第58話 サテナスヴァリエへ

(1)

 『勇者』達の個人的な意向と、魔王軍の警戒を回避する為、出発式は国王や第二国王、サランやカルナといった身内の者だけで執り行うこととなった。

「気を付けて。君達の成功を心から祈っている」

祖父・国王は双子達を抱きしめてそう言ってくれた。

「だがな、それよりも、無事に帰ってきておくれ」

観衆が一人もいなかったお陰で出た国王の本音が双子達には素直に嬉しかったが、その優しさに甘えるわけにはいかない。だからこそ、強く決心することが出来た。

「何としてでもリノロイドと交渉を取り付け、これ以上の戦争を回避してきます」

リョウは神と祖父にこれを誓う。

 飛空艇から、リナとフィアルは双子達を眺めていた。

「“交渉”か」

フィアルの溜息がコックピットに小さく反響した。彼は半ばリョウの案に妥協してはいたが、願うところは正反対――むしろ交渉の決裂を望んでいた。

「交渉以前に、障害はたくさんあるだろうケドね」

リナはむしろそちらの心配をしていた。魔王軍には知将・アレスがいる。人工傭兵(ダイノ)の生き残りのファリスもいる。アンドローズ城自体が決戦の用意をしているという情報もある。

 前途多難だ。


 「ただいまー!」とリョウが意味も無く陽気に現れ、その直ぐ後ろから何は無くとも不機嫌そうなセイが付いてきた。その“相変わらず”に幾らか救われ、リナとフィアルはそれぞれ配置についた。

 「じゃあ、出発するよ!」

舵を執るリナが声を上げた。


 エンジン音が艇内に響き渡り、機体がフワリと浮いた。その感覚が面白くて、リョウはずっと窓の向こうの景色をいつまでも見つめていた。

国王達が手を振ってくれている。彼等の姿は間も無く小さくなり、サンタバーレ城も小さくなった。地表からはどんどん遠ざかる。とうとうサンタバーレの町並みまで小さくなった。更に今まで数日がけで越えてきた山や川までが小さくなったと思ったら、海に出た。


 古代の『勇者』・ドゥーヴィオーゼとミッディルーザが光と闇を隔てる為に生み出した海は、数千年の時を経て様々な名が付いた。今、眼下に広がる海は正にその海だ。その海を腹に、飛空艇は更に上昇し、分厚い雲を掻き分けて青空に出た。


 それを見届けたリョウは、漸く窓から離れた。頃合かと判断したリナが、今後の段取りをまとめた。

「アンドローズ郊外には大きな森がある。運が良ければそこに船を隠してアンドローズに向かうことになる」

リナの説明中だが、リョウから挙手があった。

「運が良ければ、ってのはどう言う意味?」

何だが不気味な余韻を残すこの言葉を、リョウは聞き逃せなかったのである。

「この船は魔王軍に迎撃されて墜落する可能性が高い」

きっぱりと、リナは言い切った。

「えっ!?」

リョウは仰け反る。しかし、

「良かったね、飛空騎持ってて」

とフィアルがニッと笑って言ってくれたので、リョウにも分かった。飛空艇を乗り捨てたら、そのままアンドローズ城に「飛んで」行くのだ。即ち、リョウはラハドールフォンシーシアで。セイはアミュディラスヴェーゼアで。フィアルはフレアフェニックスで。

「森の上空で煙幕を張る。上手く撒けるように、神にでも祈っておいてくれ」

リナは笑って見せた。勝算というものではない。そのくらい気持ちにゆとりが無ければ敵の思うツボなのだ。100年前にアンドローズの森でランダと共にゲリラ戦を展開してきて培った、リナなりの教訓である。

「(守られている場合じゃないってコトだな)」

双子達はそう解釈した。此処からは、今まで以上に各々独立したユーザーとしての責任が重く圧し掛かってくる。

「見えるか?」

リナが前方を指差した。

「あれが魔族専住地・サテナスヴァリエだ」

雲と雲の隙間から、海の上に浮かぶ大きな大陸が見える。

「あれが……」

リョウもセイも一様に押し黙ってしまった。

「大きな正方形の人工島が向こうに見えるだろ? あれが首都・アンドローズ。オレの故郷だ」

ここからは、リナに代わってフィアルが説明する。アンドローズ城は正方形の人工島の中央に位置し、城と魔王軍本部は並立しているという。町全体が基地のようなものなのだろうと双子達は解釈した。続けて、フィアルは移動ルートや移動手段、監視システムの回避方法など一通り説明を加える。

 

 丁度、半分海を横断した頃だろうか。

「寒ィな」

セイが小さく呟いた。アンドローズは寒流にさらされている。サンタバーレより寒いということはよく知っているが、飛空艇の中の気温と湿度は一定に保たれている筈だ。

「そうか?」

リョウは首を傾げる。袖さえ鬱陶しいと宣うセイの、そのノースリーブの服が良くないのだろう。ただ、わざわざ「寒い」と口にする彼でもないだけに、気にはなった。「気のせい」と片付けたのだろう、セイは口を閉ざしてそれきりになってしまった。

(2)

 妙だ、とリナが呟いた。サテナスヴァリエの領海に入ってだいぶ経つが、迎撃される様子が全く無い。

「まあ、この機体が気付かれているのは言うまでもないだろうよ」

フィアルは言った。それくらい、魔王軍のセキュリティーは高い水準にあるという。

「じゃあ、城にこのまま突入するのは、無謀なんだな」

リョウは小さく唸る。迎撃が無いということは、魔王軍の臨戦態勢は万全であるということである。城に近付くほど危険は多いと認識すべきである。

「アンドローズ近郊の森に着陸するよ」

リナは決断した。それはアンドローズの森の中に一応の活動拠点を置けることを意味している。いよいよ、長期戦の様相を呈してきた。

「(また、ゲリラ戦になるというのか?)」

リナはふと思った――今の魔王軍にそんなコストをかけるゆとりがあっただろうか。

「(魔王軍の体勢立て直しの隙は付いている筈だが、不自然だな。こちらの動きを逐一監視されている可能性を想定しなければならなさそうだ)」

城の外で刺客となるハイユーザーと戦い、リノロイドに見(まみ)える前に体力を消耗するわけには行かない。リナはなるべくアンドローズの町に近い森に着陸することに決めた。

 飛空艇は緩やかに下降線を描く。


“大いなる『闇』の申し子こそ、我が同胞にふさわしい”


「は?」

確かに今、セイは何者かの声を聞いた。しかし、誰も気にする素振りは見せない。

「どうした?」

傍らのリョウが、いつになく落ち着かないセイに気付いて訊ねた。

「別に……」

嫌な寒気といい、風邪気味なのだろうか。だとしたらこれも幻聴かも知れない――セイはそう思い直した。


 煙幕を張って間も無く、飛空艇は森に首を突っ込んで着陸した。木が折れる音とエンジンの音で、森は軋み、暫く騒然となったが、やがてまた元の静寂に返った。

「リナ姉、結構運転荒いなァ」

自動運転が多い飛空艇の操作技術にパイロットの個性が表れるとしたら離着陸時である。それをよく知っているフィアルは思わず苦笑してしまった。

「惚れ直しただろ?」

淡々と、リナはロックを解除した。

「此処からだと、大体半日くらいでアンドローズの市門に着く。そこから更に半日かけると城に着く」

皆一度、各々覚悟を決めて、サテナスヴァリエの大地を踏んだ。

(3)

 首都に近い森と言っても、そこはなかなかの樹海であった。しかし、暫く歩けばこの森の異様さには十分気が付けた。

「やたら静かだな」

リナは周囲を眺め回してそう評した。空から見た其処は、随分大きな森だったのに、魔物の声も、獣の声も、鳥の声も、虫の声もしない。それはそれは不気味な静寂があった。

「前はこんなんじゃなかったよ」

フィアルもこの静寂に戸惑っている様だった。なまじ知っているだけに、誰よりも警戒してこの森を歩いていた。

「それに何だろ、空気が何となく重たい」

かなり濃度の濃い魔法分子が充填しているような、そんな空気だった。

「魔物がいないのは嬉しいな」

リョウは内心ホッとしていた。余計な体力も要らない上、戦わずに済む。何より、傷付けずに済む。

「まあ、考えようだな」

とフィアルは笑った。

 リョウはあらためて周囲を見回す。虫に食われた葉の中にはまだ新しいものがある。魔物が喰い散らかした獣の死骸だってそのままに残されている。なのに、何処にも生きている生物は見当たらないのだ。

「ここら一帯から、生物が皆逃げ出した。そんな感じだよな」

リョウの指摘に、リナも頷いた。

「同じ印象だ。何かを避けるように生物が逃れた……そうとしか考えられない」

その“何か”というのが、この重たい空気なのだろう。呼吸する度に、どんよりと沈む澱のようなものが胸に溜まる感じがした。

 酸欠しそうな森だな、とリョウは後ろの弟を振り返った。しかし、もうその時、それは冗談ではなくなっていた。

「セイ?」

最後尾の弟は、随分離れたところにいた。明らかに様子がおかしい。気付いたリョウが駆け寄ったと同時に、セイは力無く、地面に崩れるように倒れた。

「セイ?!」

取り急ぎ、リョウは弟の外套と剣の鞘を留めるベルトを緩めた。ヒドイ呼吸をしている上、雨に打たれた後のような汗の量だったのだ。荒い呼吸の合間に聞こえてくる、余りにも力のない声が何とか伝えてきたのは、

「――逃げろ」

という穏やかでない指示である。

「何だっつーんだよ?」

これは風邪ではなさそうだと察したリョウは、取り急ぎ状態回復呪文(リカバー)を唱えてみた。しかし、セイの容態は変わらない。むしろ、この症状が何かを理解しているのはセイの方であるようだ。  今、リョウが装備を外したばかりの剣に、何とかセイが手を伸ばしたところである。

「セイ、どうした?」

リナとフィアルも駆けて来た。

「(伝えねばならない!)」

消えそうな意識にしがみつき、セイが何とか唇を動かすものの、徒に周囲の焦りを駆り立てるばかりで一向に先に進めない。

「何? どうしたって?」

リョウは過呼吸に傷んだセイの声を何とか聞き取ろうとする。

“此処から、出来るだけ遠くに逃げろ”

どうやらセイはそう言っているようだ。

「え?」

何故、セイはそんなコトを言うのだろう――そこに気を取られてしまったリョウは、この指示にむしろ躊躇してしまう。しかし、

“早く。アイツが来る前に!”

具体的な説明を加えるゆとりなど、セイにはない。どうやら意図は汲んだらしいリョウに、この不気味な森には罠が仕掛けられていることを伝えるため、セイは握り締めた剣の柄に身体を預けて起き上がろうとした。が、

「うッ……!」

そこで“罠”が作動したのだ。何とか頭痛と寒気に耐えていたセイだったが、まるで波打ち際の砂が浚われていくように、完全に意識が遠のいていくのを感じた。体勢が大きく崩れ、木の幹にこめかみを打ち付けたのだが、その痛みさえもよく分からなくなっている。

「セイ!? オイ、セイ!」

リョウの声が辛うじて、セイの耳にも届く。不用意に身体を揺すられて心底鬱陶しいが、もう動けないし声も出ない。

「オイ! 目ェ覚ましやがれ! 一体何をどうしろって言うんだよ!」

もう一度、状態回復呪文(リカバー)を唱えてみたリョウだったが、修復箇所を見失った魔法分子がリョウへ還元されただけで、それだけだった。

「やっぱり、何処も悪くはなさそうだな」

これは内科系の疾患ではない、とリョウが断定した。もっと言うなら……

「誰かに攻撃されてるんだ」

リョウの下した判断に、リナとフィアルが顔を見合わせた、丁度その時だった。


「大いなる『闇』の申し子こそ、我が同胞にふさわしい」


――森全体に、低い女性の声が轟いた。

「!?」

途端、フィアルは血相を変えた。

「この声、」

間違う筈が無かった。

「――リノロイドだ!」

森全体を重く包んでいた何かが、その瞬間、一点に圧縮され、その反動で三人は弾き飛ばされてしまった。

(5)

 いち早く攻撃態勢を整えたフィアルが周囲を確認する。

「お前達がこの闇の民の大地に踏み込むのを待っていたのだ」

魔王の声は何処からとも無く聞こえてくる。

「何処にいる!?」

フィアルの怒号で、声はその反響ごとぴたりと止んだ。

「?」

リョウはセイの倒れていた場所に目を留めた――1寸ほどの深さで地面がえぐれている。それは大きな三角形を重ね合わせて出来る六芒星となった。

「リノロイド!」

リョウがその名を口にした瞬間、地面の六芒星から光の筋か天に伸び、森中に充填していた重い空気が一斉に闇魔法分子としてその「星」に集約されていった。

「まさか、こんなところで……」

あまりにも予測からかけ離れた展開に、リナですら戸惑い、為す術を失っていた。倒れているセイの傍らに、全魔族を万世に亘(わた)り支配してきた首長・『魔王』が降臨する!


 「初めまして、ランダの子孫よ」

その声は、低く、深い。せめてセイを庇うようにその光に割って入ったリョウは、警戒したまま、現れた影に目を細めた。刹那、辺りの闇魔法分子が明滅し、確かに空気が震える音がした。顔を上げたリョウの眼前に黒の外套が靡く。

「我こそが闇の民の王、リノロイド・クォウツ・ファルテージ」

光の中から、『魔王』が現れた。


「ようこそ、サテナスヴァリエへ」

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