今起きている現実をしっかりと認識していた。

大戸は、事故の犠牲になり、死んだのだ。

俺はもう、茫然自失の状態だった。体から力が抜け、何も出来なくなってしまった。その日から一ヶ月程度俺は体調を崩した。それは大学生活のスタートにも影響を及ぼしたが、そんなことはもはやどうでもよかった。いくら待てど大戸からの返事はやってこない。友を、想い人を亡くしたダメージは、俺の心に深いキズを残した。俺は苦しみ、悲しみ続けた。どうして大戸が死ななくてはならなかったのか、どうして俺がこんな苦しみを背負わなければならないのか。体調を崩し寝込み続けている間、俺はずっとその事を考え続けた。二度と立ち直れない程の深いキズだった。しかし、いつまでも寝込んでいるわけにもいかないことも事実だった。このままだと大学生活のスタートだけでなく、単位にも影響を及ぼしかねない。どれだけ苦しくても、立ち上がらなければならなかった。

そしてそのために俺は、友と恋も捨てて生きることを決心するしか無かった。友が、想い人がいるから失った時に傷付くのだ。この苦しみをまた背負うくらいなら、もう友人も恋人もいらない。また、思い出に縋らないために、故郷を去ることを決心した。もう今までの自分とは決別するつもりだった。

しかし、友も過去も捨てた生活は相当に辛かった。花を貰うほどに先生と話すようになったのも、先生がカウンセラーも兼ねていて相談したことがきっかけだった。

結局俺は、今でも大戸の死を引きずって生きている。俺が本当に昔の自分と決別できるのは、一体いつになるのだろう────。



「…うん?」

いつの間にか寝ていたようだ。腕時計の針は八時を指していた。今から適当に支度すれば、成人式の開始30分前くらいに会場につくというなんともお誂え向きな時間だった。俺は成人式に行くかどうか迷ったが、結局行くことにした。どうもこの時間に目が覚めた事がある種の天啓のように感じてならなかったからだ。俺は冷蔵庫の余り物で朝食を済ませ、似合いもしないスーツを着た。先生に渡された花も一応持っていくことにした。正直このまま部屋に置いていても邪魔にしかならないと思ったからだ。かと言って墓参りする気には到底なれない俺は、適当にどこかの花壇に置いておこうと決めた。我ながら最低である。

俺はレジ袋に鉢植えを入れ、懐かしい故郷へと出発した。電車の中でかつての故郷を思い出しながら、期待と不安が半々の状態で終点につき、電車から降り、改札を出た。数分、動けなかった。この場所に立っているだけで涙が流れてしまいそうになるほどに、強くノスタルジックな気持ちになった。俺が笑って過ごしていた場所。そして、かつて大戸が生きていた場所。それを思うと、立ちすくむしか無かった。それでも、自分を奮い立たせ、歩き始めた。成人式開始までまだ時間はあるため、駅前を久しぶりに見ようと足を進めた。そして、俺は愕然とした。知らない歩道橋、知らない時計、知らない店。かつて俺がよく通っていたラーメン屋は無くなっていて、代わりに全国チェーンのコンビニが建っていた。記憶の中の街との差に俺は驚きを隠せなかった。それなのに、かつて大戸と行った小物店とかはまだ残っていて、ふと思い出される記憶が俺の心を締め付ける。とにかく、居心地が悪かった。故郷に帰ってきたというのに、全く違う街に来てしまったかに思えてしまった。いたたまれなくなり、逃げるように俺は成人式の会場に向かった。歩いていても目に入る街の違和感は拭えなかったが、とりあえず会場である市民ホールに着いた。色々な人達が晴れ着姿ではしゃいでおり、とても賑やかだ。少し辺りを見渡して、俺はかつての友達の姿を見つけた。全然変わってないやつもいれば、大学デビューでもしたのか髪の色を染めているやつもいた。人それぞれ様子は違っていたが、しかし唯一彼らに共通していることがあった。

彼らは皆笑っているのだ。あいつらだけじゃない、成人式に参加すると思われる人達は皆笑顔を浮かべ、幸せそうなのだ。そして、そんな様子を遠くから眺めている俺は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。これが、差なのだろう。今の今まで変わらず自分らしく生きることができた彼らと、死者に囚われ変わらざるを得なかった俺との間にできた、埋めることの出来ない差。

それを目の当たりにした俺は、彼らに背を向けて走り出した。とにかく、あの幸せな空間から逃げたかった。昔の温もりなど感じられない街を、俺はただただ走り続けた。無我夢中に走り、体が悲鳴をあげ始めてようやく走るのを辞めた。

何を考えるでもなく走っていたが、最終的にたどり着いた場所は、何の因果か、大戸が眠る墓場の前だった。自分では墓に行こうなどと思っていなかったが、それでもここに辿り着いたのは、運命のイタズラというほかないだろう。走ったことでレジ袋に土が散乱してしまったこの花だが、どうせなら先生の言う通り供えてやろう、とあれだけ行くのを躊躇っていた墓場にあっさりと入っていった。言ってしまえば自暴自棄の状態である。

敷地内を歩き回り、大戸の墓を見つけた。思っていたより大きな墓だった。この墓に至るまでに約一年を費やした訳だが、街の変わりようや友人たちとの絶望的な差を目の当たりにした今の俺は、感傷に浸る余裕もなかった。俺はその場に座り込み、花を取り出して、そっと墓の前に置いた。

「なあ、大戸。…俺はどうしたら良かったんだろう」

俺が呟いた言葉は、弔いの言葉でも来るのが遅れたことの謝罪でもなく、情けない愚痴だった。

「この街に戻ってきてさ、分かったんだ。もうここは俺の戻るところじゃなくなったんだなって。もう何もかもが変わっちまって…。でも、それは道理なんだよな。時間は平等に流れている。街や皆はその流れに乗っただけ。俺だけが過去に囚われて、時間の流れに呑まれただけって話だ」

物言わぬ石に俺は喋り続けた。喋り始めたら止まらなかった。理解してもらいたいわけでも慰めて欲しいわけでもなかった。

「でも、俺はそうすることでしか立ち上がれなかった。俺には選択の余地なんてなかった。…じゃあ俺はどうすればあいつらみたいに生きることができたんだ」

ただ心の中に渦巻く苦痛をぶつけたかった。

そうでもしなければ、本当に壊れてしまいそうだった。

「…俺も、お前のところに逝ければいいのにな」

最後にそう言って、俺は立ち上がった。このままずっと喋れそうだったが、そんな自分はあまりにも情けなかった。次にここに来ることはもうないだろうな、と思った。この街は、もう俺の故郷では無くなってしまった。もう二度と来ることはないだろう。家に帰ろうと、大きな墓石に背を向け歩き始めた。

「死人を前にそんなこと言うものじゃないよ」

「っ!?」

いきなり聞こえた声に驚いて振り向いた。

そしてそこには───────

「久しぶり、おーちゃん」

墓の上に座っている大戸の姿があった。

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