第74話 母と子と

(1)

 リョウ達のエルサザール島上陸と同時に、3体の神獣が在るべき所へと戻る。「早かったな」と、魔王・リノロイドは呟いたようだった。

「剣を取れ、『勇者』よ。神の意思の下に、我自らがお前達の罪を裁いてやろう」

リノロイドは杖を召喚する。無表情で淡々とした彼女の挙動は、昨日双子達が垣間見た彼女ともまた違う、別のものだった。

「オレ達は貴女と戦いに来たわけじゃない! 貴女だって、永遠に戦争を終わらせたいと思っているから戦っているんだろ?」

リョウは前に出た。しかし、まるで三文芝居のような人間味の無い口調で、魔王はリョウの言葉を遮った。

「言った筈だ。妥協はせぬ!」

そう言い捨てた魔王は間合いを広げ、すぐに予約していた召喚呪文の詠唱を唱えたのだ。

 これでは交渉の余地も無く、戦闘はいきなり始められてしまった。

「聞く耳など無さそうだな」

すかさず、セイが迎撃体制を布く。「いや、まだだ」と、一つ溜息をついたリョウとは対照的に、

「(好機!)」

フィアルの魔力が上がった。

『召喚・サモンデーモン!』

リノロイドが召喚したのは高位悪魔・サモンデーモン。大地が裂けて砕け散り、巨大な悪魔がその姿を顕にした。一方、

『我が四肢に眠れるチカラよ、解放の詔に応えよ!』

フィアルの魔力のレヴェルが上がり続けている。彼は双子達に防御を促すと、そのままサモンデーモンに向かって駆け出した。

『強制送還呪文(フェアラッセン)!』

フィアルの詠唱で、サモンデーモンの足元に緑白色の六芒星が象形され、彼を光の彼方へと消し去ってしまった。

「そんな魔法も覚えたか。小癪な」

リノロイドが眉を顰める。それがあまりにも母親が子供に向ける表情ではなかったので、リョウとセイが顔を見合わせたところである。

『炎よ、』

双子達とは対照的に、魔王の表情一つで特段意に介すものなどないのだろう、フィアルも淡々と詠唱を唱える。

『盟約に従い、此処にそのチカラを示せ……』

フィアルの頬には、王族の象徴たる紅き紋が浮かび上がっている。此処で一気にリノロイドを片付けたい思惑が伺える。

「焦んなよ!」

思わずリョウが声を上げたほどである。

「(それにしても……)」

フィアルの攻撃を受け止めようというのか、保護結界を張り巡らせている魔王の表情からは、何ら感情的なものが感じ取れなかった。まるで、人形である。

「(母と子が殺し合うなんて、違うだろ!)」

リョウは堪らなくなった。

「伏せろ!」

フィアルに帰属した炎属性の魔法分子が暴発しそうなくらいに膨れ上がっている。呆然と立ち尽くしていたリョウを便宜上突き倒して(!)、セイが保護結界を張った。それを確認し、フィアルが攻撃呪文を繰り出す。

『情熱と崩滅の紅き波動(クリムゾンバースト)!』

フィアルの元に集結していた膨大な量の炎属性魔法分子が、みるみるうちに巨大な光と熱の固まりになった。それは、あたかも太陽である。熱い風が保護結界に守られている筈のリョウとセイの皮膚をもジリジリと焼きつけ始めた。それだけフィアルの殺気が呼び寄せた負のチカラが強いのだろう。

「くたばれ!」

そう言い捨てて、フィアルはその巨大な火の玉を母目掛けて投げ付けた。

「愚かな」

しかし、魔王は冷笑を浮かべているだけだった。

「(何だあの余裕は?)」

フィアルは一度大きくリノロイドから間合いを取った。しかし、リノロイドは動かない。いや、

「ヌルイわ!」

何と、リノロイドは左手を伸ばし、向かってきた巨大な火の玉を受け止め、かき消したのだ!

「え!」

これには、双子達も驚愕した。これだけの負のチカラを纏った炎属性の魔法分子結晶を受け止めて無傷で澄ましていられる者など、昨日戦ったフェンリルのような魔法生物学的なバケモノしか思い当たらないのだ。熱風が拡散し、一度、白い砂が舞い上がったところ、喫驚して呆然としている『勇者』達を滑稽に思ったのか、『魔王』はすぐに答えをくれた。

「忘れたか? お前に“炎の加護”を与えたのはこの我だぞ」

リノロイドは高く笑った。つまり、“四大元素”に通じるチカラを持っている彼女を、“四大元素”で攻撃する事はかなわないという事だった。

「くっ!」

フィアルは、リョウ達には一度たりとも見せた事の無い険しい表情を母親に向けている。

「何時だったか、お前は我にこう言ったな――いつか孤立する、と」

リノロイドは右腕を上げた。

「だからこそ、我の地位を脅かしかねないユーザーには“四大元素”の加護を授けると共に、“四天王”の地位を与えてあるのだ」

この『魔王』にとっては始めから四天王などは砦でもなく、フィアルはもとより、ディストやソニアの謀反も別段脅威ではないと言ったところなのだろう。

「むしろ、一時でも我のコマとして軍に貢献してくれた事を、大いに讃えてやろうではないか!」

母親のこの一言がフィアルの神経を逆撫でしたのは間違いなかった。

 殲滅と報復の連鎖に虚しさを感じつつも、仲間の為にと戦っていたソニア。

 魔王への恩義であると洗脳を引き受け、嫌いな戦争に無理矢理引きずり出されていたディスト。

 今尚リノロイドを慕い、平和を手に入れる為に、妹を失っても、盟友と別れても第一線で剣を取り続けているアレス。

――大切な盟友達が単なるコマだと切り捨てられたのだ。

「ふざけるな!」

フィアルが炎を召喚してリノロイドと間合いを詰めた。

「止めろ、炎じゃ無理だと分かっただろ!」

流石にセイが割って入る。

「ご機嫌良さそうで何よりだ、魔王様」

有無を言わさず攻撃されるのなら、有無を言わさず交渉に着手するまで――何とも強引な理論だが、合理的ではあるだろうか。ちゃっかり神剣・アミュディラスヴェーゼアまで召喚し、セイが切り出した。

「オレ達は戦わずして戦争を永久凍結できる。そう言ってもまだ、光の民の殲滅にこだわるか?」

意外にも鮮やかに交渉に持ち込んだ弟に、リョウが小さく感嘆の声を上げた。しかし、手応えは芳しくない。

「無論のことだ」

リノロイドは冷徹に言い放った。

「お前達光の民が在り続ける限り、我々闇の民は生存を脅かされ続ける」

長年闇の民を率いてきた魔王が導いたテーゼがこれなのだろう。リョウは、一応、呑み込んだ。「ならば、」とセイが続く。

「何故、今の今まで時間を稼いでいたのか、説明できるか?」

――これには、フィアルが思わずセイを見てしまったところである。

「お前は、」

リノロイドは一度、側頭部を掻き毟るように撫で上げると、溜息交じりで躱わした。

「なかなか面白い事を言うな?」

「出来た筈だ」

セイの指摘は魔王の矛盾を突いていたのだ。


 言われてみればその通りで、実質的には、ランダを殺したその日から、彼女にとって障害と言える障害は潰えた筈だったのだ。まして、絶対的な魔法キャパシティーを兼ねていた“四天王”は、その時から存在していたわけだから……

「むしろ、魔王軍の全盛期はその辺りじゃねえか」

セイはアミュディラスヴェーゼアを魔王に向けた。

「それに、今までだって、お前は何時だってオレ達の不意を狙って来れただろ?」

「当たり前だ! たかが人間の子供二人に、我が軍がここまで翻弄される筈は無かったのだ!」

魔王はセイの追及を挑発にすり替えた。詠唱もなかったが、リノロイドの手からは強化魔法球(ブラスト)が放たれた。「黙れ」と言わんばかりである。

「くッ!」

セイは神剣で何とかそれを防御した。リノロイドはなおも、セイ目掛けてブラストを繰る。

「お前達一族は厄介だ! 光の民でありながら、闇の民を引き連れてやってくる!」

リノロイドは人が変わったように、無造作にブラストをセイに投げ付ける。魔王自ら最も愛し、心血注いで作り上げた魔王軍が、たかが光の民の少年達の為にここまで窮地に立たされるなど、彼女にとっては心外に他ならないのだろう。

 ――それはよく分かるのだが、先程のセイが求めた問いの答えにはなっていない上、フィアルに言い放った言葉とは矛盾する。

「我が教化指導し、鍛え上げた“四天王”はおろか、まさか皇子を我が前に連れてくるとは、恐れ入ったぞ!」

詠唱を省いて襲い掛かってくるブラストに防御が遅れて、セイは弾き飛ばされ、地面に叩き付けられる。彼の容態を知っているフィアルがすぐさま反撃に出た。

「それが自業自得だと言っているんだ!」

フィアルは闇魔法分子を召喚した。

「目的の為に手段を選ばない貴様に、民が辟易している証拠じゃないか!」

「ではお前が何をした?」

リノロイドも皇子に注意を払う。

「お前こそ、貧しさに喘ぐ民達を目の前にして、何もできずに暇を持て余していただけではないか!」

この母子の魔法球の応酬には、テレポーテーションが数度に渡って繰り返されたので、リョウとセイの目では捉え切れなかった。時折、闇魔法分子同士がぶつかる音が地鳴りのように響いてくる。

「セイ、」

ふと、保護結界を張っていたリョウが切り出した。

「分かったろ?」

セイはフィアルとリノロイドの動きに注意しながら、取り急ぎ、その保護結界の中で傷を回復させた。

「ああ」

リョウもフィアルとリノロイドの攻撃の軌跡を目で追いかける。先ほどのセイとリノロイドとの一連の問答で、一つ、分かってしまったことがあった。リョウはその事実を受けて、ショックのあまり呆然としてしまっていたのだ。

「早く、止めさせろ。煩くてかなわねえ」

そのように兄に命じたセイは、笑ったようにも見えた。

「――それができるのはお前しかいない」

(2)

 遂に、フィアルが放った魔法球が命中して、リノロイドが白い煉瓦の上に叩き付けられたところだった。

「くっ!」

頭部を強く打ち、軽い脳震盪を引き起こしてしまった母親の前に、血だらけの息子が佇んでいる。

「くたばれ!」

血液が滲んだ白いジャケットの腕を高く上げ、フィアルが剣を召喚した。それは、丁度その時だった。

『呪縛呪文(コンストレイン)!』

セイの声だ。しかし、その呪縛は目の前の魔王ではなく、

「な……っ!?」

――フィアルに施されている!

「何の真似だ?」

目じりを吊り上げたまま、フィアルはセイに戸惑いの表情を向けた。頭部の痛みに低くうめく魔王に剣を向けたまま、身動きを封じられた彼は、セイの明白な回答を期待した。しかし、

「一つ借りを返したところだ」

セイの回答に、フィアルが期待した明白性は無かった。

「分からない。何故、邪魔をする?」

諸悪の根源を絶つ、またと無い好機である筈だ。しかし、それが『勇者』により阻まれたのだ。

「今コイツを殺せば、何もかもが丸く収まるじゃないか!」

「収まらねぇからワザワザ邪魔しているんだ!」

フィアルよりも口調を尖らせてセイが言った。

「お前達、まさか……!?」

気が付いたのはリノロイドの方が先だった。

「え?」

フィアルは後方を振り返った。丁度、リョウがラハドールフォンシーシアを召喚し終えたところだった。

「くッ!」

リノロイドがそれから逃れようと起き上がる。しかし、彼女の防御よりも、リョウの足の方が速かった。

『邪なる患いから解き放ち給え……』

リョウの詠唱に応え、ラハドールフォンシーシアから解放の光が魔王に向けて放たれた。それにしてもこの詠唱は――

「そんなバカな!」

いい加減、フィアルも気付いた。

「まさか、そんな事が……」

しかし、リョウが放った解放の光を受けた母親は、失われていた中枢器官の回復に伴う激しい痛みに身を竦めている。これは正しく、副脳を取り付けられた者の反応だ。

「虚像だったというのか? この今までの全てが……」

コンストレイン(呪縛呪文)を解かれ、フィアルはその場にくず折れた。まさか、魔王にも副脳が取り付けられていたなどと、彼は想像したこともなかった。

「そうかな?」

リョウが魔王の身体を支えてやりながら口を開いた。

「こんな事でもしなきゃ、このヒトはお前と戦えない、ってオレ達は思ってたんだけど」

この“オレ達”という部分については、「テメエとまとめるんじゃねえよ」と、セイからチェックが入った。

「あ……」


“全て理想が完成した後は、リノロイド様は貴方に殺されることにより、貴方に魔王(サタン)の地位を授けようとしているのではないでしょうか?”


――フィアルはアレスから言われていた言葉を、丁度思い出したところだった。

「闇の民を守る為、独りで悪役を演じきろうとしていたようだ」

セイが言った。

「行ってやれ。苦しかった筈だ」

「……ありがとう」

フィアルはすぐに立ち上がってくれた。何となく気恥ずかしくて顔を背けたセイの眼前に、不用意に上がったリョウの手のひらがあったので、セイは自分の右手の平でそれを思い切り叩きつけてやった。俗に言う、「ハイタッチ」とやらに見えなくもないだろうか。


 フィアルが、いや、ヴァルザードが、かなり久しぶりに母親に「母上」と呼びかけた声が届いたようだ。リノロイドは漸く目を開けた。彼女は悲しいほどたちまちに驚きの表情を覗かせた。

「ヴァルザード!?」

副脳解除の反動なのか、解除直後は暫く精神的に安定しないことはフィアルもよく知っていたが、狼狽した母の姿はあまりに痛々しい。

「母上、私は……貴女を誤解していた」

フィアルは、アレスの立てた仮説を信じることにした――それは、母を許すこととは少し違うのかも知れないが。

「甘いぞ、ヴァルザード。我々のスタンスは何も変わらないだろう」

丁度、フィアルの頬に伸ばされた母の腕を取ってやったところだった。フィアルが何とか支えたその腕は、正気を取り戻したリノロイドにすぐにふりほどかれてしまった。

「そう簡単に私を許してはならない。私を裁く者は、お前でなければならないのだから」

お前は大罪を犯した私を罰し、民を正しく導かねばならない――何とかそれだけ伝えた彼女は、唇をかんで腕を下ろした息子の身体を頼りに立ち上がると、何とか双子達と対峙した。


 「やっと、ちゃんとお話ができますね、女王陛下」

リョウが跪(ひざまず)いて礼をしたので、渋々セイもそれに合わせた。

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