第26話 ダーハから、ベルシオラスへ
(1)
15年ほど前のこと。
英雄・ランダの意思継承者達は、セレスの遺した双子達を何としてでも守り抜く為に、それぞれを別の場所で養育する事を決めた。兄の方を南の町・ベルシオラスに、弟の方を北の町・レニングランドに、十年という年月をかけて保護育成するという段取りである。
勿論、その双子こそがリョウとセイである。弟のセイは、レニングランドで幼少期よりマオと共に生活していた。そして、兄・リョウの方は、彼の実母が親友として格別の信頼を寄せていた人物と共に生活していた。
それは、魔王軍から命を狙われていたこの不憫な兄弟を離れ離れにする事によって、敵の捜査を攪乱させ、最悪でもどちらか一方でも生き延びられるようにしたい狙いがあったのだが。
(2)
日が南南西を少し回った頃だろうか。
ダーハのとある武器商店に、人を訪ねて女性が入ってきた。
「双子の戦士風の男達が来なかったか、って?」
明日にも貿易船が出るとあって、店のオーナーは忙しそうにしていたが、客でもない彼女の為に、オーナーはカウンターまで出てきてくれた。
「来たよ来たよ。強面の剣士が、ウチで一番高値のするオリハルコン銀の剣を定価の3割まで値切って行ったよ。全く商売にならんさ」
オーナーのそのぼやきで、その「強面の剣士」とやらが連れである事を確信した女性は、彼の保護責任者として頭を下げた。
「いやいや、お嬢さんが謝ることじゃない。私もあんな骨っ節のある客は久々で、つい、サービスしちまったんだよ」
明日からの商売でまた元を取れば言いとオーナーは笑っている。女性は安堵の溜息をつきつつ、双子達の行方を訊いた。
「その後の行方かい? そうだな、外套を探すとか言っていたから……防具屋に行ったのかもしれないな」
繁忙の最中に親切に対応してくれたオーナーに礼を述べた女性は、とりあえず近場の防具店を訪ねた。
しかし、一通り見回しても防具店内に連れの姿は無いようだ。仕方なく、女性は再び店員に双子を見なかったか尋ねる。
「双子の剣士? ああ、さっきの子達のことね」
店員の苦笑いを見るに付け、また連れは何かやらかしたのだろうと察した女は一つ溜息をつき、覚悟を決めて話を聞いた。
「面白かったわよ。見た目そっくりな二人が立て続けに入店してきたものだから、直ぐに“双子”だと分かったの。珍しいしね。だから、てっきり兄弟一緒に選ぶのかと思ったんだけれど、大間違い! 弟さんはびっくりするぐらいさっさと精算しちゃうし、お兄さんの方はファッションにこだわりがあるみたいで、デザインとか流行とか、手触りとか重さであれこれ悩んでいたわ」
これは相当店先で揉めただろうと察した女性は、連れの保護責任者として再び頭を下げた。
「いえいえ、何だか微笑ましかったものだから、こちらも長居して欲しくて、ついあれこれお勧めしてしまったの。彼等には、また来てねとお伝えくださいね」
何とかこの場で連れの傷害沙汰は回避できていることは確認できて、女性は再び安堵の溜息をついた。迷惑ついでに、彼女は防具店の店員に再び双子達の行方を訊くことにした。
「その後? 確か、食料が足りないって言ってたから、メインストリートにある雑貨屋さんを紹介したの。ついさっき此処を出て行ったばかりだから、まだこの近くに居るかもね」
防具店の店員に礼を述べた女性は、ダーハの町のメインストリートに出た。
「あ」
メインストリートであっても、6尺はある栗毛の男は目立つ。丁度雑貨屋の方から、食料を抱えて出てきた双子の兄の方と女性は目が合った。
「リナ! お待たせ」
直ぐに気付いたリョウが重い荷物をものともせずに駆け寄ってきた。つくづく、彼は愛嬌がある。では、弟の方は何処へ行ったのだろうか。リナがそれを尋ねる間も無く、バックストリートから彼は現れた。
「チッ、雑魚め」
捨て台詞が捨て台詞だったので、リナもリョウもセイが出てきた道を振り返るのは止めておいたが、
「(コイツを町で一人にしてはならない!)」
との見解は一致したという。
(3)
人間の住む町で情報収集に当たっていたリナは、闇の民である事を隠す為、闇の民の象徴である長い耳をショールで覆っていた。
「一つ厄介な事が分かったんだ」
出し抜けにそう前置きを入れ、リナは切り出した。彼女の表情がいつになく深刻な表情だった為、リョウもセイも押し黙る。
「レニングランドが、近く入植されるらしい」
その衝撃的な報告に、リョウもセイも言葉を失った。
情報によると、今はレニングランドに大量の魔物が投入されているようだ。
人間居住区(サンタウルス)きっての片田舎が、よりにもよって持久戦を持ち込まれているため、このダーハやベルシオラスからも戦力を募っているのだという。
「そこで、二人に頼みたいのだが」
リナは一つ呼吸を置いて続けた。
「私は、一度レニングランドに戻り、戦況を正確に確認したい。つまり、暫く、お前達とは共に戦う事が出来ない。半月から二月ほどで戻るつもりだ。二人で先にサンタバーレに向かっていて欲しい」
突然のリナの申し出に、リョウとセイは少なからず戸惑った。絶対元素をものにした彼等とはいえ、いざという時はリナを頼りにしているところが大きかったからだ。
「大丈夫だ。二人共、きちんと絶対元素の正式継承者として覚醒したんだから」
リナは簡単にそんな事を言ってくれたのだが、勿論、根も葉もない根拠をアテにする彼女では無い。
ジェフズ海の基地の一件で、魔王軍自体も大ダメージを被ったことは言うまでもない。暫くの間は、たかだかランダの子孫にわざわざ刺客を送り込む余力はないだろう、という分析だった。
「遅くとも、首都・サンタバーレでアンタ達と合流しなければならないとは思っている。これは、戦況に拘わらず、だ」
リナの表情が険しい。最悪の場合を想定すると、レニングランドが魔王軍に入植される可能性は無いとは言い切れないのだ。これを回避する為には、首都・サンタバーレにも援軍を要請せざるを得ないだろう。
「そんな……」
リョウは不安になった。マオやイザリアやラディンは“大丈夫だ”と言ってくれたものの、大量に魔物や魔王軍の兵士が投入された町が無事ということはないだろう。
「ひょっとすると、アンタ達の動揺を誘っているのかもしれない。だから、二人は決して焦らない事だ。分かったね?」
むしろここで不安を煽ってはいけない、とリナは推測を中断した。ここで焦れば焦るほど敵に隙を与えてしまうのは必至だからだ。それぞれが一度、組織で戦う魔王軍の強みを感じていたところである。
リナは先程から押し黙っているセイに目を向けた。表情らしい表情もなく、押し黙っているのもいつもの彼だが、彼とは少しばかり付き合いが長いリナが気付かないものも無いわけではなかった。
「お前の分まで敵を潰してくるよ」
そう声をかけたリナを一瞥したセイは、黙したまま北の空を睨みつけた。その視線の先のレニングランドは、セイの生まれ育った町である。彼にとってはかなり思い入れが深い。育ての親のマオがそこに残っているのだからなおさらである。
「ああ」
顔を背けたままで素っ気無いセイの返事だったが、これにもリナが汲み取れるものが無いわけではない。しかし、汲み取るものがリナほど無いリョウなどは、この沈黙が不穏で仕方が無いのだった。
「リナも気を付けて」
セイの代わりと言わんばかりにリョウが前に出る。こうなるとまるで通訳のようにも見え、リナは思わず笑ってしまった。案の定、面白くなさそうなセイの舌打ちまで聞こえてきた。
最早こちらは心配ない、と判断したリナは、せめて笑顔でリョウの励ましに頷いて、二人に背を向けた。彼女の背に結晶化した魔法分子が羽根のように見えたと思った瞬間、青い空によく映える白翼の鳥が羽ばたいて行った。
(4)
リナとの別れからおよそ一日半をかけてダーハの町を抜けた双子の兄弟は、小さな喧嘩を繰り返しながらもベルシオラスに向かって樹海を進んでいるところである。この樹海さえ抜けてしまえばすぐにベルシオラスの町道である。そのくらいダーハと近い位置にベルシオラスはある。
互いにジェフズ海を共有しているダーハとベルシオラスは、古くから友好都市として協力共助関係にあったという。ベルシオラスの人口も多いわけではないので、最近ではいっそ二つの町を合併して更なる発展を遂げてはどうかという声も強まっているらしい。
そう、そのくらい、この二つの町は近いのである。
「そこのグズ! いい加減にしろよ?」
セイが怒鳴る。そうでもしないと、十数メートル離れたリョウに届かないのだ。
「悪ィ悪ィ。靴の調子がおかしくって」
リョウは、そう言ってしゃがみ込んだ。今日はこの調子で、もう何度となく進行は中断している。
セイは、兄の行動に不審感を募らせていた。この樹海は、数時間もあれば抜けられると聞いていたのだが、もう半日は経っている。
ジェフズ海の戦いの後、返り血と海水で靴が使い物にならなくなったリョウは、買ったばかりの履き慣れない靴を履いているとはいえ、この日はやたらとリョウの靴紐が解けるのだ。そういえば、いつになく、リョウの歩くペースも遅い、とセイは感じていた。
現場は樹海である。靴が悪いなら仕方の無いことだろう、とセイは一応妥協していた。しかし、何の気なく兄の足元を確認したセイは、気付かなくても良いものに気が付いてしまったのだ。
「どうかしたか?」
漸く追いついたリョウは、こちらを睨んでいるセイに声をかけた。
「それはこっちのセリフだ」
兄を睨み付けたまま、セイは言った。
「お前、さっきから靴紐がどうとか言っていたが、」
マズイ、という声が聞こえてきそうな表情を、リョウは見せた。
「お前の靴は、紐じゃなくてベルトで締めてるんじゃねぇのか?」
すっかりリョウの表情は硬くなっているのだが、それでも何とか取り繕おうと無理に会話を展開させようとする彼は、見る人が見れば健気にも見えるのかもしれない。
「そう言われてみれば、そんな気もしてきたような」
勿論、鉄の男・セイにそんな愛嬌など無意味だった。
「お前、昨日から変だよな?」
更にセイの指摘は続いたが、兄は硬くなった表情を隠したいのか、顔を背けただけだった。一々癪に障る男だとセイは思う。ただ、この兄からあからさまに嘘を吐かれたことはこれまで一度も無かった――セイが責めあぐねているとすれば、それが原因である。そこへ、
「へぇ、ガラにもなく心配してくれてるんだ?」
リョウのこの台詞は、セイの追及を退けるのに十分過ぎる効果を発揮した。
「寝言は寝て言え、この低能!」
案の定、セイは激昂した。
「何も、怒鳴らなくても聞こえてるっての」
リョウは耳を押さえてみせた。――これ以上の追及は誰の為にもならない、と言わんばかりだ。
「オレは先に行く。テメェは好きなだけノロノロしていろ!」
そう吐き捨てたセイは、そのまま町へと駆け出して行ってしまった。
「別に走る事はないんじゃないかな、セイ君?」
と、リョウはツッコミを入れたが、既に弟の姿はなかった。
「(本当に心配してくれてるんなら、その気持ちは嬉しいんだけどな)」
樹海の木々から漏れる優しい橙色の陽が、リョウに差し込んできた。
――癒されていると感じるのは、何処かに傷を負っているからだろうか。
「(まさかまた、この町に戻って来ようとは)」
リョウは溜息をついて、キラキラと光る木々の陰を見上げた。引き止められているような気がするのは何故だろう。
これから行こうとしているベルシオラスという町は、リョウが十歳を迎えるまで住んでいた町である。
(5)
あれからものの一刻でセイはベルシオラスの樹海を抜けていた。
「(あの低知能め。大体ベルトの靴履いてる分際で、靴紐取れたって嘘吐くバカが何処にいるんだ。単細胞にも程がある。アイツの馬鹿に限度はないのか? それとも限りなく馬鹿なのか? そして何よりもその程度の脳ミソレベルしかないあの低能がオレを茶化すとは――)」
上記の通り、兄への愚痴が脳を支配・占拠しており、彼としてはベルシオラスに到着したという実感は薄い。
ベルシオラス街道に差し掛かった丁度その時だっただろうか。
女性の悲鳴がセイの耳を劈いて、そこで漸くセイは我に返った。
「(魔物か)」
魔物が数匹、一人の女性を取り囲んでいる。セイも初めて見る魔物だが、獣(ビースト)系であまり利口そうではない。
「(魔法攻撃されることはないだろう。となれば、大怪我は免れないが一生懸命逃げようと思えば死ぬということもないな)」
ここはシカトを決め込んで先に進むべきと判断したセイだが、
「あれは……」
当該魔物に気付くものがあった彼は、小さく溜息をついて剣を手に取った。
一匹の魔物の爪が振り上げられた。その凶刃が振り下ろされる前にセイは剣の柄を握り、その魔物の間合いに飛び込みながら剣を抜いて刃を立て、首元を切り裂いた。それまで顔をふさぎ込んでいたその女性は、恐る恐る目の前の魔物達を確かめた。しかし、目の前に飛び込んできたのは魔物から転がり落ちた首――彼女は、驚きのあまり失神してしまいそうになった。
「(あと六匹)」
セイは剣を両手に構え直すと、再び一匹の魔物に狙いを絞って突進し、剣先を一気に振りあげ、そのまま左に薙ぐ。魔物の断末魔が轟き、返り血が買ったばかりの外套や腕や顔に飛んだが、セイにとっては、意に介すほど不慣れなものではない。
「(残り五匹)」
魔物達の目標は、突然現れた青年へと移った。逆上した魔物達が次々とセイに襲いかかってくる。しかし、そんなものも見慣れている彼である。
「(重心は低め。背面は守備力が高いだろう。ならばあえて下から攻めるべきか)」
いきり立って向かって来る一匹目の攻撃を引き付け、すんでのところで躱わしたセイは、その魔物の背後に回り込む。丁度五匹の魔物に囲まれる形となったが、セイにはそれが好都合だった。切っ先に闇魔法分子を集約させていた剣を振り上げたセイは、叩きつけるように、一気にそれを大地に振り下ろした。
『死神の微笑(デスクレスト)!』
地表を削り取りながら放射状に広がった闇魔法分子の結晶から放出された負のエネルギーは五体の魔物をさながら飲み込み、その魂をかき消したのだった。
「(……ゼロ)」
剣を鞘に収めたセイは溜息をついて額の汗を拭った。今までその様子を呆然と見つめていたその女性は、セイに礼をしなければと立ち上がる。
「あ……あの、どうもありがとうございます――って、あれ?」
礼をした筈の彼女の視線上から彼の姿は消えていた。不思議に思い、後ろを見ると、倒れている魔物の一匹の背中辺りを、セイは食い入るように見つめていた。
「あの?」
恐る恐るセイに声を掛けると同時に、セイがその魔物の背から何かを引き抜いたので、彼女は再び目を覆ってしまう。
「良い金ヅル垂れ込んでくれたじゃねえか」
セイは引き抜いた銀色のステッカーを見せた。銀色のステッカーは、市街地の近辺に出没する、特に気の荒く、何度も人間を襲っている魔物に付けられている。その魔物を退治し、ステッカーを保安局に持っていくと、指定された金額が貰えるのだった。セイ曰く、「こんなに割の良いアルバイトは無い」。
「(できれば違う人に助けて欲しかったカモ)」
その女性は苦笑いしてスカートのホコリを払ったが、ふと、思い当たるフシがあってセイの顔をもう一度よく見た。その彼はステッカーを鞄に投げ込んでそのまま街道に出ようとしているところだった。
「待って! 貴方は、」
再びその女性に呼び止められて、セイは後ろを振り返った。
「リョウじゃない? リョウよね!?」
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