夏の図書館
響く秒針の音の間を縫うように、ルカは本のページをめくった。
顔をあげなくてもわかっている。図書館の窓の外は快晴。夏の空に大きな雲が気持ちよさそうに広がっている。窓ガラス越しでも、日差しの強さがわかる。地面に落ちる影は濃く、空気すら密度を高めたかのように思える。
それに、セミの声はうるさい。緑茂る森が風に梢を鳴らす音も、他の季節よりも強くて耳障りだ。
それが、重苦しい。
「夏は好きじゃない」
ルカは小さくつぶやいた。いつのころからか、夏はルカを憂鬱にさせる。
ため息をつくように、ルカは本をめくる。
もう同じところを、何度も読んでいるような気がしていた。けれど本の内容はまったく頭に入ってこない。
その代わりとでもいうように、秒針の音とセミの声ばかりが誰もいない窓際の席を満たしていく。
集中できない。
「……夏のせいだ」
恨みがましくこぼした時だった。
足音が聞こえた。
秒針の音でも、セミの声でもない。リノリウムの床を鳴らす靴底の音。
誰か来るなんて、珍しい。
この図書館には人はこないのだ、とルカは思っていた。少なくともルカは、この夏、この図書館で誰にも会ったことがない。
知らず、息をつめてしまっていた。なぜだかはわからない。ただ、近づいてくる足音があまりにも無遠慮だから――
「……窓の向こうが森なのか。けっこういい感じじゃないか」
そして思わず息をのみ、ルカは反射的に立ち上がってしまった。その拍子に読んでいた本が、床に落ちる。
驚いたのは、その人物も同じだったようだ。
「……驚かせたな。人がいるとは思ってなくて、つい独り言を言っちまった。悪い」
それは、少年だった。大人というには幼く、子供というには視線が高い。
彼は立ち尽くしたルカの足元に落ちた本を拾うと、差し出してきた。
「はい。どこまで読んでたのかはわからなくなっちまったけど」
「あ……ううん、大丈夫。拾ってくれてありがとう。ごめんなさい」
おそるおそる受け取りながら、ルカはうまく息ができなかった。
びっくりした。急に心臓がどきっとして、胸が苦しくなった。
(初めて会う人なのに……私、へんだ)
胸のあたりで本を抱きかかえる様子があまりにも怯えたようすだったからか、少年は軽く眉をひそめた。そして、小さく首をかしげる。
「大丈夫か?」
心配してくれているのだ、と気づいた。
思わずかあっと頬が熱くなる。
「え? あ、あ、あのっ、ごめんなさい、だい、大丈夫です!」
「そりゃよかった。ほんと、ごめんな」
安心したように笑うと、彼はもう一度謝った。わけもわからず、ルカも思わず頭を下げる。少年ははにかんで、そして軽く片手をあげた。
「それじゃ」
「あ……」
「ん?」
思わず声がこぼれた。ひきとめようとでもするかのように。
けれど、それ以上、続けるべきことがわかからなかった。ルカは気恥ずかしくなってうつむく。
「な、なんでもないです」
そして、急いで元の椅子に腰掛けると、拾ってもらった本をテーブルの上でひらいて、やみくもにページをめくりだす。
ふっと微笑んだ気配がした。そして、かすかな「じゃあな」という声を残して、彼の足音が遠ざかっていく。
足音が消えてしまったあと、その残滓を惜しむように、小さなため息が漏れた。
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