告白。そして別れ
約束通り告白をするために、次の日の放課後、わたしは日野くんを学校の近くにある公園に呼び出していた。
この公園はわたしのお気に入りの場所であった。公園と呼ばれてはいるが、本当に小さく、遊具も鉄棒しかないので人がいることが滅多にないのだ。だからこそ、ひとりになりたい時なんかは、よくここのベンチに腰掛けて空を眺めたりしていた。
つまり、告白するにはもってこいの場所でもあるのだ。
わたしと日野くんはそんな公園の中央で向き合う形で立っていた。
「昨日は、その、トイレ貸してくれてありがとうね」
「ん? ああ、いいよ。そんなこと気にしなくって」
「うん……」
わたし達は微妙な空気に包まれていた。わたしは告白直前でなにをしゃべったらいいのかもわからずにいたし、日野くんは日野くんでこんな場所に呼び出されて、これからなにを言われようとしているか察しがついていたのかもしれない。
息苦しい沈黙がしばらく続いた後、先に口を開いたのは日野くんだった。
「……えっと、用件ってそれだけ?」
「あ、いや、その――」
ダメだ。続きの言葉が出てこない。
たった一言「好き」と口にすることがこんなに恐ろしいことだとは思わなかった。もし断られたらと考えると、とてもそんなこと言えない。きっぱりフられるくらいなら、日野くんの気持ちを知らないままお別れしたほうが傷つかなくていいんじゃないだろうか。
恥ずかしくてもう日野くんと目線も合わせられなっていたわたしは、自然と下を向いていた。
と、自分の足元になにか落ちているのに気づいた。
――犬の糞だ。
そういえば、時々ここで犬の散歩をしている人の姿を見かけたことがあったな。まったく。わたしはどれだけ糞に縁があるのだろうか。
――でも、わたしに付きまとっている糞も言っていたっけ。『勇気を出さなきゃ後悔する』って。
そうだ。わたしはずっと後悔してきた。自分が臆病で告白できなかったことに。そして、それを不運のせいにして逃げていた。
でも、それじゃあダメなんだ。後悔しないためには勇気を出さなくちゃいけないんだ。逃げちゃダメなんだ。
決意を固めたわたしは、顔を上げ、日野くんの目をまっすぐ見た。
「わたし、日野くんのことが好き」
心臓はバクバク鳴っていて、血が沸騰したかのように体が熱い。でもそれが心地よくも感じていた。
「誰にでも優しい日野くんがずっと好きだったの。ほら、昨日だってわたしがおなかが痛くて苦しんでるところを声かけてくれたでしょ? それが、その、本当に嬉しかったんだ。えっと、だから、もしよかったら、あの、わたしと付き合ってください!」
生まれて初めての告白に緊張で顔は真っ赤になり、言葉もしどろもどろになってしまったが、自分の気持ちを包み隠さずに伝えた。
日野くんはそんなわたしの不格好な告白を黙って聞いていた。そしてすべてを聞き終わると「ありがとう」と言ってくれた。
だけど、すぐに目を伏せると「でも、ごめん」と続けた。
わたしは、のど奥から上がってくる激情をなんとか唾と一緒に飲み込んで「こっちこそいきなりこんなこと言ってごめんね」と笑ってみせた。そして、気まずさを振り払うかのようにとりとめのない話を交わした。
――でも内容は覚えていない。
そんな上辺だけの会話が長続きするわけもなく、話題がつきると日野くんは「それじゃ」と言ってその場を去っていった。
わたしはその背中を笑顔で見送る。そして、日野くんの姿が見えなくなったところで自然と涙が頬をつたった。
わたしはフられたんだ。日野くんのこと好きだったのに、この想いは届かなかったんだ。勇気を振り絞って告白したのに……。
悲しさと、悔しさと、情けなさとで涙が止まらない。ついにはその場で声を殺してむせび泣いていた。
どれくらい泣き続けただろうか。正確な時間はわからないが、涙も出なくなるほどに泣き続けた。そして、そんなわたしの隣にいつの間にか糞精が立っていた。
「由香里さん……すいませんでした」
糞精は申し訳なさそうな表情で頭をさげる。
「……なんで糞精が謝るのよ」
「ぼくはずっと由香里さんに恩返しがしたかったんです。でも、ぼくができることなんてなにもなかった。だからこそ、由香里さんの恋の後押しをしてさし上げようと思ったんです。だけど、こうして由香里さんを傷つける結果に――」
「違う!」
わたしは大声でそれを否定していた。
「確かに涙が止まらないくらい悲しいし、傷ついているよ。だけど、自分の恋に対して初めて自分自身で決着をつけたの。いままでは不運のせいにして気持ちを伝えることもせずに終わらせていたのに、ちゃんと告白できたんだよ。そういう意味では、わたしは嬉しくもあるんだ」
そう。失恋して悲しいし、悔しいし、情けないけど、その中に間違いなく誇らしさもあったのだ。不運であることをいいことに告白することから逃げていた自分を変えることができたのだから。
だからこそ、わたしは糞精に向かって微笑んでみせた。大泣きした直後なので、それは相当酷い笑顔であっただろう。しかし、強がりでもなんでもない。心からの笑みであった。
「告白できたのも、こんな風に感じられるようになったのも糞精のおかげよ。だから――だからね、その、感謝してる。ありがとう、糞精」
「あ!」
「え?」
糞精とわたしがほぼ同時に驚きの声をあげていた。というのも、唐突に糞精の体がすうっと透けていったのだ。
「……ああ、そうか。ぼくはこんな結果になったとはいえ由香里さんに恩返しができたのですね。心から感謝をしてもらえたからこそ、こうして消えゆくことになった……」
「そうなんだ……。てことは、糞精ともうお別れってこと?」
「ええ、残念ですが」
こうして会話している最中も糞精の体はどんどん消えていき、すでに体の向こう側が見えるくらいまで透けていた。
ポンコツで、役立たずで、なによりクサい。本当に迷惑な精霊だった。だが、いざお別れとなるとやはり寂しい。
「そんな顔しないでください」
きっと気持ちが表情に出ていたのだろう。わたしの顔を見た糞精は小さくかぶりを振って言った。
「ぼくはあなたに助けてもらい、しかもこの数日とても楽しい日々を過ごすことができました。こんなぼくを邪険にせず接してくれたことを本当にありがたく思ってます」
「糞精……」
「そして先ほど由香里さんもぼくに『ありがとう』とおっしゃってくれた。なら、いまのぼくらは感謝の気持ちを共有できているはず。だから最後は笑顔でお別れをしましょう」
「そうね……」
わたしは糞精の言葉通り目一杯に笑ってみせた。
「ありがとう。そして、さよなら糞精」
「はい。さよなら、由香里さん――」
そう言った直後、ぴゅうと風が吹き、糞精の体が溶けるようにその場の空気と混じって消えた。
最後に糞精の残り香がわたしの鼻をくすぐる。それまで不快に思っていた臭いだっが、いまだけは名残惜しく感じた。
こうして、わたしと犬の糞の精霊との数日間は幕を閉じたのだった。
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