第60話 ゲームオーバーの後で

(1)

 「う……ん?」

穏やかな優しい陽射しに瞼を照らされ、リョウはゆっくり目を開けた。

「気が付いたか?」

傍らにリナがいる。彼女はリョウに一つ微笑みを返すと、ホッと溜息をついた。

「あれ? 此処は――」

リョウは慌てて身体を起こした。あちこち身体が痛く、全身がだるい。小さく呻いたリョウは、何とか寝台の後ろの壁に身体を委ねた。

「飛空艇の中だ」

飲み物を用意しにカウンターへ移動したリナの声が、少し遠くから聞こえてきた。身体を起こしてみて、リョウは気付いたのだが、リナは手首や腹を負傷しているようだ。応急処置までに巻かれた包帯が何だかとっても痛々しく見える。

「飛空艇の中?」

どうして此処に居るのかが分からず、リョウは辺りを見回した――円い窓、折りたたみ式のベッド、ラベンダー色の毛布、運転席の直ぐ後ろはカウンターで……と、何とか記憶を辿るリョウが眺め回していたそのカウンターから、リナがホットコーヒーを淹れて運んできてくれた。思い切って、リョウは尋ねることにした。

「リナ、どうしたの? その傷……」

「え?」

リョウの問いに言葉を失ったリナは、驚いた表情だけを返した。その彼女の表情に気付かず、リョウは立て続けに幾つか彼女に質問する。

「それに、セイとフィアルの姿も見えないようだけど……」

「リョウ?」

リナの表情は、驚きから困惑へと変わっていった。なかなか回答が無く、不安になったリョウがリナの顔を見上げる。

「え? どうかした?」

戸惑うリョウに、リナはコーヒーを差し出した。リョウは無言でコーヒーを受け取ると、すぐに砂糖とミルクを大量投入する。カップに縁取られた暗黒にクリームが溶け、茶褐色に緩む。リョウはぼんやりとそれを見ていた。

「覚えていないのか?」

ふとリナが切り出したので、今度は、リョウが驚いた表情で彼女を見上げることとなった。

「まぁ、無理は無いな」

幾らか現実に妥協したのか、リナはリョウの傍らに座った。クリームは掻き混ぜられずにカップの底に沈殿する。

「またオレ記憶喪失か」

覚えた魔法を忘れていないか、リョウは心配になったが、確認する間もなく、リナが回答を出してくれた。

「そこまで深刻じゃないだろう。部分的な逆行性健忘の典型的なケースだ」

難しい単語が出てきたため、リョウは幾らか現状理解を放棄しようかと思っていたところ、「よくある事」だとリナが補足を入れた。

「樹海での戦いだったからな、打ち所が悪かった所為もあるんだろうが、心因性要因としては、」

その先の言葉を一旦詰まらせたリナは、小さく溜息をついた。そうして色々吹っ切って、彼女は何とか続けてくれた。

「セイを目の前で失ったショックに拠るものが大きいんじゃないか?」

リナの回答が核心に触れた瞬間、リョウの頭の中がキュウ、と音を立てて震えた。思わず目を瞑ったリョウの記憶の叢雲は、間もなく晴れ渡る。気持ちとは、裏腹に――

「あ……」

リョウはコーヒーを持つ手をゆっくり下ろした。

「うん。そうだったな」

消えていく魔王と双子の弟の残像を、今一度脳裏に焼き付けたリョウは、やっとコーヒーを口に含んだ。掻き混ぜるのをうっかり忘れていたので、それはたいそう苦かった。いや、自分を戒めるには丁度良かったのかもしれない。これ以上飲み進められなかったコーヒーをテーブルに置いたリョウは、リナの傷口にヒール(回復呪文)を掛けた。

「フィアルは、一足先にアンドローズへ向かった」

彼もまた、じっとしていられなかったのだろう。「一応引き止めたんだが」と、リナはまた一つ溜息をついた。

「軍本部に侵入して強引にセイを連れて帰ろうと思っているようだが、……無理だろう」

フィアルが瞬間移動呪文(テレポート)を扱える程のハイユーザーである事くらい、敵は計算している筈だ。迎撃、或いは防御結界で侵入は阻まれるだろう。

「そろそろ断念して帰ってくる頃だな」

リナは円い窓の外を見た。リョウもあわせて視線を窓に移す。その景色に、リョウはふと違和を感じて、窓枠から映る景色を食い入るように確認した。

「あれ? 此処は一体何処なんだ?」

リョウが森だと思っていた其処は砂漠だった。

(2)

 確か、飛空艇は森の中に突っ込んで着陸をした筈である。リナが安全な場所に移動させたのだろうかと思ったリョウだったが、どうやらそうではないようだった。

「ホンっトに覚えてないんだね」

その声はリョウとリナの背後から聞こえてきた。

「フィア!」

彼の言葉を斟酌する前に、彼の傷があまりにも酷いのに驚いた――見るからに折れた左腕、血だらけの顔面、ボロボロの右腕の皮膚……

「結界に突っ込んだんだね?」

「まあね」

呆れ顔のリナに力なく笑って返事をしたフィアルは、アンドローズの現在状況を報告した。アンドローズの町全体を、ドーム状の結界で防御しているのだという。

「サンタバーレにある魔法核弾の防御の為に備えられた結界が、まさかこの局面で作動していようとは……」

深手の傷に慣れていないフィアルの体が強く疲労を訴えたようだ。フィアルは、とうとう膝を付いてしまった。全身を走る激痛に血の気まで引いた彼の顔は、すっかり青白い。

「全く、……無理するなよ」

一体誰の自己流なのか、フィアルの首元を支点として折れた左腕を乱暴に固定した包帯を、リョウはそっと解いてやった。少し呼吸が楽になったのだろう、フィアルから小さく笑い声が漏れた。

「無理するな、なんてリョウちゃんには言われたくないゼィ」

リョウが呼び寄せた回復呪文の魔法分子の波動にも疼く痛みに小さく呻き声をあげながら、フィアルは詰るようにリョウを見た。

「オレが何したっつーんだよ?」

一度の回復呪文(ヒール)では塞がりきらなかったフィアルの両腕の傷の為、再度ヒールを唱えたリョウは、首を傾げた。

「だって……」

ふと、フィアルは言って良いのか悪いのかを考えてしまい、幾らか会話に間ができた。

「言っちゃってくれぃ。まだ少し頭がモヤモヤしてるんだ」

何を言われても良いように、リョウは覚悟だけはしておいた。

「要するにな、リョウちゃん、」

フィアルが言葉を選んでくれたので、再び会話に間ができた。

「リョウちゃんが今までずっとコントロールしていた手綱が、プツンとキレたんだよ」

何とか選んだ言葉だったが、正しいかどうかわからず窓の外を見つめるフィアルに合わせて、リョウももう一度外の砂漠を見た。だから、リョウは気が付いてしまった。

「まさか、」

窓の外の広大な砂漠のずっと向こうに海があった。この海がこの飛空艇で越えた海だとしたら、飛空艇の位置が変わったのではない。変わったのは森の方であって、つまり……

「オレがやったのか?」

リョウは円い窓に張り付いて周りを見回す。見える範囲全てが砂の世界と化してしまっていた。

「まぁ、お前にそうさせてしまうほど、リノロイドが滅茶苦茶やってくれたんだってことだよ」

フィアルはやっと動かせるようになった左腕の感触を確かめつつ、リョウをなだめる。

「自分を責めちゃダメだよ」

血のりを拭くためのガーゼを、丁度、リナが持ってきたところだ。

「良かったよ」

やっと、リョウがぽつりと言った。

「リノロイドが、森から動物たちを逃がしてくれいて」

ちょっと風に当たってくる、とリョウは外に出て行ってしまった。

「自分を責めるな、か」

リナは湿らせたガーゼでフィアルの顔に付いた血のりを拭き取る。

「私はアンタに返すよ、その言葉」

母親の非情な仕打ちがセイに及んでしまった事、そしてその結果としてリョウを傷付けてしまった事……フィアルはその責めに苛まれていた。

「姉さんこそ」

リノロイドとの戦いで隙を拾われてしまった事、遡って、セイに副脳が取り付けられていたことに気付けなかった事……リナはその責めに苛まれていた。

「止めないか?」

リナはほんの少し笑った。

「責任の所在を決めたところで、何が解決するわけじゃない」

「ああ。同感だ」

フィアルもほんの少しだけ笑った。

「何にせよ、セイの命は保障されている可能性が高いわけだ」

そう、副脳を取り付けられたユーザーとして、魔王軍の一員となったというだけである。

「それについての情報を得てきた」

タダで帰ってきたわけじゃない、とフィアルはニッと笑った。

「セイちゃんの所属部隊と、上司の名前」

(3)

 アンドローズ城地下四階――此処には人知れず牢がある。其処に入るのは、城内で罪を犯した者、或いはサンタバーレ王家の人間である。後者に前例が無い為、慣習的に最終的にそこに入れられた囚人は皆、「死」をもって罪を償う事とされている。

「一体どういうことです?」

アレスはファリスに詰め寄る。

「何故、ラディオンは此処に収容されているのです?」

彼女はどうしても納得がいかなかったのだ。主君から推薦されていた、新たな第三部隊副隊長の“ラディオン”という男は、何故かこの城の地下四階に収容されているのだと言われたのだ。不審に思わないわけが無い。

「大した事ではありません」

ファリスは淡々と階段を下りる。

「便宜上、やむを得ず――あえて理由を説明するならそれだけの事ですから」

「便宜?」

ファリスから再三「会えば分かります」と言われたものの、アレスはやはり腑に落ちない。 不審感からか、それ以上互いに言葉を交わすこともなく、暫く二人分の靴音が回廊に響いていた。

 やがてアレスの目に飛び込んできたのは、崩れかかった壁やひび割れた調度品や瓦礫と言って良いものの山であった。唖然としたアレスをよそに、淡々とファリスは足を進め、

「此処です」と、崩れかかった壁を指差した。それは、城内で誰かが魔法を使用したことを示していた。

「ラディオンはこの城を陥落させるつもりですか」

アレスは呆れてしまっていた。城で攻撃呪文を使用する事は固く禁じられている。近日中に『勇者』を迎撃する準備をしていた為、設備の魔法耐性は上がったものの、通常なら城は大きく崩れ、不敬罪で罰せられるところである。

「(でも、この分厚い壁を破るなんて……)」

アレスとしても不謹慎だとは思いつつ、そこは素直に感心した。そう言えば、ラディオンの実力についてはリノロイドから御墨付きを頂いていた。彼がそれほどのハイユーザーであることは間違いないようだ。アレスは警戒したまま瓦礫を潜り抜ける。

「どうやら、まだ気絶しているようです」

ファリスはやはり淡々としている。

「気絶?」

どうやら、あまりにも暴れるからという理由で、ファリスが電気的にショックを与えていたようだ。

「(一体、何がどうなっているの?)」

最早、アレスは問わないことにした。そうでなければ、何故主君がわざわざ妹・アリスの代わりとして彼を補充したのかを、見失ってしまいそうだったからだ。

 丁度、ファリスのトランシーバーに連絡が入った。

「失礼……」

傍らのアレスを気にかけながら、ファリスは外部と連絡を取る。魔王の私設側近の彼女に届く連絡は、やはり主君に関するものが主になる。どうやら、警備が手薄になっているこの城を、レジスタンス達が襲撃しようと試みているようだ。

「――了解。今からそちらに向かう」

ファリスは早口でそれだけ言うと、大きな溜息を一つだけついた。孤高の王・リノロイドには、敵が多い。

「行って下さい、ファリス殿」

ファリスの心情を察して、アリスは口元を緩めて見せた。

「ラディオンが何者であっても、魔王軍の同胞に変わりありません。総指揮官として、私が何とか話をしてみましょう」

「ご配慮に感謝します」

ファリスは来た道を引き返す。いや、彼女は一度アレスを振り返った。

「アレス殿、これはリノロイド様からの伝言でもあるんですが、」

ファリスも口元を緩めた。

「ラディオンに関する一切の権限はアレス殿に委ねてあります。軍に寄与できる使い方をしても構いませんが、アレス殿ご自身に寄与できる使い方をなさっても構いません」

「私に寄与?」

知将と呼ばれるアレスであるが、まだ、ファリスの言う意味は分からなかった。

「会えば、とにかくお分かりになるでしょう」

そう言い残して、ファリスはレジスタンスの迎撃に向かった。

「(私に、寄与?)」

会えば分かるような人物が副官に付いたということであろうか。“ラディオン”という名の知り合いが居た覚えは無いが――とうとうファリスの言葉の意味が分からないまま、アレスは牢の扉の前に立った。

「ラディオン、」

――返事は無い。まだ彼は気絶しているようだ。

「入りますよ?」

職務というよりは、むしろアレスも興味本意だった。アレスは渡された鍵で中に入る。

「全く……」

ラディオンは相当暴れたようだ。ベッドや机が折れ、椅子などは原形をとどめてもいない。アレスはガラクタの向こうに人影を見た。もう一度、彼の名を呼んでみたが、まだ返事は無い。散乱するガラクタを掻き分け、アレスはラディオンへ近付いた。

「ラディオン?」

ガラクタの向こう側にうつ伏せに倒れている男を、アレスは確認した。身の丈は6尺ほどで、剣士らしいしなやかな体つきをしている。

さて、アレスはその栗色の短い髪には見覚えがあった。彼の藍染の短いジャケットにも――

「え?」

丁度目覚める頃合だったのか、アレスの小さく驚いた声に反応して、ラディオンの指が動いた。

「(彼は……)」

そこでアレスはやっと気が付いた。それと同時に、此処からできるだけ遠くに逃げ出したくなった。何故なら、この“ラディオン”という男とは、半年前に会ったことがあるからだ――ジェフズ海に沈んだ、第三部隊の基地で。

 “ラディオン”とは“ランダ”を捩ったものであろう。何となくアレスにも聞き覚えがあったのはその所為だろう。

「セイ、」

アレスはあえてその男の本名で呼んだ。

「セイ、起きなさい」

この男は妹の仇であり、光の民の人柱である。その事実がアレスの心を複雑にしていた。

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