第29話 さよならを言うのは、少し死ぬことである

(1)

 アンドローズ城最上階にて。

 ランダの子孫達が早くも光の民の希望そのものとなりつつあることに、時の魔王はさぞ焦っているのだろうと思いきや、ここ数日の彼女の苛立ちは、そればかりが原因では無いようだった。

「植物ジェノサイダーの瑕疵(かし)、ジェフズ海の基地の陥落とアリスとツェルスといった有能な術者(ユーザー)の失脚。ランダの子孫が発見されてからのこの短期間に、我が軍は多くを失い、そして兵の士気も下がっている事は、お前も承知しているところであろう」

リノロイドは、目の前で膝をついているディストにそのように切り出した。

「蓋し、これらの失敗全て、我が軍の職務意識の甘さによるものだ。例えば、セラフィネシスに栽培されていた毒の花には、看過し難い重大な欠陥があるとのソニアからの報告がある」

――因みに、それがソニアの独断でなされた虚偽の報告である事までは、主君は知らないのだが。

「更に、第三部隊の壊滅的ダメージは、我の側近だったツェルスが、大きく邪魔をしていた事が主因だそうだな。まあ、これは任務懈怠以前の問題だ」

リノロイドは大きく溜息をついた。ランダの子孫の出現に、魔王軍全体が浮き足立ってはいないか、と。

「魔王勅命軍は、かつて我々を貧困と隷従に貶めたランダの子孫達を抹殺し、ひいては人間達を駆逐一掃し、魔族の為に恒久平和を導くという崇高なる理念を掲げているというのに、近年の実績に、まさか自惚れているわけではあるまいな?」

主君のその嘆きの言葉を聞いたディストは顔を上げた。

「お言葉ですが、ランダの子孫の根絶が魔王軍の第一任務であるとは思いません」

“勇者”といえども、たかだか17歳の双子の兄弟と聞く。組織も兵器も参謀も全て整備された魔王軍には及びも付かない筈だ――そう彼は思っている。

「確かに、彼等の操るチカラは“絶対元素”と言われる程至高なものである事は理解しております。しかしそれならば、我々が得た“四大元素”のチカラも、前古代紀より世界の全てとされてきた存在です。決して劣る事はないか、と存じます」

絶対元素は四大元素に優越するものでは無い。魔王が「ランダの子孫」にこれほどまでに警戒心を強く持っていることが、ディストにはよく理解出来なかったのだ。「確かに」という言葉で一部同意した魔王は、次の通り持論を補足した。

「しかし、劣る事は無いが、優る事も無い。古代紀より未知とされてきた“絶対元素”の可能性もまた、未知数なのだ」

リノロイドが懼れているのは、ランダの子孫の「チカラ」ではなく、彼等のその「可能性」ということのようだ。

「それならば、」

ディストは言った。

「――貴女が直接手を下すべきではありませんか?」

刹那、リノロイドの傍らに控えていた内務省の大臣や書記官達がざわめきだした。その一方で、当の主君は笑い声を上げていたのだが。

「見ての通り、我が側近達が動揺する始末だ。今暫く大人しくさせてもらおうか」

主君の言葉に静まり返った内務省の官吏達を一瞥した青年は、深く頭を下げた。

「フフ、お前はそのくらい棘があった方が良い」

恐縮するディストの様子を見て、リノロイドは口元を緩めた。

「月並みの魔族では無いところが、お前の良さだからな」

それだけ言うと、魔王は人払いをした。内務省大臣以下の官吏やロイヤルガード達が一斉に退室し、王間には魔王とこの美貌の青年だけが残された。

「さて、前置きはこの辺で止そうか」

――丁度、第一部隊出動を知らせるサイレンの音が聞こえてきた。

ディストは顔を上げ、魔王を見つめた。煙草の灰をこぼし、一つだけ息をついた魔王は厳しい、深刻な表情をしていた。

「何故召喚されたのか、解っているな?」

「はい」

ディストは真っすぐ主君の目を見ていた。その返事を聞いたリノロイドは王座から立ち上がり、一段ずつ階段を下りる。ディストは続けた。

「第一種暗殺命令。目標は、ランダの子孫」

彼はそこで言葉を飲み込んだ。それに合わせるように、靴の音もぴたりと止んだ。魔王はディストの傍らに立っていた。

「何故、その命令が下されたのだと思うか?」

しかし、主君の問いにディストは沈黙した。リノロイドは彼と目の高さを合わせる為に膝をついた。恐縮するディストは、視線を床に落とす。何とか、ディストは答えをひねり出した。

「私が”欠陥品”だからでしょうか」

ディストのこの答えでは、魔王は満足しなかったようだ。彼女は一つ唸り声を上げ、

「どうやら施術に応じる覚悟はしてきたようだな」

と亜麻色の髪をくしゃくしゃにかき上げた。ディストは視線を上げる。そして、魔王の目を見て言った。

「勿論です」

満足そうにその返事を聞いたリノロイドは、「大儀である」と薄笑みを浮かべるとディストの額に掌を当てた。

「運命とやらがあるのなら、お前はそれに弄ばれ過ぎたのだ」

主君の言葉があまりにも的確過ぎて胸を刺し、ディストは一度、その美貌を歪める。

「せめて、安らかに眠るが良い」

魔王の掌が触れていたディストの瞼は震えていたが、やがて、彼の長い睫毛と動きを合わせてぴたりと動きを止めた。躊躇うべからず、と諭すように始めた魔王の詠唱で、王間は一瞬のうちに白くかすんだ。闇とも光ともつかないそれは間もなく晴れ、色を取り戻した王間には、佇む王と蹲る青年が取り残されていた。不意に、まるで祈りのような声がぽつりと落ちた。


 ――サヨナラ、みんな。


(2)

 サンタウルスへ出撃する魔王軍第一部隊に帯同するため、アンドローズの郊外に召集されていた第二部隊に、急遽本部待機命令が下された。魔王軍第二部隊の性格は、事実上、魔王軍の遊撃隊である。魔王軍全体でおよそ八万人いる兵のほんの数十分の一がこの部隊に属する。

「ディスト隊長に、ランダの子孫の捕縛勅令が下されたんだって」

「そんな……万が一隊長に何かあったら、この部隊はどうなるんだ?!」

「中枢は横暴だ! 先日のツェルス殿の所業といい、四天王など代替可能とぐらいにしか思っていないのだろう」

「隊長のサポートに回りましょう。ランダの子孫など、すぐに片付けられますよ!」

魔王軍第二部隊副隊長・ヤカの周りにいた兵士が右往左往し始めた。しかし、隊長から直々に待機命令が出ているだけに、今、迂闊に部隊を動かせないのである。しかし、ディストの人柄の所為なのか、他部隊と比較してもフランクな規律であることもあり、人材の宝庫と呼ばれるほど逸材が揃っている第二部隊の兵達の自己主張は強い。ヤカは自部隊の兵達をコントロールしきれるかどうか、強い不安を覗かせていた。

「コラコラ、ヤカちゃんが困ってるぞ。その辺で止めとけよ」

ディストを心から慕う“穏健派”と呼ばれる兵達が、幼い副隊長に代わって部隊を取り纏め始めた。

「そうだな。下手に動いて、第二部隊のこの空気感を失いたくはねえ」

突出した実力者の多い部隊だ。ヤカが副隊長に推薦された理由など、単なるジョークだとしか思われていない。それがかえって兵士達同士のプライドを逆撫でせずに済んでいた。勿論、この人事について第二部隊の兵の意見は様々であるが、それこそがこの部隊の良さではあった。

「気になるのは、」

兵士の一人が言った。

「隊長を殺して名を上げようとしていた“過激派”の前副隊長殿が変死体で発見された件、やっぱり隊長の仕業らしいな。今回の勅令と何か関係があるのだろうか?」

この噂は、第二部隊の人間ならば誰もがよく知っているものだった。そう、この部隊ではディストの個人的な方針により、「下剋上」は上等。そしてそうやって上位を狙うものを、陰で“過激派”と呼んでいるのだ。

「オレもその話は聞いている。自業自得だろあんなの」

「しかし、中枢が納得しないだろう?」

「いっそ中枢にいる軍事官僚全員まとめてヤろうか?」

「止めろ、我々が深く介入する事ではなかろう?」

荒野を風が駆ける。ここに答えはないと知る兵が、一人、また一人とアンドローズ城を目指した。

(3)

 アンドローズ城一階の入口付近で、ヤカは遅いディストの帰りを待っていた。まだ城へ来るのは二度目。荘厳で高貴な城の造りには、つい目を奪われてしまう。そうしていると、年端も行かないこの軍人を珍しがった門番達が挨拶しにやって来た。そうしてとりとめのない会話の相手をしてもらっているうちに、奥から金色の髪の青年がゲートに向かって歩いてくるのが見えた。

「隊長!」

配置に戻る門番達に挨拶して、ヤカはディストに駆け寄った。しかし、ヤカの姿を見た彼は、眉間に皺を寄せただけである。

「ヤカ。……」

ディストに制され、彼女は思わず息を呑んだ。

「あ……」

ヤカは青ざめてしまった。というのも、普段穏やかなディストがごく稀に垣間見せる強烈な殺気と冷ややかな視線の意味を、ヤカは――ヤカだけは――知っていたからである。

「返してよ……」

一転、ヤカはディストに牙をむいた。

「“パパ”を返してよ!」

露骨に敵意をむき出しにしたこの少女の変わり身に興味を抱いたのか、美貌の青年は不敵な笑みを覗かせた。

「誇りに思え。お前の“パパ”は、我らが主君の優れた忠臣であった」

ディストはそれだけ言い残すと、『召喚獣・風天馬(ウィンディペガサス)』と共に空へ消えた。

「(フィアルさんに報告しなければ!)」

怯んでなどいられないのだ――ヤカはこれから起こる悲劇を知っていた。

(4)

 かの青年を送り出し、一つ駒を進めた魔王・リノロイドに会心の表情は無かった。あれから半日が経とうという今でさえ、側近達の入室禁止令は解かれない。

 魔王が考えているのはこれまでのこととこれからのこと。

 気が晴れないのは曇天の所為だろうか。否。

「魔王っていうのも暇なもんだなぁ」

事もあろうか、魔王を罵倒する青年がいた。肩より少し短めの亜麻色の髪の碧眼の青年に、無表情を返したリノロイドは、

「ヴァルザード」

と彼の名を呼んだ。そう、この青年こそがあのツェルスをいとも簡単に暗殺した、ヴァルザード皇子であった。

「そんなに暇なら世間話に付き合ってもらおうか」

淡々とした面持ちの魔王とは対照的に、皇子の表情は険しい。

「話すことは無い。言いたい事を言ってさっさと消えろ」

リノロイドはやはり淡々とそれだけ言うと、とうとう息子から顔を背けてしまったので、ヴァルザードは女王のお言葉に甘えることにした。

「忠実な臣下の脳ミソが、単細胞生物レベルで開発されたらしいんだけど知ってるか?」

ヴァルザードはリノロイドを睨みつけて続けた。

「副脳、って言うんだってさ」

負のチカラを帯びた闇魔法分子がこの一室に充溢している。リノロイドは構わず煙管を手に取った。更にヴァルザードは続ける。

「予め移植しておいた副脳ってヤツを、脳を仮死状態にさせることで作動させるんだとか? まあ、」

魔王と皇子の魔法分子同士が摩擦して明滅した。

「魔王様が詳細をご存知かと思ったもんだから、こうしてやってきたワケさ」

一度、二度、とスパークした闇魔法分子の結晶が小さく音を立て始めた。ざわざわと気が休まる隙もない。

「気分が悪いんだ。単刀直入に頼もうか?」

リノロイドは煙管の火皿に煙草を詰めた。息子が何をしにここへ来たのか、よく理解しているようだ。ならば、とヴァルザードも端的に切り出した。

「貴様、ディストに副脳付けてたろ?」

彼はなおもリノロイドを睨みつけていた。

「ならば何だというのだ?」

流石にリノロイドも苛付いた様だ。

「ランダの子孫は魔族の凶。生かして捉えることも考えたが、想像以上に敵は厄介だ。それなら、早めに潰した方が良い。そう判断した時に、誰が適任か――」

「適任だと?」

眉を上げたヴァルザードは剣の柄に手をかけた。

「無理から洗脳して敵地に送り込む事を適任だというのか?」

「フ……ディストは快く引き受けてくれたぞ? どこかの放蕩息子とは大違いだ」

その刹那、魔王の目の前を炎が横切った。皇子の殺気に呼び寄せられた炎魔法分子結晶が、彼が剣を鞘から引き抜いた反動で負のチカラを放出した為だ。

「世間話の雰囲気ではなくなったな」

などとリノロイドは失笑している。

「せいぜい盟友の分まで働くことだ。お前は自ら皇位継承権を放棄したのだからな」

息巻く皇子の神経を、魔王は逆撫でしているようだった。皇子はそれも面白くない。

「オレは貴様の作ったヤニ臭い礎に興味はない」

彼は女帝に背を向けた。

「……今に貴様は孤立するぞ」

そう言い残して再びヴァルザードは消えた。

「忠告、と受け止めておこう」

リノロイドは渋々タバコの葉を捨てた。

(5)

 「リョウ達、もう出発するの?」

弟達との別れの時である。シェディルは素直に寂しそうな表情をくれた。

「5日間、引き止めりゃあ十分だろ」

まさか5日もここに滞在できるとは思ってもいなかったリョウは、そう姉に笑顔を返すと、店の準備を始めている養母に目をやった。

 リョウとの再会を果たしたこの5日の間で、劇的に病状が快方に向かい、今日からパン屋を再開できると言っていた。セイが煎じてくれる薬がかなり効いてくれたのだろうが、そのセイ曰く、「“ショック療法”が効いたんだろうよ」。

「こちらのことは心配しないで、気をつけて行ってらっしゃい」

シェディルは仕事を替え、郊外の住まいからまたこの家に移り住むのだそうだ。

 リョウがベルシオラスを離れた後、養父は実の娘である彼女にも暴行を加えていたらしい。彼女は、リョウの滞在中一切養父の事を口にしなかったが、義母がそう教えてくれた。

 彼女もこの家に戻るにはかなりの勇気を要しただろう。そして、誰も居なくなったこの家に残された養母はさぞ寂しかったことだろう。でも、これからはきっとこの家とこの町に、楽しい思い出も増える筈――リョウはそう願った。

「ちょっと、リョウ! これ、持って行きなよ!」

奥の方で養母が呼んだので、リョウはバターと麦の良い匂いがするパン屋の店舗に入った。

「これ、母さんからの餞別さね」

忙しい朝の手を休め、リョウ達の為に用意していた大きな包みを手渡した。中身は確認するまでも無く、パンの詰め合わせである。

「ありがとう、弟も喜ぶよ」

道中は携帯用即席食品を多用する為、殆ど毎日同じメニューになりがちだったところだ。

「“ありがとう”はこちらの台詞さ」

最後になるかもしれない別れ際だ。しっかり養母の顔を見ておきたかったリョウは、大きな包みに入ったパンとパンの隙間から、母の顔を覗く。

「あの時、アンタ達が来てくれなかったら、多分、死んじまっていたよ」

「母さん?」

彼女があまりにも悲しい顔をするので、リョウも何だか辛くなってしまう。養母は、その悲しい微笑のままで、リョウを抱くように優しく肩に手を置いた。

「『勇者』だなんて、大変だろう? 本当はアンタやセイ君が、17の身空で戦いに赴くなんて、させたくは無いんだよ」

「……。」

伝えたい言葉が多すぎて、かえってかけるべき言葉を失ってしまうリョウだったが、母は優しく、強く抱き寄せてくれた。


「絶対に、ここへ戻ってくるんだよ!」

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