第20話 悲劇への扉(2)

(1)

 アレスは機械だらけの部屋に妹を招き入れ、その一角の椅子に彼女を座らせた。

「何なの? これ」

アリスも警戒せざるを得ない。こんな不気味な部屋があっただろうかと、見回してしまう。戸惑う彼女を執拗に急かす姉は、何時にも増して冷徹だった。

「良いから座りなさい。貴女だって、早く仕事を終わらせたいのでしょう?」

アリスは、些か不信感を抱きつつも言われるがままその椅子に座った。

 何の変哲もない椅子である――少なくとも、アリスの目にはそう見えた。慣れた手つきで姉が器機を操作しているし、それはそれで見慣れた光景ではあるが、

「(この不安感は……何?)」

アリスがそう思った瞬間だった。

 何の前触れもなく、突然、椅子が動き出し、アリスの手首と足首と腰に枷が取り付けられてしまったのだ。

「これは一体……どういうつもりなの、姉さん!?」

驚き、戸惑う妹の悲鳴のような問い掛けにアレスは笑いながら「貴女の為よ」と答えた。

「貴女に眠っている戦闘意欲を引きだしてあげる」

理屈としては、防御本能としての反射攻撃を司る信号を直接脳に送るということであろうか。アリスは思い出した。入植地にいる光の民達を一掃する為に、大量に魔物を放ったりするのだか、これらの機械はそういう魔物達を一律に懐柔し易くする為に使われるものだ。

 正に今、自分も洗脳されようとしている!

「一体、何の為!?」

アリスは枷を外そうとしたが、びくともしない。

「さっき牢の中に囚人がいたでしょう? アイツを殺してもらいたいの」

アレスは冷たく言い放った。無論、セイを殺せと言っているのだ。

「イヤだ! そんなの絶対イヤ!」

焦燥感と恐怖が綯交ぜになって、アリスは狼狽する。

「何を間が抜けたような事を言っているのよ? あの男は、ランダの子孫なのよ」

ランダの子孫、という言葉だけなら、アリスとて何度も聞いたことがある。主君の宿敵にして、魔王軍が血眼になって探していた、光の民の人柱だ。

「だから、殺すと言うの?」

アリスは姉を睨みつけた。ランダの子孫が全魔族にとって凶であるなどとは、よく言われる事ではあったが、彼女には、到底納得できないことだった。まして、それがセイならばなおさら――

「まさか貴女、光の民側に寝返るつもりじゃないでしょうね?」

アレスも眉をひそめた。

「私、姉さんなら、分かってくれるって信じていたのに」

アリスはそう言ってうつむいた。涙を隠す為である。

「まあ、貴女が最初から素直に“生体兵器”になってくれるなんて、ちっとも期待しちゃいなかったわよ。だから無理矢理こうしているんじゃない」

「イヤだ! これ外してよ、私……あの人と戦いたくない!」

アリスはもう一度強引に枷を外そうと試みたが、流石に彼女の力で特殊金属の枷を砕く事は適わなかった。

「無駄よ。大人しくしてなさい」

アレスが冷たく言い放った、その時だった。


 突如、部屋の扉が勢いよく開かれた。

「誰だ?!」

アレスは暗がりの向こうからやってきた招かれざる客に声を荒げた。しかし、

「え?」

アリスは声を失ってしまった。というのも、

「アリスを――妹をどうしようというのです?」

ドアから入ってきたのは、どういうわけか、この人もアレスだったのだ!

「姉さんが二人?」

アリスは先ず目の錯覚を疑ったが、どうやらそれではなさそうだった。

 つまり、アリスを地下牢から連行した“アレス”はツェルスの変身呪文によるもので、今新しく来た“アレス”が本物のアレスだという事だった。

「ツェルス殿、猿芝居はここまでです」

アレスはツェルスにサーベルを突き出した。ツェルスは右手を天にかざし変身を解く呪文を唱えた。そこで、漸くアリスも事態の大まかな事実を飲み込めた。

「何よアレス、私と戦うつもり?」

ツェルスは笑った。

「優等生が、軍則を放棄してまで私と刃を交えるの?」

「私はさておき、貴女を裁く法なら幾らでもあります」

アレスはツェルスを睨んだ。魔王軍第二部隊の機密担当にツェルスの行動履歴を分析してもらい、既に尻尾は掴んでいる。それより何より、アレスには譲れないものがあった。

「アリスは私の分身……戦災から逃れ、苦楽を共にしてきた私の、たった一人の肉親。傷付けさせはしない!」

「姉さん……」

アリスはホッとした。やはり、姉は自分の信じていた通りの人だった、と。

「たかが戦災孤児の分際で!」

一方のツェルスは面白くなかった。

「お前達はいつもいつも私の邪魔をする!」

ツェルスは槍を召喚し、アレスのサーベルを絡め取ろうとした。アレスはそれを紙一重のところで躱わすと体勢を立て直す。

「ツェルス殿、」

アレスの呼びかけを振り切るように、ツェルスは再びアレスに向けて槍を突いた。

「何故この私がお前達の力に嫉妬しなければならない?!」

ツェルスは一撃一撃に憎しみや妬みを込めて撃ちつける。その大味な槍術は、士官学校時代に一時代を築き上げたというハイエリートのものでは到底無かったので、アレスは一気に幻滅した。「ならば」と、アレスはサーベルの鞘を手に取る。

「向上心を持ち、日々の努力を怠らぬこと!」

アレスはツェルスの刃を鞘で受け止め、そのまま強く圧し返す。それだけで、ツェルスの体勢は崩れてしまった。

「私の目標は貴女だった。だからここまで強くなれたのに」

アレスは簡易魔法球でツェルスを弾き飛ばした。

「ぐっ!」

ツェルスは壁に強く打ち付けられ、槍を落とし、うずくまってしまった。

「今の貴女は、ただ見苦しいだけ!」

アレスはツェルスにそう言い捨てると、妹の枷を解除すべく、機器に向かった。

「姉さん、ごめんなさい私、」

アリスは目に涙を溜め、率直に詫びた。

「――姉さんの優しさを、疑ってた」

「気にしないで、アリス」

アレスは解除の為のパスワード解読コマンドを入力した。

「それより、もう少し待っていて」

スクリーンに無機質な数字が並ぶ。もう少しだ。

「この一件が成功すれば、私はもっと上に行ける。そうしたら、」

アレスは妹の方に一度優しい笑みを返した。

「貴女を魔王軍から除名してあげられる」

それは、戦う事に疲れ、退役を望んでいたアリスの、痛切な願いであった。副隊長として、責任を全うすべきとの周囲の圧力が、今までそれを許さなかったのである。

「ありがとう、姉さん!」

アリスは、心の底から喜んだ。

「その代わり、しっかり兄弟達の面倒を見るのよ?」

この姉妹の出身は、修道院とは名ばかりとなってしまった孤児院である。彼女達と同じく戦争で親を失った子供達がシスターの帰りを待っている。

「姉さんも、」

アリスは祈った――

「どうか、戦う自分を責めないで」

戦わぬ自分ができなかったことを、まるで姉に託すように。


 刹那、赤いランプが点滅し、けたたましくサイレンが鳴り響いた。


”緊急出動指令。当基地南西部ヨリ侵入者アリ。総員急イデ援護セヨ”


「こんな時に!」

アレスは、ほんの一瞬だが、動揺してしまった。

「姉さん!」

サイレンの合間より、今にも泣き出しそうな妹の声が聞こえた気がして、アレスは背後を振り返る。ニヤリと笑ったツェルスの顔が目の前をよぎり、青白い鉄の刃が伸びて来たのだ。

「遅いわ!」

ツェルスの刃がアレスの腹部を突いた。

「……っう!」

為す術も無く、アレスは床に崩れた。

「姉さん!?」

アリスが必死で枷を解こうと身じろぐ。このままでは姉も自分も殺されてしまう! 怖くて、辛くて、悲しくて、悔しくて、泣き出しそうになった。

「姉さん! 死んじゃダメ! 起きて! 目を覚まして! お願いよ!」

「大人しくなさい!」

その様子をうるさそうに見ていたツェルスが、溜息一つで傍のボタンを操作した。同時に、アリスは電気的なショックを受け、そのまま気を失ってしまった。

「アリスに……何を?」

妹の一縷の望みに応え、辛うじて意識を取り留めたアレスは、傷を受けた箇所を押さえて、かすんだ視界にぼんやりと映るツェルスの残像を睨みつけた。

「これから死に逝くお前が知る必要はない」

ツェルスはアレスの頭を踏みつけながら言った。

「死……?」

ニヤリと笑ったツェルスの顔や周りの景色がどんどん暗く、かすんでいく――

「(毒か)」

アレスが気付いた時にはもう遅かった。

「せいぜい楽にお逝きなさい」

ツェルスはアレスの後頭部を蹴りつけた。

「なまじ生き延びても、お前はリノロイド様に裁かれる。目が覚めれば、お前の周りには何もない」

ツェルスは笑みを浮かべたまま言った。

「どうだい? 死にたくなっただろう?」

「ツェルス……!」

強い憎しみと悲しみを心に焼き付けたまま、とうとうアレスも気を失ってしまった。

「障害物は全て消えた。あとは、この子のプログラムを急ぐだけね」

もうじき“チカラ”が手に入る――そう思うだけで、ツェルスは笑いが止まらないのであった。

 しかし、彼女はとうとう気付けなかった。この同じ部屋で、この事件の一部始終を見ていた者の存在を。

(2)

 鳴り響いたサイレンで、セイはふと瞼を開けた。

 耳を澄ませば波の音が聞こえてくるだけ、というこの地下の牢での初めての騒音に軽く苛立ちを覚えながら、セイはアナウンスを聴いていた。

“侵入者アリ”

何故だか兄の顔が浮かび、セイの苛立ちは募るばかりであった(!)が、そんな彼の元へ近付く足音があった。一々ガン垂れるのも煩わしいので、セイは牢の入り口に背を向け再び寝入ろうとしたが、残念ながら、足音はこの房の真ん前で消えた。

「セイ、」

と呼びかけた声の主はアレスである。いや、アレスに扮したツェルスであるが、セイは知るべくもない。しかし、次に聞こえてきた鍵を開ける音に、思わずセイは飛び起きてしまった。

「貴方を釈放します」

「は?」

戸惑うセイをよそに、アレスに扮したツェルスが、何事もなかったように牢の扉を開けた。

「アリスが貴方を待っています。付いていらっしゃい」

アレス、否、ツェルスは薄笑いを浮かべている。あからさま過ぎて罠である事は分かりきっていたが、セイは黙って付いて行くことにした。


 アリスが待つという場所に行くまでに、何枚も“警告”と書かれている紙を見た。それも、“大量殺戮兵器(ジェノサイダー)通用口”とご丁寧に添え書きまでしてあるのだった。

「ここにいるわ」

その“大量殺戮兵器”格納庫にアリスがいるというのだ。これはいよいよ胡散臭いが、有無を言わさず扉は開かれた。

 ゆっくりと開かれた扉の向こうの少し強い光に、セイは目を細めた。だんだん披けてきた視界が、殺風景な灰白色の壁や床や天井を捉え、やがて畑2つ分はありそうな格納庫のほんの片隅でうずくまっている飴色の髪の少女を捉えた。

「アリス?!」

セイの呼びかけに気付いたのか、アリスは顔を上げた。

「セイ? セイなのね?!」

アリスは歓心の声を上げた。が、それも一瞬で、一気に顔をこわばらせた。

「セイ! そいつから離れて! そいつは姉さんじゃない!」

アリスがそう叫んだと同時に、ツェルスは変身を解いた。

「お前は誰だ?」

セイはツェルスから間合いを取った。

「我が名はツェルス・シッダ・バーネット」

編み込まれたブロンドの髪を撫でた彼女の鋭い目が、細く笑った。

「礼を言わねばなるまいな」

全て計画通りに事が運んだことに、ツェルスは満足していた。

「五日前、お前が戦ったアリスは、私。そして先程アリスを連れ出したアレスも私」

ツェルスの話を聞く内に、何故か闇魔法分子の動きが慌しくなってきた事に気がついたセイは、これから起こりうる最悪のシナリオに思わずぞっとしてしまった。

「そうそう、もう時間が無かったんだったわ」

ツェルスは踵を返した。

「待ちやがれ!」

セイは闇魔法分子を召喚し、ツェルスを引き止めようとしたが、ツェルスはセイの問いには一切答えず、先程からの薄笑みを浮かべたまま、

「お前はここで、アリスに殺されるが良い」

とだけ言い放った。その言葉の意味を解釈するよりも先に、アリスの悲鳴が聞こえた。丁度、アリスの手から魔法球が放たれたところだったのだ。

「くっ!」

セイはそれをギリギリで躱わすと、既にツェルスの消えた扉の向こうを睨みつけた。

「何て事しやがる……」

この女は、世界で一番戦いに似つかわしくない女だ。それなのに――

 セイを攻撃する闇魔法分子はアリスに呼び寄せられ、アリスの手から放たれるものなのに、アリスは攻撃の意思を見せないどころか、しきりに「逃げて」と口にするのである。

 ツェルスにより、完全に扉に封がかけられたようであるそこは、先程から見てきたように、大量殺戮兵器格納庫である。暴発を見越して、魔法耐性のある特殊な素材で作られているのだろう、爆発でびくともしない代わりに、逃げ場など無かった。

「セイ、避けて! ここから逃げて! お願い!」

アリスの高い声で振り向くと、すぐそこに魔法球が迫ってきていた。セイはそれを何とか躱わし切る。

「(戦うしか無えのかよ!)」

息が詰まるのは栄養失調気味だからだろうか? それとも――

(3)

 “侵入者”とは、勿論、リョウとリナである。

 リナはリョウを最上階のホールに降ろした後、リョウが向かうべきルートの反対側に回って攻撃を仕掛けた。リナの思惑通り、第三部隊の精鋭達がリナの方へ集中展開していく裏側で、リョウはタイミングを見計らって、一気に地下目掛け、階段を駆け下りた。 

 今、リョウは2階の廊下を歩いていた。

 リナの提案した「囮作戦」は、アレスの不在も手伝って、基地内の隊員を殆ど全員基地の外へおびき寄せるという点については、見事に成功しており、リョウも安心して、通信指令室を通過する事が出来た。


 しかし、事態は急変を余儀なくされてしまった。


「変だと思っていたのよね。あの女が、一人で正面から突っ込んでくるなんて」

リョウの前に、飴色の髪の女性が立ちはだかった。ツェルスの扮するアレスである。彼女が本物のアレスに邪魔されて出来てしまったタイムロスが、かえってリョウの発見に繋がってしまったのだ。

 ツェルスにしてみれば、思わぬ幸運といったところ、つい、饒舌になってしまったようだ。

「弟を取り戻しに来たんでしょう? どこで調べたのかは知らないけど、セイはもう牢にはいないわよ」

牢にいない? ――その報告にリョウは動揺した。ひょっとして、もう殺されているのではないかと不安になったが、直ぐに彼女は答えをくれた。

「丁度今頃、アリスがセイを屍に変えているところよ。でも、これで貴方の屍と一緒にアンドローズへ転送できるわね」

彼女から繰り返される「屍」というフレーズで、リョウは気付けた。

「お前、……ツェルスだな?」

リョウは目の前の女性を見据えた。今、アレスの姿かたちをしている彼女は、目を丸くして驚いていたが、「ほう、」と感嘆の声をあげた彼女からはもう、薄笑みがあった。飴色の髪はどんどん明るくなり、大きな目はやや細く吊り上り、細面になっていく。

「本当によく調べたのねぇ」

リョウの眼前に、ツェルスは初めて「ツェルス」として現れた。

「ならば、話は早いわ」

ランダの子孫に自分の存在が明らかになっている事は、最早何の支障でもないとツェルスは判断していたし、それはその通りだった。

「死んでもらおうか」

ツェルスは槍を取った。冷笑を浮かべて刃を向ける彼女に、リョウは剣の柄に手をかけたまま、打開策を思案していた。

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