29. 誓い
部屋に重い沈黙が落ちた。目覚めるなり、何とも重い言葉を告げられて、いったいどうしたものだろうか、とディルはぼんやりと考える。自分を抱きしめているアルヴィードも、どうやらディルの余命が短いらしいと告げた張本人のロイも、この世の終わりのような暗い顔をしている。
眠る前より遥かに伸びた自分の髪を、くるくると指で弄んでいると、それに気づいたアルヴィードが呆れたようにため息をついた。
「お前な……」
「だって、実感湧かないし」
あと一月の命だと言われたところで、今現在どこか不調なところがあるわけでもないし、左腕に広がった文様は気味が悪いが、以前のロイの言葉を借りれば「おしゃれな
「もともと、いつかはそうなるってわかってたんだし、今さらそれが一月後に変わったからって、別にどうかっていう」
「お前、この状況でもそんなこと言うか?」
「この状況って?」
「せっかくお前と結ばれて、その上、ようやく女に
その言葉の意味を理解するまでにしばらくかかって、腑に落ちた瞬間、ディルの頬が真っ赤に染まった。
——どちらかというと、そうなったことをすっかり忘れていた、なんて言えない。
そんな二人の様子に毒気を抜かれたのか、ロイとイングリッドもそれぞれ質の違うため息をつくと、部屋を出て行ってしまった。残されたのは、またしても二人。
こちらをまじまじと見つめるアルヴィードの視線が痛い。
「おい」
「な、何……?」
「何で目を合わせねえんだよ?」
「は、恥ずかしいから?」
真実からは若干ずれていたが、本当のことを言うよりはましな気がした。
「お前、まさかすっかり忘れてた、とか言わないだろうな」
——ばれている。
びくり、と震えた肩に事実を悟ったらしいアルヴィードの気配が、一瞬で尖った物に変わる。ちらりと目を向ければ、金の双眸は恐ろしいほど鋭い光を浮かべていた。思わずその強い眼差しに見惚れていると、深いため息が降ってきた。
ぐい、と強く抱き寄せられる。それでも、その腕の力はどこか優しい気がした。
「なんか、前より柔らかいな」
「そう?」
「全体的に、骨格も変わってんのか?」
すい、と背中を撫でられるとぞくりと悪寒に似た震えが走った。それに気づいたのか、アルヴィードが笑う気配がして、その手がゆっくりと腰のあたりまで下りてくる。
思わずぎゅっと目を閉じると、不意に手が止まって、もう一度強く抱きしめられた。腕の中から見上げれば、その金の瞳は、今は穏やかで面白そうに笑んでいる。どきりとまた心臓が跳ねた。
「そんなに怯えなくても襲わねえよ」
「襲わないの?」
「襲って欲しいのか?」
「そういうわけじゃないけど、さっきはあんなこと言ってたから、女になった俺としたいのかと」
「さすがに俺もそこまで非道じゃねえよ」
まあでも、と言いながら、首筋に唇が下りてきた。強く噛みつくように口づけられる。
「さすがに、もう忘れたとか言うなよ」
それでなくてもすぐ近くに危ない奴がいるんだからよ、と何やらぶつぶつと呟いている。
アルヴィードは一度立ち上がると、部屋の隅から着替えを持って戻ってくる。素直に受け取って身につけると、少し袖のあたりが余っている。
「縮んでる?」
立ち上がると、わずかにアルヴィードの視線がさらに遠くなった気がした。
「そうだな、まあ女としては随分背の高い方だったから、ちょうどいいんじゃねえの?」
「でも、アルヴィード、背が高いから、なんだか余計に大きく見える」
「そうか?」
言いながら、腰をかがめて口づけられた。
「大して変わらねえよ」
唇が離れた後、いつものように人の悪い笑みを浮かべる。先ほどの、この世の終わりのような雰囲気からは、だいぶ浮上したようだった。
「何だ?」
「落ち着いた?」
「……お前のその能天気さに負けた感じがするな」
ため息をついて、柔らかく笑った。その笑みがとても綺麗に見えて、ディルは自分の中に湧き上がる感情に戸惑う。覚悟を決め、受け入れたつもりだったのに、それでもまだ自分の感情が、自分のものではないような気がした。ただ、その笑みを見て、ひとつだけ気づいた強い想いがある。
「アルヴィード」
背伸びをしてその頬を両手で包んで、まっすぐに視線を合わせる。金の双眸は突然の彼女の行動に戸惑っている。
「俺が死んでも、ちゃんと生きて」
その言葉に、不意を突かれたというように息を飲む。それから、同じように頬を両手で包まれ、額を重ねられた。目を閉じ、小さく呟く。
「馬鹿なこと言うんじゃねえよ」
「馬鹿なことじゃない。大事なことだよ」
きっぱりとそう言うと、金の双眸が開かれる。その眼差しを間近に受け止めて、身の内にある言葉を、そのまま紡ぐ。
「この呪いは、あなたを助けたくて受けたものだよ。なのに、あなたが俺を追って死んだら、無駄死にじゃないか」
「死に、無駄もくそもあるか」
「ひどい言われよう……」
「わかってないのはお前の方だ」
金の眼差しがまっすぐにディルを捕らえる。
「俺の同胞は全て失われた。世界のどこかを探せば、その血を引く者がいるのかもしれないが、少なくとも俺は探し回るつもりはない」
「どういう……こと?」
「その匂いは、おそらく同族の証だ。だから俺はお前に発情する」
直裁な言葉は、だが彼の切実な思いの表れだとわかってしまった。
「そう……なの? でも、前に言ってた。アルヴィードの種族は性別を備えて生まれてくる。魔力を持つものはいない、って」
「純血種ならな。お前は混血だ」
「混血でもいいの?」
「少なくとも発情するんだ、本能はそれでいいんだろう。それに、本能以外の部分もな。もう一度、試してみるか?」
引き寄せられて、背中からゆっくりとその手が腰に下りてくる。びくり、と震える体を制して、その胸元を掴み、気になっていることをそのまま尋ねる。
「ほかにもういない眷属だから、俺を好きになったの?」
「それもあるな。だが、それだけじゃない」
言っただろう、と甘い笑みが浮かぶ。
「たぶん、俺がお前に惚れたのは、お前が初めて
「アルに……?」
「よりにもよって
率直な告白に、心臓がどきりと跳ねた。それから、アルヴィードは頬に触れ、切ない眼差しを向けてくる。
「お前のことは俺が必ず守ると誓う。だから、少しでも俺を想ってくれるなら、先に死ぬなんて言うな。その呪いがお前を捕らえようとしても、可能な限り、俺とあがいてくれ」
真摯な眼差しは、どこまでもまっすぐに想いを伝えてくる。
「何だかあっちで会った時と、性格変わってない?」
「お前、人の精一杯の告白をな……」
それでも、どうしても違和感が拭えないのだ。じっと見つめると、諦めたようにため息をついた。
「お前と離れ離れになる直前まで、俺は記憶の一部をアストリッドに封じられていた。そのせいだろう」
「封じられていたのは、悲しい記憶?」
「さあな。お前が気にすることじゃない」
ともかく、と続ける。
「そろそろ、あいつらに顔を見せてやるか。気を揉んでることだろうからな」
「ロイは大丈夫かな……?」
その好意を打ち明けられたのは、つい先日のことだ。
「本人には訊くなよ」
「どうして?」
「余計な火種どころか大炎上しかねねぇんだよ。それでなくても、今のお前は大概の男がふるいつきたくなるようないい女だってことを自覚しろ」
自覚しろと言われても。長い髪を揺らして、首を傾げたディルにアルヴィードは不意に腰から奥底に手を滑り込ませると、そこに触れた。びくりと震え、思わず甘い声がディルの口から漏れる。それを聞いて、耳元で低い声が笑って囁く。
「つまり、そういうことだ」
「誰に触られたって、こうなるわけじゃないよ!」
言ってから、深く後悔したが遅かった。まじまじとこちらを見つめる金の双眸が、明らかに熱を持ったそれに変わる。
「その呪いの件が片付くまで、待つつもりだったが」
あっさりと抱き上げられて、寝台に押し倒される。
「少しだけならいいか」
「少しって何……⁉︎」
問い返したが、ただ両手の指を絡めて深く口づけられる。
「お前がどう変化したか、お前自身にちょっとばかり、わからせておかないとな」
にやり、と笑うその顔は不穏で、それでも目を惹きつけて離さない。
結局、部屋を出ていくまで、しばらく時間がかかることになったのだった。
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