第33話 剣の慟哭(3)
(1)
“絶対元素”と“四大元素”の正式継承者同士の魔法の応酬は、想像を絶するものがあった。
『全てを払いし風の力よ……今、其の力を我に与えん!』
『闇よ……その黒き殲滅の力を経て、今、ここに降臨せよ!』
二人同時の詠唱の影響も、凄まじいものだった。ディストの呼び寄せた魔法分子の影響で、風はピタリと止み、気圧の変化で雲も渦を巻いている。
それをあえて「動」と例えるならば、セイが引き寄せる闇魔法分子は積極的に能動的に「静」である。彼の掲げた両腕には、視野さえ遮るほど濃い闇魔法分子が互いに摩擦して閃光さえ走らせているものの、周囲の超常現象をものともしないほど揺るぎない静寂を貫いている。
『葬り去る風(ソウルベリ)!』
『地獄の王の侮蔑(ハデスインサルト)!』
同一直線上にぶつかり合う膨大な闇属性魔法分子同士の反発で、雨も降っているのか止んでいるのか分からなくなってしまっている。荒野に転がる岩さえ、重力に逆らって宙にふわりと留まって静止している。遠くにいるリョウですらその圧力に耐えられず、当事者の術者を避けるように弾き飛ばされてしまった。
術者である二人にも、筆舌に尽くしがたいこれらの現象を気にかける余裕はなかった。引きちぎれそうなくらいに抵抗を受けた両腕からは、何が原因なのか一切分からないが早速血が吹きだしている。
そういう過酷な状況が暫く続いた後、やがて、轟く爆音と共にそれは止み、辺りは雨の音だけが支配する静寂へと戻った。どうやら、二つの負のチカラは打消し合ったらしい。
「(一番ヤなパターンだな)」
リョウは素直にそう思った。
力量に差があれば勝敗も固まり、宥恕を勧めることも逃げることもし易いのであるが、彼らの力量は本当に互角である。勝敗を見極めるために、時間や体力をかけるか、あるいは知恵を使うか――
リョウが途方に暮れていた、その時であった。
「間に合わなかったな」
聞き覚えのある女声である。そして、今、一番必要な声であろう。リョウは、後ろを振り返った。
「リナ!」
思わぬ「救世主」の登場が素直に嬉しかったリョウは、歓心からその彼女の名を呼んだ。向こうのセイにも聞こえただろうか。
「ただいま、リョウ」
しっかり微笑みを返してくれた彼女だったが、セイとディストの戦いを見遣ると、
「間に合わなかった……」
と、雨脚の強まる音に打ち消されそうな声で、もう一度呟いたようだった。
「どういう意味?」
あからさまに消極的な言葉をリナの口から聞いたことがないリョウは、それだけで不安になった。ところが、彼女は戦況の不利有利を論じているわけではなさそうだった。
「リョウ、お前に確認したい事があるが、先ずは私の話を、聞いてくれ」
そう切り出したリナの視線の先は、やはりセイとディストの二人を追っている。何となく、リョウもそちらに視線を向けた――睨み合いが続いているようであるが、戦闘は停滞している。それほど、先程の攻撃呪文の撃ち合いが術者の体力を消耗させていたのだろう。
不意というべきタイミングで、リナが切り出した。
「今、セイと戦っている魔王軍第二部隊隊長は、お前も知っている通り、セレス殿を抹殺した者であるが、それと同時に……」
リナは一つ呼吸を置いた。
「彼が、マオ様の実弟なんだ」
雨脚が更に強まった。
鋭く重たい水の雫がココロにも体にも殴りかかってくる。
(2)
リョウは自分の耳を疑った。
師であり養親でもあるマオの実の弟の話を聞くのはこれが初めてではない。人魚の洞穴で件の話に触れた際には、そんなことは一言も聞かされていなかったのだ。
「やはりお前には話しておくべきだっただろう」
リナは、抗うセイとディストから目を逸してしまった。彼女も辛いのだろう。彼女とマオは、合戦に巻き込まれて行方不明のマオの弟を探す為、ランダと共に旅をしていたというのだから。
「何故、こんな事に?」
声が震えた、とリョウも自覚するほど動揺している。
「これじゃあ、セイが――」
リョウは双子の弟と同じ痛みを共有しているわけではない。むしろ、解らない事の方が今だって多い。ただ、双子の弟が剣を取り続ける拠り所としていた父の仇を討っても、一方でそれは、彼の育ての母親を悲しませてしまうのであり、それをセイが「善し」としないだろうことなら、リョウにだって解る。
「戦火に巻き込まれた私とマオ様は、それでも何とか逃げ遂せたが、ディスト様は、捕虜として囚えられたらしい」
リナの話によると、ディストは光の民によりサンタウルスの収容所に連行されたという。暫くは収容所で強制労働を課されていたようだったが、何とか自力で牢から脱し、サテナスヴァリエを放浪していたのだという。
それから筆舌に尽くし難い紆余曲折があり、魔王復活により創設された新しい軍の隊長として迎えられることとなったそうだ。
実姉・マオがそうであるように、ディストも戦士としては優秀なキャパシティーの持ち主だったからであろう。そうしてそれは、ランダの末裔にしてリョウとセイの父・セレスを暗殺する為のツールとなった。
「とてもセイには伝えられなかった。私もマオ様も、事情を知る全ての者の、誰もが……」
リナは目を伏せた。
「分かってる。こんな泥船、誰も乗れねえよ」
正に、今の自分がそれに陥っている。リョウは自嘲気味に笑って見せた。
「いや、私がやるべきだったんだろう」
リナの言葉は、懺悔のようだった。
「私は、お前がベルシオラスにいる時も、ずっとセイを見てきた――」
父親が魔王軍に殺されたと知ってから、セイは異常なまでに剣術に打ち込んできた。正確には6歳という幼さで、彼は強烈な殺意を抱え込んでしまったのだ。それはある意味功を奏し、周りの大人達が驚き戸惑うほど、セイは天才的な戦士として成長した。
「――でもそれは、あの子の人間的な感情を殆ど塗りつぶしてしまったんだ」
雨は、傘も持たない戦士達に容赦なく打ち付けてきた。雲が走る音がよく聞こえる。
「リョウ、お前ならどうする?」
即ち、戦いを止めさせるべきか、せめて決着を付けさせてやるべきか。
「……泥船しか無いんだもんな」
そんな中途半端な言葉をぶら下げたまま、答えを探す間中ずっと、リョウは弟に牙を向いている残酷な運命とやらを憎んでいた。勿論、そこをどんなに見つめたところで答えなど見えない。
戦いは依然として続いていて、リョウとリナの視線の先では終わりの見えない簡易魔法球や体術の応酬が続いている。やはりセイとディストの力は拮抗していて、お互いに攻めあぐねているといったところだ。それだけに、一つ迷えば不利に働くだろうが、どちらに転んでも拾うのは悲劇ばかりだ。リョウは口を開いた。
「アイツなら、大丈夫」
希望的観測というほど根拠の無いことでもないが、リョウは漠然とそう思ったのだ。この戦いで、また弟は傷付くだろう。それは彼にとって、取り返しの付かない傷になるかも知れない。ましてや彼は、今だってアリスとの戦いの傷が開いたままなのだ。でも、
「オレん中じゃ、やっぱまだ、アイツが世界最強なんだ」
彼なら、残酷な運命に崖下まで突き飛ばされても、逞しく這い上がってきてくれそうな気がするのだ。一つ、リナが頷きを返した。
「そうだな」
リナは顔の水滴を拭った。涙を拭ったようにも見えた。
不憫と思われてしまっただろうかと、リョウは返す言葉を失ってしまったが、少なくとも、今は同情を食らっている場合ではない。
「じゃあ、せめてカッコ良く泥船に乗り込んでくるよ」
などと“低能”を貫いたリョウは、雨にずぶ濡れている現場へ、更に水を差しに向かった。
(3)
レニングランド地方も弱い雨に晒されている。夏の最後のこの雨は、涼しい風を運んできては作物の実りの時期の到来を告げる。
魔王勅命軍による入植からレニングラントの町を防衛する戦いが始まり、かれこれもう1月が経過しようとしている。武器の補充と防犯のため、戦士達にも一時帰宅が許されたものの、与えられたのは1日だけである。
雨よけのショールを大儀そうに被り、独り、自宅へと続く山道を歩く女性がいた。何の変哲もない通い慣れた道であるが、誰もいない自宅に戻るのにはなかなか慣れない。少し前まで其処は、仲の悪い双子の息子達のおかげでたいそう賑やかだった場所なのだが。
彼女は、山桜の樹の前で、やおら足を止めた。呟いて、曰く。
「15年は、あっという間でした」
弱い雨に打たれながら、彼女はそっと瞼を閉じた――脳裏に焼きついて離れない景色を、もっとよく見つめる為である。そう、其処はある男の墓場であった。そんな面白味もない場所に、こんな雨に打たれながら佇んでいたのは、彼女の義理の息子・セイである。
今、その墓には墓標が無い。墓を荒らされる為だ。代わりに山桜の木を植えたので、花の季節になると誰もが足を止める。全くの季節外れだが、その山桜の前に佇み、彼女は今更男を偲ぶのである。
「丁度こんな日だったでしょうか」
そう、こんな曇天の日に彼は亡くなった――彼女は男の冥福を祈ると、空を見上げた。
「貴方の息子達は、今、“勇者”と呼ばれていますよ」
彼女はそれを報告すると、一度、目元を拭った。
15年前、物言わぬ父を見送ったセイは、父とはもう二度と会えないことが分かったのだろうか、大雨の中を泣きじゃくっていた。その姿にもらい泣きをしてしまったマオを見て、一緒になって泣いてくれたのがリョウだった。
「“あれ”以来、あの子が泣いたのを見たことが無いんです」
どちらかというと、喜怒哀楽や好き嫌いが判り易かったのはセイの方だった、と彼女は記憶している。
荒らされた父親の墓の前で、セイは何を見たのだろうか――解りきっていたその答えはともかく、「泣いたら負けだ」と分かったようなことを言ってしまったことを、彼女は少し後悔していた。
父の仇を打てば、流せなかった涙も報われるのだろうか。
父の仇さえ打てば、伝えられなかった思いも報われるのだろうか。
「――それなら、それで良いんだ」
例えそれが、彼女と彼女の実弟・ディストとの永久の別れを齎したとしても。
「どうか、あの子達を守ってあげてぃださい」
彼女の望みはそれだけだった。
「それ以上は、何も望まないから……」
レニングランドの空が泣き出した。女はもう一度目元を拭うと、戦場を目指した。
(4)
リナが戻ってきたと気付いていたし、何だか嫌な動悸があったのも確かだった――セイは、どういうわけかこちらに飛んできてさっさと勝手にディストと応戦し始めたリナと、例によって飄々と無警戒に近づいてきたリョウを睨みつけた。
「ふざけんじゃねえ」
近付かれる前に、セイはリョウを突き放す。勝負は互角である。今、水を差されるわけには行かないのだ。
「ふざけてこんなことできるかよ」
簡易魔法球がぶつかり合う音が聞こえてきた。リョウはディストを警戒しながら、セイが捨てた剣を拾い上げた。この間ダーハで買ったばかりの剣が、泥に塗れて台無しだった。
「――剣が泣いてんぞ?」
刹那、バチッと音までしそうな殺気がリョウの肌を突き刺した。
「寄越せ」
と言った側から強引にリョウの手から剣をむしり取ったセイは、しかし、何かに怯えているようにも見えた。だから、リョウは簡単にトドメを刺すことができたのだ。
「ディストは、マオさんの実弟サンなんだって」
少し雨脚が弱まるが、誰もそれに気が付く者はいなかった。
「ひょっとして知ってた?」
「知らねーよそんな話!」
セイはあくまで“低能”を貫く兄の胸ぐらを掴んだ。
「オレも、今リナに聞いたトコ」
リナやマオの気持ちも汲んだ分、せめて気持ちで負けないように、リョウもセイの胸ぐらを掴む。何なら、このまま殴り合ったって良い。珍しく動揺した表情を向けた弟を見るのは正直辛かったが、ケンカのどさくさに紛れたこんな時にしか言えないことだってある。
「ホントは、お前が憎んでるのは、ディストじゃないんだろ?」
だから、勝機のある剣術を封じて戦っているのだろう――最早リョウには、この戦いそのものが勝敗の行方を見失って、何処か自棄になっているようにしか見えなかったのだ。
「いい加減にしろよこの低能!」
リョウの胸ぐらを掴んでいたセイの左手が、今度はリョウを突き飛ばした。後ろに倒れる格好となってしまったが、リョウは確証を得た。口を開けば毒が出る弟も、聞く耳を持たない人間ではない。
今でさえ、行き場を失った闇魔法分子達が術者の周りに沈殿しているのだ。
「これ以上、自分を追い詰めるようなコトするなよ?」
リョウは声を上げた――オレは、信じてるから。
(5)
突き放すような冷たい視線も、人間味のない口調も、闇の民では無い事を隠す為に伸ばされた長い髪も、リナの知っているディストと目の前のディストは違い過ぎた。
リナは戸惑うまま、かける言葉さえ失ってしまっていたが、かの双子達のためにも、せめて、彼に起こった事態を飲み込むために必要な情報を得ねばならない。
「ディスト様、私をお忘れですか?」
そう、決して短くはない間、リナはマオと共に彼と苦楽を共にしてきた。ディストの記憶が確かならば、此度のように突然攻撃されることは考え難かったのだ。
「お前の知るディストと同じ者とは思わぬことだ」
しかし、ディストの応えは味気もなかった。
「(一体、どういう事だ?)」
副脳の移植などという事情を知らないリナは、戸惑いながらも分析する。記憶の消去か封印、或いは洗脳術だろうか――分析の途中だが、簡単にタネは明かされた。
「洗脳に近い施術を受けている。繰り返すが、お前の知るディストと私は違う者である。最早、お前のことも、そしてマオのことも、今の我には邪魔な情報でしかない」
ディストは淡々としたものだった。
「では、セレス様の暗殺も……!」
リナは全て分かってしまったのだ。ディストは、望んでマオとは抗う道を辿っていた訳ではない。むしろ、魔王から無理やりもたらされた悲劇なのだということを――
「我の目的はお前を殺すことではない。だが、行く手を阻むのなら、話は別だ」
ディストはリナと擦れ違いざまにそう言うと、セイに攻撃を仕掛けるべく、歩き出した。
「次で決着を付けてやろう」
彼の機械のような冷徹な声は、先程からずっとセイの耳にも届いていた。リョウは背中を向けて座り込んだままだった。そしてリナは、ディストの後ろ姿を見つめたままだった。
セイは、剣を握り締めた。
「……覚悟はいいな?」
(6)
戦闘が再開した。
「洗脳」というどうしようもない術が施されている状態でディストが戦っていることにも、にわかに明らかにされたディストの素性にも、この雨にも、セイの剣先は鈍る。
――セイの集中力は、目に見えて落ちていた。
「リョウ、」
リナは決断した。
「いつでも戦えるよう、準備をしておけ」
彼女の冷静な口調は、動揺を隠す為のものだろう。
「何一つ、良策が浮かばない」
思わず声を詰まらせてそう告げたリナが、申し訳無さそうにリョウを見た。それはそうだ。何せ、そもそも彼女はマオとディストに仕える者だったのだから。
「分かった」
そうリョウが応えた丁度その時、突然、爆発音が辺り一帯に轟いた。
ディストの中等攻撃呪文だろうか、爆風に弾き飛ばされたセイが、リョウ達のすぐ傍でうずくまってしまっていた。
「オイ! セイ、大丈夫かよ!?」
ついリョウは叫んでしまったが、これはセイが最も嫌う兄の言葉の一つである。
「外野がガタガタぬかしてんじゃねぇ!」
案の定、リョウは怒鳴られるが、一緒に旅をしてきた過程で、そんなものにはすっかり慣れてしまったので、今更堪えはしない。それにしても、とリョウは思った。
「あれ?」
なかなかセイが立ち上がろうとしないのだ。それどころか、何度となく首を振っている。
「(立てない? 目が見えてないのか?)」
セイの様子がおかしいことにリョウも気付いた。リョウはリナに確認する。ディストが薄笑みを浮かべた。彼にとっては絶好の勝機でしかない。
「終わりだ。ランダの子孫……」
ディストは片腕を高く挙げた。
「(魔法が来る!)」
居ても立ってもいられず、リョウは飛び出した。しかし、ディストの攻撃は止まらない。
『崩滅へと吹く風(デスアラウズ)!』
リナは目を開けるのが怖かった。『四天王』クラスのハイユーザーの魔法を、至近距離で喰らった双子達の安否は如何に。
「な……!?」
しかし、リナの目に飛び込んできたのは、全く思いがけない人物と結末であった。
「あれは、確か……」
(7)
少し時は遡る。
セイへの攻撃の最中、ディストは密かに攻撃に幻覚作用のある毒を仕込んでいたのだ。それが徐々に効き始め、セイの視覚が侵され始めていたのだが、リョウがその毒の兆候を素早く察したのだ。
ここ数日の野宿のお陰で、リョウは結界(バリア)を張りながら状態回復呪文(リカバー)を唱えるという器用な術を体得していたので、思い切ってリョウは飛び出したところである。
ただ、飛び出したのはリョウだけではなかったようだ。
それにしても、驚かされることばかりである。
リナはセイの目の前に、リョウの他にもう一人、黒髪の女性が立っているのを確認した。
「(彼女は、確か……)」
リョウは歓声を上げた。
「ソニア!?」
何と、魔王軍第四部隊隊長であるソニアが、セイとディストの間に割って入り、リョウと一緒に結界呪文(バリア)を張ってくれていたのだった。
「お久しぶりね、リョウ」
彼女もこの戦いを憂慮する戦士の一人だ。セラフィネシスでは植物ジェノサイダーの撤去に踏み込んでくれた彼女が、今回は、弟の絶体絶命を救ってくれた。リョウはそれが嬉しかったし、有り難かった。
「何故……邪魔をする?」
しかし、一番驚いたのはディストだったようだ。彼は、ソニアが光の民に対して強い復讐心を持っていたのは知っていたつもりだったのだ。
「私はもう、リノロイドの配下じゃない。レジスタンスの一員よ!」
雨に濡れたソニアの長い黒髪は、多少の風で靡きはしない。ディストの負の魔法分子を少しだけ浴びてしまった彼女の身体は傷だらけであったが、口調はしっかりしていた。彼女はすぐに回復呪文(ヒール)を唱えて、先ずはディストとセイの傷を癒す。
「魔王軍を脱退したと言うのか!?」
彼は戸惑っていた。“ディスト”の持っている情報では彼女の事をフォロー出来なくなってしまっていたからだ。勿論それは、自分の知らない口調で話すディストを目の当たりにしたソニアにも言えることではあった。その所為か、ソニアはソニアでいつになく、彼に対して他人行儀に構えてしまうのだ。
「リノロイドは貴方を利用しているだけよ。魔王軍四天王を建前とした、軍事兵器として」
淡々とした斯様なソニアとディストのやり取りが、双子達に幾らか父の死の真相を伝えてくれた。即ち、父・セレスはどうも、この洗脳を受けたディストに殺されたのであって、“ディスト”固有の意思とは何ら無関係にそれは為されたこと――
「これ以上、リノロイド様を愚弄すれば、」
副脳のプログラム通りに単語を並べているディストの声が、震えている。分かっているのだろう、目の前のヒトを傷付けてはいけない事くらい……
「我への愚弄と見做し、攻撃する」
それもまた副脳からの言葉だと分かりきっているだけに、ソニアは余計に辛くなる。ただ、柵(しがらみ)の無い彼女に、畏れるものは何も無かった。
「ならば、私も“勇者”に未来を託すまでよ」
彼が“ディスト”に戻らない以上、為すべき事は決めてきたし、覚悟もしてきた。
「数の上では貴方が不利ね?」
ソニアは暗に退却を勧めたが、ディストは首を横に振った。
「不利なのは、“数”だけだ」
副脳は便利である。戻る場所など無くとも、主の為に戦うことができることを“満足”だと思えるから。
「(ソニア・ジル・ロイ――)」
ディストは副脳内の情報を書き換える。
「(ソニア……まさか、この男のためだけに軍を辞してきたというのか?)」
そう思い至ったところで、再び、意識が混濁してきた。仮死状態にある筈のディスト本来の意識が、間違いなく副脳に噛み付いてきているのだ。
「くっ!」
ディストが額を押さえて、両膝を付いたのだ。
「……うっ……リナ?」
何と、「邪魔」とさえ言い切った彼の口から、リナを呼ぶ声が聞こえた。
「ディスト様!」
リナは慌ててディストに駆け寄った。
「どうか、早く……逃げて。皆と一緒に……!」
強い頭痛があるようだ。ディストは両手で頭を抱え込むようにうずくまってしまった。
(8)
「またか」と、確かに弟が呟いたのをリョウは聞いた。どこか痛むのだろうか、眉間にしわを寄せたセイは苦しそうな表情をしている。いや、回復呪文(ヒール)ならソニアが唱えたばかりだ。状態回復呪文(リカバー)がうまく発動できなかったのだろうかとも思ったが、それなら早急に、その旨弟から「お叱り」を受ける筈だ。
「(また、か)」
回復呪文(ヒール)をかけても痛む傷があるのだろう。丁度、自分の左手親指の爪の傷のようなものが、弟にもあるのだろう――さもありなん、とリョウは納得した。
「これ以上、貴方に罪を重ねさせはしない」
その為に此処へ来たのだと宣言し、ソニアは強化魔法球(ブラスト)の詠唱を始めた。それを聞いた弟が「またか」と呟いたのだ。
「一人殺すも、二人殺すも同じことだ」
何かが壊れた音がした、とリョウは思った。それは弟の殺気の音であった。
「貴様等にはでき過ぎた茶番だ」
遠雷の音が更に不気味だった。セイは剣を手に取り、ソニアの攻撃呪文を制す。
「……オレが斬れば、円く収まる。退け」
ソニアの登場により目覚めかけたディスト固有の人格が、副脳の動きを封じ込めようと戦っている間なら、十分に勝機はある。
「消え失せろ!」
雑音を振り切らんとして、ディストが声を張り上げた。丁度、剣をかざすセイと目が合う。余りの虚無を前に、ソニアは膝から崩れるように座り込んでしまった。彼女に一応の回復呪文(ヒール)をかけてやりながら、リョウは「これで良いのか」をリナに問うた。
「アイツはまた、“勇者”を全うするだけだ」
最善策である、とリナは言った。眉間にしわを寄せたその表情を見れば、訊かずとも分かる。リナだってディストの死を望んではいない。
「(何が“勇者”だよ?)」
リョウは目の前で戦っているセイとディストを見た――セイもディストも、目の前の敵とは違う“敵”と戦っているようだ。
「(これ以上、アイツにどう傷付けって言うんだよ?)」
リョウは首を振った。
「(もう、黙って見てらんねえよ!)」
また戦争でヒトが死ぬ。
そしてまた、弟は傷付く。
リナとソニアだって――リョウは、虚しさとやり切れなさで、いてもたってもいられなかった。
「(オレ達は、どうしていつまでもこんな事ばっかり繰り返してるんだよ?!)」
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