森の話

 それから毎日、彼は図書館にやってきた。

 いつも、一番奥まったスペースへやってきて、ルカの正面に座る。そこには他に誰も来なくて、窓の外は快晴。夏の太陽が、窓の外の森に濃い影を描かせている。

 彼は借りた小説を少しずつ読む。ルカも、新約聖書のページを少しずつめくる。

 やがて、声をひそめて話をするようになった。周囲をはばかるように、小さな声で。2人の小さな声は、図書館の静寂と窓の外のセミの声に溶けて、誰にも聞こえることはなかっただろう。

 彼は、いたずらっぽい笑みを浮かべて話す。


「図書館の中でじっとしてるのって、経験ないから落ち着かなくてさ」

「あんまり図書館には来ないの?」

「ほとんどね。どっちかっていうと外にいるほうが好きなんだ。ガキのころからそうだったな。俺が小学生の時、この図書館の外の森みたいなところがあったら、毎日秘密基地を作ってたと思う」


 楽しそうだな、と窓の外に視線をやる彼に、ルカはくすりと笑う。


「秘密基地?」

「よく作るだろ? ……ああ、君は女の子だから、作ったりしなかったか」

「そうね。それに、私、あの森に入ったことないから」

「え、本当に? あんなの格好の遊び場だろ」

「入らないようにって言われてるの、このへんの子は。危ないからって」

「へぇ……。このへんのヤツじゃなかったら、入ることってあるかな」


 その質問に、ルカは少し考え込んだ。


「どうかしら……ちょっとわからないわ」

「君は誰かに頼まれたことないの? 森に入ってみたいんだけどって」

「どうかな。ちょっと覚えてないわ」

「そっか」


 彼は、この町には旅行で来たのだ、と話した。だから、森のことを知らなくて当然だろう、とルカは思った。

 この町の人間ならみんな知っている。


「森には、森のルールがあるの」


 ――だから、森に入ってはいけない。

 彼が毎日、窓の外をながめて、森の話をしても。


 森には、森のルールがある。

 そうつぶやくたびに、窓の外に広がる森は、風に梢を揺らし、ざわざわと音を立てた。真夏の太陽の下で、黒い影が踊るように森の木々が揺れる。

 窓ガラス越しに聞こえるその梢の音は、ルカの心をざわりとかき乱すような気がした。

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