第14話 波紋(2)

(1)

 港町ダーハ。

 貿易港として栄えたこの町は、かつて人と活気とカネが溢れていた。

 しかし、ジェフズ海の沖にこれ見よがしに建立された魔王軍第三部隊の基地の所為で、港はもう十年近く閉ざされたままだ。町の賑わいなど見る影も無い。港には、異邦人には見慣れない大きな船も停泊しているが、破損の跡も補修されず、梶にはクモの巣までかかっている。


 「おいおい、どうやってあそこまで行くんだ?」

リョウはボロボロで動かせそうも無い船と、遠くにうっすらと見える基地とを交互に見た。

「泳ぐ、のか?」

果たして自分は泳げるのかどうかも定かで無いセイは、大きく溜息をついた。少なくとも、ぼんやり見えるあの基地で、素性も知れ無い軍人と戦わなければならないのだ。

「まさか。だってあれ、3、4里はあるぞ?」

リョウも途方に暮れてしまった。泳げない距離ではないかもしれないが、その後果たして戦えるかと問われると自信がない。

 フィアルのお陰で、最悪でも殺されはしないことは分かっているが、その代わり、全く勝機が見えない。目的は、“生きて帰る”という不毛なものだ。あの基地を陥落させようなどとは、思わないほうが良いらしい。何せ、相手が悪過ぎる。

「知将・アレス、か」

一番避けたかった相手だ、とリナは言う。


 それにしても、とリョウはやや伸びた前髪を右手で抑える。とかくこの潮風というものが落ち着かないのだった。

「(落ち着かないっていうか……)」

不安感や不快感というよりは、何かに頭を押さえつけられているような、物足りないような、不気味な違和である。先日のソニアとの戦いで攻撃魔法を繰り出してからずっと、リョウはこの違和に悩まされていた。

 考え込んで歩いているリョウの肩に、ぶつかった誰かが倒れてしまった。

「あ、済みません、大丈夫ですか?」

リョウが振り返ると、一人の女性が地面に座り込んでいた。

「怪我は無いですか?」

「ええ。ゴメンナサイ、少し気分が悪くて」

座り込んでいる女性は、駆け寄ったリョウの顔を見るなり、小さく感嘆の声を上げた口元を抑え、暫くリョウの顔をじっと見つめていた。

「ん?」

リョウは不審には思ったが、「気分が悪い」と言う女性に手を差し伸べる。

「大丈夫ですか?」

「あ、ありがとう……」

彼女はやはりリョウの顔をじっと見つめたまま、ゆっくり立ち上がる。

「あの、オレに、何か?」

あまりにも気になるので、リョウは尋ねた。

「貴方……リョウ?」

「え?」

思わず、リョウは絶句した――この女性は何故自分の名を知っているのだろうか?

「あ、済みません。人違いでした」

しかし、彼女はそう言ったきり、そそくさと港の方へと消えてしまった。よほど体調が悪いのだろう、彼女は左右にふらつきながら歩いている。それにしても、名前を言い当てながら人違いなんて……

「(本当に偶然?)」

リョウは、覚束ない彼女の後姿が完全に見えなくなるまで見守っていた。

「(ブロンドのセミロングヘアーの、海の色をした眼の……)」

やはり、名前くらいは聞いておくべきだったのかも知れないと思ったリョウは、もう一度振り返った。丁度そのタイミングで、

「何よそ見してんだ?」

と、セイのお叱りを喰らってしまった。

「あ、いや。ってか、あれ? リナは?」

誤魔化そうにも誤魔化せず、リョウは中途半端に質問を投げかけてしまったが、そういえば、魔王軍の基地に行く手段をあれこれ考えている最中であった。

「バカ。今まで何聞いてたんだ?」

セイが溜息をついた。きっとこのマイペースな男にも「マイペースだ」などと思われているのだろう。不本意だが、リョウは甘受することにした。

 

 山育ちのマイペースな少年が二人、特に何も話すことも無く、暫くぼんやりと海を見つめていた。

 肌に吹き付ける潮風にも磯の香りにも慣れてきただろうか。鳥の羽音が聞こえてきたと思ったら、やおら美女が空から降ってきた。リナである。

「仲良く黄昏てるトコ悪いんだが、」

などと随分な前置きから、リナが偵察結果を報告し始めた。

 

 例の基地周辺を上空から調査してきたリナは、今は海水に浸っている通路を見つけたという。

「干潮時には、基地へと続く道がはっきり現れる筈だ。」

小賢しいな、とリナは苦笑した。これでは、襲撃する時間を指定されたようなものだ。

「今が満潮だとすると、干潮は、明日の朝か」

セイが潮位を確認する。つまり、明日の朝には出発するのだ。

 

 出発しなければならないのだ。


「宿探すぞ」

セイが荷物を持ち上げた。

「朝かァ」

寝ぼけているうちに全て片付いていればどんなに良いだろう、と朝が苦手なリョウは思う。見通しの悪い未来とやらに、正直、そろそろ辟易してもきた。

(2)

 リョウ達がダーハに到着した頃、基地ではアレスをはじめとする魔王軍第三部隊の実行班が集まっていた。

「数日中に、ランダの子孫はこちらへ向かうものと考えて良いでしょう」

アレスはあくまで淡々とこの計画に臨んでいた。

「早くて明日の朝から7日。海上通路のみ解放し進入経路を固定します。ナターシャは、正面入り口に標的が到着し次第、全ての出入口を封鎖してください」

世界が慄く知将は、“袋のネズミ”という状況を文字通り実行しようとしているのだ。

「マチルダとエイジャは、念のため、基地周辺の見張りをお願いします」

命じられた二人は頷くと、早速、入口に駆けて行った。この知将率いる魔王軍第三部隊は、実働さえすれば無敗を誇る完全無欠の部隊である。

「隊長、海中の方は如何致しましょうか?」

「今朝、カナッサに通達しましたが、念の為、地下の出入り口は全て封鎖してください」

アレスが有能な上司だからであろう。彼女の部隊は全軍の中でも最も士気が高い。しかも、今回の標的はかの「ランダの子孫」である。この任務ばかりは落とすわけにはいかない。

 アレス達が急ピッチで迎撃体制を整える繁忙の最中、急にドアが開いて、一人の女性が入ってきた。

「ツェルス殿……」

現れた人物を一瞥したアレスは、思わず言葉を呑んでしまった。

 ツェルスは、アレスの士官学校時代の先輩でもあるが、彼女は魔王勅命軍には残れなかった。それは、そもそもツェルスが貴族出身であり、官僚であるべきであると望まれたことが原因だと言われている。しかし、どうもそのことがツェルスのプライドを大きく傷つけているらしいのだ。

 アレスの動揺などお構い無しに、ツェルスは、迎撃準備に追われる第三部隊の基地のあちこちを見回して、

「可愛い後輩の様子を見にきただけじゃない。そんなに殺気立たなくても良いわよ」

などと、わざとらしく笑ってみせた。

「失敗すると命に関わるんでしょう? 今のうちに、挨拶しておこうと思ったの」

ツェルスは意地悪く、勅令を復唱してみせた。アレスは口元を緩めて微笑んで見せた。

「どうやら作戦は順調に進行しているみたいねぇ。ご武運を祈るわよ」

などと言い放ったツェルスに、アレスの部下が殺気立つ。それを諌めるように、

「お心遣い、感謝します」

アレスは冷徹を貫いた。その反応が面白くないようで、ツェルスは舌打ちして、部屋を後にした。

「隊長……」

気を揉んだ部下の一人がアレスを呼び止めた。全員を落ち着かせ、アレスは仕事に戻る。

「思想は違えど目的は同じ、光の民の殲滅である筈」

気高い貴族出身のツェルスとは違い、戦災孤児で修道院とは名ばかりの孤児院出身のアレスは人を恨まぬ哲学を持っているのだ。

「必ず、この計画が成功するように、力を尽くすまでです」

この知将がこう宣言した計画は必ず達成されてきた。部下達のモチベーションは一気に上がる。

 そこへ、アレスの通信機に緊急連絡が届いた。

「隊長、アリス副隊長がこちらにお見えになっていますが、……如何なさいましょう?」

伝令は確かに妹の名を口にした。

「アリスが?」

アレスが返答に窮していると、突然に、また扉が開いた。

「アリス……」

アレスが妹の名を呼びかけたところ、

「姉さん、聞いたわよ」

とアリスが詰め寄ってきた。

「ランダの子孫を回収するんですってね」

動揺する側近達を尻目に、アリスは姉を見据えた。

「明日の戦闘、私も参加させてもらえるのでしょう?」

側近達の動揺はどよめきに変わった。自分が動揺してはならないと肝に銘じ、アレスは一つ、頷いた。

「……貴女が参加したいというのであれば、それで構いません」

アリスは、アレスの双子の妹である。長く続いた戦争で親を失った彼女達は、預けられた修道院で互いに助け合い、励まし合いながら生きてきた。だから、考え方も性格も、能力や魔法に至るまで殆ど同じで、むしろそれが彼女達の誇りでもあった。姉のアレスが『四天王』に任命されるまでは。

 アレスは、『四天王』として、フィアルやディストやソニアといった周囲の優れたユーザー達に刺激されながら戦い続け、それができる今の仕事に意義を感じていた。一方、妹のアリスは、元々傷付き易く優し過ぎる性格の為、第三部隊副隊長という役職を貰いながらも、活動範囲を戦場では無い医療現場や事務に留め、最近では常に姉と別行動をとるようにしていた。アレスもアレスで、無理に妹を戦いに引っぱり出さないようにしてきたのだった。それなのに、この日に限り、自分から戦いに出ると言い出したのだ――アレスにはそれが少し残念だった。

「どうかしたの、姉さん?」

妹の声にアレスはふと我に返った。

「いいえ」

他人行儀な返事になったが、アリスは気に留める様子も無く、さっさと部屋を出ていった。ただこの時、妹の顔に笑みがこぼれたのを、アレスは見逃さなかった。

 アレスには分からなかった。いつもなら無意識に読み取れるアリスの心が、今日は全く掴めなかった。周りにいた側近達も、普段の副隊長の優しい性格をよく知っているだけに、ただならぬ違和を感じていた。

「(気の所為よね、アリス)」

最重要任務の直前である。アレスは強引に不安を振り払った。

 一方。

「(アレスの奴、かなり動揺してるな。オレの気配も気付かないとは)」

アレスがいる部屋の窓から、亜麻色の髪を束ねた男が現場の様子を伺っていた。

「(しかし、アリスちゃんの変わりようは何だろう?)」

まだ暫く様子見をしておくか、とその男はスウッと消え、何処かへと向かった。

(3)

 部下は上司を選べない。

 要求される理不尽とその見返りを幾度と無く天秤にかけ、傾き具合に眉を顰め、時には目を瞑る。果たしてそれは仕事だろうかと疑問に思い始めたら最後で、報酬の発生しない悩みに人生は翻弄されることとなる。

 丁度、そんな関係の二人が海辺で話し込んでおり、やはり部下は思い悩んでいた。

「良いわね? この二人を見つけ次第、殺すのよ」

ツェルスの下した物騒な命令は、魔王の意思とは相反するものである。いや、そもそもこの部下の悩みはそんな瑣末なことではなかった。

「(この人を?)」

その部下は、標的とされている二人の少年の資料を確認し、言葉を失っていた。

「どうしたの、カナッサ? 餌にしても良いと言うのにお礼も無いの?」

「餌を遣せと言った覚えは無いのですが」

ツェルスの部下、もとい、カナッサと呼ばれた女性は、資料に視線を落としたまま、短刀を受け取った。

「海の民が減らず口だったとは知らなかったわねェ。私に逆らうと、お前といえども、ロクなことにならないのは分かっているんでしょうケド」

ツェルスは意地悪く笑ったきり、引き返して行った。

 残されたカナッサは、大きな溜息を一つついた。光の民を殺すことなどに痛みを感じはしないし、むしろ彼女は、光の民を殺して生きてきたようなものだ。しかし彼女は同時に、魔王勅命軍に所属していることにも益を感じてはいない。進んでニンゲンを殺しているわけでは無いからだ。

「ランダの子孫、か」

ランダについては最近知った。魔王を封じていた男だという。道理で、魔王軍がランダの子孫を血眼で探している理由もよく分かる。しかし、自分は共感も同情もしない。興味が無いからだ。ただ、

「(貴方は、ランダの子孫だったのね)」

手渡された資料に、よく知る顔があったのだ。

「(まさか、こんな形で再会する事になってしまうなんて)」

カナッサはもう一つ溜息をつくと、海の中へと潜って行った。

そう、彼女は海の民・人魚である。

(4)

 ダーハの町は、ランダの子孫の出現による歓喜と水没の危機への恐怖に混乱していた。剣士の格好のリョウとセイを見て、ランダの子孫ではないかと察した人々が、あからさまにそれなりの態度で話しかけてくる。

“どうか、この街を救って下さい!”

“我々を助けて下さい!”

光の民にとって、勇者・ランダの子孫はやはり“勇者”なのだ。師・マオから、“勇者として自覚せよ”と教え込まれていた本当の意味が、ここにきてリョウにも漸く分かってきた。

 助けを希う人々の声を聞く度にリョウは事の重大さを深刻に受け止めていたが、こういうあからさまな光の民に困惑していたセイとも、度々目が合うようになった。

 頼んでもいないスイートルームに通されたリョウとセイは、あまりにも広くて格調高い空間を持て余し、エントランスの前に立ち尽くしてしまった。

「なァ、リョウ、」

ふと、セイが口を開く。

「光の民は、戦えないのか?」

セイの質問に、リョウは思わず笑ってしまった。

「セイ、オレ達も一応光の民なんだケド」

「……そうだったな」

セイは一応の納得を見せた。

「何だよ、唐突に」

リョウは笑ってやったが、今はこの弟の気持ちが痛いほど分かるのだ。仕方なく、セイは白状した。

「何か……光の民は、無理やりオレ達を“勇者”なんてものにしてないか?」

その言葉は、記憶喪失前のセイが発したもののようでもあった。

「(その通りなんだろうな)」

とは言うに言えなかったが、リョウは少し笑っておいた。それを認めてしまうと、ただ虚しいだけなのだ――ただ、そんな冷めた気持ちが脳裏を過って、リョウにはやっと分かったことがある。

「(セイがずっと感じてたのは、この虚しさなんだろうな)」

そりゃあ捻くれた上に捻じ曲がった性格になるワケだ、と合点がいったリョウは思わず吹き出してしまったのだ。

「でも、何とかなるもんなら、何とかしたいだろ?」

しかし、弟からはすぐに返事はこなかった。多分、この辺りが、この双子達の相違点なのだろう。

「よく分かんねェ」

やっと帰ってきた弟の表情には、困惑の色があった。

「……あまり、考え込むなよ」

せめて、リョウは言ってやった。“勇者だから”とは、どうしても言えなかったし、これからも言うことはないだろう。

「そうだな」

そこでやっと、セイは荷を下ろしたのだった。

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