第31話 剣の慟哭(1)
(1)
今から15年前のことである。
魔王よりディストに、ランダの最後の子孫とされていたセレス(リョウとセイの父親である)を捕縛するよう勅令が下された。
しかし、ディストは結果的にセレスを暗殺してしまう。これが勅令違反であるとして、ディストは中枢より問責された経緯がある。しかし、魔王軍当局は執行当時のディストの判断能力が著しく低下していた事を理由として謹慎処分でカタを付けたのだ。ディストをよく知る者――とりわけ、フィアルとソニアはその事件の胡散臭さに当初から疑問を持っていた。どうやらフィアルは、事件の真相を掴んできたようだ。
「あのディストの勅令違反は、リノロイド様によってアイツに埋め込まれた、“副脳”って奴に原因があるらしい」
「副脳ですって?!」
副脳――血液を介して脳に侵食し、脳の機能を一部麻痺させることで中枢に摩り替わる。中枢に摩り替わるのだから、取り付けられたら2度と取り外すことは出来ず、ユーザーの忠実な僕として一生を終える。
「魔王軍医局は否定しているが、間違いなかった」
フィアルは声をひそめた。
「耐え難い事実だが、リノロイド様はそれを使って、ディストを利用していたんだ」
「まさか?! リノロイド様……」
ソニアは両手で顔を覆った。
泣く子も黙る魔王・リノロイドとは言え、ソニアにとっては、両親や親類を毒ガスで殺され、領地と領民を全て奪い取られ、戦災孤児となった自分を拾ってくれた恩人だった。
「四天王」は、皆戦災孤児だと聞く。
「(私が“チカラ”を与えられたのは、軍への“忠実なコマ”を得る為だったの?)」
「時に、」
フィアルはさらに続けた。
「以前の第二部隊の副隊長が突然バラされたって噂。あれはな、」
――ディストがハーフであることに気がついた前の第二部隊副隊長が、ディストに私闘を申し込んだのだと言う。勿論、まともに戦って勝てる相手では無いと見込んだらしく、プロのアサシンと組んでディストの不意を討った。しかし、それがかえって、ディストに取り付けられた副脳を作動させる結果となってしまった。
「だから、上層部もちゃんと捜査しないし、ディストも何も言えないんだよ」
しかし、彼を慕い、気遣う者は数多い。事は予想以上に大きくなってしまった。このままでは、国家機密の副脳の存在が公になるのは時間の問題である。
「だから、ディストをランダの子孫にけしかけて、この前の事件を上手く塗りつぶそうとしてるんだろう」
実は、これは二度目だという。
以前にも同様な事情で副脳が作動し、噂に収拾が付けられなくなった折、それを見計らったように、ディストに対してセレスの捕縛命令が下された。上層部の画策通り、話題はランダの子孫の終焉と、それに対するディストの“名誉ある”謹慎処分に移った。
「何よそれ! あんまりじゃない!」
フィアルのその話で、ソニアが従前から少なからず抱いていた中枢への反発心が、にわかに膨れ上がった。
「今回のランダの子孫の暗殺命令で、既に副脳は作動している。そう見て良い」
ランダの子孫を捜索・抹殺するという任務完了まで、何日かかるかわからない。その間、副脳を作動させ続ける為には、ディストの意識は回復してはならない。リノロイドの手により、ディストはもう、副脳を作動させ続けなければ生きていられない状態になっているだろう。
「じゃあ、ディストはもう――」
ソニアは愕然とした。
「でも、ディスト自身、その事を知って任務を引き受けたんだ」
フィアルはうつむいた。
「え? じゃあ、何で……」
「ホラ、アイツ、」
――自分のことが、嫌い過ぎるから。
「ねぇ、フィアル、」
ソニアの声が震えている。
「もしも、私が戻らなかったら、私の後任はアデリシアを推薦すると伝えてくれないかしら」
彼女はそう言うと、窓をあけた。早朝の涼しい風が爽やかに吹き込んできた。
「後は頼んだ、か。お互い様だな」
亜麻色の髪を掻いて、引き止めるに引き止められなくなったフィアルが天井を仰いだ。柵(しがらみ)が無くはないが、そんなものは振り切って、ソニアは窓の桟に足をかけ、地上七階から飛び降りた。
『召喚・砂蜂(サンドウォスプ)!』
大地から大きな蜂が現れ、その虫は落下しているソニアを安全に背に乗せる。彼女等は瞬く間に、南方向へ消えた。
「(スゴイな! 詠唱無しで召喚術使ったのか!)」
あまりに荒々しい割には高度な正確性のあるソニアの技術に、フィアルは思わず感心していたが、彼はふと、思い出したようにソニアの消えた南方向の虚空を見つめた。
「(でもソニアちゃん、ディストやランダの子孫の居場所分かってるのか?)」
気が付くのは遅かった。つくづく、一緒にいた間にせめて伝えておけば良かったかも知れないと思うことばかりである。
「(まぁ、アレスのとこに報告がてら、情報もらいに行くだろうな)」
それに、ランダの子孫達がダーハ方面からサンタバーレを目指して進行していることなら判明している。これも杞憂だろう、とフィアルは一つ息を吐いた。
救いようの無い戦いが始まろうとしている。
現状を打開せんと戦う者ばかりが、またも徒に傷付くことになるだろう。
それなのに、世界ばかりはまるで変わらない。いや……
「(変えてやる! 何としてでも……)」
フィアルは穏やかに澄ましている朝の空を睨みつけた。
もうちょっと幸せになったって、誰も罰(バチ)は当たらない筈だ!
(2)
レニングランド郊外では、町民達と魔物の群れとの戦いが続いていた。
レニングランドの兵士達も、かつてランダと共に魔王を封印した程の強い戦闘能力を持っていた同志達も、流石にもう戦力は限界に達していたのだった。
「住民(シビリアン)は100パーセント避難し終えた。しかし、我々の軍も多数の死傷者を出してしまった。それに、物資も底をつきかけている。このまま応戦し続けた場合、やがてくる魔王軍の本隊どころか、魔王軍が攻めてくる前に壊滅してしまうだろう」
この度、緊急に組織されたレニングランド保安局委員会の説明を聞いていた者達が一つずつ大きな溜息をついた。
「サンタバーレに援軍を要請しましょう」
レニングランドの住民の希望は、人間居住区・サンタウルス首都であるサンタバーレからの援助くらいだった。
「サンタバーレ正規軍なら、この魔物の数でも三日で片がつきます!」
次々と賛成の声が上がる中、
「しかし、サンタバーレ正規軍は今、ローレンダー海沖で遠征中だ。レニングランドに兵を送る余裕は無いというのが本音だろう」
マオは冷静だった。正味、合理的な民主主義に則っている首都にとっては、片田舎のレニングランド一つを失ったところで痛くもかゆくも無いだろう。過度の期待は禁物である。
「それとは別に、」
リナは更に先を読んでいた。
「もし、魔王軍側が、サンタバーレ正規軍の勢力を散らすためにここを利用しているのだとすれば……」
サンタウルスの攻略の為に魔王軍が絶対にせねばならないことは、首都・サンタバーレの陥落である。片田舎とはいえ、サンタバーレの同盟都市レニングランドに兵を派遣させ、本来のサンタバーレの防衛網を手薄にさせてしまっては、元も子もない。
「それは、……充分あるな。」
ならば、いつまで経ってもここに敵軍の司令官が現れない理由も、弱小魔物ばかりで軍を構成した理由も全て、つじつまが合う。マオは一つ唸って結論を出した。
「サンタバーレからの援軍は無理か」
住民達が肩を落とした丁度その時だった。
「魔物の群れが殲滅されました!」
前線で戦っていたイザリアとラディンが委員会会場に現れ、会場はどよめきと歓声が上がった。
「良い知らせには違いないが、一体どういうことだ?」
状況を問うたマオに、ラディンが少し困った微笑を返した。
「突然巨大な炎属性の魔法分子が現れ、魔物を送り出すプラントごと焼き尽くしたかと思ったら、忽然と消えました」
そんな事ができる術者(ユーザー)など、世界で一人しか思い浮かばない。
「ヴァルザードか」
実は、ランダの同士と呼ばれる者達は、一度だけ、彼と遭遇したことがある。
実母であるリノロイドと政治的に敵対していたヴァルザードは、彼女の陰謀により、一時封印されていたことがあるぐらいなのだが、その封印を解いたのがランダなのである。
現在、ヴァルザードは、ランダの同志にとって、敵でも味方でもないが、現在は利害が一致する為、しばしば思わぬ恩恵に与ることがある。
「随分荒れてるな。また母ちゃんとケンカでもしたのかな?」
……マオの私見はよく当たるようだ。
「とにかく、少しは休ませて貰えそうだな」
住民達が歓喜の声を上げた。一方、リナの表情が優れない。
「(本当に陽動なら、リョウ達の方が危ないな)」
そう、魔王軍の狙いがサンタバーレだとすれば、そこへ向かっているリョウ達が、戦火に巻き込まれるのは必至だ。
「リナ、」
マオが彼女の表情を察して声を掛けた。
「また、戻るつもりか?」
リョウとセイの元へ――
「未だに、本意ではない」とマオはあえて伝えておいた。リナがこの旅に出る事を決意した経緯を知っているだけに、当初からマオはリナの旅立ちに否定的だった。しかし、あの双子達が旅立つ前日になって、リナの強い決意に気圧される形でそれを許したのだ。
「私の気持ちも変わりません」
リナは断言した。
「じゃあ、引き止めても無駄なんだね」
一つ溜息を吐いたマオは、外の様子を確認しながら、ラディンに戦況を問う。
「魔王軍から次のプラントが届くまで、大体3日から5日というところでしょうね」
何とも悲観的な答えが返って来たので、マオは強制的に修正する。
「それプラス、敵の追加軍を考えると――大体二、三ヶ月は私等だけで大丈夫だな」
その観測はかなりアバウトなものである事をここにいる誰もが知っていたが、皆何も言わなかった。彼等もまた、リナが双子達に同行していた理由を知っていたからである。マオは優しく微笑み、リナの肩をポンと叩いた。
「大丈夫、だ」
ほんの少しもブレないマオの言葉は、本当に皆にチカラを与える。昔から彼女はそんな人である。
「行ってきて、リナ。あの子達には、まだ貴女が必要よ」
「ここならボク達が守りますから」
イザリアとラディンもリナの背を押す――ランダの意思を継ぐことの意味を、彼等はよく心得ているのだ。
「最後の『勇者』を、お前が守ってやれ」
レニングランドの町民からも拍手が起こる。勇者は確かに“人柱”でしかないのかもしれないが、ここにいる者達は、自らの生活を守るため、そして勇者の戻る故郷を守る為、命を駆けて戦ってくれている者達である。
「みんな……アリガトウ!」
こんな気持ちで再び旅立てると思っていなかったリナは、なるべく大勢に謝意を伝えると、翼を広げた。最後に、一度だけ、マオが呼び止めた。
「全ての事は、お前に任せる」
それは色々複雑な思いの滲んだ言葉だった。リナはその意味をしっかり受け止めて、主に誓う。
「私は、私の意思で彼等と共に戦い、務めを全うします」
この瞬間から、リナの主はマオではなくなった。マオは一つ頷くと、戦友に手を振った。
(3)
虫やケモノよけの焚き火の炎が燃えている。
物珍しい、とはしゃいでみたのは初めの内だけである。気候が良く、暑くも寒くも無いが、座りっぱなしで痛む臀部にはまだまだ慣れそうもない。横になれば少しは楽になるのだろうか――
「(いやいや、我慢だ)」
と念入りに首を振ったリョウは、抜く当ても無い剣の鞘を少し強く抱いてみる。
七日目の野宿である。
リョウは水筒の水を一口、飲んだ。丁度、乾いた細胞を潤す水のイメージが確かなインスピレーションを与えてくれた。
『状態回復呪文(リカバー)』
見張りの時間を利用して、リョウが完成しようとしている呪文は、魔法医術の中級呪文である状態回復呪文(リカバー)と呼ばれるもので、所謂、毒などの体内の瑕疵の治癒を目的とする呪文である。
リョウ自身、自分は器用な方だと思っていたし、現に回復呪文(ヒール)の質はこの一週間弱で格段に上がっていた。それでも、患部の症状を見極め、浄めるまでには至らない。
「(まだ無理か)」
と、溜息を吐きかけたリョウは、不意に声を掛けられた。
「流石ランダの子孫、練習熱心だね」
驚いたリョウは顔を上げたが、亜麻色の髪をした長身の声の主を見つけるや否や、ニッと笑顔を返した。
「ちょっと待ってて」
リョウは剣を置いて来客の元へと駆け寄った。というのも、
「ゴメン。結界呪文(バリア)張ったままなんだ」
リョウが張り巡らせた結界が来客、もとい、フィアルの行く手を阻んでいたのだった。
「随分念入りに結界張ったんだね」
フィアルは苦笑した。この結界呪文を解除して状態回復呪文(リカバー)の練習に専念すれば呪文の完成は早いだろうに、と思ったからだ。しかし、この非効率にはちゃんとした理由があるようだ。
「念入りに結界張っておかないと、魔物の気配で直ぐ目を覚ますヤツがいるんだよ」
リョウは後方で眠る弟を指差した。
「流石、ランダの子孫はモノが違うね」
と、またも感心して一つ唸ったフィアルに、リョウは首を横に振った。
「あれは単なる神経質ってヤツ」
“おっかねえ”と呟いて肩をすくめてみせたリョウに合わせて、フィアルも小さく仰け反ってみせた。
「(おっかねえ、か)」
リョウは、場の空気の流れと身の安全のため、恐怖の弟(!)が眠りに就いていることを確認する。
物心付いた時から、セイの心の中には既に「敵」というべき存在があったらしい。本当かどうかはともかく、彼は読み書きも覚束無いだろう7歳という若年で、既に魔物と戦いに森に入っていたそうだ。
野宿生活が本格的に始まった当初、森に漂う微弱な闇魔法分子さえ目障りなのか、魔物が傍を通過するだけで飛び起きていたセイは殆ど眠れていなかったようだったので、ものは試しにリョウが光魔法分子で結界(バリア)を張ってみたところ、それは意外にも功を奏したようだった。
「正直さ、」
眠れる勇者を気遣ったのか、フィアルは声を落としてくれた。
「ランダの子孫は簡単に魔族を根絶やしにできるんだと思ってたよ」
それは暗にジェフズ海での戦いのことを言っているのだとリョウは気が付いた。
実はあの基地内に潜伏していたフィアルは、この二人があの戦いで傷付いていた事も知っていた。だからこそ、彼は努めて明るく振る舞うのである。
「オレはすっかりリョウちゃんとセイちゃんのファンだよ」
光属性魔法分子が織り成す結界に僅かにできた隙間から、左右合計1尋ほどの腕がリョウに握手を求めた。
「もう、あの時ゃくたばるかと思ったよ全く」
リョウもフィアルに倣って両腕を伸ばす。
「……そこの天才的バカ、さっさと用件伝えて消えやがれ」
流石に騒がしい、とセイも目を覚ましたようだ。
「あ、成程。記憶もちゃんと戻ったのね、セイちゃん」
「オレに“ちゃん”付けて呼ぶんじゃねえよ」
まだ眠くて起き上がるのが面倒なのだろう、セイは寝返りを打っただけだった。
「うん、……」
フィアルは一度言葉を止め、セイの背を見守っていた。相変わらずの無愛想だが、曲がりなりにも“四天王”の自分に対して全く警戒を解いているところを見ると、
「オレって信頼されてるんだァ」
とニンマリしてしまう。直ぐに、セイの寝息が聞こえてきた。
「ゴメンゴメン、用件はオレが聞くから」
結界呪文(バリア)の一つを一度解除してフィアルを招いたリョウが、白湯とヘソクリで購入した菓子を勧めた。
「そうそう、リョウちゃん、情報があるんだ」
この“勇者”達にはやってもらわなければならない事がたくさんある――そう何時までもジェフズ海の事件を引っ張るわけにも行かず、フィアルは本題に戻った。
「魔王軍は、お二方に刺客をお送りしました」
フィアルは淡々と、それだけを伝えた。
「そっか」
正直、まだ戦える心境では無い――眉間に皺を寄せたリョウは、水筒の水を飲んだ。
ニンゲンとマゾクが一人ずつ、炎を見つめて座り込んでいる図は、傍から見ると聊か滑稽だろうか。
「やっぱり、父親の仇を討ちたい?」
ふと、フィアルがそんな事を聞いてきたので、次の刺客が誰なのか、「低能」などと呼ばれて久しいリョウでも解ってしまった。父親の仇とは、魔王軍第二部隊隊長ディスト・カディル・ナティカのことである。
彼は“ジェネラルウィザード”であるという情報はあるが、何のことだかリョウにはさっぱり分からない。ただ、全世界が戦く魔王軍四天王の中で、このディストという父親の仇の情報ばかりが少なく、それは不気味といえば不気味だった。その彼を討ちたいかと問われたところで、やはりリョウはピンと来ないのである。
「オレは、そうでもない。でも、セイは……」
弟が寝ていることもあり、リョウは正直にフィアルに伝えることにした。
「――アイツは今、それだけの為に戦ってるのかも知れない」
焚火の中で、枝が爆ぜる音がした。
「お門違いっていうのは分かってるんだけど……」
そう言い掛けて、フィアルの方がためらっている。ならば、言わせる必要は無いと思ったリョウは、状態回復呪文(リカバー)の練習を再開した。
「なるべく、潜伏しながら町を目指すよ」
正のチカラを帯びた光魔法分子がリョウの両掌に集まる。
「親父(セレス)の仇を討ったところで、アイツの今までが報われはしない気がする」
セイと少しだけ話すようになって、リョウが少しだけ分かったことがそれである。そんなことを言うと、絶対に怒るだろうから言わないが。
――正のチカラを帯びた光属性魔法分子が結晶化して、剣のような形になっていく。
「あ、何か間違ったな」
リョウは慌てて呪文を解除して頭を掻いた。
「でも、遠くはなさそうだよ?」
フィアルはリョウの足元を指差した。
踏みしめられて萎れていた筈のヤマカタバミの黄色い花が、今は力強く咲き誇っていた。
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