第53話 禁じられた区域(神に一番近い場所)
(1)
そこには、神使達だけが残されていた。
「ケツァルコアトルを、また選び直さねばなるまいな」
ポツリと、ドゥーヴィオーゼが言った。
「何を傷付いているのです?」
ミッディルーザが笑った。
「ボク達は、もう“勇者”ではないのです。そして、今までちゃんと“神使”として職務を全うしたのですよ?」
「全うした?」
ドゥーヴィオーゼは弟に訊き返す。しかし、弟の真意を確かめる前に、今まで傍らにいた暗黒獣・アミュディラスヴェーゼアが大きな咆哮をあげ、翼を広げたのだ。
「何だ?」
この神獣は暗黒護神使の命令以外の動作をすることは無い筈なのだ。
「これは、一体……」
戸惑うドゥーヴィオーゼと微笑むミッディルーザを残して、アミュディラスヴェーゼアはリョウとセイが落ちていったコウバ色の空を垂直下降していった。
「主を迎えに行ったのでしょう」
ミッディルーザは暗黒獣を見送り、曰く。
「『神』はボク達の手を離れました」
ミッディルーザの言葉に、ドゥーヴィオーゼは当惑したまま、その真偽を確かめるべく『神』の声を聴かんと目を閉じた。しかし、
「……何ということだ」
『神』は何も応えてはくれなかった。ミッディルーザは少し前からこのことに気が付いていたのだ。
「『神』は、リョウとセイに興味をお持ちになったということなのでしょう」
ミッディルーザはニコリと微笑んで兄を見た。
「良かったではありませんか」
――更に別の“テーゼ”が構築されるかも知れない。
一方、
「(アミュー?)」
セイは頭上からやってくる巨大な黒い生物を確認していた。暗黒獣・アミュディラスヴェーゼアは、セイよりも下方に回りこみ、その背にセイをフワリと乗せると、下降角度を緩め、大きく旋回した。セイは暗黒獣の長い首に腕を回し、しっかり掴まる。暗黒獣はそれを確認すると、今度はリョウ目掛けて再下降した。
「(まさか、この畜生に助けられるとは)」
セイとしては不覚である。記憶を食って育ったなどという得体の知れない抽象的な生物に付きまとわれることについて、彼はまだ不快感も抵抗もあったが、今は文句を言っている場合では無い。セイの目が、黒い点を捉えた。その他に色彩など無いこの世界に於いて、「点」とは、間違いなく彼の双子の兄である。
「リョウ!」
(2)
――自分を呼ぶ声に気が付いたリョウは目を開けた。
「(セイ?)」
弟の声が聞こえたと思ったリョウの視界が捉えたのは、大きな黒い影だった。意識が既に混濁して来つつあった彼は、とうとう「お迎え」が来たのかと少なからず寒気を感じたが、どんどん大きくなってくる黒い影の正体が暗黒獣・アミュディラスヴェーゼアであると気付けたリョウは、何とか落下体勢をコントロールして降下速度を緩めた。
「掴まれ!」
差し伸べられたセイの腕に、リョウは肩をはずさないように気をつけながらしがみつく。アミュディラスヴェーゼアはリョウをもきちんと背に乗せて降下速度を緩めた。
「あー、とうとう死ぬかと思った!」
長時間の高速落下により半身に偏ってしまった血の所為なのか何なのかは知ったことではないが、リョウの頭はぼんやりしている。一言喋っただけでリョウの頭の中では音が共鳴するような錯覚があり、正直、吐き気を感じるほど気分は悪い。そこへ来て、
「死ねば低能が治ったかもな」
と弟が毒を吐くのだ。
「悪かったな、低能で……痛ッ!」
うっかり怒鳴ってしまった為に起こったひどい耳鳴りと強い目眩に小さく呻いたリョウは、塞がっている両手の代わりに、取り急ぎ目の前にあるセイの背中に額を埋めて頭の疼きに耐える。そうして押さえていた頭の上から、丁度、セイの声が聞こえてきた。
「――今回は褒めてんだよ」
「あ?」
リョウは、まだ痛む頭でその言葉の意味を考えようとしたが、すぐに挫折した。
「掴まってろ。速度を上げる!」
セイは暗黒獣に上昇命令を出した。一気に重力に逆らって、黒い怪物が翔け上がる。慣れない重力に何とか耐えながら、リョウは弟に確認した。
「あの人達と戦うのか?」
抽象的な彼等の正体など、まだリョウには理解できていなかったが、ちっとも勝てる気はしない。
「戦うってか、ぶっ殺す!」
セイはそう吐き捨てたが、戦ってどうにかなる相手では無いだろうことは、恐らく彼も感じているだろう。少なくとも、あの神使達がリョウとセイに“絶対元素”のチカラを与えてくれたのは紛れも無い事実である。
「戦うんなら、オレも戦う」
頭痛がだいぶ引いてきたリョウは、遥か頭上の石盤を睨み、「退っ引きならねえ」と呟いた。
「勝手にしろ」
そう言ったセイの表情はリョウからは見えない。拒否されてはいないようだが、鼻で笑われた気はする――所詮自分は低能だ、と割り切ったリョウは、一切深読みをしないことにした。
(3)
しかし、例の石の円盤に辿り着いたリョウとセイを待つ者は無かった。
「何処へ消えやがった?」
セイは舌打ちした。リョウも注意して周囲の気配を探ったが、やはり誰もいない。
「出てきやがれ、細目コラァ!」
セイが怒鳴る。ちなみに、彼の言う“細目”とは、ドゥーヴィオーゼのことである。この状況を打開せねば話は展開しないが、
「お前は何処のコレ者だよ?」
冒頭から輩気質丸出しの弟の言動に、兄として、慣習法上の監督義務者として、リョウは困惑せざるを得ない。
その時だった。
「考えて御覧なさい」
と、やおら声をかけられ、リョウとセイは振り返る。
「ミッディルーザ」
思わずリョウとセイは間合いを取って警戒したが、「もう落としはしませんよ」とミッディルーザに微笑まれ、その言葉を素直に信頼したリョウの方は警戒を解いた。更にミッディルーザは続けて補足する。
「ボク達は実体のない抽象的な存在。戦うなどという物理学は通用しません」
それならわざわざ戦わずに済むだろうとホッとしたリョウと、戦えないのかと舌打ちするセイがあからさまに表情を変えた。対峙しているミッディルーザは、対照的なこの双子を面白がって見ているようでもあった。
「さあ、考えて御覧なさい」
もう一度、ミッディルーザはリョウとセイに問いかけた。
「二種を共に滅ぼすことなく、戦いを終結させる方法を」
表情こそ柔和だが、彼の質問は問題の核心に迫るものだった。リョウとセイは顔を見合わせるしかなかった。
「『神の意思(シナリオ)』を否定したからには、それなりに何か考えがあったのでしょう?」
それはまるで詰問のようでもあったので、リョウは困惑してしまった。そう、彼は“何か考え”があったから反発したわけではないのだ。
「理由は……その……」
何か答えないと流石にマズイか、とリョウは唸り声を上げる。しかし、リョウの困り果てた様子に、ミッディルーザは吹き出し笑いをしていた。
「やはり、何ら考えをお持ちでは無いようですね」
どうやら彼は、分かっていて問うていたようだ。
「(つくづく性格悪いよなァ、コイツ!)」
珍しく見解が一致したリョウとセイは、それぞれ呆気に取られてしまっていた。構わず、ミッディルーザは続ける。
「恐らく貴方達の中にあるのは、今あるこの世界への敬意。いや、そんな大層なものではなく、より身近にある大切なモノというべきでしょうか。まあまあ、あえて言葉にすると貧相なので止めておきましょう」
それにしても何故だろう、先程まで神使達に感じていた近寄り難さや威圧感めいたものが和らいだような気がして、リョウはミッディルーザをまじまじと見つめてしまう。
「世界を消せ……そんなことを言われて、素直に頷くなんて出来ませんよね。特に、貴方達みたいに感覚に素直に生きている人達ならば」
「(暗に“単純だ”と言われているような気がするんだが?)」
リョウとセイはミッディルーザの言葉の刃に巧く切られていた。
「きっと、ボクや兄が『勇者』だった時も、同じことをやったのだろうと思います」
そう言って零れたミッディルーザの笑みが悲しげで、リョウはハッと息を呑んでしまった。
「我々神使は、『神』に対して能動的では居られない――つまり、“神の意思(シナリオ)”に束縛されている存在でしかありません。どうか、先程の非礼はお許し下さい」
「それはもう良い」
展開しない会話に嫌気がさしてきたセイは、早速ミッディルーザから目を背けた。
「それより、何故オレ達はここに連れ戻されたんだ?」
暗黒獣・アミュディラスヴェーゼアの所有権が既に自分に帰属している事を、まだセイは知らない。
「『神』は既にオレ達を離れ、沈黙している」
セイの背後から現れたドゥーヴィオーゼが、“誤解のなきように”と告げた。
「ひょっとしたら、お前達にはもう『シナリオ』の声が聞こえるかも知れないな」
リョウとセイの間を通り抜け、ミッディルーザの横に並んだ彼は、そう言うと微笑んだ。
「オレ達が?」
リョウは問い返してしまった。
「そうですね。貴方達なら、……今の貴方達ならば、新しい“テーゼ”を見つけられるのかも知れません」
――話はいつの間にか振り出しに戻っていた。
「(無駄足か)」
此処にも“テーゼ”は無いのか、と思わずセイが吐いた溜息の意味を察したのかどうかは分からないが、不意のこのタイミングで、ミッディルーザが杖を召喚した。
「これから、貴方達を『神』に一番近い場所に転送します」
彼の提案に、リョウとセイは驚きのあまり声を失った――「勇者」だ「英雄」だ、などと言われて剣をとってきたものの、その実、リョウとセイは所詮俗人でしかない。唐突に『神』の何だのと真顔で言われても、正直ついて行けないのである。
「そう緊張するな。まさかばったりハチ会うなどということは無い」
『神』の御意思に耳を傾けろ、とドゥーヴィオーゼは言う。
ミッディルーザが杖を掲げたのと同時に、強い光がリョウとセイを包む。二人は、眩しさのあまり目を閉じた。
(4)
『神』に一番近い場所――そこは、言わば「夜」だった。黒い背景に、星のような青白い光が点々と灯る場所。それはあたかも一個の生命体の如く、時には点いたり、時には消えたりしていた。音と言っても何も無い。明滅を繰り返す青白い光のあるその空間は、浮いているのか立っているのかを見失うほど不安定な足場で、リョウもセイも座り込むしかなかった。
「で、何か聞こえるか? リョウ」
『神』の意思を聞くとは、一体どういうものなのか。セイは、この余りにも抽象的な作業と抽象的な世界に辟易していたところだった。
「んー……サッパリ、だな」
せめて『神』を名乗る者がひょっこりやって来て、「こうしなさい」「いや、ああしなさい」とでも言ってくれれば、どんなに楽だろう。
「これは、」
セイは思ったのだ。
「騙されたんじゃねえの?」
最早、彼の目には何もかもが胡散臭く見えていた。特にこの空間――床も天井も壁も分かったものではない。バカにされているみたいで腹が立つのだ。
「今更そんなコトするような人達じゃないって」
とは言うリョウも、先の見えないこの難問に多少疲れてきたところだ。
「ケッ、甘チャン! ついさっきまで奴等に殺されかけてたろ?」
「それはそうだけど、もう済んだ話だろ」
リョウは少し伸びた前髪を掻き上げた。そうして少しでも混沌がクリアになれば良いものの、現実問題、セイは相当苛付いていて話にならない。リョウとしては、弟のその気持ちも十分察してやれた。リノロイドのいるアンドローズまで、もう目と鼻の先である。自分だって、こんな所で時間を費やしたくは無いというのが本音だ。ともすれば、戦況だって大きく変わってくるだろう。
「……終わったな」
セイは嘆息を吐き捨てた。
「うるせえよ」
リョウはもう一度前髪を両手で掻き上げ、よくよくこの訳の分からない世界を見渡した。どう低能のアタマをつついても、『シナリオ』なんて聞いたことが無いし、『神』を見た覚えもない。
「『神』に祈るか? いい加減にしろよ」
セイはあまり信心深い方ではない。リョウとしては、弟の言いたいことだって、十分察してやれた。
例えば、『神』を拝んで生きてきた高徳を称する僧侶は皆、「聖戦」を口にし、互いを淘汰し続ける事を正当化する説法を食いブチにしてきた。そうでなければ高価なサープリス(白法衣)に身を包み、歴史的重要文化財指定建築物という肩書き付きの雅な寺の中で、「戦争は悲劇だ」と謳ってきただけである。そういう口先達者な奴等に中指立てて、先頭で剣を振るっていたのが、他でもない、このセイなのだ。だからこそ――
「終わったなんて、言うなよ」
リョウはこの機会に懸けていた。二種を共に滅ぼすことなく、戦いを終結させる方法――そんなものがあるのなら……
「答えがあるんなら、見つけてえよ」
ものは試しに、リョウは目を閉じてみた。しかし、眠くなるだけだった。
「お前も下らねえコトやってないで、脱出方法考えろ」
既にセイは此処から出る方法を思案し始めているようだ。しかし、「それは違う」とリョウは思っていた。
「諦めんのかよ?」
リョウはまだ何となく重い瞼を弟に向けた。むしろ、まだ抵抗する余力のあるセイが羨ましいとさえ思った。そこへ、
「……酷ェツラして、何ほざいてやがる」
と、思わぬ毒が盛られたのだ。
「え?」
セイに言われて、リョウは漸くこの眠気の正体を自覚した。先程の落下の際の疲労が濃く顔に出ているのだろう――早い話、多分きっと、恐らく、あまり自信はないけれど、弟は心配してくれているようだ。
「だって、何の為に此処まで来たんだよ?」
何とか気を持ち直して、リョウは両手で顔面を擦る。幾らか眠気は消えただろうか。
「やってられねえ、って言ってるんだ」
セイは立ち上がろうと足がかりを探している。しかし、ただでさえ足場の不安定な空間だ。もがいたところで水の中のようで、身動きすらままならない。いつもの弟なら、こんな得体の知らない世界から、神使達の協力も無く脱出する事など不可能だと判断するだろう。そんなことに頭を使うくらいなら……
「助けが欲しいんだ」
自分の足りない脳ミソで、今まで散々悩んだにもかかわらず辿り着けない“答え”を探す助けが欲しい――
「は?」
セイは苛立ち交じりの視線をリョウに向けた。
「何の為に此処まで来たんだよ? お前だって……いや、お前の方が、今まで後味クソ悪ィ戦い、色々やってきたんじゃねえのかよ?」
光と闇の狭間で揺れ動く勝負の行方が、あまりにも残酷な運命の悪戯で振り分けられてしまった。そうしてそれは、戦士達を執拗に傷付けて幕を下ろしてきた。
「ましてや、この世界への入り口は、ランダじーさんや親父や、マオさん達が繋いでくれたモンなんだぞ?」
まだ何だか眠い瞼のまま、何とかセイを見据えたリョウは、観念したように笑ってみせた。
「――そろそろ真面目に身の振り方考えろっていう、『神』様とやらのお達しなんだろうさ」
思わずリョウを見つめてしまっていたセイは、慌てて目を逸らした。リョウは構わず、助けを請うた。
「オレ等で最後にしよう、戦争なんて。人間も魔族も悪かないんだし」
――光と闇にとって、まだそういう希望があったって良いじゃないか。
セイは頭を掻いて、大きな溜息を一つついた。
「眠たそうに何を言い出すかと思えば……」
気に入らなければ神だろうが閻魔だろうが叩き切る恐怖の弟・セイは、いわゆる「押し」には徹底して牙を向くが、「押しの押し」にはめっぽう弱い――今回、リョウはそれを思い切り利用した。
「その小せぇ脳ミソの何処に、そんな啖呵が入ってたんだか」
利用された自覚はあるのだろう、セイからは容赦のないボヤキが立て続く。
「“小せぇ脳ミソ”は余計だろ!」
リョウはムッとして見せた。少しだけ、目は覚めただろうか。
「神サマか」
いるとしたら、もっと上あたりだろうか。セイは天井(と思われる方向)を仰いだ。
「チッ。居るんならさっさと教えやがれ」
気は進まないが、セイも『神』とやらに懸けた。
「コラ、もっと敬意を払いやがれ」
リョウは口元を緩めた。 ――“『神』よ、”
「うるせぇ。お前みたいに黙りこくってたって、聞こえやしねえだろ」
セイは適当に天を指差した。 ――“我が祈りに応え給え”
「神様っ! お、し、え、て、プリーズっ!」
リョウは大声で叫んでみた。仰け反るセイは頭を抱えた。
「お前こそ敬意を払いやがれ!」
――“もう光も闇も、争いたくは無いのです”
「あ、分かった」
リョウはポンと手を打った。
「オレ思うに、今神様は睡眠中なんだろうよ。だから声が聞こえないんだ!」
「要は、お前が眠いんだな?」
セイはしっかり見抜いていた。
「だって、もうそろそろ外界だって夜だろ?」
リョウは大きな欠伸をした。
「ま、睡眠時間には違いないだろうな」
否定しないのは、先刻からセイも眠気を感じていたからである。
「ちょっと……寝るか」
先程の空間のように魔物が来るということは無いだろう。兄の提案にセイは妥協した。
「仮眠だぞ、仮眠」
神に一番近い場所で、勇者が先ず行ったのは「睡眠」であったという。
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