第39話 紅蓮の女剣士(1)
(1)
リョウはずっと世界地図を見ていた。海を挟んで南北二つに分かれた大陸の丁度真ん中辺りだろうか。ポツリと島があるのが分かる。
「この島は、どっちの領土なんだろうな?」
自分の地図には載っていない島だったので、魔族専住地(サテナスヴァリエ)の一部かと思ったが、フィアルもリナも首を傾げていた。
丁度、ノックの音がした。リナが「鳥」の姿になるのを待って、リョウが「どうぞ」と応える。フォーリュが食事を運んできてくれたところだった。立ち上るオニオンと香辛料とチキンの香りに、3人は空腹感を思い出し、三者三様に謝意を伝え、食事にありついた。
その雑談がてら、リョウが世渡りの良さを発揮して、フォーリュに件の島の事を尋ねてみたところ、彼女は正解を教えてくれた。
「その島は、禁じられた地域(フォビドゥンエリア)と呼ばれる地域です」
フォビドゥンエリア――教義上、そこには死人の魂が集うと教えられているという。
古い書簡によると、歴史上の創世紀の最初に光と闇をもたらした偉大なる存在が、世界を見つめている場所とされているそうだ。
「それが本当なら、とても神秘的な場所ですよね」
宗教に熱心ではないであろう旅人を気遣い、フォーリュはそのように言葉を結んだのだが、リョウとセイの頭の中では、それぞれ明護神使と暗黒護神使を連想していた。
「ただ、フォビドゥンエリアには、誰が何の目的で張ったのか分からない強力な結界がかけてあって、そこに足を踏み入れたものは誰もいない、正真正銘の聖域なのだそうです」
フォーリュは地図から目を離した。既に三皿の野菜スープは全部飲み干されていて、片付けられる状態になっていた。
「フォビドゥンエリアか」
リョウとフィアルは目を合わせると、頷き合った。
「行ってみたいよなぁ!」
「オレも思った!」
既に行く気になってテンションを上げたリョウとフィアルであったが、
「駄目だ」
セイの一言で一気に夢は打ち砕かれ、上がりかけたモチベーションに水を差された挙句に、釘まで刺された。
「観光する余裕があるんなら、明日の身の振り方でも考えておけ」
リョウとフィアルはあえなく撃沈した。しかし、
「――いいえ、行くべきでしょう」
皿をワゴンに載せたフォーリュが、リョウとフィアルに助け舟を出したのだった。
「私には、貴方達がフォビドゥンエリアの結界の前にいるのが見えました」
彼女はそう言うと微笑んだ。3人の戸惑う表情をよそに、
「きっと、民を導く運命を負っていらっしゃるのですね」
フォーリュはとどめを刺した。こうなっては、訊かざるを得なくなる。
「フォーリュさん、貴女は一体……」
リョウの問いに、フォーリュは今まで体全体を覆っていた布、もとい、長いヴェールを外して見せた。そこで漸く判明したのだが、彼女の長い耳は、彼女が闇の民であることを象徴していた。彼女の身体を包んでいたその長いヴェールは、彼女が生来帯びている闇魔法分子を外に出さぬ為の呪布だったのだ。
「私は闇の民ですが、この神殿で永年神託者として仕えております」
つまり、彼女は神から言葉を預かり、未来の一部を民に示すことで、正しく民を導く責を負う者であるというのだ。しかし、このご時世、光の民の為に職務を果たそうとする闇の民など理解されはしないのだ、と彼女は言う。
ワゴンを引く音が重たく神殿に響く。
「正直に言うと、」
フォーリュが退室した後、フィアルが小さく呟いた。
「――オレも、人間居住区(サンタウルス)は怖いな」
光と闇は、分かり合えないのだろうか。
(2)
レンジャビッチを西へと翔ける風は雨を含んでいたようだ。
先ほど召喚した炎魔法分子の影響で、些か熱を帯びていたリナの皮膚から緩やかに体温を奪った水滴が地に落ちた。
「皮肉」
雨の夜の公園には人っ子一人いない。それを良い事に、リナはポツリと思ったことをそのまま口にした。見つめているのは、己の背に集る、翼のような形をした魔法分子の結晶である。今は共に旅をするリョウからは「天使みたい」だと言われた、白い羽である。
「皮肉だ」
重ねてそう呟いたリナは、街灯に手を翳してみた。バケモノじみた、黒く変色した皮膚が晒されて顕になると、流石の彼女もぎょっとする。これでも、少しずつ元の色を取り戻しつつあるところである。「天使」とは随分程遠い代物だ、とリナは苦笑する。
“廃棄だ”
と、声をかけられた気がしたリナは、声の主を探らんと、強く目を閉じた。しかし、決まって邪魔をする別の声に脳を揺さぶられるのだ。曰く。
“戻って来い、ヴェラ!”
何となくこの声を無視できずに、リナは、「リナ」と名を変えてからも永らく「ヴェラ」を引きずっている。とはいえ、以前と比べるとだいぶ軽くなったのだが。
「(戻るとするか)」
リナは翼を広げた。
(3)
やはり、その夜は雨になった。
つくづく、今夜泊まる場所があったことにリョウは感謝していた。彼は窓側に寝ているせいか、雨音がやたらと大きく聞こえてくる。原因はそればかりでもないのだが、セイやフィアルが眠った後も、彼はずっと寝付けずにいた。
そんな仄暗い闇中に突然、シャワー室からカタカタと音が聞こえてきたところである。リョウは思わず体を起こしてしまった。少なからず緊張していたリョウであったが、その音の正体は案外すぐに姿を現した。
「まだ起きていたのか」
溜息交じりで現れたのはリナだった。
「それはお互い様だろ」
リョウは寝ている二人を起こさないように小声で話した。
「こんな雨の中に一体何処に行ってたんだよ?」
それは常日頃リョウが思っていたことでもあった。空を飛べるということもあり、リナは道中姿を消すことがよくあるのだった。
「実は、」
リナはリョウの隣の空きベッドに座った。
「男と遊んでいた」
……というあからさまな嘘を前置きにされたリョウは思わず仰け反ってしまったが、彼女は「心配には及ばない」と一笑して一度バスタオルを取りにシャワールームへと消えた。
「私もアンタ達と同じ、修業中の身だ」
完成させたい魔法があるのだと言った彼女は、もう一度ベッドに座った。
「それ以上強くなったら、リナ一人で充分魔王倒せるんじゃないか?」
リョウのその冗談を、リナは笑ってくれたようだったが、生憎、バスタオルに隠れた彼女の表情は分からない。
「私は、アンタ達の行く手を塞いでいる障害物を片付けるだけ」
障害物とは、今や魔王勅命軍元帥となったアレスかも知れず、今後もやってくるだろう刺客かも知れず、魔王・リノロイドかも知れない――あまりにも果てしなくて、リョウは天井を仰ぐ。それが頼りなく見えたのだろうか、
「頼むぞ、若者」
などと声が飛んできた。声の主、もとい、リナは今、ベッドに仰向けに倒れ込んだところである。
「回復呪文を極めろ」などとセイから命じられてからのリョウは、積極的に身内の体調を意識してチェックしているつもりだ。然して彼は、ベッドに倒れ込んだリナの為、回復呪文の発動が必要かどうか確認する。
「(怪我はしていなさそうだケド……)」
リョウは小さく唸る。普段と比較すると、リナの身に纏う魔法分子量が極端に減少しているようだった。これでは、こうして話している今だって、彼女はきっと強い疲労を感じている筈だ。
戦いを終わらせる為に“勇者”として何をするべきか――どうやら、魔王・リノロイドを倒すことがそれではないと気が付いた時から、リョウは、攻撃呪文はおろか剣すらろくに取れていない。
「(オレとは大違いだな)」
と、呆然としたまま俯いているリョウに、リナが気付いた。
「浮かない顔だな」
愉快な旅ではないのだから当然か、と物分りの良い彼女は小さく鼻を鳴らして妥協はしてくれた。
「最近さ、」
せめて顔を上げようとしたリョウは、まだ雨が降っている窓の外を見つめることにした。
「気ばかり焦るんだ」
戦争を本当に終わらせる為にはどうすれば良いのか、考えても全く答えは出ない。町に入る度に感じる光と闇の確執、出くわすのは戦わない民達と洗脳された魔物……
「ひょっとしたらもう、オレ達じゃどうにもできないくらいニンゲンとマゾクの溝は深いのかなって」
とりとめのない話を聞いてくれているのだろうリナが、濡れて冷たくなったバスタオルを放り投げてシーツに包まった。
「随分奥ゆかしいじゃないか。それが美徳だとでも言われたかい?」
幾分くぐもって聞こえてきたリナの言葉は勇ましい。リョウは羨ましささえ感じたが、彼女は次のように続けた。
「私は、アンタ達なら出来るんじゃないか、って思ってるんだケドな」
無責任な言い方かもしれないが、根拠はあるとリナは言う。
「旅立ちからこの数ヶ月、魔王軍の戦力構造や統治体系は激変した。それは、四天王の相次ぐ軍脱退の影響が大きいが、」
リナは笑った。
「とりわけ、現在(いま)のフィアルとソニアの心証に、“勇者”は大きく寄与しているという事くらいは、知っておいてやれ」
「あ……」
頬を殴られたような熱い感覚が、リョウが抱いていた虚無を埋めていった。
「世界地図」では手のひらサイズでしかないあの道程には、抱えきれないほどの激情が戦乱さながら交錯していた。ぶつかり合ったって、歪になったって、どうにか今だって前へと進んでいられるのは、独りで戦ってきたわけではないからだ。
「お前が願う理想の世界に、共感する民は多い筈だ」
雨が少し弱まったのか、沈黙は静寂となって闇を包み込む。
「先刻、フォーリュが言った事で思い出したんだが、」
リナは一度起き上がって、先ほどの世界地図を指差した。
「フォビドゥンエリア――ランダ様が、調べていたことがある。丁度、アンタ達が盟約を結んだ、絶対元素について調べた時に」
フォビドゥンエリアに立つ自分達の姿が、フォーリュには見えていたという。行かなければならない場所なのかもしれない。目的はさておいても。
セイには怒られるかもしれないな、とリナが苦笑し、
「サンタバーレに詳しい文献や資料がある筈だ。行く価値がある場所なのか、島へ渡る手段があるのかどうかも含めて調査しよう」
リョウはリナに承諾の返事をする。もう一度、明護神使に会えるとしたら、とりあえず、この間のディストとの戦いの件の礼を言わなければならないだろう。そして、“アンチテーゼ”は見つかった旨報告しなければならないだろう。ただ、
「(一体何をどうすれば、この戦争が終わるのか、彼は教えてくれるだろうか?)」
考えたところでなかなか出てこない「答え」を探すのに、リョウは多少疲れてきたところである。
「さ、早く寝な」
そう声をかけてくれたリナの言葉に、リョウは甘えることにした。
(4)
レンジャビッチ2日目。雨は降り続いたままだったが、野宿続きの4人にとっては、良い休養日になった。
「明日には発てるだろうが、雨次第だな」
セイは雨の降る窓の外を睨みつけていた。
「オレ、あと3日は雨で良いかも」
フィアルはベッドに寝転び、一つ欠伸した。その隣で、リョウは昨夜遅かった所為でまだ眠っていた。
「不謹慎な奴等め」
セイはそう吐き捨てると、窓辺に向かって大きく溜息をついた。露骨に不満そうである。
「セイちゃんも、たまにはゆっくり休んだら?」
何気なく、フィアルはそう言ってみたのだが、セイは変わらず、雨降りの窓の空を睨みつけているだけだった。
「セイちゃん?」
何を考えているのだろう――切れがちのセイの目は苛立っているというより、何か焦りを感じているように、フィアルには見えたのだった。
「(何をそんなに急いでいるんだろう?)」
フィアルはそれを尋ねようとしたが、ノックの音がそれを阻んだ。
やってきたのはフォーリュだった。彼女は、まだ眠っているリョウに気を遣って、小声でセイに来客を告げた。
「オレに?」
何の心当たりも無いセイは当然訝しがるが、尚更、会わねば気が済まなくなってもきた。とことん、この男は輩気質である。
「お会いしますか?」
一応、フォーリュは確認したが、答えは明白だった。
「ああ」
セイはフォーリュと共に部屋を出た。
「リナ姉、どう思う?」
フィアルもリョウを起こさぬように小声で問う。フィアル同様、胡散臭さを感じたリナは「鳥」の姿でセイを尾行することにした。
「気を付けて」
フィアルは目立ちすぎるので部屋を出ないことにしている。彼は扉を開けてやり、リナを見送った。
(5)
一階ロビーで待っていた赤毛で小柄な女性と、セイは何の面識も無かった。
金色の目と高い鼻と小さな口はリナともよく似ていたが、彼女の方がより好戦的に見える。
「初めまして、セイ殿」
彼女はセイの姿を見るなり立ち上がり、一礼した。いよいよ“面倒臭さ”を感じたセイは舌打ちを返す。
「茶番だな」
隠そうとしているが、セイにはすぐに分かった――彼女は闇の民だ。幼少から魔物と実践を積んでいるセイには、微弱にまで押さえ込んだ闇魔法分子ほど目に付き易いのである。
「昨夜の魔物の襲撃はお前が仕組んだんだろう? わざわざ落とし前付けに来るとは殊勝じゃねえか」
始終ケンカ腰のセイに、赤毛の女性は怯みもせずに口元に笑みを浮かべている。
「流石、勇者・ランダの子孫。一々ご名答ですよ」
女は髪を耳にはさんだ。顕になった耳には彼女がマゾクであるメルクマールがある。彼女こそが新たなる刺客であるようだ。ただ、魔王軍の一員ではないようだが。
「ファリスと申します」
彼女の余裕は、光の民の多いこの神殿の中では、流石に戦うわけにもいかないだろうと高をくくっているからだろう。それはその通りなので、面白くないセイは拳を握りしめた。その殺気で闇魔法分子が集結し、空気との摩擦で閃光を走らせた。そこへ、願ってもない打診があった。
「貴方に決闘を申し込みます」
つまり、彼女はセイとの一対一の戦いを要求している。これまでの魔王軍や魔王の意向とも違う動きであるので、セイは慎重に真意を探る。構わず、ファリスは話を進めた。
「場所は、レンジャビッチ中央公園。時間は警鐘の刻に」
ここで言う警鐘の刻とは、魔物が出没する頻度が高まる夕暮れ時を指す。
「貴方が来るかどうかは別として、個人的に、光の民の精神的支柱であるこの神殿を破壊するメリットは大きいと存じておりまして」
魔王軍でもないこの女に、果たしていかほどの組織力があってレンジャビッチの住民達を人質にしているのかは分からない。しかし、昨日もあった魔物の襲撃が彼女の仕業としたら、あながちハッタリでもなさそうだ。
「今すぐ、此処でヤっても良いんだが?」
「フフ。無粋は嫌われますよ、勇者様?」
セイの怒気に呼び寄せられた闇魔法分子が摩擦し合い、神殿内に一度大きくバチッと閃光が轟いた。事情を知らぬ礼拝客が声を上げたところである。セイは殺気を飲み込んだ。
「良い戦いが出来そうですね。期待していますよ」
不敵な笑みを浮かべたファリスは、そう言い残して神殿を去った。赤い髪が雨天の町へと消えていく――セイはその後ろ姿を睨みつけることしか出来なかった。
「行クノカ?」
すぐにセイは鳥、もといリナに話し掛けられた。
「ああ。魔王軍も、ハッタリでこんな手の込んだことはしねェだろうよ」
行かなければこの町に、大なり小なり危害が及ぶことは必至である。こんなありきたりな脅しでも乗らなければならない。馬鹿馬鹿しいが、「勇者」とは、その手の物好きの請負人に他ならない。しかし、馬鹿馬鹿しいとは思う一方、セイにとって何の愛着の無いこの町を狙撃したファリスに嫌悪感を持ったのも、また事実で――
「(バカみたいだ)」
思考に疲れたセイは、思わず溜息をついたところである。
「苦労しているな」
すれ違う人もなくなったところで、傍らの鳥は「リナ」になった。
「どっかの低能が羨ましいな」
あえて「誰」とは言わなかったのはセイなりの礼儀である。しかし、聡明な彼女に「誰」とは最早明白であったようだ。「そう言うな」と苦笑いまで聞こえてきた。
「あの子も似たような問題で昨日も眠れなかったところだ」
それは悪いことではない、とリナは言う。
「あの子はあの子で戦っているようだ」
間借りしている部屋へと続く階段の真下にある噴水まで差し掛かると、水が水を叩く音で些細な返事などはどさくさに紛れてしまう。
「――解ってる」
丁度、誰に伝わらなくても良い、と思ったセイがそれを奇貨としたところである。
「以前ならともかく、今なら」
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