第6話 その名の意味
卒業式はいたって普通に行われた。卒業証書授与や校長先生やよく分からない来賓の長い話は正直退屈でならなかった。人生の節目であるこの行事だが、特別泣くような要素があるとは思えなかった。だから、最後に校歌を歌った時、泣いている人を見て正直羨ましかった。ああ、あの人は泣けるほどにこの高校が楽しかったのだな。僕も大学の卒業式は泣けるようになりたいものだ。
おおよそ1時間半の式が終わり、最後のホームルームが始まった。担任の計らいで、最後のホームルームは菓子パーティとなり皆笑顔で談笑している。自由解散ということあり、特に仲のいい人がいなくていたたまれなくなった僕はひっそりとクラスから抜け出した。高校最後の日と言えど、こんなものか。心が満たされない卒業式に別の意味で涙が出てきそうになる。ともあれ、僕は高校を卒業した。鎖から解き放たれたように心が軽くなる。これからはルイーナと共に明るい未来を手にしていこう。僕にしては珍しく前向きな考え方だ。ここ数週間で、僕は随分ポジティブになったような気がする。いい変化だ、これならば大学生活もなるようになるだろう。
僕は家に帰り、卒業祝いにラーメンを食べに行った。電車を乗り継いでいた先にある有名店で、交通費も食費も結構かかってしまったが、今日ぐらい贅沢しても罰は当たらないだろう 。
家に帰った時はもう辺りは真っ暗だった。
「改めて、卒業おめでとう」
「ありがとう。ルイーナにそう言われるのが1番嬉しいね」
「どうしてだ?」
「ルイーナがいなければ、最後の1年は楽しくなかっただろうからさ。まあ、1年や2年の時に比べたらって話だけどね。でも、本当に感謝してるんだ。ありがとう」
「随分と素直だな。そう言われるのは悪い気分ではないが」
ルイーナがいたから、僕はがんばってこれたんだ。それは今までも、これから未来も変わらない。
「これからもよろしくな、ルイーナ」
「それは無理だ」
え?
「なぜなら、私の生命はもう長くはないからな」
「…は?」
何、言ってるんだルイーナは。もう長くはない?長くないって?
「3日もたたないうちに、私の意識データは消えるだろう。だから、これからも君のそばにいることは不可能だ」
「…どういうことだよ、意味がわからない。お前は機械生命体だろ、永遠に近い生命を持っている」
「ああ、そうだ。だが、生きるにはエネルギーが必要だ。それが無ければわたしでも永遠には生きられない。事実、最近の私は調子が悪かっただろう」
「それは携帯がもう限界だからって話だろ?それなら、明日に、いや今からでもスマホを移して…」
「無駄だ。君は誤解しているようだが、この不調はスマホという入れ物にあるのでは無い。私という意識を保つためのエネルギーが不足しているからなのだ」
「じゃあそのエネルギーを入れれば…」
「それも無理だ。もうエネルギーを追加でいれても間に合わないさ。阻止限界点はもう超えている」
…本当なのか?本当に、本当にルイーナが消えてしまう?タチの悪い冗談かなにかじゃないのか?ルイーナの発言から粗を、冗談であるという証明を見つけ出そうとする。そうして考えていたら、ひとつの違和感が生じた。
「ルイーナ。仮にその話が本当にだとしたら、なぜお前はその事を僕に伝えなかったんだ?もっと早めにエネルギーが足りないといえば、僕がそれを用意することはお前にも分かるだろう。そもそも、そのエネルギーってのは何なんだ」
故意に伝えなかったのだとしたら、ルイーナは自ら死を選んだことになる。そんな話はおかしいだろう。
「その事を早めに言ったら、君の幸せを妨害してしまうと思ったのさ。それに、君は1度拒んだではないか」
「僕が拒んだだって?」
「私が生きるためのエネルギーは、君の心の闇だ。君は昨日、心の闇なんて話そうとするものでは無いと言ったではないか」
昨日の自分を心の底から恨む。そういえば以前、ルイーナは自分が生きられるのは僕の心の闇のおかげだと言っていた。あの時はより元気に生きられる余剰エネルギーのようなものだと思っていたが、まさか生きるための根本的なエネルギーだったとは。
「だけど、生きるために必要なものだと言ってくれれば僕だって拒んだりはしなかった」
「確かに、私がそう言えば君は、私がいない大学生活を思って心の闇を増幅しただろう。そうすれば、私はもっと長く生きられただろうな」
「じゃあなんで…」
「私が今消えれば、君は間違いなく破滅するからだ」
「…は?」
「私は君の心の闇から生まれた存在だ。なぜ生きるのか、どうやったら楽に死ねるのか、そのようなことを常に考えていた君の意思から生まれた私の意思の根本は、“破滅”だ。君を破滅させることが、私の使命なのだ」
僕を破滅させることが、ルイーナの使命?そんな、そんなことあるわけが無い。
「…だったら何で、今まで僕を支えてきたんだ?僕はお前に何度も救われてきた。それは言い換えれば、お前が何もしなければ僕は苦しみ続けて壊れたかもしれないってことだ。それをしなかったってことは、僕が破滅することを望んでないってことじゃないのか」
「恒常的な苦しみでは君は破滅しない。君にはそれまでの高校生活で、永遠に続くかもしれない苦しみに対する耐性が生まれていたのだから。君を破滅させるには、希望を与えてからそれを奪う形でなければならなかったのだ」
淡々と語られていくルイーナの言葉に、僕はもう何も言えなかった。そんな、馬鹿な。信じたくないという気持ちとそんな思いを破壊してくるルイーナの言葉の狭間で、僕はもうどうにかなりそうだった。
「今私が消えれば、君は大学生活をまた1人で過ごすことになるだろう。以前の君には孤独や様々な苦しみに耐えられる強さがあった。だが、君は私と過ごしたこの1年間の中でその強さを失った。もう君は、私という唯一無二の存在を消失するという“今”と、その先にある苦しみと悲しみに彩られた“未来”を受け入れ生きていくことは出来ない。…いずれ君は破滅する」
ルイーナがそう言った時にはもう、僕の心は壊れてしまっていたのだろう。ルイーナに裏切られた苦痛やルイーナのいう“現実”と“未来”を目の前にして、僕は悟ったのだ。もう生きることは出来ない、と。これからの人生は、ルイーナの残した傷跡により何も信じられなくなった僕は、誰とも関わらず、閉塞した未来に絶望し苦しみながら、歯車のように生きていくのだろう。生きるとは、感情を持ち、自らの意思に従い行動することだ。それがもう叶わない僕のこれからの人生は、“破滅”だ。
もう、終わりなのか。
「だが、今私は君をこれから待つ絶望から救うことも出来る」
「…え?」
「以前体育祭の時に、私と君の意識はリンクした。あの時のようにイヤホンを繋げれば、私の意識が消滅する時、同時に君は苦しむことなく意識を消滅させることができる。」
「…それのどこが救いなんだよ」
「救いさ。そもそも私がいようといまいと、これからの君を待っているのは無限に続く苦しみと悲しみだけだ。そこから君は抜け出すことが出来るのだ。これが救いでなくて何と言えるのだ」
「…悪魔の取引だろ」
「そう思いたいならそれでいい。だが、君はかつて『苦しみから解放されるにはどうすればいいか』、『苦しまずに死ねる方法はないか』、と書いていたではないか。苦しみからの解放も、苦しまずに死ぬことも、私なら出来るのだ」
「…そんなことも書いてたな」
確かに、いいかもしれないな。ルイーナと共に、苦しまずに消える。これから無窮の苦しみを生きるより、今解放される方が幸せかもしれない。通常なら、自分の生死に関する話なら、もっと深く考えるべきだろう。だが、もう今の僕に何か物事を考えるような力は残っていなかった。
「…分かった。僕は…もう消えよう。ただ、消えるのは今すぐにだ。時間が経って気が変わらないうちに全てを終わらせたい。破滅が使命のお前のことだ、今からすぐに消滅することくらい可能だろ」
「そうか、わかった。しかし、君のその物分りがいい所、私は良いと思うぞ」
「物分りがいいんじゃなくて、諦めが早いだけだよ」
随分と前に交わしたような言葉に、どこか懐かしい気分になった。
僕はイヤホンを耳に入れながら、今までの人生を振り返った。未練なんてものがないほど、何も無い人生だった。
「私の準備は整った。いつでも消えることが出来るが…最後に、何か言いたいことはあるか?」
「そうだな…お前のルイーナって名前、どういう意味なんだ」
「ルイーナとは、ラテン語で“破滅”のことだ。いい名前だろう」
「…ああ、お前にぴったりのいい名前だよ」
唯一無二の親友と一緒に、苦しむことなくこの世を去る。僕の何も無かった人生だったが、最後はそれなりに幸せだった。
もし転生することがあるのなら、路傍の花になりたいものだ。誰の目にも留まることのない、しかし、どこか気高く美しい。そんな立派な花に。
ルイーナ @axel04
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