第24話 アンチテーゼ―光と闇―

(1)

 「セイの記憶も戻ったのか」

リョウの傷口の手当てをしながら、リナは一つ溜息をついた。

「多分、間違いないよ。相変わらず何にも言わねえから確かめようも無いケドさ」

リョウはそうぼやいてみせた。

 セイの記憶が戻ったという事実に関して、嬉しいような、残念なような、気の毒なような――生物学上の兄としても、まだ気持ちの整理がつかないのだから、セイ本人はもっとそうに違いない。

 宿場の部屋の窓からは、優しく朝の陽の光が差し込んでいる。

 聞こえてくるのは鳥の泣く声と、朝も早いというのに基地の壊滅を喜び叫ぶ人々の声、そして、魔王軍への罵声。

 魔王軍の基地が無くなったという事は、もう町中の誰もが知っているようだ。港では、仮出航する船を手入れするのだという。その基地の壊滅の背景には多くの痛みを伴っているのだが、民達がそれを知る由は無い。そう、彼等がそれを知らずに済むように“勇者”が在るのだ。それはそれで良いのだが――

「(正直、辛い)」

リョウも一つ溜息をつくと、窓の外を見た。

 オーシャンビューが売りだというこの宿場のスイートルームは、これからは武器の売買で財を成した富裕層が挙って泊まりにくるだろう。ダーハが、かつての活気のある町に戻るのも、そう時間はかからないだろう。

 

 「セイは?」

何となく、リョウは弟と話をしてみたかったのだが、彼はまだ戻らない。

 レニングランドでずっとピースキーパーをしていたというセイは、もっと早い時期からこの虚しさを感じていたのかも知れない。だから常に何かに苛付いているのかも知れない。

「一人にして、大丈夫かな?」

ふと、リョウは不安に駆られたのだが、すぐにリナが「大丈夫だ」と答えた。

「記憶が戻ったのなら、心配無い」

リナの言う意味は直ぐに分かった。弟には、“父の敵を討つ”という剣を取り続けなければならない目的がある。その手段が、偶然にも“勇者”であり続けることなのだ。

「つくづく逞しい野郎だよな」

強さに憧れる気持ちというよりは、無理を労う気持ちに近いが――ふと、リナが笑い声を上げた。

「先程お前の双子の弟が、お前を指して同じ事を言っていたよ」

彼女はさもおかしそうに笑っている。きょとんとしているリョウの目の前で、廃棄処分せざるを得なくなった衣服が血生臭かった。

「ダーハも復興しそうだし、セイの記憶も戻ったし、それに、お前の“チカラ”も覚醒したようだし……結果は良かったが、お前もセイも、素直には喜べないみたいだな」

リナは窓を開けた。リョウは新しいシャツに腕を通す。二人は暫く、港の様子を見ていた。

「(闇の民であるリナの目に、この景色はどのように映っているんだろう)」

もしかすると、彼女はそんな景色など、興味にもならないのかも知れない。

「人魚に言われたよ」

リョウは港の大型船よりも遥か遠く向こう――ベルシオラスの方――を見つめた。

脳裏にいやに残るのは、人魚の最後の祈りの声である。

“こんな醜い戦いの輪廻は終わらせて! その為に”チカラ”を使ってちょうだいね”

そう言い遺して振り返った彼女の顔は、まるで泣いているような、悲しい笑顔だった。

 「リナ」とは呼びかけたが、リョウは、傍らの「闇の民」に確認した。

「オレ、今回も結果的に、光の民の為にしかならない勝ち方したのかな?」

それ以前に、オレは戦ったと言えるのだろうか? ――リョウは首を横に振る。リナの理知的な目がぱちりと瞬いた。変なことを訊いているのかもしれない、とリョウは自嘲するが、彼女は口元を緩めた。

「少なくともあの人魚は、お前の器を認めていた。だからこそ、犠牲を払ってでもお前にチカラを引き渡したんだろうよ」

真価を問われるのはこれからだ、とリナは言ってくれた。

「“白キチカラヲ使エバ 遍ク望ミヲツナギ 黒キチカラヲ使エバ 遍ク陰リヲ無ニ帰シタ”――だったかな」

突如の古代語の引用に、小首を傾げたリョウに、リナが説明を加える。

「光の民なら聞いた事くらいあるだろ? 古代紀に、勇者がいたとかいなかったとか書いてある書物」

日の光が強くなってきたので、リナは窓から離れ、ベッドに座る。

「オレ……あんまり本読んだ事ないんだ」

照れくさそうに笑ってリョウは無学を誤魔化した。

「(そう言えば……)」

リナは思い出した。リョウの部屋の本棚には書物が入っていなかった。修行と森の巡回という日々を送ってきた彼だ。そもそも、本を買いに出かける事さえなかっただろう。その事情を慮ったリナは苦笑を返す。

「サンタウルス聖記といってね、私が読んだのは旧訳のほうだから、数百年以上前の内容だ」

『白キチカラ』は即ち“光”そして、『黒キチカラ』は“闇”。

 “光”というのは、決して善や正義の暗喩ではなく、“闇”もまた悪の暗喩ではない。闇がある、其処に光を照らせば光は溢れるが、やはり無は無であり、その無たる光の中に有体を投げ込めば影即ち闇かできるという定律そのものが、光の民と闇の民の歴史をそのまま現しているが如きであるとその書は説いている。

 だから、光の民である人間が栄えても、闇の民は相容れず反発して戦いは起こる。逆に、闇の民である魔族が栄えても、光の民が反発するから戦いは再び起こる。しかしどちらかが所謂“悪”ということではない――大体このような事をリナは言った。


 リョウだって、ついこの間までは闇の民をわざわざ「魔族」と蔑称で呼び、強い反発心を抱いていた。

 しかし、例えばフィアルやソニア、アレスやその妹のアリスは、凡そ悪とは程遠い人物だった。今傍らにいるリナも闇の民であり、師・マオだって闇の民の血をひいている。曽祖父・ランダと共に戦った同志のイザリア・ラディンも闇の民であった。

 リナやマオも、光の民そのものを悪だと思っていた過去があるのかも知れない。いや、思っていたに違いないのだろう。

「魔王を倒せば平和が来るなんて、大間違いだったんだな」

光か闇かということと、正義か悪かということとは全く別の問題だ。

 どちらの種族も、種族であるということを理由に滅ぼしてはならないのだ。しかし、歴史は必ずしもそうは動かなかった。リノロイドは人間を絶滅させようとしているし、一昔前は光の民の方が闇の民を絶滅させようとしていた。

 

 不老不死を約束されていたカナッサは、延年とそれを見せられてきたのだろう。それも、飽きるほどに。だからこそ、より強くそれを断ち切る必要性を感じていたのだろう――そう、リョウは思った。


「リナ、オレ達はこの戦いを終わらせるなんてできるかな」

救えるものなら全て救いたい。民を。

 この不幸な戦いの連鎖の呪いから。まして、自分が『勇者』と呼ばれる立場ならば――広大すぎて漠然としてはいたが、これまでの戦いの中でリョウの心の中に残った確かな思いは、これであった。

「ああ。大丈夫だ」

リナは優しく微笑んでくれた。

「大丈夫。お前とセイならきっと」


誰よりも、傷付く事の痛みを知っている彼等ならば、きっと!


(2)

 一体何を考えているのだろう――自分の気持の整理がつかぬまま、アレスはジェフズ海を見渡せる、とある岬の道の中途に立ち尽くしてしまった。

 彼女の佇む其処からは、朝の青さに澄んだジェフズ海を望みながら、その水平線より手前右手に灯台が見え、それよりも手前中央に崩壊した自分の基地が見え、それより手前左手に妹の亡骸の前に佇む青年が見える。


 “どこから見ても、海は綺麗ね”


何時だっただろうか、アリスがそう言ってこの場所に案内してくれたことがあった。アレスは、毒が回ってまだ虚ろな思考に任せ、ぼんやりとその時のことを思い出していた。

 光の民の貿易の要所を押さえていたこのダーハの基地を、アリスはあまり好いてはいなかったが、この景色は相当気に入っていたらしく、度々ここを訪れていたと部下から聞いたことがある――アレスは、手前の青年に、何とか視線を定めた。

 ――きっと妹は、彼にもこの場所を教えていたのだろう。だから彼は、妹の眠る場所としてここを選んだのだろう。

「(どうして?)」 

いわゆる“大量破壊兵器”として壮絶な死を遂げたと思っていた妹は、アレスも驚くほど穏やかな表情をしていた。一方、敵将を討った“勇者”の表情は、安らかな妹の表情とはあまりにも対照的で……

 

 ――遥か遠くで灯台の朝を告げるサイレンが鳴っていた。

 

 丁度、岬の向こうでは平和を喜ぶ光の民達が祭りのように騒ぎ立てている。アレスも、アレスの眼前の青年も、そこに視線を移し、暫くそれを眺めていた。

 やおら、彼の膝が崩れた。いや、崩れるように座り込んでしまったのだ。

「(どうして?)」

ランダの子孫は光の民の為に戦う『人柱』だ。そして、彼等はそれを誇りにして戦う者である筈だ。

「(そうでなければ、苦しいだけよ?)」

アレスもまた知っていた。

 智将などと呼ばれて久しいものの、大量殺戮や兵器の生成、殲滅作戦の遂行に慣れたわけではない。

「(私だって、妹の敵(かたき)を討つ為にここに来たと思い込みたいのに)」

眼前の儚げなこの男に、主君から直々に回収命令が出ていた事は分かっているが、アレスは動かない。動けないし、動こうとも思わない。

 ――彼こそが、妹が最後に心を許した男性であることもまた、フィアルから聞いて知っていたからだ。その事実は俄かに信じられなかったものの、「会ってみれば分かる」と言われ、アレスはここに来た。

 彼は、墓を作っている。

 信仰を拠り所としていた、アリスのために。

「(私が戦い続ける為には、貴方を憎むしかないのに)」

温かい土がアリスの亡骸を包みこむ。


 ――誰よりも安らかであって欲しくて、祈りを込めた。


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