第21話 黒き勇者の覚醒


(1)

 この場から逃げようとはしないセイに、目の前の少女は困惑の表情を向けた。

「(そっか。施錠されているのね)」

生き残るためには、戦うしかなくなってしまった。いや……

「(私はもう、死ぬまで闇魔法分子を放出し続けることしかできない! それなら……)」

アリスは意を決した。


「私を殺して、――貴方は生きて!」


光と闇がいがみ合うために生まれたというのなら、これは、戦いを放棄した自分への罰だろう――アリスは口元を緩めた。

「何で……!」

セイは、そんなアリスと目を合わせる事をしなかった。そう、自然の摂理や歴史の輪廻の法則の通り、殺し合えば良いのだろう。ニンゲンはマゾクを、マゾクはニンゲンを。

「そんな……ふざけんな……!」

アリスの戸惑いが分からないほどセイは鈍感では無い。アリスからは、今だってセイに向けて簡易魔法球が放たれている。それはアリスの制御ではどうしようもない程コントロールを失っており、殆ど彼には当たらないものの、

「お願い! もう、私にはコントロールできないの!」

セイを救うためにかけつづけられるアリスの一言一言は、間違いなく彼の心を締めつけていた。

「貴方が引導を渡してよ! ランダの子孫なんでしょう?!」

アリスが涙目でそう叫ぶが、彼女の四肢はそれには構わず、勝手に風属性魔法分子を集め始めた。

「(お願い! 避けて!)」

彼女だって、強く願った筈なのに、もうそれは声にならなかった――姉は? ツェルスは? アリスの頭は混乱してしまっていた。そこに漬け込んで、アリスの中枢神経は彼女に詠唱を唱えるように命令してくるのだった。

『飛竜の降臨(ドラゴニックアロー)!』

無意識的にアリスの口が詠唱を綴る。この閉鎖空間でさえ、どこからともなく風属性魔法分子が集まり、息が詰まる程だ。

 ツェルスが猿真似で以前使ってみせたそれとは似て非なる、まるで竜の様な結晶を模った魔法分子は、まるで唸るような音を立てながら、正面のセイに突進し、直撃した。

「ぐ……うっ!」

咄嗟に結界呪文を張ってはみたセイだが、一度に負のチカラを浴びすぎた。皮膚が弾けるように裂け、痛みに耐えんと食いしばった奥歯が少し欠けた。任務はほぼ放棄していたというが、魔王軍第三部隊の副隊長を任されているだけあって、アリスの攻撃魔法の威力は、以前ツェルスが放った技よりも圧倒されるものがあった。もっとも、それこそがアリスの脱退を、魔王軍上層部がなかなか認めない理由でもあるのだが。

 セイはふと思った。

「(アリスを殺すことが、できるのか?)」

理由はともかく、答えならすぐに出た――「否」。

「(だが、記憶が戻ればどうするだろう?)」

恐らく、あの“セイ”ならば簡単にこの魔族の女を殺めるだろう。間違いなくこのヒトを敵と見做すに違いない。何せアイツは、心の底から魔族を憎んでいたから。

「(――それは、嫌だ)」

“セイ”には戻りたくないと、セイは思った。

『飛竜の狂舞|(ドラゴニックロンド)!』

アリスの詠唱が聞こえてくる。彼女の攻撃呪文は軌道が全く読めない。回避し難いことこの上ない。傍らにリョウがいないので、回復などできず、先ほどのダメージもそのままだ。

「(どの道、生きてる保証はねえよな)」

一体何が彼女を救うだろうと考えたものの、セイには何も思い浮かばない。仕方がないので、取りうる選択肢は一つだけだった。


――“セイ”に戻る前に“セイ”が居なくなれば良い。そう彼は考えた。


結界呪文を放棄したセイの身体は、アリスの魔法分子結晶が放つ負のチカラと衝撃波で壁に叩きつけられた。皮膚の損傷は一層酷く、助骨も数本折れた。

「お願いもう殺してよ! いい加減貴方が死んじゃう!」

涙声でアリスが叫ぶ。しかし、セイは何にも答えられない。一杯だった彼女の涙は、その時、ついに瞼から溢れ出た。あいにくセイからはその涙が見えない。

「(ひょっとして、貴方も、同じことを?)」

問い詰める間も無く、アリスの身体はその意に反して魔法分子を集め始めた。自分でさえ今までに経験の無いくらいの大きいな負のチカラを孕んだ闇魔法分子が身体を包んでいる。しかし、今から自分が何をしようとしているのかくらい、アリスには分かった。詠唱こそなかったものの、今から繰り出そうとしているのは、自分の中で特に忌避していた攻撃呪文である。今まで多くの人間を葬ってきた罪深き呪(まじな)いである。

「お願いセイ! 私を止めて!」

 アリスの祈りは虚しく爆音にかき消された。飛び散った格納庫の壁や床の破片や何らかの計器類がそうであったように、セイも、その巨大な“チカラ”に吸い込まれていった。

「セイ!」

セイにも、アリスのその嘆き声は聞こえた気がした。

(2)

 意識が混濁しているのだろうか。セイは、激しい痛みや冷たい床や灰白色の天井といった五感の情報と交互に、夜のような闇に視界が多い尽くされているような錯覚に陥っていた。最後のアリスの声を聞いたのと同時に、もう一つ、聞き覚えのある声を聞いていた。

「誰が死に急げと言ったんだ?」

それは、暗黒護神使の声であった。セイに記憶の対価として“闇のチカラ”を与えたその人だ。

「とんだタイミングで現れやがって」

セイはそう言ったつもりだが、本当に口を動かして喋っていたのか、心の中でそう思っただけだったのかは自分でも分からなかった。


 どうやら、まだ死に至ってはいないようだ。アリスの強い精神力が、魔法の威力を無意識にセーブしていてくれたのと、セイの体力が今までの修行や戦いで随分上がっていたことが大きい。

「今、自分の意志だけでくたばってもらっては困る」

暗黒護神使の言いたいことが分かるということは、少なからず記憶は戻っているようだ。セイは使えそうな攻撃呪文の幾つかを思い出していた。それにしても、ちっとも気が進まないのは何故だろう。考えたくもないので、セイは暗黒護神使を相手に毒付くことにした。

「“死”に権利もクソもあるもんか」

別に積極的に死を欲したわけではない。ただ、こうする他無いと思ってしまったのはその通りだった。この顛末に、セイは苛立ちを覚えていた。

「無力だな、“勇者”ってのは」

打開策の代わりに出てきたのは運命へのグチだった。

「平たく言うとその通りだ」

暗黒護神使もそれは認めた。

「“アンチテーゼ”が見えてきたなら、もう、記憶に封をかける必要はないだろう。暗黒獣・アミュディラスヴェーゼアも、そろそろ完全体となる」

セイが記憶を失った理由の一つは暗黒獣の幼獣・アミュー(命名;リョウ)に、唯一支配可能な時の概念である「記憶」を「食わせる」為であったが、最も大きな理由は、セイの人格の基礎となっている記憶が、『勇者』として気付くべき“テーゼ”を発見する妨げになってしまっていた為であった。

「今回も、“勇者”を全うしてもらう」

神使は冷徹だった。むしろ、羨ましいくらいに。

「クソ食らえ」

何が“勇者”だ、とセイは思う。徒(いたずら)にマゾクを滅ぼし、ニンゲンの人柱になるだけの存在でしかないというのに――セイは暗黒護神使を睨み付けた。

「オレは“勇者”にはならねえよ。リノロイドもリョウが片付けるだろうさ。むしろ奴は、オレがいない方が楽だろう」

問題が複雑になりすぎている。セイは投げやりになっていたが、

「そのリョウが、今、たった一人でツェルスと戦っている事は知っているか?」

という暗黒護神使の言葉に頬を殴りつけられた。その衝撃に、セイはむしろ呆れ返ってしまい、

「あのバカめ」

と呟いたきり、言葉を失ってしまった。

 ハッキリ言って今のリョウにはツェルスと戦うだけの器量が全く無い。リョウだってそれくらい自覚している筈だ。

「低能はこれだから」

何故、リョウは戦えるのだろう? 人間は守るに値しないグズばかり。魔族は自虐的で殺すに値しないグズばかりなのに。

「お前を助ける為だ」

セイの内心を知ってか知らずか、暗黒護神使は口調を強めた。

「戦う理由なんて、結局はそんなものだ」

セイは沈黙してしまった。

 彼にとっては、理解に苦しむことばかりである。兄のお節介も、勇者の意義も、この戦いも、彼女が涙する意味も、そして、自分の気持ちさえも――構わず、暗黒護神使は続けた。

「そして、アリス。あの娘はもう……」

そこまで言うと暗黒護神使は言葉を止め、首を横に振った。

「だったら何だ?」

セイは目を伏せた。

「“だから殺してやれ”、なんて言うつもりか?」

(3)

 暗黒護神使の胸ぐらに掴みかかるつもりだったが、何ら手応えはないまま、その反動でセイは身体を起こすこととなった。見渡せば、大量殺戮兵器格納庫内部の殺風景な建物の中で、正面には、負のチカラに汚染された幼気な女が佇んでいる。

 

暗黒護神使の手筈は完璧で、以前のように頭が重苦しいということはなく、見るもの全てに何らかの思い出がある。記憶の封印は解かれていた。これならいつでも攻撃呪文を繰り出せるだろう。それなのに―― セイは目の前のアリスという名の少女を見つめた。


――魔族など、大嫌いだった筈なのに!


アリスは憂いの表情をしていた。が、セイと目を合わせた瞬間、すぐにニコリと笑ってくれた。胸の痛みに耐え切れず、セイはすぐにそれから目を逸らしてしまう。

「私は……セイになら、殺されたって良いんだよ?」

少し振るえた、でもしっかりした声で彼女は言った。セイは何も返せず、ただ座ったまま、下を向いて強く両手の拳を握りしめていた。

「私は、きっとこの後、ツェルスに殺されるし、そうじゃなかったとしても、リノロイド様に裁かれるの。貴方が私に気を遣ってくれたところで、結果は同じ。いえ、最悪な結果になる」

……だから殺して欲しい、と言うのだった。

「お願い、セイ。貴方はランダの子孫。貴方が死んでしまうと、光の民に希望は無くなるんだよ? ためらう事、ないから」

アリスは哀願した。ただひたすらに「殺して欲しい」と言うのだった。

「(ならば殺せば良いじゃないか!)」

セイは顔を上げ、もう一度アリスを見つめた。

「何で……」

セイは天を仰ぐ――何故、この女を殺さねばならないのだろう。

 彼が殺したいのは、他にいくらでもいる。父親の敵、この茶番を引き起こしたツェルス、魔王リノロイド、父を嘲笑した人間達、「助けてくれ」が口癖の人間達……でも、この女ではない!

「何でなんだよ……」

セイの懊悩を嘲笑うかのように、アリスの両腕は再び魔法分子を収集し始めた。もう、元には戻らない。彼女は死ぬまで魔法分子を負のエネルギーに換え、放出し続けるだろう。

「セイ! 早く……お願い!」

アリスの魔法分子はもう自己制御の限界にまで達していた。セイは唇を噛みしめたまま、彼女から目を逸らすことしかできない。

「私、……殺戮兵器のまま死ぬなんてイヤだよ!」

アリスの目からは涙が流れていた。それは、未だそれをためらい続けていた彼の背を強く押す言葉となった。


――誰よりも平和を愛した彼女を、戦わずに救う方法など無くて。


セイは何とか立ち上がると、両腕を顔の前で交差させて簡易の結界呪文(バリア)を張ると、そのまま攻撃呪文の詠唱を唱えた。

『闇よ、その黒き殲滅の力を経て、今此処に降臨せよ』

アリスの攻撃呪文の負のチカラが詠唱を終えんとしているセイに向けて伸びてきた。先ほどの、竜の様な魔法分子結晶がまた、セイに牙を剥いて向かってきていたのだ。

 しかし、まるでそれを払い除けるように、セイは両手を素早く横に広げた。すると、アリスの呪文で結晶化していた風属性魔法分子が膨大な量の黒い光を放ち始めた――これが、闇属性魔法分子である。アリス生来の闇属性魔法分子が帰属先を見失って散逸し始めていたのだ。

 セイは、まだ暴れる怪物のような風属性魔法分子と対峙すると両腕を上げた。それにつられて、セイに帰属した闇属性魔法分子が、一挙にセイの頭上に集約された。

「終われ……!」

(4)

 四天王の次点とも言われるツェルスより、リョウが戦士として劣っていることは明白ではあった。しかし、体力と素早さだけには自信があったリョウは、マオやセイとの修行で培った『黄金の逃げ足(命名;リョウ)』のみで何とか攻撃を躱わしていた。

「チッ! 鬱陶しい奴め」

ツェルスは簡易魔法球を繰り出しながら舌打ちをした。早く障害を一掃し、アンドローズへ戻りたいツェルスにとって、このリョウの出現は意外なバグとなっていた。

 但し、焦っているのは彼女だけではない。

「(早く地下に行って、セイと合流しなきゃ。これじゃラチが明かない!)」

戦って勝ち目がないということは、不利でしか無い。時間を費やす毎に増す焦りが隙となれば、致命的なミスとなる。勿論、ツェルスがそれを見逃す筈が無かった。

 ツェルスは不意に出来たリョウの間合いに飛び込み、槍の柄の部分で、リョウの右腹部を強く突いた。リョウは痛みに身を竦めたが、ツェルスの攻撃はそれでは終わろうとしない。刃先がリョウの胸元めがけて向かってくる。実戦経験の少ないリョウは、槍術独特の動きに慣れず、回避が少し出遅れてしまった。致命傷こそ受けなかったものの、リョウは左腕の付け根の部分を貫かれ、辺りには真っ赤な血の飛沫が散った。

「あ……ぐっ!」

リョウは横に飛ぶと、左肩を押さえて片膝をついた。ズキン、と悲鳴を上げた痛みに全身が打ち震える。

「やれやれ、やっと止まってくれたわねぇ。生身の光の民が、私とこんなに長い時間戦っていたことはないわ。偉大なる名誉だと思いなさい」

ツェルスはそう言って笑っている。思いの他、止まらない血液にぞっとしたリョウは息を潜める――此処は戦場だ。傷は痛むし、怖い!

「そろそろ終わりにしましょうか」

ツェルスは笑みを浮かべたまま槍を天に向けて高く掲げた。脂汗を拭ったリョウは、ふらつきながらも立ち上がり、その光の一点をじっと見ていた。“生き延びる為には、生き延びる為に集中力を使え”と、マオからの教えに遵(したが)うためだ。

『呪了(デム)!』

ツェルスの槍先から禍々しい光が放たれた。結晶化しているのは大地属性魔法分子だろうか。あまりに負のチカラが強すぎて、攻撃呪文なのかどうかさえ見誤りそうな程である。

「あっぶねえな」

 深手を負ったままだったが、リョウはそれを何とか躱わすことができた。魔法分子結晶がかなり重たい為か、速度と飛距離がそれほど無いのが救いだった。リョウの動きは封じたものと思っていたツェルスは眉をひそめたが、やがて「フン」と鼻で笑うと、再び槍を高く掲げた。

 やおら、じゅわじゅわと水が土にしみこむような音がした。驚くまま、リョウはツェルスの放った魔法球が落ちた後方を確認した。

「え!?」

基地の足場は敵の攻撃に耐え得る堅い建材で作られているだろうに、ツェルスが放った魔法分子結晶とまるで同じかたちの穴が開いていたのだ。

「一つ教えておくと、この呪文は、あらゆる物質の分子の結びつきを破壊する。逃げれば逃げるほど、お前の逃げ場は無くなるぞ」

ツェルスは同じ呪文の詠唱を唱える。実践向きかどうかは別としても、これだけの威力を誇る魔法分子結晶を、短い詠唱で作り上げることが出来る彼女の魔法センスは驚異的という他無い。

 きれいに丸く削り取られた床を見、これが自分の体を削り取るのだと思うだけでぞっとして、リョウはまたも滲んできた冷や汗を拭う。しかし、息をつく間も無く、彼女の手からは次から次へと殺人呪文が繰り出される。

「ウソだろ……」

こうなるともう、リョウは逃げ回るしかない。ツェルスの周りも、リョウの周りも穴が空いていて、リョウはどんどん不利な状況に追い込まれていく。

「(いや、恐れている場合じゃねえ!)」

この建物の何処かでは、セイがアリスと戦っている筈なのだ! そして、

「(ここでくたばって堪るかよ!)」

自分はソニアと神に誓ったのだ。

――光の民の為にも闇の民の為にも、この世界を変えよう、と。


 リョウの周りに確かな足場など無くなってしまった。腕を槍に貫かれた痛みにはだいぶ慣れてしまったせいで、リョウはつい重傷を負ったことを忘れてしまっているが、幾らかこの先を考える余裕ができた。

「(隙さえ拾えばツェルスを振り切って地下に逃れることくらいならば出来るかも知れない!)」

 リョウは光源を狙って攻撃呪文を放つ隙を窺っていた。ツェルスの目が眩んだ隙に逃れることはできないか、と。


 しかし、「それ」は唐突に訪れたのだった。


「うッ!」

今の今までは辛うじて忘れることが出来ていたのに、突然、激しい頭痛と吐き気がリョウを襲ったのだった。あの奇妙な症状が再発したのだ。視界から何もかもが消え、強い目眩がして、リョウはその場に立っている事すら出来ず、崩れるようにその場に倒れ込んでしまった。

「ク……ソっ……!」

何とか立ち上がろうとするリョウだが、視野が覚束なく、起き上がる事もできない。

「(ヤバイ!)」

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