第41話 ダブルエネミー

(1)

 「謀られた?」

リョウはセイに回復呪文(ヒール)を施しながら問うた。

 旅立つ前からすると、彼の回復呪文は飛躍的に上達していた。それはきっと、術者であるリョウの内心が、傷付けることよりも癒すことの方を欲しているからだろう。誰もまともな回復呪文が使えていなかったという、ある意味異常なパーティの中で、リョウが回復術者(ヒーラー)の素質を開花させたことは大きな収穫だった。

「謀られたな」

とにかく、敵の真意が読み取れなかった以上、セイにはそうとしか答えようが無かった。それだけ奇妙な戦いだったからだ。

「でも、良かったよ」

しかしフィアルは言った。

「ファリスを相手に、とりあえず命があって」

「まぁ、収穫といえばそれくらいだろうな」

セイとしては、この傷さえも不覚だった。決して致命傷では無かったにしろ、相手が本物のファリスだったら、この程度の傷で済んでいたかどうかは分からない。そう思い至ると、セイは思わず苛立ってしまう。

「フィア、味見てくれないか?」

セイの手当てでその場を動けないリョウは、フィアルを遠隔操作することによって夕食の支度をする。つくづく、彼は器用な人間である。

「ん! 美味しいな、光の民の食べ物も」

フィアルは感嘆の声を上げた。彼の反応を見るに付け、食文化だけでも交歓する機会があれば、光の民と闇の民も分かり合うきっかけがあったのかも知れない――セイは、何とか塞がり始めた胸部の傷を何となく見つめていた。

「おう、料理だけは任せてくれ! こう見えてもベテランシェフだからな」

治療のため、リョウに背を向けているセイからは、リョウの表情など判らない。

「低能の分際で何がベテランシェフだ」

リョウがおちゃらけて発した“ベテランシェフ”の内実をセイは知っている。丁度、セイの視線上には傷を癒すリョウの、変形した左親指の爪があった。

「文句があるなら食ってもらわんでも結構だぞ、セイ君」

案の定、何やら余計なことを思い出したのだろう、リョウが慌ててその親指の爪を隠した。

「粗末な飯でも無いよかマシだ」

セイは視線を上げて白い壁を見つめた。

「(この回復呪文でも、その爪は治んねえのか?)」

裂傷はおろか、光と闇の間にできた溝まで塞ぐつもりでいるこの甘チャンは。

「(治るんなら、治すのだろうか?)」

救えるものなら救いたい、などとどこまでも戯言を宣うこの甘チャンは。

「チッ、ひねくれ者!」

今治療し終えたばかりのセイの肩をパチリと音を立てて叩き、リョウは軽やかにキッチンに向かう。

「あ、フィア、それ以上食うな!」

リョウは慌てて鍋の残量を確認し始めた。

「あと一口!」

リョウとフィアルのふざけた会話を、セイは何となく聞いていた。

「(オレがひねくれ者なら、)」

リョウの明るい声が部屋中に響く。セイはシャツに腕を通した。

「(お前も相当なひねくれ者だろ)」

右肩がヒリヒリと痛む。傷跡は消えたのだろうが、兄の手形は残っただろう――それだって、やがては消えて無くなるというのに。

(2)

リナは目を閉じて数時間前の出来事を振り返っていた。

“お前が、リナだな?”

流石にリナだって目を疑った。目の前に、セイと戦っている筈のファリスがいたのだから。

“お前が、ファリスか”

焦りが伝わったのか、ファリスはさもおかしそうに笑っていた。更に、リナを困惑させたのは、名乗りを上げたファリスの素性そのものだった。

“私はファリス。ファリス・ダイノ・リセット”

セカンドネームの“ダイノ”という音を聞いた瞬間、リナには、はっきりと全身から血の気が引いていくような、嫌な錯覚があった。

“ダイノ計画の成れの果てさ”

ダイノ計画――かつて魔王勅命軍が秘密裏に進めていた人工傭兵製造計画のことだ。リナは耳を疑った。

“あの計画は、破綻した筈だ! 何故今頃になって……”

“破綻? それは違う。100年ほど前に、ランダと共に現れた奴の同志の一人が、計画に関するあらゆる資料を抹消して消えた。たかがそれだけのことだ。”

ファリスは冷笑し、続けた。

“しかし、ランダの同志のその抹消行為により人工傭兵(ダイノ)製造が不能になったのは事実だ。計画発覚直後にダイノ博士が死罪になった上、資料も、実験素体も無くなってしまったのでは――”

“いちいちカンに障る女だね”

リナはファリスを睨みつけた。

“私は、確かにダイノ計画のあらゆるデータを抹消した”

しかし、目の前に“ダイノ”は存在する。

“お前は一体何者だ?”

ファリスは笑った。それはもう、可笑しそうに。

“ファリス・ダイノ・リセット。お前が消し忘れたダイノ博士の忘れ形見さ!”

わざわざもう一度名乗りをあげたファリスに、うんざりしたリナは、最早、言葉を失ってしまった。

“しかも、”

まるで疾風のように軽やかに身をこなしたファリスは、瞬く間にリナの背後に回った。

“お前のような失敗作とは違うぞ?”

“ふざけるな!”

リナは簡易魔法球を放った。ファリスはひらりとそれを避け、リナの正面に戻った。

“人工傭兵として作られた我々は、新しい命を授かった際、主君には絶対の忠誠を誓った筈だ。いや、”

ファリスの表情から笑みが消えた。

“忠誠こそが生きる術だと教わった筈だ”

それは詰問のような口調だった。

“知っての通り、私は失敗作でね。「知るかよ、クソくらえ」としか言えないねえ”

まるでセイの言うように、リナはそう吐き捨てた。お陰で多少勇ましくなれた気がしたが、誰かの「廃棄だ」という声が、リナの頭の中をまたも空っぽにして行き過ぎる。

“粋がるのは勝手だ。しかし、我々は、主に従たる存在(もの)としての生き方しか教わっていない。お前とて、例外ではなかろう?”

リナは拳を握り締めた――それは少なくとも間違いではない。前主ナティカ、彼女の子供のマオとディスト、そしてランダ……

“リノロイド様は、お前の復軍を望んでいる”

そう言われた瞬間、またリナは背筋に寒気を感じた。理由はさっぱりわからない。悪寒を振り払うように、リナは声を張り上げた。

“私は魔王軍の兵器にはならない!”

丁度、上空の異変に気付いたセイが、強化魔法球(ブラスト)で援護してくれた為、ファリスは姿を消したのだった。


 扉に近付いて来る足音で、リナは目を開けた。

「リナ、飯の準備できたよ?」

リョウが呼びに来た。リナはベッドから這い上がった。

(3)

 夜になると雲は晴れ、星も見え出した。

 明日にはレンジャビッチを出られそうだ。王都・サンタバーレとはもう目と鼻の先と言って良いほど近付いた。王都では、アンドローズへ行く為の最終準備を整えなければならない。

 しかし、ファリスの目的、禁じられた区域(フォビドゥンエリア)へ行く価値、この戦争の行方、世界の趨勢――依然として、答えは見つからないままである。

「リョウ、」

不意に声をかけられたので、リョウは片付けの手を休めて、弟の方を見た。

「今日はオレが片付ける」

衝撃的な弟の一言に、リョウは思わず感嘆の声を上げてしまった。

「何だよ、急に?」

しかし、有無を言わさず、セイはリョウを強引に押し退け、キッチンを占拠した。そして、少し考えて、次のように言ったのである。

「気分的に、汚水に手を付けてみるのも悪かない」

――もう少しマシな嘘つけないのかよ、とその場の全員が思ったという。

「セイ、」

リョウは少し笑って弟の背中を見ていた。

「あ?」

「一応、他人様の家の皿だから、割るなよ」

リョウは言ってやった。

「テメェじゃあるまいし、誰が割るかよ!」

「ちょっと待て、オレはテメェほど粗忽じゃねェよ!」

「十分粗忽だろ、この低能!」

「低能は関係無ぇだろうがっ!」

例によって、ケンカになりつつある双子を、フィアルとリナはそれぞれベッドの上から見守っていた。

「なァ、リナ姉、」

「ん?」

「お宅のご兄弟は、“アリガトウ”って、素直に言えないもんなんかね?」

呆れているし、微笑ましくもあるし、面白くもある――フィアルの表情はニタついていた。リナは苦笑いで双子達を見守る。

「まぁ、でも“ケンカする程仲が良い”って奴かもね」

パリン、と皿の割れる音がした。

(4)

 秋口の高い空の下、リョウ達は再び旅立つ為に、フォーリュとオスカレスに挨拶した。町の外れまで馬車を手配してもらった一行は、予定よりも大分早くレンジャビッチ市門に辿り着くことが出来た。

「貴方達の成功を祈っております」

オスカレスはそう言うと、個人の名で支度金まで用意してくれた。

「あの、」

そのオスカレスの傍らに控えて、今まで無口だったフォーリュが、やっと口を開いた。

「せめて、貴方達の旅の指針になるかと、神託を授かって参りました」

その申し出に歓声を上げたリョウは興味津々だった。セイも少し気になったのか、窓の外からフォーリュへと視線を移した。

「では……」

フォーリュはリョウとセイの目を真っ直ぐに見つめ、一つ呼吸を置くと、穏やかな口調ではっきりと、次のように述べたのだ。


“大いなるチカラを許されし二子達よ、聖域に参られよ。金の光と銀の光が神の都に導くであろう。”


「!?」

リョウとセイは思わず顔を見合わせた。“聖域”とは、無論、有史以来人の立ち入りを禁じているという、あの場所のことである。


「行って下さい。フォビドゥンエリアに!」


(5)

 レニングランドを襲撃する魔物の数が極端に少なくなってきた。

 魔王軍に残された兵力が限界に達しているのだろう。マオ達はじめレニングランド保安局はそう分析していた。

「きっと、リョウとセイが頑張ってくれているんだな」

マオの元に、そんな声も届くようになった。リョウとセイがセラフィネシスに配備された植物ジェノサイダーを駆逐したことや、ジェフズ海の魔王軍基地を破壊し、ダーハの街を水没の危機から救ったことなどなど、レニングランドには双子達の武勇伝が幾つも流れてきている。勿論、それに至る複雑な事情や戦士たちの痛みなど、一般住民は知る由もなく、かなり誇大・誇張されている部分もあるのだが。


 そんなある日、マオ達が控えているレニングランド保安局本部に、とんでもない情報が飛び込んできた。未確認情報ではあると断った上で、ラディンが報告した。

「魔王軍の本隊とみられる複数の大きな闇魔法分子が、レニングランドに接近しているようです」

魔王軍――思わず、マオは溜息をついてしまった。魔物の数が減ったとはいえ、レニングランドの住民はかなり疲弊している。

「第一部隊かしら? 現段階で規模は解る?」

イザリアは兵士に治療を施しつつ、夫に問うた。

「少し、時間を下さい。」

ラディンは、特に魔法分子に敏感な方だ。彼は全神経を集中させ、レニングランド郊外の魔法分子の流れを読み取る。その少しの時間で長い金髪を一つに束ねたマオは、イザリアにレニングランドの戦力の残余を問う。

「今すぐに戦いに出るつもり?」

イザリアが呆れるのも無理は無い。マオは連戦が続いていた。魔法分子の集約率が著しく低下してきた為、たった今キャンプに引き返してきたところだったのだ。

「当たり前だ。これ以上レニングランドを侵食されるわけには行かない」

レニングランドは勇者の町――ここを魔王軍に陥落されてしまっては、サンタウルス全土で兵の士気が下がるだろう。

 マオはニヤリと笑みを返し、ブーツの紐をきつく締め直した。リョウとセイを迎えてやるまで、そう簡単にくたばれない――それが彼女の原動力だった。

 イザリアはショールを脱ぎ捨てた。

「私も行くわ」

回復呪文を扱えるイザリアは、レニングランド保安局の重要な治療スタッフである。彼女がキャンプを空ければ、兵士の回復は直ちに停滞するだろう。しかし、イザリアの申し出に、異を唱えるものは出なかった。

「役目を終えたリョウとセイを、貴女が迎えなければ意味が無いのよ」

イザリアが皆の思いを代弁した。堰を切ったように兵士達、もとい、レニングランドの住民達が次々に口を開く。

「この町にマオが居なければ、勇者達も帰る気がしないだろうさ」

「アンタを失うわけにはいかねえよ!」

「マオちゃんがいねえと、独身野郎のモチベーションがダダ下がりじゃねえか!」

各々言いたい事を言っているが、要はマオの無事を祈っていた。マオはニッと笑みを返すと、「お前らを置いて逝くもんか!」などとありったけの愛ある檄を飛ばした。

そうしている内に、外を窺っていたラディンが口を開いた。

「魔王軍本隊かどうか、まだ断定はできませんが、」

と、前置きした彼は、報告を続ける。

 状況に目まぐるしい変化があるようで、ラディンの報告は、その最中にも二転三転する。

「いずれにせよ、これ以上、レニングランドに近付けるわけには行かない」

 ――結論は、出た。


 ラディンが再び一角獣を走らせ、マオとイザリアもそれに続いた。

 大きな闇魔法分子に向かって走ると、段々と、術者の正体が見えてきた。それは、所謂マゾクではなかった。銀色の毛並みの美しい、例えるならそれは大きなオオカミのような魔物である。

「これは確か――」

先頭を走っていたラディンは息を呑んだ。

「フェンリル?」

ラディンが騎馬を降りたのを見て、後ろの2人も騎馬から降りた。

「フェンリル? そんなもの、絶滅したか天然記念物になってるもんだと思ってたな」

マオが唸る。そのくらい、フェンリルは滅多にお目にかかれない魔物であった。恐らく、何らのバイオテクノロジーを使って、魔王軍は勝負に打って出てきたのだろう

『我が名、マオ・カディル・ナティカの名に於いて、我が祈りに応え給え』

マオは詠唱を開始した。魔法修正値はだいぶ回復したらしく、最盛時の8割方は魔法分子が集まってきた。ならば、売られたケンカをきちんと買い取るまでである。

『火の神の怒り(レイジオブバルカン)!』

炎の魔法分子があたかも竜のような容(かたち)の結晶となり、フェンリル目掛けて牙を向いた。大声を上げて、暴れ狂うフェンリルが真っ赤な炎から覗く。

「フェンリルは、耐えることにより成長します」

フェンリルの叫び声が荒野に響き渡る中であるが、ラディンが補足した。

「あのバケモノが耐え切れないほどデカイ魔法分子を、一度に放り込まなければならないってことだな」

マオは燃え盛るバケモノを見た。ケモノは燃え易い。しかも、恐らく炎に炙られた経験は無いだろうからある程度のダメージは与えられた筈だ。

「殺ったんじゃ無いのか?」

マオの視線上には皮膚まで焼け落ち、黒い骨の剥き出しになったフェンリルの姿があった。

「いえ。まだ息があるわ」

イザリアは風に乗って届いたフェンリルの心臓の音を聞いていた。

「早く、止めを刺してあげて!」

心臓音が、いやに早く、大きくなった。

「……もう、手遅れのようです」

ラディンは黒髪に手を当てた。淡い光がフェンリルを包み込むと、それは急速に眩く発光した。そしてもう次の瞬間には、傷も癒え、更に一回り大きくなったフェンリルが銀色のたてがみをなびかせて立っていたのだった。

「デカイな」

マオは溜息をついた――さて、どうしてやろうか?

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