4. 選択

 まるで子供の悪戯の秘密を話すように、アルヴィードと呼ばれた男は楽しげにその計画を話した。


 人手を集め、武装した男たちでとある富豪の屋敷の宝物庫を襲う。屋敷の見取り図は手に入れてあるし、警備の状況もわかっている。あとは数を頼みに押し込んで、金品を奪って逃げるだけ。単純シンプルだがその地図といい、警備状況の詳細な配置など、思いの外緻密に調査と計画がなされている。

 関わっている男たちは、アルヴィードとその相棒らしいイーヴァルと呼ばれた二人を含めて七人。残りの五人は二人に比べてさらに柄が悪そうに見えた。


「おい、そんなガキ、足手まといになるだけだろう」

「頭数は多い方がいいさ。いざとなれば囮に使えばいい。子供ならかえって気を引けるだろう」

 平然と言い捨てた彼に、他の男たちはニヤニヤと笑いながら肩を竦めている。なるほど子供一人の命など、気にかけるような人間がいるようには見えなかった。

「まあ、何にせよ実行は今夜半だ。一旦解散だな。その格好じゃかえって目立っちまうから気をつけろよ」

 アルヴィードがそう朗らかに告げると、男たちはそれぞれどこへともなく散っていった。残ったのは彼ともう一人だけだった。



 このまま夜を待つつもりなのか、アルヴィードは木に背を預けて座り込むと、短剣を研ぎ始める。その手は大きく無骨だが、剣を研ぐその手つきは繊細かつ滑らかで、日常的に武器を扱うことに慣れているように見えた。

 ディルも少し離れたところに腰を下ろし、その横顔を窺う。あちこちに残る傷のせいで精悍に見えるが、それでもそうやって黙っていれば、こちらを脅かすような不穏な気配はなりを潜め、襟足のあたりで適当に短く切られた黒髪や、まばらに生える無精髭を差し引いても端正な印象だった。


「何だ、俺に惚れちまったか?」

 こちらの視線に気づいたのか、片眉を上げて口元だけで笑う。その眼差しに、やはり背筋がぞくりと冷えた。笑っている方が不穏な空気を醸し出すなんて変わってる、と内心で呟いて、それでも気になっていた疑問を口にする。

「あんたたち、何で強盗なんて……」

 二人とも、黒装束の間から覗くその体は鋼のように引き締まり、所持している銃も明らかに安物ではない。さっき見かけた男たちはともかく、少なくとも目の前の二人は食い詰めた挙句に大それた計画を立てた、というようには見えなかった。

「金はあるに越したこたないだろ? で、どうするんだ?」

 短剣を懐にしまうと、彼は屈託のない笑みを浮かべてもう一度銃を差し出してくる。その眼差しは相変わらず不穏な光を浮かべていたが、それでもディルはその黒い塊から目が離せなかった。


 罵られ、ただ虐げられられる日々に、ずっと焦がれたもの。


 思わず膝をついて、それに手を伸ばしかけたが、冷ややかな声がそれを遮る。

「そんなもので本当に何かを変えられると思っているのか?」

 見上げると、藍色の瞳が冷ややかな光を浮かべてこちらを見下ろしていた。

「あんたに何がわかるって言うんだ」

「あのなあ……お前、銃も持ってないってことは一応魔力があるんだろう? 銃を所持しているところを見つかれば、その場で殺されても文句は言えないんだぞ。わかってるのか?」

「どうせこのまま生きてたって、誰かに殺されるか、野垂れ死ぬだけだ」

 昏い眼差しでそう呟くと、だが、藍色の瞳の青年は深いため息をつく。

「ガキが、助けて欲しいなら素直にそう言え。いくらでも他にやりようはあるはずだ」

 まっすぐにこちらを見つめるその瞳は、先ほどよりわずかに穏やかな光を浮かべているように見える。


 ——まるで、手を差し伸べてくれるとでも言うかのように。


 どうして、通りすがりのこんなならず者の二人が彼を気にかけてくれるのだろう。今まで誰一人として、ディルを救ってくれた者はいなかった。むしろ、ルドウィグたちのように傷つけようとするばかりで。

 その柔らかな眼差しは、必死に固い殻に包んで守ってきた何かを明らかにしてしまいそうだった。けれど、その殻が割れてしまえば、自分が自分でなくなってしまうような気がして、そちらの方が恐ろしかった。


「まあいいじゃねえか。こいつがあれば、いざって言うときに身を守れるだろう?」

「本気で言ってるのか? もしこいつがそれを使えば、結局身の破滅だぞ」

「長く持つ必要はねえさ。今夜の宴会に参加してくれるなら、分け前はちゃんとやる。あとは悠々自適に暮せばいい——だろ?」

 その金の瞳は誘うようにどこか甘い光を浮かべている。罠だ、と頭のどこかで冷静な自分が警鐘を鳴らす。

「それに、あんなクズみたいなガキどもに、二度と触れられたくはないだろう?」

 耳元で囁くようなその言葉に、先ほど触れられた時の嫌悪感が蘇って全身を駆け巡り、気がつけばディルはその小さな黒い塊を受け取ってしまっていた。

「決まりだな」

「アル、お前何を考えて……!」

 イーヴァルが苛立ちの滲む声を上げたが、アルヴィードは意に介した風もなく、不意にディルを背後から抱き寄せると、その双眸に強い光を浮かべ、不敵に笑った。

「イーヴァル、選んだのはこいつだ。お前が口を出すことじゃない」

 そうして、ディルの頭を自分の胸に抱え込み、その頬をくすぐるように撫でながら、面白がるように、だが、強い口調でそう告げる。

「アル……お前まさか……」

 イーヴァルは何かを言いかけたが、アルヴィードの顔を見ると、深いため息をついて首を振った。

「俺は降りる」

「何?」

「頭数は足りてるだろう」

「……本気か?」

「お前こそ」

 金と藍色の質の違う、それでもどちらも強い眼差しが交錯する。息の詰まるような張り詰めた空気は、だがイーヴァルが視線を逸らしたことで霧散した。

「分け前はやらねえぞ」

 片眉を上げてそう言ったアルヴィードに、青年はただ肩を竦めて踵を返した。振り向きもせず歩み去るその後ろ姿を見送って、それから腕の中のディルを見つめる。

「……何で」

「まだ夜は冷えるからな。毛布がわりだ」

 穏やかに笑っているのに、金の双眸のその真意はやはり読めないままだった。



 月が傾く頃、ディルはアルヴィードに連れられて目的の場所へとやってきた。そこにはすでに黒装束の男たちが集まっていた。その数五人、ディルとアルヴィードを入れて七人だった。

「一人足りないんじゃないのか?」

 男たちの一人が声をひそめてそう問いかける。アルヴィードは、ただ急用でな、とそれだけ言って、それ以上の追及を許さなかった。


 全ては手筈通り進んだはずだった。宝物庫への侵入は容易で、男たちは小さく歓声を上げながら、思い思いに金品を持参した袋に詰め込んでいく。やがていつしか雨が降り始めていた。雨音は強くなり、屋根を叩きつけるようなその音は、近づいてきていた別の足音を男たちから隠してしまっていた。

「賊め!」

 気がついた時には数人の警備兵が入り口を塞いでいた。だが、退路は別に確保している。落ち着いて突破すれば済む話だった。


 ——男たちの一人が、発砲するまでは。


 男が放った弾は正確に警備兵の一人の額を打ち抜き、血とそれ以外のものを撒き散らす。銃によって命が失われるのを、ディルは初めて目にした。それまでは虐げられ、傷つけられたことはあっても、実際に人の体が損なわれ、それがただの人の形をした塊に変わるのを見るのは、これが初めてだった。

 凍りついたように動けないディルをよそに、警備兵はすかさず反撃し、数人の男たちがあっという間に倒れる。傍らに立つアルヴィードを見上げれば、狩りを始める獰猛な獣のような笑みを浮かべていた。

「さあ、宴会パーティの始まりだ」

 まるで、それこそを望んでいたかのように。


 もはや敵も味方もわからない混戦の中、放たれた弾丸がディルの頬をかすめる。それに気がついたアルヴィードがディルを床に引き倒した。

「死にたくなければ、そこで伏せてろ」

 ニヤリと笑ったその様は、恐れを知らぬ死神のようだった。床に溢れた赤い色の液体が、ディルの頬や髪を濡らす。それまで嗅いだことのない濃密なその匂いに、なぜか酩酊するような感覚がやってくる。さらに男が一人倒れた。心臓を撃ち抜かれたらしい男は、ディルの真横に倒れ、その血をさらに浴びせる。

 現実感を欠くほどに苛酷なその光景と、むせ返るような血の匂いが、ディルの中にある何かを呼び覚ます。激しい銃撃の最中に起き上がったディルを、アルヴィードの金の瞳が捉えた。

「死にたいのか」

「嫌だ」

「なら引っ込んでろ」

「嫌だ」


 ——死も、暴力も、何もかもが。


 ゆらりと真紅の液体がディルを包むように舞い上がる。その液体は確かに水の眷属だ。そして、ただの水よりも遥かに濃く、強い力を持つ。手順も呪文も知らなくとも、自己防衛の本能が、ちっぽけだと思っていた受け継いだその力の本質——遥かな昔に禁忌とされたその力を呼び覚ました。


 ——人の血を触媒として、発動する力。


 闇の中、アルヴィードが目を見開いた。

「お前……」

 ふっと、部屋中の灯りが消える。

 突然真の闇に包まれ、銃撃が止んだ。この闇の中では敵も味方もわからない。だが、その闇の中で、どうしてだかはっきりと金の双眸だけが目に入った。

「面白いな、お前」

 アルヴィードはディルの顎を捉えると、唐突に噛み付くように唇を重ねた。その鉄錆の味がする口づけの意味を考える間もなく唇が離れた後、金の双眸が酷薄な笑みを浮かべ、何発かの銃声が響く。

 その音を聞きたくなくて、眉を顰めると、もう一度、周囲の血の海がディルを包んだ。

「もうたくさんだ」

 その願いを聞き届けるように、液体から浮き上がった真紅の光は、その場にいた息のある者たちすべての意識を途切れさせる。強力なその力を放つと同時に、ディルの意識もまた混濁していった。


 それからのことはよく覚えていない。

 ただ、液体を踏む足音と、抱き上げられる感触。


「だから、最初からそう言えと言っただろうが」


 わずかに怒りを滲ませた藍色の瞳と、それでもはっきりと告げられた肯定の言葉。

 そして、火傷しそうなほどに熱いその腕に包まれる感覚。


 それだけが、ディルがその夜覚えていた最後の記憶だった。

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