第57話 雨の休日(2)

(1)

 アンドローズから一時間強ほど北西へ飛ぶと、大きな青い屋根の教会が見えてくる。サテナヒルズ大聖堂附属修道院と呼ばれるそこが、アレスの「家」である。

 大聖堂と言っても、全ての神父と聖戦士達を戦に駆り出されてしまったそこは、戦災孤児院と化してしまっている。

 以前は、多忙なアレスの眼を盗んでは、妹のアリスが手伝いにやってきて、孤児達の世話をしていたらしいのだが、彼女亡き今は、年老いたシスターが一人で子供達を看ているという。

 周囲を森に囲まれた町の郊外に建っているので、わざわざ礼拝に訪れる者はいない。赤く錆びた鉄の門は硬く閉ざされていた。

 「(ちっとも変わっていない)」

アレスは安心した。魔王勅命軍に入隊して以来、忙しさにかまけていて一度も帰ってきたことは無かった「家」だ。アレスは錆びた門をひらりと跳び越えると、芝のような短い草の生い茂った玄関に足を踏み入れた。

「あ、誰か来たー!」「おねーちゃーん、誰か来たよー!」

庭先で遊んでいた子供達は、アレスのことを知らない者が殆どである。こんな時代だ。孤児院の回転率は高い。構わず、アレスは扉を押し開けた。すぐに歓声がアレスを迎える。

「アレス姉さん、お帰りなさい」「お帰り、アレス姉ちゃん!」

一斉に子供達が駆けて来てくれるのだが、正直、その殆どがアレスの知らない“兄弟”達である。

「ただいま。みんな」

アレスはその一人一人に微笑みを返した。そうして少しは双子の妹・アリスに見えてくれればいいとアレスは思うのだが、そこはきちんと手筈がされていて、皆、どうやら魔王軍元帥として大出世を果たしたアレスの「帰宅」を、喜んでくれているようだった――このポストと引換に大きなものを失ったアレスにとっては、痛烈な皮肉であるのだが。

「お帰りなさい、アレス」

ゆっくり階段を下りてきた年老いたシスターがアレスの養母である。アレスは、深く一礼した。

「ただいま戻りました、シスター」

いやに他人行儀な挨拶以降、あまりに伝えたいことが多過ぎてかえって言葉を見失ってしまったアレスは思わず俯いてしまった。久々に見た養母は、自分の知っている養母よりもだいぶ小さく見えて辛くなったのだ。シスターは小さく頷くと、戸惑う彼女の両手を取り、しっかりと握ってくれた。

「ゆっくりと身体を休めて」と言われたものの、アレスは妹のしていたように、子供達の食事の用意と掃除洗濯、そして子供達の話し相手等々、仕事に没頭してしまう。でも、こんな仕事ならアレスとしては大歓迎である。いつの間にか、大量殺戮兵器を造ったり、戦略を練ったり、敵軍を殲滅したりすることがアレスの日常と化していた。

「(アリスもこんな気持ちで此処を訪れていたのかしら)」

こんな他愛もない問いかけさえ、もう二度とできなくなってしまったのである。

「ねぇ、お姉ちゃんはいつ帰っちゃうの?」

子供達が問いに、アレスはせめて笑顔を返した。

「明日の朝には帰らなきゃ」

ランダの子孫達にけしかける為のフェンリル(甲号体)の養成を進めなければならないのである。

 先日、レニングランドに投下した乙号体の受けたダメージが予想以上に大き過ぎて、甲号の胚が耐え切れるかどうかが心配だった。理論上は可能でも、不測の事態が多々起こる魔王勅命軍の仕事に、正直休暇は無い。

 ただ、それでもアレスは此処に帰りたかった。特に、双子の妹を失ってから、アレスはその思いを強くしていた。

「お姉ちゃん、シスターが呼んでるよ」

血のつながらない妹が自分を呼ぶ声に、アレスは何とか応えた。


 年季の入った木製の階段を駆け上がり、二階にあるシスターの部屋へと急ぐ。もう十年以上この修道院には戻らなかったのに、間取りはしっかり覚えていた。アレスは、子供達のたどたどしい、可愛い筆跡で“シスターのへや”と書かれている壁掛けの掛かった扉をノックする。「お入りなさい」と声がした。キィ、と高い音を立てて扉が開く。――そんな細かいところまで、昔のままだった。

「お呼びでしょうか?」

とのアレスの呼びかけに「ええ、」と優しい微笑をくれて、シスターはアレスにソファーを勧めた。

「折角貴女が帰ってきてくれたので、ゆっくりと、話がしたかったのです」

シスターは、ベッドのすぐ横にある戸棚から小箱を取り出して、テーブルの上に丁寧に置いた。

「これを貴女に渡すのはもっと後の事になるだろうと思っていましたが、アリスの事があったので」

シスターはそう前置きをして、小箱を開けた。アレスは小さく感嘆の声を上げた。紅い石のついているペンダントが、二つ、その箱には入っていた。

「“愛する君へ贈る”……このペンダントには、そう、彫られています」

紅い石を縁取る金の部分に小さく文字が刻み込まれているのが、アレスにも分かった。

「貴女とアリスが此処に連れてこられた時に、ご両親から預かっていたものです。確か、こちらがアレス、貴女の持っていたものです」

シスターの手から、アレスはそのペンダントを受け取った。同じような石に見えて、少し形が違うようだ。まるで、自分と妹をメタファーするようなそれに、アレスは堪らなくなった。

「もう片方は、アリスの墓前に」

シスターの声が詰まる。悲しい筈だ。アリスは、此処出身の誰よりも此処に尽くし、誰よりも愛されていたのだ。

「はい」

一人であれば、泣き出してしまったかもしれない――アレスは視線を落とした。

 「戦いは、終わりそうですか?」

不意に、シスターが問う。アレスは念のため、目元を拭った。

「いいえ、シスター」

ランダの子孫――彼等が現れて以来、魔王勅命軍は戦力を殺がれ続けている。これ以上の損失を出す前に、元帥たる自分が先頭に立って、彼等の快進撃を全力で食い止めなければならない。アリスは決して喜びはしないだろうが。

「そうですか」

シスターは、一度、ゆっくり瞬きをした。そして、

「私ももう永くはないでしょう。二度と、貴女と会うことはできないかもしれません」

と、何とも言えないほど辛そうに笑うのだった。


 アレスが魔王勅命軍に志願した最大の理由は、「せめて、平和が訪れた世界をもう一度この眼で確かめたい」という養母の願いを叶えるためである。

「貴女を失ってしまっては、……私はもう、戦えません」

いっそここで泣き叫んで全て放り投げてしまった方が、よほど幸せだとアレスは思う。しかし、

「アレス、きちんと泣きなさい」

シスターは、全世界が恐れ戦く魔王勅命軍元帥・百戦錬磨の知将アレスに、そう諭した。

「その為に、帰ってきたのでしょう?」

シスターは優しくアレスを抱き寄せ、飴色の長い髪を撫でる。

「心にも無い振舞いを続けると、心が死んでしまいますよ」

――確かにその通りだと感じたアレスは、素直にシスターの胸を借りた。

 アリスのこと。何度とランダの子孫を恨んでみようと思ったものの、アリスを従軍させたのは自分のエゴであった。辛そうに副隊長職をこなしていたアリスが、よく帰郷していた理由は、きっとこれだったのだろう。

 「貴女は独りではありませんよ」

シスターがアレスに声をかけた。何とかアレスは顔を上げる。

「3ヶ月ほど前に、」

シスターが声をひそめた。

「フィアル隊長殿が此方に寄進にいらして、事情を教えて下さいました」

「フィアルが?」

あまりに意外なところで彼の名を聞く羽目になったアレスは、思わず訊き返してしまったが、やはり間違いではないようだ。

「軍に残らざるを得ない貴女を案じていらっしゃいました」

「そう……ですか」

アレスは俯いた。フィアル――返す返すも、無駄口軽口は人一倍のクセに肝心なところがいつも抜け落ちている不届き者である。寄進したなら寄進した旨、魔王軍を脱退するなら脱退する旨、一言声をかけてくれさえすれば、自分にだって、言いたいことの一つや二つ、あったのに。

「貴女は、良い仲間にめぐり会えましたね」

気持ちは複雑なまま、アレスは頷いた。現在の敵味方はさておき、魔王軍を抜けた者達はとても良い仲間だった。

「戦とは心憎きものです」

あまりに多くの人を殺め、欺き、傷付け、苦しめて、とても終わりようがない。

「貴女は優しいから、さぞ、苦しいでしょう。でも、戦う自分を追い詰めてはいけない。貴女の実力と貴女の為に祈ってくれる人を信じなさい」

“どうか、戦う自分を責めないで”――それは、アリスが最後に姉に捧げた祈りの言葉でもあった。

(2)

 サンタバーレは夕暮れ時。西の空だけが赤く雲を染め上げている。

「此処か」

サンタバーレ城下町に、サンタウルス正規軍の本部基地がある。フィアルはそこに招かれていた。少し前までのそこは、自分の所属していた魔王軍が殲滅の対象としていた場所である。

 ほんの数ヶ月あれば、敵味方など逆転してしまう――寒気のする話ではある。

「(いや……)」

ヴァルザードにとって、“リノロイド”という倒すべき敵は変わらないが。

「お待ちしておりました」

受付の女性がフィアルに気付き、声高らかに案内してくれた。

 行き先は“特別実習室”である。フィアルはそこにたどり着くまでに、幾らか人と擦れ違うが、眼を逸らされて、それだけだった。当然の反応だ。彼等の多くは、この7尺足らずある大柄の魔族の青年がまさか魔王の息子であることなど知らないのだから。

「こちらでお待ちです」

案内してくれた女性は、突き当たりの大きな扉の前で立ち止まった。

「ありがとう」

手を振るフィアルのたっぷりの愛嬌に飲み込まれた女性は、体良くそれに応じて手を振り返すと、受付へと戻っていった。

 フィアルは重めの扉をゆっくりと開けた。すぐに熱い風が彼の皮膚を弾く。炎である。飛空艇を並べて収容できそうな大きなドーム全体が、灼熱を帯びた炎魔法分子で埋め尽くされていた。

「ずいぶん手荒な歓迎だね」

フィアルは保護結界を張ってホールの中央へと進む。“炎の加護”を持っている彼には、熱など、大したダメージにならないのだ。

「“手荒”と言うほど堪えちゃないだろ?」

どこからともなく、笑い声が聞こえた。炎の結界で姿は見えない。が、すぐに殺気が飛んできて、彼女の居場所を伝えた。

「(速い!)」

身を翻すフィアルのすぐ横を、彼女が通過したようだった。その姿を確認する間もなく、次の殺気がフィアルを襲う。

「お?」

彼の眼前に現れたのは、黒っぽく変色した皮膚をした、銀髪の天使だった。その天使の爪はまるでナイフのように鋭く尖り、矢の様に彼に襲い掛かる。フィアルはそれらを何とか寸前で躱わした。正確には、避けるので精一杯だったのだ。

「(接近戦は不利!)」

何とか魔法を放つ為の間合いを作らなければならないが、そんな余裕がフィアルの方には無い。些か強引だが、詠唱さえ省略して攻撃呪文をねじ込まんと、フィアルが腕を上げた瞬間だった。

「うわっ!」

一気に間合いを詰められたと思ったら、足払いをかけられ、いつの間にかフィアルは横に倒されてしまっていた。不意を喰らったと言うよりは、彼女に間合いを作ってもらったと言う方が正しい。

『哈っ!』

フィアル目掛けて、天使から簡易魔法球が放たれていた。

「――っ!」

緊急避難的に右手に魔法分子を圧縮し、それらを払いのけると、フィアルはさっと立ち上がる。

「遅いよ!」

何と、フィアルの間合いには、既に彼女が入ってきていた。フィアルは防御できずに、圧縮された魔法分子の塊を受け、弾き飛ばされてしまった。

「ごもっともです!」

フィアルは宙で身を捩らせ、辛うじて足から着地する。と同時に、何とか先程からの詠唱で集約しきれた魔法分子を利用して、彼女にされたように圧縮された魔法分子の塊を飛ばす。天使の小さい身体もまた宙に弾き飛ばされる。フィアルはやっと炎魔法分子を召喚する体勢を整えた。

『炎による死の舞踏(クレイジーカオス)!』

フィアルの詠唱に応えて発現した不気味な紫色の炎が、螺旋を描きながら天使へと伸びる。

『天使の嘆きと悪魔の囁き(エンジェルハーツ)!』

天使もまた、炎魔法分子を集めて攻撃呪文を唱えていたのだ。

しかし、これら二つの魔法分子結晶はすぐに綻び、衝突する前に負のチカラごとプツリと消えた。

「リナ姉、流石!」

フィアルは床に仰向けに倒れた。その瞬間、ホール全体を覆っていた炎魔法分子はゆっくりと拡散していった。

「とりあえず、仕上がったかな」

天使、もとい、リナの皮膚の色は見る見るうちに明るさを取り戻し、獣化したと見られる鋭い爪は、元の形となったようだった。

「ああもう、疲れたよ」

血走り黄みを帯びた眼球の乳白色が、やっと元の色に落ち着いたかというところで、リナは漸く、笑って見せた。

「今のが全力ってヤツか?」

だとしたら、魔王にとっても相当の脅威となりうる――フィアルは唸り声を上げた。

「いや、」

酸欠しかけているのか、幾らか呼吸を整える為の間があって、

「――6,7割程度」

とリナから回答があった。

「一体幾つ世界を壊す気だ?」

フィアルは笑った。彼が素直にそう思えるほど、リナの持っているキャパシティーは高い。しかし、当のリナからは、「いや、」ともう一つ逆接から返事があった。

「理性のあるうちは、これが限界みたい」

彼女はそう言うと、まだ仰向けに倒れたままのフィアルの横に、ぐったりと座り込んでしまった。そのお陰で、フィアルにはリナの言わんとしていることが分かった。

「そうだね。これ以上は姉さんの身体がもたない」

彼女は正式な炎魔法分子との契約を行っていない。つまり、これだけの光と熱を支配できるような許しを得ていない。人工傭兵(ダイノ)の扱えるチカラの限界が何処までなのかということは判らないにしても、リナのこの疲労の具合を見ていれば、大体見当がつく。

「だが、あの子達を守る必要があれば、10割以上のチカラをも引き出さねばならないだろうね」

それにしても、彼女の覚悟は悲痛だった。ランダやセレスを失った時の悲しみを繰り返したくないのだと言う。

「リナ姉、」

彼女の気持ちは彼もよく分かる。「でも、」とフィアルはリナの顔を仰ぎ見た。

「黒い“天使”には、ならない方が良いよ」

――生きて帰らなきゃ、意味が無いのだから。

「天使?」

リナはほんの少しだけ笑った。

「あれを“バケモノ”というんだろうさ」

「バケモノって……」

口にしかけたものの、何と言葉を返して良いのか分からなくなって、フィアルはそのまま声を失ってしまった。

「それにしても、疲れたな」

リナの溜息が聞こえたと思ったら、そこにリナの姿はなくなっていた。驚いたフィアルは起き上がった。

「あ……そちらでしたか」

起き上がったフィアルの足元に、白い妖鳥がうずくまっていた。

“城マデ頼ム”と言い残した鳥は、眼を閉じ、寝息を立てた。

「了解」

フィアルは健気な白い鳥を労うように、少しだけ強く抱きしめた。

(3)

 リョウは両手一杯に抱えていた紙袋をゆっくり床に下ろした。

「あー、重かった!」

などと大げさにぼやいて、ベッドで昼寝を決め込んでいたセイにこれ見よがしに広げたのは、飛空艇に積んで行く食糧である。サンタバーレ当局の方でも幾らかは用意してくれていた様だったが、「予備に」と言うことで、リョウが町に買出しに行っていたのだ。

「ハイ、釣り銭」

リョウはセイに金を渡した。相変わらず町での非行を警戒されているセイは、金の管理はするが、買い物はしない。

「しかし、いよいよか」

このセリフを今日は何度も呟いていたリョウは、荷造りに取り掛かりながら、一つ溜息をついた。リノロイドを説得するとは言ったものの、彼女がどういう人物なのか分からず、リョウは具体的なビジョンを全く描けないのだ。

 セイも溜息をついたが、それはリョウの二度目の溜息と重なった。

「いっぺん、話してみたいんだ。リノロイドと」

闇の民の首長・リノロイド――光からも闇からも恐れられている『魔王』。彼女のチカラは一国をも滅ぼすに留まらず、“四大元素”さえも総轄している程のものだ。彼女が王に君臨してからというもの、サンタウルスは劣勢が続いている。

「話してみたい、か」

相変わらず寝転がったままであったが、セイが漸く口を開いた。

「物好きめ」

このセイのセリフでは、呆れられたのか感心されたのかはよく分からなかったのだが。

 リョウは荷の整理を終え、やっとベッドに座って一息つくことができた。

「そういや、お前、第二国王から呼び出し食らってたんだって?」

彼はフィアルとサンタバーレ城下町に出ていたので、弟が第二国王に呼び出されていたことを知ったのは、つい先程だ。

「別に」

漠然とした煩わしさがあって、セイは詳しく話すことを嫌った。案の定、リョウが噛み付いてきた。

「また何処ぞの路地裏で因縁買ってたワケじゃないだろうな?」

自分の素行不良を案じている兄が心底鬱陶しく、セイは眼を逸らすことしかできなかった。が、すぐに第二国王の言葉に噛み付かれる。即ち、

“君も、まだリョウ君達にちゃんと話していないと見える”

と。

 思うところのあったセイは、此処でコトをはっきりさせるべく、切り出した。

「なァ、リョウ、」

起き上がったセイは、リョウの隣に座り直した。

「何だよ、あらたまって?」

弟からこういう話かけられ方をされたことのないリョウは、大きく戸惑っているようだ。構わず、セイはリョウから受け取ったままの釣銭を手のひらに転がしながら、「その次」の手を考えていた。いや、最早、言葉は不要なのかもしれない――セイは決断し、おもむろにリョウの眼前に立ちはだかった。

「え? ……あ!」

セイの意図を読んだリョウは青ざめた。慌てて弟の手から逃れるために身を捩ったのだが、それがどうも良くなかったようで、弟に見事に「在り処」の当たりを付けられてしまった。もう逃げられない、と観念したリョウのサイドベルトに容赦なく手をかけたセイは、そのベルトに括りつけてあった麻袋の紐を解く。

「ああセイ様、ご無体を!」

「黙るか死ぬか選んどけ、低能」

セイは有無を言わさず麻袋の中身を確認した。

「アメ玉3個、チョコ6つ、ビスケット2箱……良し。これで計算が合った」

セイは菓子を没収し、麻袋だけリョウに投げ付けた。

「あのさ、お菓子も返して欲しいなー、なんて」

一転してリョウは弟に懇願する立場となった。

「没収だ」

セイは冷徹にそう言い放つと、嘆息を漏らす。世界を変えようとしているこの男は何処か幼稚だ。少し、セイは羨ましさを感じた。

「どうせお前、甘いもん食えねえだろ」

リョウはセイから何とか菓子を奪取した。

「ったく、ピクニックじゃねえんだぞ」

最早このやりとりも鬱陶しくなったセイはベッドに仰向けになった。強く出られないのは、先刻からずっと、第二国王の言葉が脳裏にこびりついているからだろう。

“君が知らせぬまま、『その時』を迎えてしまえば、リョウ君の抱え込む悲しみは計り知れない”

「(そうだとしても、)」

セイは思った。

「(今じゃ無い)」

“現在(いま)を楽しめ”――そんなことを言ったのは、目の前で鼻歌なんかを歌っている、この兄だった。

(4)

 その夜は雨が降っていた。星も月も出ていない暗黒の中で、ザワザワと流れる水の音だけが聞こえてくる。気持ちを落ち着けるには丁度良いのかもしれない。

 リョウは一度起き上がって、カーテンを少しだけ開けてみた。ただの黒い空間は妙に不安感を募らせる。それは先の読めぬこれからの戦いのメタファーなのだろうか。

「眠れないのか?」

傍らのフィアルが眼を覚ましてしまったようだ。

「ゴメン、起こしたな」

リョウはすぐにカーテンを閉めた。

「早く眠った方がいいよ。明日は大事な日なんだしさ」

「そうだよね」

リョウはシーツを深く被った。サンタバーレは比較的温暖な地域。晩夏の夜も暑くて寝苦しいくらいなのだが、流石に雨降りの今日は涼しかった。

「気持ちは分かるよ。不安なんだろ? やっぱり」

フィアルの表情は分からないが、少し笑ったようだった。

「……ああ」

リョウは素直に認めた。

「何となく不安で――息が詰まるんだ」

確か、旅立つ前はこんなに苦しくは無かった気がする。あの頃と比べると、色んなことが変わってしまった所為だろう。

「でも、みんなそうだよ」

フィアルの寝返りを打つ音が聞こえた。

リョウの頷く声と、溜息と、沈黙を待ってから、フィアルは切り出した。

「リョウちゃんは、リノロイドを説得することだけ考えて」

「え?」

フィアルからのその言葉がリョウには意外で、思わず訊き返してしまった。

「戦うことになったら、オレや、リナ姉がちゃんと守ったげるから」

そして、その時に自分の問題として母親とケリを付けるから――そう言ったフィアルは欠伸をしてみせた。

「ありがとうな、フィア」

 雨の音が弱くなった。明日には曇ると聞いている。そろそろこの雨は止むのだろう事がリョウにも分かった。

 傍らのフィアルは、またすぐに眠りについたようだった。寝息を立てている彼の向こう側には、背を向けて眠っている弟がいる。彼は、旅の当初は兄と並んで歩くことすら嫌がっていたのに、今となっては一緒に雑魚寝をしてくれている。それが何だか不思議で、リョウは思わず笑ってしまった。

「(寝るか)」

明日に疲れを残してしまうと、皆に迷惑が掛かる。何せ今まで迷い過ぎた。その所為で、特にこの弟には迷惑をかけただろう。

「(もう、大丈夫だから)」

リノロイドを説得して、闇の民と共併存を図る為の戦いが始まる。依然として、不安感は残ったままだが、リョウは強引に眠りに就いたのだった。

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