第73話 臨戦シンドローム

(1)

 アンドローズ城での長い夜が明けた。

 正直なところ、勇者も闇の民の皇子もあまり眠れてはいないが、眠気はない。城を取り囲み破損箇所を修復している魔法分子の塊が放つ正のチカラを少なからず浴びた所為かも知れず、昨日からやたらと出番の多いアドレナリンの所為かも知れず、遮るものも無く部屋中に充溢している朝日の光の所為かも知れない。

「エルサザールって、確か、今サンタウルス正規軍と魔王軍が睨み合ってる海の近くの島だったよな?」

つまり、リョウ達の戦いの動向が兵士達に伝わり易い場所だ。今日明日中にも、世界の趨向が決まる戦いを見届けてもらうには丁度良かった。

「何か緊張してきた……」

などと身を竦めて見せたリョウに、すかさず、

「その割には食が進んでたじゃねェか」

などとセイの“毒”が放り込まれ、慌てて、

「まぁ、“腹が減っては戦もできぬ”ってヤツだよね」

などとフィアルがフォローに回る。

 成程、いつもの朝が来ていた。道理で、3人と数を減らした食卓で4人分のスープを空けてしまった。

「ま、リナがついてくれてるってことか」

などとリョウが見事にまとめて、何とか全てを平らげたところである。


 青く澄んだ空が視野いっぱいに広がっている。しんと静まり返った朝の空気だ。3人は、深く息をついた。

「じゃ、行きますか」

フィアルがゆっくり背伸びした。

「行こうか」

リョウもフィアルに並んで背伸びをする。

「セイちゃんもご一緒に」

「アホ共、さっさと行くぞ」

二人を尻目に、セイはさっさとアミュディラスヴェーゼアを召喚する。

 ――最終聖戦の日。本当に、いつもと変わらない朝だった。

(2)

 煤けて黒ずんだ白い石の柱は、エリプシスと呼ばれる古代紀のドトーリア式建築の技法で作られたもので、柱の丁度真ん中あたりが一番太く造られている。何の役に立ったか知らないが、時の魔王はそんな事まで知っていた。

 彼女が佇む足場は平らかになってはいたが、見渡す限りの白い石のタイルは所々大きくひび割れて、そこからステップが生い茂っているという、荒れ果てた場所であった。


 百余年前の此処では、この時も「魔王」と呼ばれていた彼女と「勇者」と呼ばれていた少年が戦っていた。

「また、来てしまったな……」

そう呟いた魔王の亜麻色の髪が乾いた風に揺れる。自らが破壊し尽くしたこの島の事も勿論、彼女はよく知っている。まして此処は、数十年前まで自分が封印されていた場所だ。

 エルサザール国民議会会場。この国が平和なまま在った時代は、国民全員が此処に集まり、国の趨勢を論じていた場所だった。


 今ではただの瓦礫の山、そうしてそれは自分の所為――リノロイドはそこに無造作に立て掛けられていた大剣を手に取った。

「ランダ、」

リノロイドは瞳を閉じた。

 

 “久しいな、ランダ”

思い起こされるのは20年近く前のこと。再会したかつての少年は、すっかり年老いていた。

“老いたな”

光の民とは脆弱なものだと、魔王は改めて思い知らされた。しかし、

“貴女は若くなったな”

娘・バラーダの姿をしている彼女を指して、ランダ翁はそう皮肉ったのだった。

“腐蝕した身体の代わりか。気の毒に”

全て知った上で、翁は深く頭を下げたのだ。


 「“気の毒”とは誰の事だ?」

リノロイドは大剣に呟きかけた。その大剣は、かつてこの「魔王」を此処に封じていたランダの剣・ハガルである。

 リノロイド自身の身体の腐蝕は、実はランダによる封印の所為ではない。母親の身を案じていた娘が、その封印を強引に解除しようとした為にできた戒めの験(しるし)であった――「魔王」も「勇者」もそれを知っていた。

 

 “世界は変わってしまった”

ランダ翁はそんなことを言っていた。

“やはり、貴女の言う通り、光と闇は相容れぬものなのかも知れないな”

“それが「勇者」としてのお前の結論か?”

魔王が怒りを覚えたのは本当のことだった。やたら物分りの良い爺だな、と嫌味の一つも言った気がする。

“「勇者」? 儂にそんなものになる資格は無い”

多くの闇の民を混沌に追い込んでしまったことを、彼は憂いていた。

“此処へ来る途中も、何度と命を狙われた。儂も、もうサンタウルスには帰れまい”

“ならば、私が引導を渡してやろうか”

そんな事をするために此処に彼を呼び出したわけではなかったが、彼は快くそれに応じた。

“いつか、この日が来ると信じていた”

罰かというと、それは違うのだそうだ。

“儂の役目はもう終わったのだ”

そう言った翁が、あまりにも悲しく、儚いものに思えて――それを否定して欲しくて、魔王は翁を挑発した。

“そう言って逃れるつもりか?”

背負わされた運命の歯車から逃れて楽になれるものなら、「魔王」だってそれを望んだだろう。しかし、翁は最期に笑みを返しただけだった。

“貴女を救うのは儂では無かった――ただそれだけのことだ”


 それから実に短い時を経て、双子の『勇者』が現れた。完全無欠だった筈の魔王軍の戦力はどんどん殺がれ、ここまで「魔王」を追い詰めるに至っている。彼等は正に、強く、ひた向きに純粋だった頃のランダそのものだった――だからこそ、此処で敗北を喫するわけには行かないのだ。

「(勝利しなければ、何も変わらない!)」

正しいものが世界に残る。前魔王ラダミーラは崩御し、ランダも死んだ。

 次は誰?


――「勇者」か、「魔王」か。


 「(ラダムよ、)」

リノロイドは宝剣・ハガルを置き、亡き夫に誓った。

「貴方の名にかけても、闇の民は私が守り抜いてみせる!」

(3)

 3つの飛空騎が、秋真っ只中の高い空を翔ける。左手方向の22万の兵士達を横目で追いかけながら、3人は西の孤島を目指した。

「(交渉の成立か、それとも決裂か)」

先頭を飛ぶフィアルの胸中は複雑だった。

 

 “まだ迷っているようですね”

この土壇場に来て、と、彼はつい昨日もアレスにも失笑を喰らったところだ。

“そんな中途半端な気持ちで、戦うつもりですか?”

“リノロイドの布いた専制政治に民は辟易している。諸悪の根源を消さなければ、民は蜂起しないだろう”

――そのきっかけが自分ではなく、あの双子達でも構わない、とフィアルは思うようになっていた。

“そう、”

しかし、アレスの返事は素っ気無かった。

“引き止めようとしても、無駄のようね”

 夕暮れ時だった。雲と雲の隙間から赤い陽が射し込んで、魔王軍第三部隊基地から見える景色を紅く染めていた。

“アレス、”

丁度、サンタウルス正規軍元帥への書簡を認(したた)めていた彼女は、フィアルの呼びかけに顔を上げずに返事だけくれた。

“黙って軍出て、ゴメンな”

ペンをサラサラと動かす音がピタリと止んで、一度、長い睫毛が縁取る褐色の目がこちらを向いたのだった。

“別に”

やはり、アレスの返事は素っ気無かった。しんとした元帥室にペンが走る音と波の音がよく響いていた。それならそれでも良いと、彼は何とか妥協をした。その時だった。

“痛ッ!”

ぼんやりと海を眺めていたフィアルの後頭部に何かがぶつけられた。床に転がっていった乾いた音を追いかけると、赤い石のペンダントが目に留まった。

“何だよ、全く”

それを拾い上げたフィアルの後頭部に、アレスの言葉が飛んできた。

“勝たねばならない戦いに、迷いは禁物です”

アレスは既に手紙を書き上げていて、それに封をしていたところだった。

“それはそうだが……”

涼やかなアレスの態度に困惑したまま、フィアルは赤く光る石をぼんやり見つめていた。細波の音よりも確かな音で、アレスの声が聞こえてくる。

“どうしても迷いが残るのなら、貴方がすべき事は一つ”

凛とした厳しい面持ちで、彼女が何を言い出すのかと思えば――


”絶対に生きて戻って来て”


驚いた表情をやっとこちらに向けたフィアルに、やはりアレスは冷徹だった。

“それは結構高い品物だったので、絶対に返しに戻って来なさい。以上です”

ツン、と飴色の髪が翻った。

 そのペンダントがアレスの両親の形見であるということは、セイから聞かされた。

“オレも持っている”

セイはそう言ってシャツの上からそれを見せてくれた。

“そう、なんだ……”

ひょっとしたらアレスはセイの事を想っていたのでは無いか、とも思っていたが、そう言ったら「バカめ」と一蹴された。

“これは、アリスのものだ”

そう言ったセイは、小さいながらもニッと笑った。

“もう、言われなくとも分かるな?”

 

「フィアー、顔紅いぞ? 大丈夫かー?」

いつの間にか並走していたリョウが心配して問い掛けてきた。

「ん? 平気平気! もう、全っ然大丈夫!」

あまりの空元気加減に、リョウはニンマリ。

「どーせアレスのこと考えてたんだべ?」

リョウの恋愛嗅覚は本日も絶好調だった。

「別にそんなんじゃ……!」

「またまたァー」

 最終聖戦の前だというのに、前方の二人は出足からいつもと変わりの無い騒々しさだ。セイは大きく溜息をついた。

「(さて、どうなるか)」

正直、セイもリノロイドが妥協するとは思っていない。それはそれでフィアルの思うツボかも知れないが――

「(オレ等も妥協する気は無い)」

何にせよ、今日で全てにケリが着くのだ。

「(長かったような、短かったような)」

レニングランドから、セラフィネシス。ダーハ、ベルシオラスを経てネプスヘレジア、レンジャビッチ。そして、サンタバーレからアンドローズへ渡り、エルサザール島へ。セイにとっては、得たものよりも失ったものの方が多かった旅だった。

 今、残っているものと言えば、やたらデカイ使命と得体の知れないチカラを司る出来損ないの体のみ。

「(いや、)」

ひとしきりフィアルをからかってやったリョウが、セイの真横に並んだ。

「落ち着きの無ェ奴だな」

セイは言ってやった。

「オレは沈黙恐怖症なんだよ」

「症候群にすりゃあ許されると思うんじゃねえよ」

リョウとってにはどんな旅だったのだろう――何とか剣を取り、「戦わなければならない」と信じ込んでいた旅の当初。「戦うべきかどうか」を迷いに迷った旅の中盤。今は、「戦いたくない」と堂々と主張している。

「良いじゃねェか」

と、リョウ。

「ま、悪かねぇな」

と、セイ。


 やがて、リョウ達の目に、ターコイズのような色をした海面にぽっかり浮かぶ島が見えてきた。

「綺麗なトコだな」

そう目を輝かせるリョウに、

「世界最大の墓場だもんな」

と、セイが水を差してやったところである。

「ホント、お前は毒しか寄越さねえな」

リョウは嘆いてみせたが、それは少し違うということくらい、今までの旅で彼だって心得ている。リョウにとっては得体の知れない空恐ろしい存在だったこの弟が、「戦う」という事の悲しさや虚しさを、身を以って教えてくれたのだ――そろそろ弟も疲れてきた頃だろう。

「早いトコ、レニングランドに帰りたいな」

――しかし、返事はなかった。

 

 エルサザール島に到着したのは正午過ぎだった。

 幾つもの屋根の無い白い家が、黒く大きな口(それはかつて窓や玄関と呼ばれていた部位)をぽっかりと開けていた。

 赤と白の煉瓦と煉瓦の間からは短い草木が生い茂り、所々にアカマツや椎や樫の林が点在している。リノロイドがこの島を破壊し尽くして数百年が経つ。植物の遷移が大陸よりも極端に遅れているのは、この孤島に未だ残る戦いの爪跡と、大陸のそれよりも数十倍は濃い魔法分子が微弱な負のチカラを帯びた、「瘴気」と呼ばれる物質の所為だろう。


 今、彼等の飛空騎は黄金の大地に差し掛かったところだ。黄金とは薄(ススキ)の事。薄の穂が風に揺れる草原だ。そのずっと向こうに、白い瓦礫の山が見える。

「ランダとリノロイドは、あそこで戦ったんだ」

先を行くフィアルがそう教えてくれた。

「リノロイドは間違いなく、そこにいる」

少し強くて冷たい風が吹き付けてきた。3人は低空飛行に切り替える。

「うっ……!」

リョウもセイも、そこで初めて気が付いた。この金色に輝く薄の穂の下には、幾つもの人骨が積み重なっていたのだ。細い薄の茎が骨と骨の隙間を縫うように高く伸びている。それがまるで墓標の様で……リョウは寒気すら感じた。

 「なァ、リョウちゃん、」

ふと、フィアルが切り出した。

「もう一度、考え直さないか?」

リョウからはフィアルの表情は見えない。ただ、こんなに多くもの犠牲者を目の当たりにして、彼が純粋に心を痛めているのには違いなかった。その気持ちは否定すべきではないので、リョウは一つ、沈黙を作った。

「リノロイドは、サンタウルスをこうするよ。必ずな」

「フィア、」

リョウはそこでやっと首を振った。

「こうさせないための交渉だろ?」

それは理想論かもしれないが、リノロイドにだって、殲滅によって拾った“痛み”がある筈だ、とリョウは確信していた。

「そうだったな」

フィアルは何とか同意した。腑には落ちないままだが。

「(あの女にそのような血の通った心があっただろうか)」

――あったとしたら、何故、此処はこんなにまで破壊され尽くされなければならなかったのだろうか。無論、答えは出ない。


 白い瓦礫の山がどんどん近付いて来る。延々と続いているかのようなその白い瓦礫の平らかな場所に、3人は人影を見つけた。

「リノロイド!」

待ち構えていた魔王の黒い外套が、秋の強い風に靡いていた。

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