第18話 人魚の思惑
(1)
不老不死とも言われる海の民・人魚は、長い時を経て魔法技術は陸(おか)の民のそれとは比較にならないほど高度なものとなり、先日のように二本の「足」を使って陸をも歩けるように進化しているらしい。
「この7年はとても長かったわ。何せ、いつもここに遊びに来てくれていた“御暇な坊や”が突然いなくなってしまったのだから」
カナッサがそう言うと、リョウは刹那に表情を曇らせた。
「……って事は、ここは、ベルシオラスなんだな」
ベルシオラスとは、ダーハとジェフズ海を共有する町である。そして、リョウが10歳を迎えるまで暮らしていた町でもある。
「顔を上げなさい。昔のコトで悩むのは勿体無いわ」
カナッサはリョウをなだめる。ここでの「昔のコト」というのはリョウの幼い頃のことなのだが、これはまた別の話である。
「色々話したいことは沢山あるんだけど、オレ、もうそろそろ行かなきゃ」
リョウは再び基地の方を見た。ここがベルシオラスだと言うのなら、嵐の海に相当流されてしまっていたことになる。こうして生きていたのは不幸中の幸いだ。これは正に“弟を助けよ”との神の仰せに違いない! リョウは俄然、やる気が出た。しかし、カナッサはそんなリョウを見て、うつむいてしまった。
「何故、戦うの?」
不意の問いに少し驚いたリョウがカナッサに瞳を向ける。それを受けて、カナッサは静かに顔を上げた。
「ランダの子孫……いえ、“勇者”だから?」
「いや正直、そんなたいそうな使命感は無いよ」
思わず本音を漏らしてしまったが、ウソや虚勢を使ったところで、彼女にはすぐに見透かされてしまうことをリョウはよく知っていた。
「あの基地の中に弟が収容されてるんだ。オレの力不足の所為で」
今度はリョウの方がうつむいてしまった。
「チカラが欲しいのね?」
カナッサはリョウの心情を知っているようだった。リョウは黙っていたが、それは肯定である。それすら、彼女はよく知っているのである。
「強くなりたいのは誰だって同じよ。犠牲を厭わず艱難辛苦に耐えた者が、結果として強者と呼ばれるようになるだけのこと」
突然の出会いと極度の疲労でまだ幾らかぼんやりしているリョウは、カナッサの言葉の意味を考えることに終始した。要は、光のチカラを扱いこなす為に、もっともっと修行しろということだろうか。しかし、それを待っていてはセイがあまりに危険だ。何とか弟を救出する手段は無いものか、この聡明な人魚に打開策を講じて欲しいと頼もうとしたリョウだったが、また、彼女に先を越されてしまった。
「リョウ、貴方に伝えなければならないことがあるの」
そんな言葉で切り出されては、リョウも頷くしかなかった。
「貴方がレニングランドに行ったすぐ後に、私は魔王軍第三部隊の構成員になったの」
驚いた表情を向けたリョウに、カナッサは髪を掻き上げ、耳に光る魔王軍の象徴である金色のピアスを見せた。
「そうなんだ……」
リョウは小さく驚いた。
恐らく、彼女は肩書きが欲しいわけでもないだろうし、そもそも海の民である人魚が、ただ闇魔法分子を帯びているという理由だけで「闇の民」と呼べるのかどうかも疑わしい。進んで彼女が従軍したわけでは無いだろうと思い至った時、カナッサが何らかの無理を抱え込んでいそうなことは察してやることが出来た。
「事実、貴方の抹殺命令が、ツェルス殿から出ている」
ツェルス・シッダ・バーネット――内務省と呼ばれる国体維持の為の役所の最高官吏であるとカナッサは説明した。
「ツェルス?」
リョウはそこでフィアルから与えられた「キーパーソン」の名を思い出した。
「全てを話すわ。どうしても再びあの基地へ向かうなら、認識しておいた方が分かり易いでしょうから」
カナッサの提案に、リョウは首を振った。
「大丈夫。カナッサが裏切り者ってなったらマズイだろ? 命だって危ない」
何せ、カナッサの上司は殺人魔法を連発する四天王・アレスとその双子の妹のアリスである。
「そういうところは相変わらずね」
カナッサは口元を緩めた。この少年は7年前と全く変わっていないようだ。羨ましさを感じた彼女は、リョウから穏やかな波へと視線を移した。
「でも、私は不老不死。死にやしないわ」
「だけど、リノロイドが黙っているわけないだろ。オレ達で何とか、まとめて見せるよ」
リョウはあえて強気で言った。カナッサは黙っている。が、やがてそのまま海へ飛び込んだ。
「……ツェルス殿には、変身能力があるの」
カナッサが切り出したのは、魔王軍とは違う組織にいる“キーパーソン”・ツェルスのことであった。
「今、ツェルス殿は、アレス殿の妹、アリス殿に摩り替わっているわ。アレス殿は、まだそれを知らない」
カナッサの話によると、本来アレスは、ランダの子孫を連行するだけの任務を言い渡された筈であったようだ。しかし、今般、致死量の負のチカラを帯びた魔法で容赦のない攻撃をされたのは、アリスの失脚を狙うツェルスの仕業であるようだ。
「貴方の弟のセイも、今は無事よ。だけど貴方がツェルス殿に見つかってしまうと、貴方も、セイも殺されるわ」
念のため、カナッサは周囲を確認した。幸い、ツェルスはアレスの部隊から警戒されているので、認識領域が狭い。カナッサを同胞と信頼しているアレスの部隊も、ツェルスも、この海の洞窟まで偵察しに来てはいないようだ。
「貴方は、基地に着いたら、二階へ行き、東側の階段で地下へ行きなさい。そこが、地下牢よ。いい? 絶対ツェルス殿に見つかってはいけないわよ」
カナッサはそれだけ告げると、リョウの方を振り向く事なく、海底へ消えていった。最早この青年と一緒にいる資格が無い、と。
「ありがとう。十分だよ」
リョウは数日前とは打って変わって穏やかな海面に呟く。
カナッサが消えてしまった海を、今、リョウはぼんやり眺めることしか出来なかった――どうして、こんなにも長い間、彼女の事を忘れてしまっていたのだろう? 答えはすぐに出た。
「(これがいわゆる記憶の封印ってやつか)」
似たような者が身近にいたお陰で答えはすぐに見つかった。
「(何の為の?)」
思い出さない方が良い――人魚がそう思ったからなのだろう。“人魚”との思い出など、人間には必要ない、と。
(2)
風が揺れる音がした。
リョウは洞窟の奥を振り返る。睫毛の長い美人とばっちり目が合った。
「あ、リナ……おはよう」
リョウは少し慌ててリナに声をかけた。かなり前から起きてはいたらしい。今まで気が付かなかったが、飲み水と干し肉がきちんと調達されていた。
「お腹空いただろ? ちゃんと食べておきなよ」
何かと思えば他愛も無かったが、リナはそれだけ告げると洞穴の入り口に移動した。
今はリョウがリナの背中を見つめている状態である。
てっきり人魚・カナッサとの関係を追及されるかと覚悟していたリョウだったが、一切それは無かった。彼女がそれに全く興味を示さなかったのか、あえて追及を避けているのかは分からない。
後ろ姿のリナは闇の民のカタチをしている。人間居住区・サンタウルスでは、いわゆる「魔族」の姿でいるよりは鳥の姿の方が良いという彼女自身の判断なのだろう。
四天王・アレスと対等に渉り合えるほどの攻撃呪文を繰り出す彼女の白く細い手が、今はリョウに水筒を差し出している。
「あ、サンキュ」
リョウはとにかくカラカラに乾いた喉を潤す。空腹感には今気が付いた。
「オレ、4日も寝てたんだな」
とても信じられないが、どうやら本当らしい。基地に収容されたセイには悪い気がしたが、リナは笑ってくれた。
「この数日で基地内の組織や見取り図はほぼ完全に掴めた」
怪我の功名だ、とリナは不敵な笑みさえ浮かべている。「鳥」なんて言ったら失礼なくらい彼女はよくできた人物だった。今更ながら彼女と共に旅に出る事を許してくれた師・マオに感謝するリョウであったが、闇の民であるリナが人間の為に戦っている意味を、まだ彼は知らないままである。
「難しい顔をしているな。悩みでもあるのか、若者?」
リナは洞察力も優れているようだ。小細工無用と思ったリョウは、思い切って尋ねてみた。
「リナって、どうして光の民に味方してくれるんかなぁって思って」
ひょっとしたら彼女は、ソニアや自分が探しあぐねているこの戦いの終着点を見出せているのかも知れないと思ったのだ。
しかし、リョウの問いに、リナも少し困惑しているように見えた。
「光の民の味方か。やはり、そういう事になるのだろうな」
リナの中では、「光か闇か」という分類はあまり重要ではないようだ。“戦いを終わらせたいという気持ちも有るには有ったけど”、という前置きがあった。
「私とマオ様がランダ様の同志として戦っていたのは、マオ様の弟を探す旅の“ついで”だったという認識だ」
「マオさんの弟? いたの?」
リョウは初耳だった。彼は7年マオと共に暮らしてきたが、彼女のことをあまりにも知らない。
彼女が光の民と闇の民の混血であることとか。
弟がいたこととか。
「マオ様は、自分の事には無頓着な方だから、アンタ達が何も知らないのは無理も無い」
リナはそう言ってくれたが、察するに、マオは殊に魔族が嫌いなセイに配慮していたのだろう。そうでなくても、光の民と闇の民の混血は、教義に反するという理由で迫害されてきた歴史があることは、リョウも知っていた。
「私達は、何処にも定住できずに、放浪しながら生きていたんだ」
その漂泊の最中、マオとその弟はテロルに巻き込まれ、離れ離れになってしまったらしい。その話は、今の自分達の状況とも重なって、リョウは胸を痛めた。
「そんな時に、ランダ様に出会ったんだ」
それにしても、本当に光と闇との争いごととは無縁の唐突な出会いだ。リョウは面食らってしまう。
「あの方は、私達を受け容れ、共に行動する事を少しもためらわなかった。私もマオ様も、そんな人間に初めて出会ったんだ」
“ランダの同志”と言われる者達は、何故か皆、闇の民の血が流れている。
光の民であるランダだって、魔王・リノロイドを倒す為にアンドローズに乗り込んだのではなかったのだろうか。しかし、もしもそうなら、闇の民が進んで協力してくれただろうか。
「オレも……ランダに会ってみたかったな」
誰にどのように聞いても、ランダという存在はまるで童話の主人公のようだった。
「そうだな。ランダ様が他界してすぐに、お前とセイが生まれたんだったな」
波が岩に染み入る音がした。潮位が上がってくるので、2人は岩の洞穴の奥に移動した。
「マオさんの弟は、見つかった?」
ふと、リョウは気になったので問うてみた。
「見つかったよ。でも……」
リナは逆説で繋いだまま、うつむいてしまった。もしや既に亡くなっていたのかとも思ったリョウだったが、どうもそうではないらしい。言葉を選んでいるのか、いつになく歯切れの悪いリナは、真相を言いかけ、やはり首を横に振った。
「忘れてくれ。マオ様がアンタにすら話さなかったことには、きっと何かしら理由があるんだろう」
リナはそうとしか言わなかった。
「ああ」
“アンタにすら”という言葉が何と無く気になったが、リョウは納得するしかなかった。
話題と話題の合間、小さく沈黙が続いていたが、「正直にいうと」と、今度はリナが切り出した。
「セレス様が殺される前までは、私は、二度と戦いには出ないつもりでいたんだ」
リナの意外な告白に戸惑ってしまい、リョウは相槌さえ打てなかった。
「私だって、戦いが好きなワケじゃない。戦えば必ず負ける者が出る。負けた者はあまりに惨めだ。勝者が常に正しいわけでは無いのに」
すぐにソニアのことが頭に浮かんだリョウは、今度はきちんと納得のうちに頷きながら、彼女の話を聞いていた。
「だけど、ランダ様もセレス様も殺されて……そうマオ様から聞いた時に、アンタ達だけは黙って殺させるわけにはいかないと本気でそう思った。ランダ様やセレス様が、私やマオ様にとって大切な存在だったのと同じで、アンタとセイもそれに変わりはない。アンタ達の育ての親だったマオ様は、私以上にそう思っている筈だ」
リナは口元を緩めた。
「アンタ達を、絶対ランダ様やセレス様のようにさせるわけにはいかない。私はその義務を自分に課した。これが、私がアンタ達と共に旅をする最大の理由だ」
打ち寄せる波の音が大きくなってきた。何かに責められているようで、息苦しさを感じたリョウは波打ち際から視線を逸らした。
「そうなのか」
リナの気持ちはとても有り難かったし、何よりも心強いのだが、そこまでしてもらう程のことが今の自分にできるのだろうか――ふと、リョウは思った。
敵に全く通用しない魔法。魔法の前にはあまりにも脆弱な剣技――課題ばかりが大きく見えて前に進んだ感触すら無い。
「オレ、ランダじーさんみたいになれるかな?」
リョウは自信喪失していた。優しさと強さを兼ねた英雄である曽祖父に比べ、優しいというより「甘チャン」であり、強さとは程遠いところにある実力である自分は――しかし、苦悩しているリョウの焦燥感になど、リナはとっくに気が付いていたようだ。
「十分なれるよ、アンタなら」
顔を上げたリョウに、リナは補足した。
「アンタとセイのケンカを見てると、ランダ様とセレス様を思い出すんだ」
ランダとセレスは祖父と孫の関係だが、相当口ゲンカは絶えなかったらしい。英雄めいた曽祖父の人間臭い挿話に、何だか少し安心したリョウは、苦笑を返しておいた。
「今はせいぜい足掻きなよ。それは何時かアンタの財産になる」
さらりとリナはまとめたが、勿論彼女に確信はあった。彼女の知っているリョウの潜在的なキャパシティーを鑑みれば、今の彼の魔法はどう考えても完全なものでは無いと分析している。問題は、一体何をどうすれば彼の潜在能力が完全覚醒するのかということだ。
「(いや、)」
リナの邪推が正しければ、もう鍵は、見つかっていた。
「どんだけ足掻けば先が見えるのか、ものの本にでも書いてりゃ最高なのにな」
何も知らないリョウは、洞穴の天井を仰いで見せた。
「(人魚め……)」
力の無いリョウの笑顔に応えたリナは、歯がゆそうに穏やかな海を見つめた。
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