第52話 禁じられた区域(ジンテーゼ)

(1)

 「雨か」

リナは飛空艇の丸い窓から外を見ていた。

 あれから、3日が経つが、リョウとセイは戻って来ない。焦るわけでもないが、心配だった。何せ、まだ17歳の彼らが、世界を変えようとしているのだ。

「晴れてくれれば、手合わせ願いたいトコだけどな」

禁じられた区域|(フォビドゥンエリア)周辺の季節は、初夏であるようだ。半日置きと言って良いくらい、よく雨の降る場所だった。これを奇貨としたフィアルは、なかなかできずに放置していた剣の手入れを始めている。

 並行して、ここに来てから、フィアルの扱う魔法分子量が上がり続けている。人間居住地(サンタウルス)ではあまり目立たぬように、彼が扱える魔法分子量の幾らかを封印していたのだろう。打倒・リノロイド――彼は本気だ。

「手合わせか。止めとくよ。アンタとは術者としての格が違い過ぎる」

それはリナの正直な感想だった。それでも、実際リノロイドと戦うことになれば、そうも言っていられないのだが。

「(戦う、か)」

自分は魔王を守護する為に作られた筈だったのにな、とリナは失笑した口元を掌で隠した。

「格が違うなんて、それは謙遜し過ぎですゼィ、姐さん」

フィアルはニヤリと笑った。

「サンタバーレ正規軍の実習室で秘密特訓してたって、ファルツ大臣が教えてくれたんだけど?」

「そんな大げさな」

リナは苦笑を返しておいた。

「私のチカラでは、あの子達を守りきれるかどうか分からない。せめて、戦力の足しになれば、それで良いんだ」

世界を変える手伝いになれば良い――リナは窓の外の露草を眺めていた。

 露草の、頼りない細い茎、丸みを帯びた葉、青い花に円い水滴が落ちてきて、揺れた。

「やはり、じっとしているのは時間の無駄だな」

外に出ようと思ったリナは、殆ど色素の無い長い髪を束ねた。

「え? この雨の中行くの?」

フィアルは慌ててベッドから起き上がる。

「アンタは良いんだよ。風邪でもひかれちゃ大変だしな」

そう言って背を向けた彼女に向けて、フィアルはベッドの上から言葉を投げた。

「人工傭兵(ダイノ)だって、一応、病気するんだよ?」

――遠雷の音がして、雨脚が強まる。金属製の飛空艇の屋根に落ちた雨粒達がザワザワと音を立てた。

「……知っていたのか」

振り返ったリナは、何とか笑って見せた。

「ダイノ計画の資料は全部廃棄したと思っていたケド」

「オレだって、こう見えてもサテナスヴァリエの中枢にいたんだ。魔王軍の闇に関わる部分だって、嫌と言うほど見せられてきたさ」

剣の手入れを終えたのか、フィアルはゆっくり背伸びをした。観念したリナは一つ溜息をつく。そこへ、

「なーんてな」

などと舌を出して、フィアルは笑った。逆に、リナは面食らってしまった。

「ただの勘だよ」

「勘?」

「ひょっとして、って思ってたコトを、試しに訊いてみたってだけ」

ダイノ計画の存在のみを聞いたことがあるくらいだ、とフィアルは白状した。リナは出入り口の扉にかけたままになっていた手を、漸く下ろした。フィアルがそれに気付いて、お湯を沸かす。

 飲むなら、お茶かコーヒーだろう。心を落ち着けるには都合の良いツールが、茶棚の引き出しの籠にぎっしり詰まっている。

「隠していたかった? だったら、悪いコトしたか」

「いや、隠していたワケじゃない」

誰からも訊かれなかったから、誰にも言っていなかっただけのこと――リナはフィアルが座っていたベッドの縁で、試しにコーヒーの方を待ってみた。

「そうそう、こんな日は外に出ないで、大人しくコーヒーでも飲んでた方が無難だよ」

リナの勘が当たり、コーヒーが来た。

「“勘”か」

あながち、バカに出来ないようだ。リナはフィアルからコーヒーを受け取った。

 「魔王の息子のオレが言うのも何だけど、」

フィアルは自分のために、もう一つコーヒーを注ぐ。

「ダイノって、確か、魔王への忠誠で生かされてるようなものだ」

フィアルの言わんとしている事は良く分かる。リナはコーヒーを一口飲んだ。

「――だから、私は失敗作なんだ」

「失敗作?」

その言葉に動揺したフィアルの手元が狂って、お湯をこぼしてしまった。彼は慌てて布巾を探す。

「廃棄物処理場で、処分される寸前だったんだ」

もう一口、コーヒーを飲んで、リナは淡々と説明し始めた。フィアルは驚いてリナを見た。

「そこを、カルナに救われてね」

「そう、なんだ」

垣間見えたリナの表情は懐かしそうで、今だって笑い混じりで親友のカルナの話を続けている。もっと暗い表情をしているのかと思っていたので、フィアルはそれにも小さく驚いた。

「でも結局は、誰かに忠誠を誓って生きてきたようなもんさ」

マオやディスト、ランダやセレスが、正にその典型だと彼女は言う。

「我々は、主に従たる存在(もの)としての生き方しか教わっていない」

フィアルは顔を上げた。

「悔しいが、それにだけは抗えない」

丁度、そう呟いたリナの表情が初めて曇ったのを、フィアルは見逃さなかった。彼の動揺に気付いたリナは補足する。

「だって、悔しいじゃないか。――今の私でさえ、プログラミングの賜物だなんて」

“プログラミングの賜物”とは、また随分な謙遜だとフィアルは思う。彼だって、リナが「仕えていた」なんて言っているランダやディストの人となりの良さは、よく知っていたからだ。

「忠誠っていうか、」

フィアルはやっと布巾を見つけ出し、こぼれた水を拭く。

「もっと単純に、姉さんは“気に入っちまった”んだよ。ランダや、その同志達や、リョウちゃんとセイちゃんを」

心ある彼女は、絶対に「兵器」などではない――フィアルには確信があった。

「姐さんは、もうちょっと、“失敗作”ってトコロに誇りを持っても良いんじゃない?」

「……そうだな」

少し冷めたコーヒーを一口飲んで、リナはテーブルの上にコーヒーカップを置いた。その時、少し笑った彼女と、フィアルは目が合った。その目をすぐに窓に向けて、「可笑しいな」とリナは続けた。

「何となく安心してしまった。何にも解決した訳じゃないのに」

リナは髪を解いて、ベッドに仰向けになった。

「きっと、アンタのおせっかいが効いたんだろうね」

「え……!?」

思わず、フィアルはドキッとしてしまった。

「誰かを信じることは、勇気がいると聞く。私は、運が良かったみたいだ」

“良い仲間に巡りあえたということなのだろう”などとリナは笑っている。

「そういうことさ」

フィアルは注いだばかりのコーヒーを一気に飲み干した。軽い火傷が暫く痛んだ。

(2)

 突然現れた神使達に、双子達は一旦喧嘩を中断した。

「テメエ、落とし前つける覚悟は出来てるんだろうな?」

早速だが、セイの眉間に皺が寄った。相手はどうやら暗黒護神使のようだ。そう、彼は一時的にせよ、暗黒護神使に記憶を封じられている。やはり、セイの本意ではなかったようだ。

「久しいな」

泣く子も釈迦も閻魔も黙らすだろう殺気立ったセイを見て、暗黒護神使は薄笑みを返しただけだった。

 暗黒護神使の切れ長の鋭い細目は、リョウから見ても、威圧感を覚えずにはいられなかった。それに比べると、大きな下がりがちの目をした明護神使は、華奢で小柄という中性的な容貌も相まって、親しみやすい印象を与える。

「感動の再会に水を差すようで悪いが、この場はドゥーヴィオーゼと呼んでもらおうか」

暗黒護神使はそう名乗った。

「ドゥーヴィオーゼだと?」

古代人に多い耳馴染みのない長めの名を聞いたセイはハッとした――口承神話上、この名は、世界を海で隔てて光と闇の戦いを終戦に導いたという伝説の『双子の勇者』の一人の名前だ。

「では、ボクはミッディルーザと呼んで頂きましょう」

それを受けて発した明護神使の言葉が決定的だった。

「じゃあ、御二人が、伝説の『双子の勇者』ですか?」

リョウは仰け反る――双子の筈なのに、似ても似つかぬ二人であるからだ。

「ホラ、見て御覧なさい。今、絶対“似てないのに!”って思われてしまいましたよ?」

「もう慣れた」

「お顔の悪い兄、お口の悪い弟と覚えて下さいね」

柔和な微笑みを決して崩さずに、明護神使ことミッディルーザがサラリと兄に毒を吐いた。

「(このヒトってば、良い人そうで毒舌!)」

「(コイツも油断ならねえな)」

リョウとセイが珍しく同調する中、暗黒護神使ことドゥーヴィオーゼはストレスを心の内側に溜め込んでいたらしく、

「進めて良いか?」

と、半ば強引に話を本題に戻しにかかった。

(3)

 ドゥーヴィオーゼは、リョウとセイが此処に来た「目的」と、「目的」達成の為に彼等が持ち帰るべき「手段」を知っていた。

「お前達は、新たな“テーゼ”を得る為に、此処にやって来たのだろうが、」

余りにも核心に触れていたので、リョウもセイも黙ってしまった。

「我々は、その“テーゼ”を用意している」

こんなにもあっさり答えが用意されているとは思っていなかったリョウとセイは、互いに顔を見合わせた。

「後は、それをお前達が受け容れるか、受け容れないか」

ドゥーヴィオーゼの表情が険しくなった。一方のミッディルーザは変わらずに口元に笑みをたたえている。

「とにかく話せ。呑むかどうかはそれからだ」

セイはまだドゥーヴィオーゼを許していないようだ。先刻から口調が尖りっぱなしだ。

「――先ず、『神』ありき」

突然、ミッディルーザが口を開いた。

「それだけは、心に留めておいて下さいね」

双子の兄の代わりにそう前置きした彼は、また例の微笑を浮かべて口を閉ざした。

「『神』の命により、我々はお前達にチカラを与えた」

ドゥーヴィオーゼは説明し始めた。

「一つ目は、暴走していた闇魔法分子のチカラを殺ぎ落とす為。つまり、強大な闇のチカラを支配し、世界に魔法分子バランスの不均衡を齎した闇の民の王・リノロイドへの徹底的な反抗がそれだ」

それは功を奏し、今、魔王勅命軍の攻防の要だった『四天王』は、事実上解体している。それによって魔王軍が即座に光の民を絶滅させる危険性は低くなった。

「二つ目は、お前達に“アンチテーゼ”を導いてもらう為」

<光か闇のどちらかを淘汰しなければ、戦いは止まない>というのが、リノロイドが打ち出した“テーゼ”である。一方、<光と闇の両種は、共に淘汰されるべき存在ではない>――リョウとセイが戦いの中で何とか導いた“テーゼ”は、リノロイドの導いたそれとは対立したままに世界に横たわってい命題、つまり“アンチテーゼ”である。

「三つ目は、アミュディラスヴェーゼアの完成の為だ」

そう言って、ドゥーヴィオーゼは暗黒獣を召喚した。

「専ら、これはお前のお陰だな」

ドゥーヴィオーゼは苛立ち始めたセイを挑発する。

 売られた喧嘩を買い取りかけたセイを、何とかリョウが制し、

「それよりさ、」

と切り出した。彼は低能なりに話をまとめてみたのだが、自分達に求められていることが、まだ、何も見えないのである。即ち、

「絶対元素のバランスの均衡と、“テーゼ”、それからアミューの完全体って、一体何の為に必要なんだ?」

リョウは嫌な予感がしていたのだ。不安感というよりも、もっと寒気を感じるほどの嫌な印象のものを、漠然と、である。それと同じものをセイも感じていた。だから、彼は余計に苛立っているのである。

「いい加減白状しろ。貴様等一体何企んでやがる?」

しかし、セイの問いに、ドゥーヴィオーゼは沈黙してしまった。どうやらそれは、言葉を選ぶ為に必要な間だったようだ。

 やっとのことで、ドゥーヴィオーゼは重い口を開いた。


「この世界を、消す」


(4)

 ドゥーヴィオーゼの言葉の意味するところが、リョウとセイには分からなかった。いや、二人は必死で肯定的解釈をしようと試みていたのだ。しかし、その言葉をどう切り取ってみても、解釈は一つしか見つけられなかった。

「素直に納得は出来ないだろうが、『シナリオ(神の意思)』通り行くとそうなる」

リョウとセイの心情を幾らか汲んで、ドゥーヴィオーゼは続けた。

「我々は『シナリオ』に則り、この世界を守護している」

彼の話によると、この世界は、その始まりから終わりまで筋書きがあるのだという。それがどうやら『シナリオ』と呼ばれるものらしい。「待てよ」とリョウが噛み付いた。

「じゃあ、世界が消えるってのは、止めようがない宿命ってヤツなのか?!」

リョウはドゥーヴィオーゼに詰め寄った。然るべきこと、とドゥーヴィオーゼは視点を変えて説明し直した。

「抗い続け、傷付けあう民達の行く末を『神』は悲観なさった。これではあまりにも民が哀れだ、ということなのだろう。だから一度、今在る世界を壊し、より優れた新しい世界を創造しようとなさっているのだ」

それを秘密裏のうちに進めることこそが、リョウとセイに与えられた使命なのだそうだ。

「我々は、直接外界にチカラを行使することを許されてはいない。その代わり、外界に、我々と同等のチカラを持つ二子を、“ケツァルコアトル(高貴なる双子)”として送るのだ」

つまり『神』は、リョウとセイに「世界を消せ」と命じているというのだ。

「……嫌だ、と言ったら?」

セイの殺気が増した。

「それは――」

よほど言いづらいのだろう。ドゥーヴィオーゼが暫く回答をためらった為、やや長い沈黙が続いた。

「“ケツァルコアトル”の資格無き者は、外界での存在理由を失います」

見兼ねたミッディルーザが、代わりに死を宣告した。その時だって彼の口元には微笑みがあったが、むしろそれは冷徹に見えた。

「『神』への背信行為の罰であると解して下さい」

罰という言葉に、リョウは息を呑んだ。

この世界を壊すことが自分達の存在理由とされたのだ。ならば、今までの戦いは何だったというのだろう。この世界を舞台に、生けどし生きる誰でもが、何時か来るかも知れない平和というものを信じながら傷付き、戦い続けてきた。だからこそ、今に至るまで自分達は剣を取ることが出来たのだ。

――しかし、民が築き上げてきた、平和へのシナリオは白紙に戻されようとしている。

「(無駄、だったってのか?)」

喜びも悲しみも、生も死も、痛みも、苦しみも、この今までが全て。

「さあ、どうする?」

ドゥーヴィオーゼが問い掛ける。

「この“テーゼ”を受け入れるか、否か?」

即ち、


<二種を殲滅すれば、患いは止む>。


「い、や、だ!」

きっぱりと、リョウは言い切った。

(5)

 「お断りだ」

“世界を消す”など、到底、リョウに受け入れられるものではなかった。

「お前は、自分の言っていることの意味が分かっているのか?」

ドゥーヴィオーゼの驚いた表情は、次第に困惑の色が濃くなっていく。

「オレは死ぬ、って言ってるか?」

と言い放ったリョウは、ドゥーヴィオーゼを睨みつけた。珍しくケンカ腰の兄を、セイは横目で見る。

「ってか、そんな残酷なヒトが神様なら、オレ、ケツァル……何とかじゃなくて良い!」

“ケツァルコアトル”とすら理解できていない彼が、一体今の話の何パーセントを理解しているのかは分からない。それはさておき、どちらかというと信心深い方のリョウにここまで言わせたのだ――いよいよ面倒だ、とセイは思う。

「オレ達は本っ気でオレ達の世界が平和になるようにって、必死こいてきたんだ! 何度かくたばりそうにもなったし、その度に誰かが傷付いて、助けてくれて、そりゃもう何度も泣きながら、やっとリノロイドと目と鼻の先ってとこまで漕ぎ着けたんだ!」

セイは暫く兄を見守ることにした。口を挟む余地が無い、と判断したからだ。

「それを、結界張りまくった島の中のバカ高い塔の上から見下ろして、“哀れ”だとか“いっそ壊しちまえ”とか、そんなケチ臭いのが“神”でたまるかよ!」

ドゥーヴィオーゼが完全に沈黙し、ミッディルーザから完全に笑みが消えた。

「そりゃあ、神サマなんかからすると、世界を作り直すなんて、他愛もないことだろうよ。ケドな、誰かが死んでしまうってのは、数の大小関係無しですごく大変で、とんでもねぇことなんだ!」

セイは神使達から殺気のような、ぞっとする静寂を感じ取った。ただ、暴走する兄を制さないのは、彼自身も少なからず兄に同調するフシがあるからなのだろうか。とにかく、リョウは二人の神使を見据えて続けた。

「アンタ達なら……『勇者』と呼ばれたアンタ達なら、よく分かんだろ?!」

暗黒護神使が、リョウから完全に目を逸らしてしまった――セイは剣の柄に指をかける。

「(何考えてるんだ、オレも)」

神使達に刃が通じるかどうか、セイの知ったことではなかった。ただ、自分のすべきことなら、セイにもよく見えていた。丁度、リョウがとどめの一言を切り出したところだ。

「世界を消すだって? そんなこと、出来ねえよ。でも、それが罪だと言うんなら、オレは、罰を受ける!」

そもそも、リョウにはこれが罪だとは思えなかったのだ。


「今、苦しんでる皆がいるこの世界を救えねえと、ひとっつも意味が無えんだよ!」


リョウの覚悟は出来ていた。リョウの信念に、『神』そのものが近ければ、祈りは届いたのかも知れない。

「……そうですか」

ミッディルーザが微笑んだ。その一瞬で、沈黙していた空気の色が変わってしまった。

「残念です」

とミッディルーザが呟いた。彼の動きを読んでいたセイがいち早く剣を引き抜くが、もうその時には既に手遅れという状態だったのだ。

「うっ!」

驚くべき速さで、セイの傍らから兄の姿が消えた。

「リョウ!」

リョウの身体は、ミッディルーザの繰り出した魔法に弾き飛ばされ、床、即ち、石の円盤の外に放り出されていたのだ。

取り返しの付かない返事だったのかもしれない――セイは拳を握り締めた。

(6)

 レニングランドは雨が降っていた。

「姉さん、ここにいたんですか」

ディストは、郊外にある山の中腹に建っている赤い屋根の家を訪ねていた。数日前に体調を壊したという姉・マオを見舞いに。

「てっきり、キャンプの中で静養中かと思っていましたよ」

大きな溜息をついて、ディストはその家の中に入った。

「そうでも言わなきゃ、家の中の掃除も出来ないんだよ。人気者なんでね」

つい先日、レニングランドにサンタバーレの憲兵がやってきて、魔王軍から停戦の喚起があったことを知らせてくれた。暫くはレニングランドが襲撃を受けることは無いだろう。マオは仮病を使って、屋敷の大掃除に来ていたのだ。

「あの子達も、いつ帰ってくるか分からないからね」

同時に、リョウとセイが無事にサンタバーレに到着したことも知らされた。吉報には違いないが、それは、魔王との決戦が近いことを示唆している。

「手伝いましょうか」

ディストは薄汚れたバケツの水を替えに、水道を探す。

「いよいよ、か」

天井を仰いだディストの視界に、埃を被ってしまっているランプが過る。

「一体、何がどう変わるんだろうな」

マオは床を掃く箒の手を休めた。

「てっきりオレは、姉さんが彼等に、世界の行く末を指南したと思っていましたよ」

あの双子達が世界の何も知らないまま旅に赴いたということを、ディストとソニアは後で聞かされた。

「私が世界のイロハを教えるなんて、それこそ悲劇じゃないか」

姉の残念な意見に、「確かに」と言うにも言えず、ディストは苦笑を浮かべてしまう。

「それに、そういうことは教えるモノじゃない――教わるモノだ」

「それはそうですね」

あの双子達が“白紙”の状態で送り出されたからこそ、光の民でありながら、闇の民の痛みをも引き受けることが出来た。そうしてそれは、ソニアやフィアル、そしてディストの現在に深く関わっている。

「うんうん、我ながら、頼もしく育ってくれたなぁ」

マオは悦に入っていたが、

「姉さん、適当だから」

ディストは埃まみれのランプのガラスをつかまえ、丁寧に磨きながら、こっそり呟いておいた。


 少し早めに冬の足音が聞こえてくるレニングランドの現在は、秋雨の季節である。稲妻が煌き、大地を裂く音が轟く。短い間隔で、それは4,5回ほど続いた。

「……ちゃんと、やってるかな」

マオは雨降りの外を見て、一度大きな溜息をついた。空が暗いので、何となく気持ちまで滅入ってしまう。

「そうですね」

彼女が体調不良というのは、あながち嘘とも言い切れない。血の繋がった身内だから気付くこともあるのだが、キャンプで気丈に振る舞う姉が、ディストの目に相当無理して映ることもしばしばあった。

「生きて帰ってきてくれさえすれば、良いんですが」

ディストは姉の気持ちを代弁して口にした。リョウとセイの、『勇者』としての成功を待ち焦がれているキャンプの中では、口が裂けても言えないことだった。

「ホントはね」

マオはそれだけポツリと言って、後の言葉を飲み込んだ。

 雨だからだろうか。全ての音がしんみりとして落ち着いている空間は、ほの暗い青をしていた。それは、丁度、不安感とも同じ色か。

(7)

 「さて、貴方はどうしましょう?」

ミッディルーザが問いかけた。どうも返事をする気になれなかったセイは、剣の柄を握り締めたまま、兄が落とされた東雲色の亜空間を眺めていた。夢の中にしては忙しく地獄にしては穏やかであるこの場所について、セイはまだ把握さえ出来ていない。

「お前が同意すれば、必然的にリョウも助かる」

口数の多いドゥーヴィオーゼの方が、親切なのかもしれない。とりあえずセイにも、ここでは生殺与奪の一切が彼等の思うままなのだろう事は分かった。

「よく、考えろ。世界を消す――そうは言っても、民が痛みを感じることは無い。恐怖を感じることも無い。ただ、今まであったものを始めから無かったことにするだけだ」

セイはドゥーヴィオーゼを見た。

「それでも民が傷付き、傷付け合いながら戦い続ける世界の方が善いと言うのか?」

そして、剣を鞘に収めた。

「我々はそうは思わない」

「そうだな」

セイは口元を緩めた。

 人間は守るに値しないグズばかりで、魔族は自虐的で滅殺するに値しないグズばかりである。そんな自分は、守りたい者も守れず、殺したい者も殺せずの典型的なグズである。それでも――

「勝手に思ってやがれ」

迷いを生じた時に頼りにしていたのは身近なグズであったし、戦いに疲れた自分を励まし、前向きに歩き出すチカラをくれたのもやはり身近なグズである。

「オレもできの悪い民の端くれだからな、」

やはり、セイは逆らうことにした。

「貴様等の決めた善悪など、知るか」

まして彼は、神など見たことも無いのだ。

「貴様等の言うエセ臭い“シナリオ”よりは、」

セイは一度視線を東雲色の宙に投げた。

「――オレは、アイツを信じる」

あえて誰と言わなかったのは、最低限の意地とマナーである。

「アイツは低能で言ってることはゲロ甘チャンだが、……間違ったことはしない」

それもまた、ここ数ヶ月間、かの“甘チャン”と共に旅をしてきたセイに芽生えた価値観の一つに過ぎないが。

「伝説の『勇者』が、聞いて呆れる人選ミスだったな。怨むんなら、テメエ等のお粗末なセンスを怨めよ?」

双子だからだろうか、彼も落とされる覚悟なら出来ていた。

「くっ……!」

ドゥーヴィオーゼは眉をひそめた。そして、ゆっくり腕を上げると、セイをも無辺地獄へと突き落とした。

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