第59話 魔王降臨

(1)

 色白でスラリと背が高い『魔王』は、リョウの想像以上に零(あえ)かだった。一方、彼女の堀の深い二重の瞼に縁取られたその表情は凛々しく、力強く、闇の民の首長としての威厳を感じる。

 彼女の身体そのものは、さながらフィアルの妹・バラーダのものだと聞いているが、彼女に幼さは無く、上品で気高い顔つきだった。フィアルと同じ亜麻色の髪が、森を乱した風に揺れている。

「貴女が、リノロイド?」

リョウは、彼女があまりにも神々しいのに驚いた。「魔王」と呼ばれるからには、何かもっと邪気に満ちた、そして得体の知れない恐ろしさがあると勝手に思い込んでいたからだ。


 少し強い風に、森が悲鳴を上げたところである。

「リョウ、という名だったな?」

リノロイドは口元を緩めた。

「成る程、血統とはあながちバカに出来ないものがある」

目の前で自分を見つめている17歳の『勇者』は、彼女の永きに渡る患い、「ランダ」とそっくりだった。そして、彼と同じ顔立ちをしたもう一人も――彼女は、傍らで呪詛に苦しんでいるもう片方の『勇者』に視線を落とした。

「フォビドゥンエリアでそのチカラを上げたようだが、無為に終わったな」

『魔王』はセイに手をかざし、呪詛の印を結んだ。彼女の指の動きにあわせてフワリと浮くセイの身体を見るにつけ、フィアルは彼女が何をしに此処へ来たのか分かった。

「貴様……!」

フィアルは瞬時に炎魔法分子を召喚し、リノロイドに突進した。

「無駄だ」

まるで煙のように、リノロイドはスッと消えてしまった。いや、彼女はフィアルの背後に回りこんでいたのだ――瞬間移動呪文(テレポート)である。

『冥王による落日(インフェルノルーイン)!』

リノロイドの腕から放たれた巨大な光の帯は、負のチカラを帯びた闇魔法分子結晶そのものである。瞬間移動呪文に不意を打たれて防御が遅れたフィアルに、その魔法分子結晶の負のチカラが容赦なく、正面から直撃した。

「ぐあっ!」

負のチカラをまともに浴びたフィアルの身体が衝撃波にも煽られて、森の木々に強く打ち付けられる。木々は大きな音を立てて割れ、軋み、葉をざわつかせた。

「フィア!?」

リョウの声にも反応がない。気を失っているのだろう。

「(あのフィアルが一撃で……)」

リナは息を呑む。今この場の闇魔法分子は殆どリノロイドに帰属している。不利な状況だが、動かねばならない。

『堕ちゆく楽園(エデンズディマイス)!』

時間の都合上詠唱を省かざるを得なかったが、リノロイドの不意は打った筈だ――リナはとにかく双子達から魔王を遠ざけることを優先させた。

「くっ!」

案の定、リノロイドは傷を負っている。しかし、それはリノロイドの戦意を殺ぐものにはならなかったようだ。魔王は不敵な笑みを覗かせている。

「リナ、か」

女帝がリナの名を口にした。

「何が可笑しい?」

体に施された化学技術の名残だろう、そもそもが主君に仕えるようプログラミングされたリナの本能的なものが、やたらと思考回路に畏れを伝達し始めた。リナにはもう殆ど余裕が無かった。

「(あれ?)」

――錯覚だろうか、リノロイドから殺気が消えたように、リョウには見えた。

『前呪文再生呪文(リピート)!』

リノロイドとリナは同一タイミングで攻撃魔法をリピートした。

「(今だ!)」

リョウはまだ意識の戻らないセイの元へ走る。

 先程森に轟いた言葉の意味くらい、リョウにも分かっていた。


“大いなる『闇』の申し子こそ、我が同胞にふさわしい”


「大いなる『闇』の申し子」とは“闇の加護”を引き継いだセイのことであろう。そして、「我が同胞にふさわしい」とは、セイを魔王勅命軍の同胞として迎えることである。

「冗談じゃねえよ」

リョウはセイを担ぎ上げるとそのまま森の木々を抜ける。


 「リノロイド……!」

リナは逆流してくる負のチカラに耐えながら叫ぶ。

「セイにも副脳を取り付けていたのか?」

あえて具体的に“副脳”と言い切る伏線ならあった。レンジャビッチでの、あの不可解な戦いの答えだ。セイと戦っていた偽のファリス(イルフォックス)の牙に副脳を仕込み、セイの傷口から副脳を侵食させていたのだろう。先のセイの苦しみようは、副脳を取り付けられていたディストのそれと酷似していた。

「本当は、」

リノロイドが口を開いた。

「本当はお前を連れ戻したかったのだよ、ヴェラ」

「!?」

“ヴェラ”という音に強烈なデジャヴを感じてしまい、リナの集中力が乱れた。

「悪いな」と、リノロイドがリナの虚に乗じた。更に詠唱を重ねた魔王は、一気に召喚した闇魔法分子をリナの魔法分子結晶にねじ込む。

「……くっ!」

リナはその膨大なチカラに呑み込まれるしかなかった。

(2)

 森さえ動かさんばかりの大きな闇魔法分子の静動に、リョウは思わず足を止めた。

「リナ?」

魔王リノロイドをリナ1人で食い止めるのは、流石に不可能だろう。聞こえてきた大きな爆発音に、リョウは不安になる。

「う……」

その爆発音に気が付いたのだろう、やっとセイの眼が開いた。

「セイ、大丈夫か?」

リョウの心配を遮るように聞こえてきたセイの弱い声は、追い詰められた魔物の鳴き声のような、そんな音だった。

「……降ろせ」

自分は既にリノロイドの支配に置かれているから、この場所すら容易に見つけるだろう。逃げても無駄だ――大体このような事を、彼は告げた。

「艇に戻れ」

やたらきちんと聞こえてきたのはこの一言である。リョウは激昂した。

「出来るかバカ野郎!」

ふと、アレスとの戦いがリョウの脳裏を過る。あの当時、まだ“光の加護”に目覚めていなかった自分を、弟が海へと脱出させてくれたのだった。あの時と同じように、また自分だけが逃げるわけには行かない。まして自分は、今まで戦いから逃れ続け、それが為に弟が傷を負ってきたのだ。しかし、

「やれと言ってるんだ、このド低能!」

弱っていたってこの威勢である。怒鳴って脳幹が疼いたらしく、眉間はその痛みを庇う為に大きく歪んでいるが、セイの説教はとどまることをしない。

「此処で一番危険なのは、魔王軍にとって全く利用価値の無い、テメエの方だ!」

ご丁寧に語尾にまで“甘チャン!”と罵倒が続いたが、流石に意識を失いそうになったのだろう、セイは強く目を閉じている。

「随分と態度のデカイくたばり損ないじゃねえか」

弟が無理しているのが明白なだけに、痛々しい。リョウは目を背けてしまうが、それはセイが最もキライな兄の仕草でもあった。

「益の無いお節介は要らねぇ」

セイはリョウの手を払いのけた。

「忘れるな。お前の役目は他にある……」

相変わらず頭痛に苦しんではいるのだろうが、セイは口元を緩めてみせた。

「それを見届けるまでは、オレも、」

――“死にやしない”と言った音が聞こえただろうか。

「ふざけんじゃねえ!」

役目だとか使命だとか、それ以前に、リョウには譲れないものがあった。

「一人欠けるとオレ等の貴重な睡眠時間が減るんだよ!」

などという野宿者ならではの切実な悩みは、ともかく、

「お前が居ねえと、誰がこのボケだらけのパーティ突っ込みに回るんだよ!」

などという団体行動ならではの切実な悩みは、ともかく、

「お前居ねえのキビシーよ。考えたくもねえ」


理由は、ともかく。


 「殊勝だな、と言っておくか」

ふと聞こえた女声にリョウは背筋を凍らせる。その声の方を振り返ると、いつの間にか、『魔王』が背後に控えていた。

「しかし、片割れの心配をしている余裕などあるまい」

リノロイドはリョウに向かって腕を伸ばす。それと同時に、リョウは何か強いチカラで弾き飛ばされてしまった。

「うわっ!」

頭が木に強く打ち付けられた。脳震盪を起こしそうになったが、気を失っている場合ではないことを心得ているリョウは、何とか強く意識を保ち、痛みに耐えた。

「リョ……ウ……」

起き上がろうとしたセイの前に、『魔王』が立ちはだかる。

「まだ意識があったとはな。恐れ入ったぞ」

「貴様……っ!」

消え入りそうな自我を守りながら、セイは何とか闇魔法分子を召喚しようとしている。リノロイドは冷笑を返した。

「まだ、自分の立場がよく分かっていないようだな」

リノロイドはセイの頭に左手をかざし、詠唱を唱えた。すぐに副脳がリノロイドの魔法分子に反応する。

「ぐあああああっ!」

頭を引き裂いた例えようのない痛みが、内蔵までかき回して全身を貫く――そのあまりの激痛が、まさか伝わったわけではないだろうに、

「止めろ!!」

と牙を向いたのはセイではなく、向こうに排除したはずの光魔法分子の波動である。身の毛もよだつほどの光魔法分子の負の波動が激しく逆巻いていたのだ。これに怖れを感じた『魔王』は詠唱を中断し、『白き勇者』を見つめた。

(3)

 目の前に立ちはだかる『白き勇者』の手には、光属性の高度魔法分子結晶――ラハドールフォンシーシアという剣が握られている。確か、百年程前にも“ランダ”という名の『勇者』が宝剣・ハガルを掲げて自分の前に立ちはだかった。

 その結末は言うまでもなく、現在の戦乱を長引かせる原因を作ってしまっただけだった。そして、それは避けるべきことである、と『魔王』は理解している。

「そうだな」

女王は決断を下した。

「今此処で、お前達の息の根を止めておいた方が良い」

しかし、

「待ってくれ、別に、オレ達は貴女と戦う為に此処に来たんじゃない!」

リョウは慌てて“剣”を解除する。逆に、それはリノロイドには有利に働いた。今ここでリョウと戦えば、自分もまた無事では済まない――それが闇の民の全体の為にはならない事くらい、彼女に自覚があったからだ。

「ランダも、そう言って我を封じた」

リノロイドは冷笑した。

「しかし、それで何が変わったというのだ?」

“和平”と言う名のもとに、光の民達は次から次へとサテナスヴァリエにいた魔族達を追い込んでいった。まして、魔王軍に登録されている兵士の殆どがそうやって身寄りを失ってしまった者達である。

「それを許せとは言わねぇよ!」

でも、だからといって光の民を殲滅させる理由にはならないし、彼女だってそのくらい分かっている筈だ――リョウはそう考えていた。しかし、

「憎しみは生きる糧にもなる」

淡々と、リノロイドは躱わしてしまった。

「お前の近くにもいるだろう? 我を抹殺することが闇の民の蜂起に繋がると言っている青二才が」

勿論、それはフィアルのことを指していた。冷徹を保とうとしている魔王の横顔が、かえって苦しげに見えるのは錯覚なのだろうか――リョウは、この孤高の女王が失ってしまったモノの大きさを慮って茫然としてしまった。

「しかし、皇子とて、我に刃向かう者。敵として容赦はしない」

リノロイドはそう切って捨てた。彼女の方はもう吹っ切ってしまえているのだろうか。だとしたら、それは悲劇だ。

「それはオカシイと思う」

リョウはいつの間にか居たたまれない気持ちで一杯になっていた。光と闇、それが相容れぬものだということは歴史が証明してくれている。しかし、親と子は、争うことがあったとしても、刃を交えて戦うモノではない筈だ。リョウは“オカシさ”を感じずにはいられなかった。

「そのうち“オカシイ”とも、言っていられなくなる」

目の前の17歳と多少という年端の少年達よりも、この魔王は、オカシイものなら見飽きていた。そして、それを簡単に片付ける言葉も心得ていた。

「これは“戦争”だ」

神妙な表情のリョウとは目を合わせられず、彼女は頭を押さえて倒れこんだままのセイへと視線を落とした。つくづくランダとそっくりだ、と思い知らされた魔王は表情を歪めて苛立ちを落ち着かせた。彼女は先程と同じように印を結ぶと、魔法分子を召喚した。セイの身体が宙にフワリと浮かぶ……途端、リョウは血相を変えた。

「お前達が“オカシイ”と言って切って棄てようとしているものを、『勇者』などと呼ばれているお前達も、思い知れば良い」

この魔王の捨て台詞は決定的である。

「待て!」

駆け出そうとしたリョウを、再度、衝撃波が突き飛ばした。魔王は淡々と印を結ぶ。

「お前達は我が軍の“四天王”のうち、三人を奪った」

――分かるか? お前達がこれまで「正義」の名の下に行って来た事は、こういうことでしかないのだ。

「セイ!」

リョウは這いつくばったまま、弟に腕を伸ばす。しかし、その手をするりと抜けるように、魔法分子が残像ごと二人を持ち去って、消えた。

「セイ!!」

リョウはそのままうつ伏せに倒れた。


 暗い森に、辺りはどんよりと沈んでいて、絶望していた。感じている気持ちは言葉で表現することが出来ないほど複雑で、リョウは叫び出したくなったのだ。どんどん熱くなる四肢が世界中から光魔法分子を集めてきた。

そして――

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