第22話 白き勇者の覚醒

(1)

 軍靴の音が凶を告げる――目をこじ開けたリョウの頼りない視力が刃を捉えた。

「フフ。どうやら、最期の時が来たようね」

ツェルスは一段と高く槍を掲げている。何がそんなに面白いのだろう。彼女はこの状況を楽しんでいる様だった。

 リョウは強く目を閉じる。あまりの痛みに体が動かないのだ。意識すら遠のいていきそうである。それでも何とか光魔法分子の召喚を試みようとしたが、魔法を使用するだけの集中力もない。魔法分子の結晶すら作れない自分自身が悔しかった。

「(これで、終わるのか?)」

――それならせめて、セイを助けてあげたかった。

 辛うじて繋ぎとめているリョウの意識でも、膨大な量の大地属性魔法分子がツェルスの元に集約されているのが分かる。あの身の毛もよだつほどの負のチカラだ。ここは戦場である、とそんなコトくらいはリョウも重々承知してはいたが、死と隣り合わせの旅であったことを、ここぞとばかりに痛感する。リョウは身を竦めた。でも……


「(まだ死にたくない! やり残している事がたくさんあるんだ!)」


その時だった。

「!?」

必死で竦めていたリョウの6尺の身体が、何かに突き飛ばされたのだ。

 リョウの身体は、ツェルスの放った大きな魔法分子の結晶の軌道から外れたようだった。リョウの耳元で、しゅわしゅわと床が消え、大地属性魔法分子が緩やかに放散していく音が聞こえてきた。

「(誰だ? セイ? リナ?)」

いつもより重たく感じる瞼をこじ開け、リョウが目を凝らして焦点を結んだ先には、青い瞳のブロンドの女性。

「あれ……カナッ、サ……?」

しかし、リョウを覗き込んだ彼女の目は、とても悲しい色をしていたのだ。

(2)

 真実を知ることも知らされることもないまま積み残された罪は、現在に至ってあたかも罰を下しているかの如きである。

「リョウ、ごめんなさい。全て私のせいなの」

カナッサの声がリョウの聴覚に染み込んできた。それをかき消さんばかりに、ツェルスの怒号が辺りに響き渡った。

「この裏切り者め!」

そうだ、カナッサは此処へ来てはいけないんだ――気付いたリョウは身を捩らしたが、此処に至っては何かと手遅れである。

 人魚を大気のチリにせんとばかりに、ツェルスは槍を掲げたが、カナッサはそれよりも早く、何かの呪文の唱文を詠唱していた。それはやはり陸の民が理解できる言葉で綴られてはいなかったが、それが結界呪文の詠唱であることに気付いたツェルスは、静かに槍を下げた。

「(結界か。しかし所詮は人魚の下級呪文だ)」

ツェルスは、カナッサの結界が長時間使えない事を知っていた。

「ツェルス殿、私やアレス殿ではなかったとしても、その罪はいつか裁かれるでしょう」

カナッサは上司にそれだけ諫言すると、奇妙な発作に苦しむリョウの頬にそっと手を触れた。

「本当に、ごめんなさい」

確かに、リョウにはそう聞こえた。

 わざわざ来てくれた人魚に対して、この体勢はなかなか失礼だと思ったリョウは何とか目をこじ開けた。

「一体、何が何だって?」

リョウは無理に体を起こそうとしたが、先ほど受けた肩の傷口から血液がどっと吹き出てきたので、カナッサがそれを制した。彼女は簡易な回復呪文で応急処置を施し、そのまま話を進めた。

「11年前、嵐の海で溺れていた貴方を、私は――」

少し、言葉を選ぶ為の間ができた。

「食糧にする為に拾い上げたの」

人魚は光の民を捕食するという。何よりも替え難い存在であったカナッサの告白に、リョウは呆然としてしまう。少なくともリョウは今まで、この人魚を命の恩人だと思っていたのだ。それが――

「(食糧、か)」

確かに、人間と人魚は被食者と捕食者の関係であることくらい、リョウだって頭では分かっていたのだが。

「貴方を拾い上げた時、まるで貴方を守るように、光魔法分子が現れたの。貴方に近付く事ができない程それは強いものだった……だから、何処かで私は、貴方に怯えていた」

カナッサはリョウの体を抱き起こし、ツェルスに聞こえぬよう、リョウに耳打ちした。

「貴方との別れ際、私は、貴方の“チカラ”の殆どを封印したの」

リョウの持つ“チカラ”は、いつか闇の民の秩序を脅かすものになる――人魚はそれを懸念したのだという。

「貴方の体調の急変は、貴方の身体と、私の身体に封印した貴方の“チカラ”が呼応し合っているからよ」

リョウはカナッサに体を預けたまま、何も言葉を発さない。彼が今感じている苦痛と動揺は、この人魚には計り知れないものである。余りに申し訳なく、カナッサはそっと腕を解いて、リョウに頭を下げた。

 結界が壊れかかっている。止めを刺す好機と判断したツェルスの、攻撃呪文の詠唱の声が再び聞こえてきた。

「私は、貴方を2度も殺そうとしていたのね」

なかなか物騒な言葉が聞こえてきたので、リョウは、消え失せそうな意識のピントを何とか合わせた。カナッサが、丁度、自分から顔を背けたところだった。

「……貴方を大切にしなければいけなかったのに」

朦朧としている聴覚ではあったが、リョウには確かにそう聞こえた。脈打つたびに痛む胸が更に痛みを増した。いや、痛いのではなく、苦しかった。だから、リョウは気がついた。


――ああ、そうか。オレ、またフラれたのか。


「これから、貴方に“チカラ”を返します。但し、1つだけ約束してもらえる?」

時間が無い。カナッサのその進言は、意識混濁中のリョウには突然すぎて戸惑ったが、黙って頷くことなら辛うじてできた。考えている猶予が無かったのだ。カナッサの張った結界が綻びかけていることくらい、リョウも察していたからだ。

「この“チカラ”で闇の民を追い詰めるようなことはしないで欲しいの」

つまるところ、彼女も“アンチテーゼ”を見つけて欲しいと言うのだ。

「どうか、こんな醜い戦いの輪廻は終わらせて! その為に“チカラ”を使ってちょうだいね」

彼女の声は小さく震えていたのだ。まるで泣いているみたいに聴こえた。

「オレ、闇の民を一掃しようなんて思ってない」

仰向けに倒れている人間の言うことの信憑性はさておき、どんなに迷っても、どんなに悩んでも、この約束は守らなければならない、と、リョウは肝に銘じた。

 まだ覚悟も伴わぬままだが――

「ありがとう」

その言葉を聞いて安心してくれたのか、カナッサは一度こちらを振り返ってくれた。彼女の顔は微笑んでいたが、やはり、泣いているように見える。

「(ん? 泣かせるようなやりとりなんてなかったよな)」

一応、リョウは一連のやり取りを確認してみた。が、分からない。

 カナッサはゆっくり立ち上がった。と同時に、二人の周りに張られていた結界も解けた。

 

 「まさか、知り合いだったとはねえ」

ツェルスは、今まで後方に隠すように持っていた槍を高々と挙げた。どうやら結界の外にいる間、攻撃呪文の詠唱を唱え終えていたようだった。

「二人一緒に仲良く殺してあげるわ!」

ツェルスの槍先に、かつてない程強い負の“チカラ”が集まってきていた。

『唯一無二の至高なる殲滅(デストロイエナジー)!』

先ほどの、負のチカラのバケモノの様な魔法分子結晶のさらに巨大化したものが、リョウ達目掛けて放たれていたのだった。

 逃げ場などない。

 この攻撃呪文を前に、何人たりとも為す術はなく、大気のチリに消えるしか選択できる筈がない――ツェルスはそう思っていた。

(3)

 ツェルスから放たれた魔法分子結晶が、リョウとカナッサに直撃するまでの時間はものの数秒である。その僅かな時間で、カナッサは先刻からのツェルスの攻撃でできていた穴の中へリョウを突き落とすと、自分は盾となってリョウを被い、彼を守護したのだった。

「え!?」

何が起きたのかに気が付いてから背筋を凍らせたリョウが覚えているのは、“チカラ”を返すと告げたカナッサの言葉と、彼女へした誓いと、涙に濡れた彼女の笑顔だった。

「どういう……」

彼女が触れた感触はあるのに、彼女はどこにもいない。今、リョウはびっくりするくらい血を浴びてしまっているが、それは自分のものでも、まして、ツェルスのものでもないようだった。

「カナッサ?」

いくら不老不死とはいえ、体の殆どが大気のチリとして消し飛んだ彼女が再生できる可能性は――リョウは、それを認める事ができなかった。

「そう、か」

まだ、少し頭が痛いが、意識を失うほどではない。自分の“チカラ”の封が解かれたからだろうとリョウは思ったが、得たもの以上に失ったものの大きさにリョウは愕然としてしまった。

「……カナッサ?」

リョウはもう一度、名を呼んでみた。まだ彼女の喪失を受け止めきれない。まだ、呼べば返事をしてくれるのではないかと期待もしてみた。

「嘘だろ?」

――だって、あまりにも唐突過ぎた。出会いも、別れも。

「(でも……)」

いつもそうだった。自分は彼女に憧れるばかりで、彼女の仕草や言葉の一つ一つに驚いているだけの子供だった。

「人魚がいとおしいのかしら? 心配しなくても、すぐに同じところに案内してあげられるわ」

ツェルスは笑っていた。一体何がそんなに楽しいのだろう。自分の繰り出した魔法が、今、一つの命を消し飛ばしたばかりだと言うのに。

「テメェ、」

リョウの中で何かが溢れ出している。

 悲しみ? それとも憎しみ? それとも“チカラ”だろうか?

「(何だこの威圧感は?)」

ともかく、以前と全く雰囲気の違うリョウに、ツェルスの方が圧倒させられていた。10年ぶりに戻ったリョウの本来の魔法キャパシティーが、“憎しみ”や“怒り”や“悲しみ”をトリガーとして、負のチカラを爆発させんとしていた。


「テメェのしたコト、絶対に許されねェよ」


(4)

 時間にして、ほんの一瞬。

 しかし、セイにとっては、長く、苦しい一瞬となった。

セイに帰属した闇魔法分子は、セイの詠唱を聞きつけるとみるみるうちに結晶化し、強い負のチカラを放ち始めていた。

『地獄の王の侮蔑(ハデスインサルト)!』

セイの詠唱が、とうとう、終結した。

軌道の先を、とても見ていられず、セイはすぐに足元の瓦礫に視線を落とした。

 セイの攻撃呪文は、巨大な球状の闇魔法分子結晶となり、アリスの放った魔法分子結晶を丸ごと飲み、闇魔法分子を取り込んでさらに巨大化した。

 そうしてそれは、勢いを止めることなく、アリスをも飲み込んだ。

 彼女の小さな体は傷つき、弾き飛ばされ、負のチカラに灼き尽くされながら、壁と、地面に叩きつけられたとみられる。

「アリス!」

全く衝動的に、セイはアリスの元へ駆け寄った。

 どうしてそうしたのか、彼も分からない。

 行って救ってやれるわけでもないし、彼女から攻撃を受ける可能性もまだある。

此処へ来て直ぐに所在を無くした彼に、アリスは優しく微笑みを返してくれた。

「セイ、……ひどいケガね」

それはもう、消え入りそうな声で。彼女はそんなことを言って笑った。

「――!」

かける言葉さえ失ったセイは、代わりに強く拳を握りしめた――とにかく、こんな仕打ちを彼女にした自分が許せなかった。アリスは、壁にへばりついていた体を、強引に動かした。

「動くな!」

咄嗟に出たのはそんな言葉であったが、どこに触れてもちぎれていきそうなアリスがそうしたいように、セイは慎重に彼女を抱き寄せた。

「ありがとう、セイ」

アリスはセイの首元に手をかけた。その華奢な指から、発現しているのは回復や浄化の呪文の発動を促す、正のチカラである。

「馬鹿……動くんじゃねえよ」

既にアリスから感じられる魔法分子の波動は弱く、脆い。セイは思わず、アリスが伸ばした両手首を握りしめてしまった。これ以上魔法を使わせると、彼女は絶命するだろう。それなのに――

「最後の魔法が、回復呪文(ヒール)で良かったわ」

彼女はそんな事を言って笑ってくれるのだった。セイは、とうとう目を伏せた。あまりにも自分を許せなくて。あまりにも彼女が不憫で――いっそ殺して欲しかった。

「セイ、」

アリスから声がした。セイは何とか、アリスを見つめる。アリスはセイの肩にやっと手をかけると、そのまま、セイのこめかみあたりに自分の唇を重ねた。曰く。

「神は貴方をお赦しになるでしょう」

直ぐに力を失い、崩れかけたアリスの体を、セイは何とか抱き留める。

「どうか、自分を責めないで」

アリスはそっと、セイにそう告げたのだった。

 彼は気付いていないかもしれない。彼は、魔王軍や闇の民そのものに失望していたアリスの負っていたココロの傷に気付いてくれた。そんな人間に、最期に出逢えて良かった――アリスは微笑んだ。

「アリス……」

今の気持ちを伝える語彙を知らないセイは、言葉を放棄し、少女の小さな肩を包み込むように優しく、強く抱きしめた。その想いはどうやら幾らか伝わったようで、彼女は、もう一度、「ありがとう」と呟いてくれた。 

 殆ど声にならない彼女の声に、セイは首を振り続けた。

 アリスはゆっくり瞳を閉じる。”泣かないで”とか何とか、聞こえただろうか。


――救われたのは、私の方なんだよ、と。


段々と、セイの肩に回していた腕は力を失い、青白く、硬く、冷たくなってきた。もうその名を呼んでも、彼女は二度と瞼を開かない。それなのに、彼女の顔は、今でさえ、優しい微笑を浮かべてくれている。セイは、冷たくなったアリスの躯を更に強く抱きしめた。そして、彼女に届くように、しっかりとした声でこう呟いたのだ。

「二度とオレを許さないでいい」

彼はアリスを抱いたまま、顔を伏せてしまった。

(5)

 たかだか光の民の17歳の少年であるに過ぎないリョウが放つ、強烈な負のチカラに、魔王側近のツェルスが圧倒されている。

「(どういう事?)」

ツェルスは息を呑んだ。

「私は、いや、魔王軍も然り……お前達を見くびりすぎていたようだ」

ツェルスは槍を高く掲げ、攻撃呪文を唱えようとしたが、リョウは素早くツェルスの間合いに入り、槍を持っている左手を蹴り上げた。リョウの高い魔法キャパシティーに扇動されているのか、先程からリョウやツェルスの目の前を、光魔法分子が閃光をあげて駆けていく。

「くっ!」

ツェルスは後ろに跳んだ。間合いを広げるしかなかったのだ。その間にも、リョウは右手に“負のチカラ”を集約させていた。

『光に導かれし刃(グリタークロス)!』

リョウの負のチカラに呼び寄せられた光魔法分子が結晶化し、閃光を放ちながら真っすぐにツェルスを捉えた。それはツェルスが張った簡易の耐魔法結界呪文などいとも簡単に打ち破ると、そのまま彼女を呑み込んだのだ。

「(扱う魔法分子量も威力も、……もしかすると四天王に匹敵するのでは?)」

ツェルスはぞっとした。

 彼女にとっては不覚だった。リョウのデータは魔王軍には全く無かった。だからこそ、むしろ警戒しておくべきだったのだ。

「(これ程のものなのか。ランダの子孫とは!)」

彼女にとって初めての危機感だったのだ。全て上手く運んでいた計画が、この光の民の少年一人によって壊されようとしている。貴族出身で軍事エリートの彼女にとって、この危機感は屈辱以外の何物でもない。

 

 しかし、当のリョウは困惑していた。

「(ダメだ)」

ツェルスを確かに追い詰めたリョウは、それ以上の攻撃が全く出来ずにいた。

 目の前の女は自分にとってかけがえの無い人を血肉の塊に変え、嘲笑った。それは絶対に許さない。許されるべきでは無い! 憎くて憎くて堪らないと思っている筈なのに、リョウのココロの中にツェルスを攻撃する事を拒ませている何かがあるのだ。


 リョウの不作為は、ツェルスには意外なものだった。この17歳の少年に、殺されることも覚悟していたのに、だ。リョウは自らに集り続ける光魔法分子を追い払うように、何度となく首を振って頭を抱えた。


――忌々しいガキめ! お前など死ね! 死ね! 死んでしまえ!


 一体こんな時に、誰の声を聞いているというのか。リョウは何とか顔を上げた。

「……ここを通してくれ。それだけで良い」

そう、そんな事をする為に戦っている訳では無い――リョウはツェルスを見据えて、はっきりと言った。いや、これだけが、今のリョウにとって、胸を張ってはっきり言えることだったのだ。呆気に取られていたツェルスだったが、やがてそれは高笑いに変わった。

「なんて甘いのかしらねぇ!」

無理は無い。これは戦争だ。如何に人を殺すか、どれだけ人を殺すかが全てなのだ。それなのに、理不尽に大切な人を奪われたこの男の口から出てきた言葉ときたら――ツェルスは懐の中から何かのコントローラーを取り出すと、赤いボタンを押した。

「あ?」

突然、辺りはサイレンの音に劈かれた。立っていられないほど床が揺れている。間もなく、アナウンスが流れてきた。

「自爆装置ノロックガ解除サレマシタ。総員速ヤカニ撤退セヨ…」

「え?!」

 リョウは辺りを見回した。そう、優しさは弱みとして漬け込まれるだけ。

 どんなにリョウが傷付ける事に心を痛めても、敵はそこを突いて勝利を拾うのだ。

「フフ、聞いての通りよ。あと一刻でここは無くなる。弟さんが心配よねェ?」

ツェルスは嫌な笑みを浮かべたまま、テレポートリングでスッと何処かへ消えていってしまった。

「クソっ!」

胸の内には隠し切れない程の悔しさを抱え込んでしまったが、一切、後悔は無い――それを確かめたリョウは、地下への階段へと急いだ。

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