第35話 魔王軍の動揺 

(1)

 「後悔していませんか?」

ディストは自分の後ろに無言で座っているソニアに話し掛けた。彼女は“四天王”の誇るムードメーカーである。彼女が無口だと、誰だって気になってしまうのだ。

「後悔はないけど、」

それはソニアの率直な言葉である。ただ、彼女にだって、気がかりはある。

「軍の皆のことを少し考えていたの」

いつ命を落とすかわからない仕事である。必要不可欠な引継ぎはいつだって予め済ませておくよう心掛けていたものの、部下に与える影響は計り知れないだろう。それは、傍らのディストについても言えることだが。

 それとも、ディストについては、死亡扱いとなるだろうか。ディストの養女のヤカの今後も気になるところだ。彼女はまだ兵士としては幼い為、彼女が繰り上がりで隊長となるには至らないかも知れないが、フィアルや第二部隊の穏健派が彼女を迫害から守ってくれる筈だ。

「最後にアレスと会ってきたケド……」

宥恕を請うたソニアを、アレスも引き留めはしなかった。それどころか、

“早くお行きなさい。失ってからでは、何もできませんよ?”

妹・アリスを失った痛みを背負い込んだ彼女ならではの激励までくれた。

「これからはもう、アレスを支えることができないのは、正直辛いわね」

“四天王”の内2人が抜けた分、庶務や権力は当然残り2人へ集中する。フィアルは怠惰なので、その殆どがアレスに集中するのは必然だろう。

 不意に、ディストが軍用通信機器の電源を入れた。

 送波魔法分子が導く特定の信号を受信した受波魔法分子が共鳴して、“第一部隊隊長、応答せよ”とアレスの乾いた声となった。間も無く、“ハァイ”と暢気なフィアルの返事が聞こえてきた。アレスの怒号とフィアルの間抜けな弁解をけたたましく知らせる通信機器の電源を、ディストは静かに切った――二人はアレスに同情し、フィアルの無事を祈る。

「また、会うことがあるでしょうか」

ディストはサテナスヴァリエ側に顔を向けた。彼のその優しい眼差しを見て、ソニアは気付いた。

「貴方は、後悔していないのね」

魔王軍に入隊したことも、脱退したことも、彼にとっては失う事の方が多かったのではないかとソニアは思っていたのだ。

「後悔……ですか」

ディストが正面を向いてしまった為、残念ながら後席のソニアからは彼の美貌が見えなくなってしまった。しかし、ソニアが思っていたよりも案外早く、彼の声が届いた。

「色々ありすぎて気持ちの整理がまだ付けられませんが、失ったと評するには、まだ早過ぎる気がします」

彼の穏やかな声は上空の風で聞き取りづらいのだが、彼が確かにそう言ってくれた事が、ソニアには嬉しかった。だから、そう言ってくれて良かったと、彼女も素直に伝えた。

「これでやっと私も安眠できるわ」

強い風にあおられないようにとか天馬に鞍が無いからだとか何とか、自分に言い訳をして、ソニアはディストの背中を抱きしめた。

「二度と、死にに行くような真似しないで」

ホッとした途端涙が溢れてきたが、幸い、ソニアの表情など、前方のディストからは見えない。だから、ソニアも特に彼からの返事を待っていたわけではなかったのだが、

「……承知しました」

と、確かな声が前方から風に乗って届いてきた。

 雨を含んで重たそうな雲が真っ赤に陽の光を映して輝いている。

 山脈の多いレニングランド州の黒い森とも相まって、西の空は幻想的である。レニングランド州にはソニアが管轄していた魔王軍第四部隊のプラント跡が幾つか残っている為、今日中にそこまで飛べれば、雨風は凌げるだろう。ディストは少し、天馬を急がせた。

 レジスタンス(反政府派)になったと簡単には言うものの、突然決まったそれは、まだ世界的に知られてはいない。ディストが軍に戻らない可能性についてはフィアルとヤカがよく知っていて、ソニアがレジスタンスに入隊する意思があると言うことをアレスが知っているというだけのことである。今この時でさえ、何度かサンタバーレの飛兵部隊と接触しそうになりながらのレニングランドへの道程だ。それは、“四天王”と呼ばれていたこの二人にとっても、危険であることは間違いなかった。

 天馬はゆっくり高度を下げた。重心が少し変わったところ、雨と強い風の所為で、お互いに体温が低い事に気付いたディストが、着陸を決めた。遠くに街が見えてきたが、街の上空を飛ぶわけにも行かないので、一度進路を北に変える。サンタウルス正規軍の警邏隊に見つからないように――というより、彼等と戦う事のないように、細心の注意を払う必要がある。

「それにしても、」

切り出したのは、ディストの方である。

「貴女が来てくれて、本当に良かった」

あらためてそう声をかけられてソニアはハッとしたのだが、思えば、リョウとセイ、リナ、そしてソニアの誰が欠けても、かの戦いはこのような形で終わることは無かっただろう。何故、自分が魔王軍を脱退してまで彼の元に駆けつけたのか――

「ディスト、」

と、呼びかけた声が迷う。言うべきか言わざるべきか、そんなことなど分からないが、どうしても、言って置かなければならないとソニアは思ったのだ。

「私、リノロイド様や国家中枢が貴方を洗脳していたって聞いて、絶対に許せないって思って……」

闇の民は魔王の布いたヘゲモニー体制を尊重し、享受している。闇の民にとって、魔王を侮辱するということがどれだけ勇気のいることなのかをよく分かっているディストは、「もう言わなくても良い」と首を横に振った。しかし、ソニアは畏れを噛み殺して続けた。

「貴方を兵器に変えた上層部と共には戦えないと思ったの」

気持ちの整理が覚束なくて、伝えたい事を上手く言葉に出来ないのだが、ディストはじっと聞いてくれている。それだけを頼りに、ソニアは何とか着地点を探す。

「私だってリノロイド様を信用していたかったケド、裏切られた気がして」

話しながら、ソニアは「少し違う」と感じて、言葉を打ち切った。魔王軍の中枢にやや反感を抱いていたのはそれよりも前のことだからである。そうではなく、魔王軍を飛び出したきっかけとなった言葉はやはり……

“誰よりも、お幸せに”

適当な接続詞も浮かばなかったが、突然途切れた言葉の続きをディストが待ってくれていたので、ソニアは文末に伝えたいことだけをまとめることにした。


「――貴方の居ない“幸せ”なんて、考えられなかった」


 セラフィネシス南部の竹林地帯にある、魔王軍第四部隊のプラント近くに風天馬(ウィンディペガサス)は着陸する。そこは、例の赤い“毒”の花の種を大量散布する為に創設されたもので、現在は単なる倉庫となっているという。

 「耐え難い痛みや辱めに、抗うことも、生きる気力さえも失っていたオレに、初めて“魔王軍”という居場所を与えてくださったのが、リノロイド様でした」

天馬から降りたディストは、きちんとソニアの目を見て、そのように切り出した。

「せめて最期は、誰かの役に立って死にたいと思って――オレは副脳を引き受けました」

でも、とディストは逆接で続けた。竹の葉と葉の間を縫って走る風の音がサラサラと涼しい。

「でも、――生きなければならない、生きたい、と思えるようになったのは、貴女が傍にいてくれたからです」

アリガトウ、とディストは言った。


 碧い風が唇を掠める。行方を問うのは野暮だろう。


(2)

 サテナスヴァリエ首都・アンドローズでは、アレスが、主君の召喚命令に応じていたところであった。

「魔王軍指揮系統機構の大改造をしなければならない」

主君の言わんとしている事が分かったアレスは、ソニアの謀反の意を如何に隠し通せるかに気を遣うことにしたが、意外にも、主君は冷静だった。

「お前も知っての通り、ディストとソニアが魔王軍を脱退した。現戦力でも十分サンタバーレ正規軍を殲滅することは可能だが、特に部下達からの信頼が厚かった二人の脱退なだけに、兵士の動揺が大きいだろう」

仕切り直しだ、とリノロイドは溜息をつく。事実上、魔王勅命軍・四天王解体である。

「直ぐに、停戦の手配と臨時軍事総会の期日調整を致します」

アレスは直ぐに退室するつもりであったが、主君が人払いを始めた。どうやら、今まではディストの管轄で済んでいた機密事項の仕事が回されてきたようだ。好都合、とアレスは思った――忙しいほど、余計なものは目に入らなくなるからだ。

「ソニアの処分についてだが、」

リノロイドはキセルに手を伸ばした。

「あれほどの世界的術者(ユーザー)が敵軍に付けば非常に厄介だ。なるべく早期に回収し、最悪の場合抹殺処分も検討せざるを得ないだろう」

煙草の甘い香りが漂う。表情すら変えずにアレスは親友の暗殺命令を聞いた。「適任者に心当たりはあるか」と訊かれたアレスは、「居りません」と淡々と応え、主君の反応を窺った。

「ならば、お前に一任する」

「お心遣い、感謝します」

アレスは頭を垂れた。その澄ました態度が滑稽なのか、主君は笑っているようだ。

「ディストの処分についてだが、」

引き続き切り出された彼の名に、アレスは思わず顔を上げた。彼は、副脳の装着により脳死状態であり、現在はランダの子孫と戦っているか、戦死したかのどちらかだと思っていたからだ。

「どうした、何か言いたそうだな?」

リノロイドの口元には笑みすらある。この女王には、見透かされているのかもしれないが、アレスは「いいえ」と言ったきり、沈黙を貫いた。

「ディストはランダの子孫に私闘を申し込んだようだが、敗北し、」

一度煙管の灰を棄てた魔王は、アレスを見据えて続けた。

「そのまま音信を絶って、レニングランド州方向へ逃れているようだ」

無事にディストは生きている! ――驚きまでは隠しきれなかったアレスであったが、今は喜びの方が勝る。主君から、ディストの回収命令が出され、例によって「適任者該当なし」と応えたアレスは、例によって管轄権を頂き、形式的に謝意を伝えた。

「忙しくなるが、止むを得まい」

リノロイドはそう結んだ。いや、ここからが、本日アレスを呼び出した本題だったようだ。

「これら全てに先駆けて、100日ほどで養成してもらいたいモノがある」

魔王はそう言うと浅く笑った。

「成功すればかなりの確率で我々は戦いに勝利するだろう」

察するに、ソニアが管轄していた大量殺戮兵器(ジェノサイダー)生成任務である。先の2件の回収命令と比較するとやり易い仕事ではあったが、これが後の悲劇に繋がろうとは、流石の知将・アレスでも想像し得なかった。

「御意のままに」

彼女は素直に了承した。まだ妹の死を乗り越えきれない彼女は、大きな仕事で気を紛らすしかないのである。

「フフ……お前は聞き分けが良くて助かる」

リノロイドは笑った。それにしても、少し陰が差したように見えたのは気のせいだろうか。

(3)

 実は、魔王軍は大変なことになっていた。消えたままとなっているディストとソニアの安否と、ポストをめぐる情報が錯綜しているのだ。

 アレスは、臨時軍事総会会議場となる魔王軍本部基地大会議室の扉を開ける前に、一つ呼吸をおいた。

「(ソニアは、上手くいったのかしら?)」

アレスは数日前の事を思い出していた。

“大事な話がある”と唐突にソニアが現れた日のことである。ソニアが第三部隊の基地に顔を出すのは珍しいことではなかったが、まるで人目を避けるように彼女は現れた。それも、戦闘服を着てである。ただならぬことが起きる予感はあった。そしてそれは現実になる――そこでアレスは、ソニアに謀反の意がある事を初めて知ったのだった。引き止めることもすれば良かったのだろうが、一度こうと決めたソニアの意志が何物よりも硬いものである事などはよく理解しているところである。


 ともあれ、正直のところ、ディストに取り付けられていたという副脳の話は、アレスにだってショックだった。第二部隊の「下剋上」というシステムは、恐らく混血(ハーフ)であるディストが心から欲していた「闇の民のため」のシステムであったのだろう。

 軍中枢が下剋上について是正命令を出さなくなったのは、闇の民が世界均衡的に優勢となって久しい戦況の最中、ある種の「ナショナリズム」が働いて、ディスト失脚の機会を狙っていたといったところだったのだろう。そう考えると、あらゆる矛盾に合理的に説明がつく。

 今回の事件で、アレスが抱いていた謎は解けたが、彼女だって軍の中枢に強烈な不信感を抱いたことは否めない。とはいえ、地元の孤児院にいる大勢の義理の兄弟姉妹達と年老いたシスターを養わなければならないアレスには、不遇にも天涯孤独という身の上のソニアやディストのように、すぐに軍を脱退するわけにも行かない。

 幾許かの時を費やして、やっと彼女は冷静に事実を整理したところだ。

 

 意を決し、アレスは漸く重たい扉を開けた。

 しかし、彼女は目の前に飛び込んできた男の陰を見とめるなり、持って来た書類をその場で全部落としてしまうほど驚いてしまったのだ。

 「何故いきなりそういうリアクションするかなぁ?」

その男は、アレスのその反応に膨れっ面を向けた。

「貴方が会議に遅れずに来るなんて、天変地異の前触れか何かでしょうか」

アレスは慌てて資料を拾い集めた。何と、フィアルが会議に遅刻せずにかつ、真面目に出席しているのであった!

「なぁ、オレってそんなに信用無いの?」

まだ膨れたまま、フィアルは周囲の者にまでぼやいて見せたが、アレスは敢えて無視し、気を取り直して臨時軍事総会開会を宣言する。


 臨時軍事総会は、一般会議とは違い、隊長、副隊長と中小隊の軍事司令官も参加する。魔王軍を脱退したディストとソニアを抜いても、80名は参加する比較的大きな会議である。此処で話し合われるのは、やはり緊急連絡事項だが、今回も例外では無い。

「第二部隊隊長ディスト・C・ナティカと、第四部隊隊長ソニア・J・ロイが、今般、魔王軍を離脱した。本日、両名について、主君から正式に回収命令が下されたので、報告する」

謀反か、と全員ざわめきだした。出席者は各小隊でもリーダーとして兵をまとめる度量の大きい者が揃っている筈なのに、狼狽する者の声、泣き出す者の声、或いは、それらをなだめようとして逆巻く怒号で大会議室は騒然となっている。

 ディストもソニアも、比較的少数部隊の隊長だけあって部下からの信頼が特に厚く、兵達は未だに二人の脱退が信じられないようだった。その喧騒の中、フィアル一人だけは退屈そうに欠伸をしていたのが目に留まった。恐らく彼も、一連の事実を知っているのだろうと、アレスは解釈した。


 ――彼も一緒に叫んでくれないだろうか。ディストもソニアも、一切戦うことなく今尚澄ましている中枢の裏切りにあったのだ、と。


(4)

 この会議で取極めなければならないことは、魔王軍の部隊の再構成であった。それぞれヤカとアデリシアが隊長として迎えられ、以下人事が繰り上がったという雑な仕上がりだったが、誰もがうわの空だったのだろう、異論も反論も出なかった。

「これで今回の会議は終了します」

漠然とした空虚感と問題点だけを残した成果の無い会議に、アレスも聊か苛立ちを覚えたが、とりあえず今日のところは無事に話がまとまっただけでも「善し」としなければならないだろう。自害を図ったり暴挙に出たりする者が現れる事を想定して配置していた傭兵達を退席させ、アレスは報告書骨子をまとめた。

 「たまには、真面目に会議に出てみるのも悪くないな」

全員が退出したのを見計らって、フィアルがアレスに声をかけた。

「私は、幾つかサボってみたいわ」

資料整理をするアレスは思わず本音を漏らしてしまった。

「今度はご一緒にいかが?」

そう言って笑ったフィアルは、大きな伸びを一つした。当然、「致しません」と突き放したものの、彼の暢気さと明るさに、アレスは少しだけ羨ましさを感じていた。やおら、

「アイツ等どうしてるかな……」

などとフィアルは言いかけた。今だって仕事に専念しているアレスに気を遣ったのか、彼は言いかけたまま止めてしまった。しかし、

「ディストは、生きているの?」

アレスはキーボードを打つ手を止めた。仕事に専念しているとはいえ、仕事よりも重きを置いているものが、このアレスにだってあるのだ。

「ああ。ランダの子孫に助けられたようだよ」

とフィアルは知っていることを端的に説明した。

「……そう」

アレスはくじけそうになりながら、再び仕事に専念し始めた。

「(それなら――)」

アレスは弱音を吐かぬよう、口角を引き締めたところである。


――同じように救ってほしかった。妹も、自分も。


着々と仕上がる報告書を見つめていたフィアルが、天井を仰ぎ、小さく「ゴメン」と呟いたところである。今は返事も相槌も打てないアレスの耳に飛び込んできたのは、またも聞き捨てきれない声であった。

「お前さ、オレの妹に、良く似てるんだよな」

キーボードを打つアレスの手は再び止まり、彼女が顔まで上げたというのに、フィアルは窓の外に目を向けていた。

「亡くなった妹さんのことですか?」

アレスはジェフズ海の戦いでの事を思い出していた。どういう複雑な経緯が彼にあるのかあえて問わなかったが、彼の妹は、彼の母親によって殺されたというものだった。

「そう、その妹」

振り返ったフィアルはいつもの屈託のない明るい笑顔を見せてくれたが、それがアレスには意外だった。この間のように、深い愁いを帯びた表情をされると思っていたから……

「小賢しくって、口うるさいところなんか特にそっくり!」

いつものように一言余計に付け加えて挑発してくる彼を、

「私が口うるさいのは、貴方の不真面目の所為です!」

いつものように、アレスもつい、強く言い放ってしまう。しまった、とアレスは思ったが、

「妹にも、そう言われたよ」

と応えた彼は、やはりいつものように飄々と笑っていてくれるのだ。アレスは再び資料と気持ちの整理の為、メインコンピューターのスクリーンに体を向けた。

「明日の会議もちゃんと来る予定だから、今度は資料落とすなよ」

別れ際まで笑顔を残し、フィアルは大会議室を出た。

「貴方は、強いのね」

閉じた扉に向かって、アレスは漸く溜息をつくことができたという。

(5)

 「遅えよ、低能」

 買い物帰りの双子の兄を労うわけもない弟が、容赦なく毒を放ったところである。

「少しは敬えよ、こんな雨の中を買い物に繰り出したお兄様をよ」

雨のネプスヘレジアは、現在昼下がりである。明日にはこの雨も上がり、ネプスヘレジアからも出られそうだ。買って来たばかりの食糧や荷物を手際良くまとめながら、リョウは窓の外と双子の弟を交互に睨みつけた。

「次の町までは一月以上かかると言ったはずだ。その小荷物見る限り、テメエは飢え死に希望ってことで良いな?」

セイは兄の買い物に難癖をつけるが、リョウはセイに詰め寄って譲らない。

「お前から渡された金じゃ、頑張っても二十日分のメシ代にしかならねえの!」

要は、金庫番・セイから一月分の食糧に相当する金をもらっていないのだ、とリョウは主張する。

「当たり前だ。低能なんかに余計な金を与えられるかよ」

……セイは本気でこんな調子だから怖い。

「低能に文句があるなら、お前が買い出しに行け!」

不条理だとリョウは弟に掴みかかる。

「町に出るなと言ったのは低能のテメエだろうが?」

要は、許可なく外出を禁じられたセイのフラストレーションの矛先が兄に向かっているのである。

「お前が“街頭募金(カツアゲ)”と“神の見えざる手(マンビキ)”以外で食料調達してくるんなら喜んでお願いいたしますよ?」

リョウはこの町の公共の福祉に、地味に資していた。

「ヒトを何だと思ってやがんだコラ?」

しかしながら、現実的に食糧危機である。セイは脳内の計算機で損得を勘定し始めた。

「ん」

どうやら出たようだ。

「リョウ、」

「おうよ」

「お前、援助交際(ウリ)でもして稼いで来い」

室内、一時の沈黙。

「もっと真っ当に生きろよ、バカヤロー!」

リョウは激昂した。

「嫌ならカツア……」

「もうお前はしゃべるな!」

この兄弟のバカ騒動を、リナは冷静に観察していた。

 丁度リナは、ディストとの戦いを思い出していたところだ。

 父親の仇を討つためにこれまで剣を取っていたセイが、戦う意味を見失いはしないか――そこは心配だった。しかし、あれだけの痛みを抱え込んだにもかかわらず、セイは今までと何一つ変わることなく、淡々と戦い続けてくれている。

 片や、リョウは一切剣を取らない。人魚の望みでもあった、戦いの連鎖の断裂というものの落としどころを探しているのだろう。しかし、戦えば勝者と敗者は必ず出る。

 ただ、セイは剣を抜かない兄を悪くは思っていないようだし、リョウは戦う弟を悪くは思っていないようだ。それが何とも面白い、とリナは思うのである。

「なぁ、リナからも言ってやってくれよ」

リョウはリナ(町に居る為、殆ど一日鳥の姿である)に一連の騒動を振った。放任主義を決め込むべきか、お節介を焼きに出るか――リナは気分で前者を採用した。

「ガンバレ」

レニングランドからの長距離移動の疲れもあり、この町では、リナは文字通り羽を伸ばすことにしていた。

「ちょっと待てよ、繰越あったろ?」

リョウが声を上げた丁度その時、積み上げていた荷物が荷崩れを起こして大きな音を立てたので、リナも一応顔を上げたところである。

「もったいない」

セイの財布の紐は硬かった。

「金出せこの野郎!」

リョウとセイがまた騒ぎ出すのを横目に、リナはふと思った。

「(ディスト様達は無事だろうか)」

リノロイドが黙っている筈は無いだろう。

 残酷無比の大量虐殺、完全無欠の大規模侵攻。冷徹かつ強力な体制維持があってこそなせることだった。それを、一番信頼し、その力を分けた四天王に打ち砕かれたのだ。

「リナ、」

リョウが声をかけた。

「心配事多いのは分かるけど、とりあえず今は、明日からの飯の事を考えようゼィ」

リョウの目は血走っていたという。

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