第13話 波紋(1)
(1)
サテナスヴァリエ首都・アンドローズにある「魔王城」とも呼ばれているアンドローズ城(パレス)は、闇の民の王族の住まいである。
パレス最上階の王間に、魔王軍第三部隊隊長にして『四天王』の一人、アレスが召喚されていた。
「ランダの子孫は、絶えていなかったのですか?」
魔王からの報告に、アレスは自分の耳を疑った。
ランダの最後の末裔とされていたセレスの暗殺事件から15年という月日が経っていた。寿命の長い闇の民にとって長いスパンとは言い難いが、ランダの血族は絶えていると、誰もが思い込んでいたからだ。
「ソニアから報告があった。セラフィネシスという町で発見されたそうだ」
魔王・リノロイドは苛立ちを隠さない。ランダと直接戦ったこの女王ならば、それは無理からぬこと、とアレスは思う。自分が此処に召喚された理由など、とうにアレスには見当がついていた。
現在、ランダの子孫達はセラフィネシスに留まっているという。セラフィネシスは、アレス率いる魔王軍第三部隊の管轄の基地があるジェフズ海に近い。
「勅令だ」
と魔王は切り出した。
「早急にランダの子孫を捕縛せよ。闇の民の王の名において、我が直々にき奴等に引導を渡す」
魔王・リノロイドは直接ランダの子孫という「勇者」に手を下し、魔族による一種支配への布石としたい目論みがあるのだろう。
「御意のままに」
殺してはならない事を肝に銘じ、アレスは頭を下げた。口調の尖り方からして、主君の機嫌は相当悪い、とアレスは分析する。ここまで順風満帆で来ていた魔王軍の活動に支障をきたすほど、ランダの子孫というのは厄介なバグであることがアレスにも窺い知れた。アレスはランダの事を、光の民のお伽話の主人公としてしか知らないのであったが。
「もし、失敗する事があれば、お前は命をもって償わなくてはならない」
それにしても、何時に無く感情的な魔王の言動に、魔王側近達がどよめくほどであった。主君の機嫌をこれ以上損ねるわけには行かないので、アレスは早々にジェフズ海へ赴く必要がある。彼女はもう一つ、「御意」と応え、そそくさと王間から退出した。
その一連の動静を、注意深く「観察」して居た者が2名あった。一人は、リノロイドの側近で、魔王軍とは別に魔王を守護・補佐する内務省という役所の長官・ツェルスという女であった。彼女は、士官学校を主席で卒業し、着々と軍事高官職を渡り歩いてきたハイエリートである。ただ、主君の信頼を勝ち取り、魔王勅命軍に残ったのは、士官学校に突如現れたアレスとアリスという、修道女上がりの双子の姉妹だったが。彼女は、いわば後輩という立場のアレスの後を追うように、王間を静かに離れた。
そして、もう一人。
「(命を懸けろとは、穏やかじゃないだろ!)」
フィアルはあくび涙を拭って眉を顰めた。こともあろうか彼は、王間の屋根でサボタージュ中だったのである。
「ドイツもコイツも、何考えてんだか」
『四天王』の一角であるアレスは、剣にも魔法にも精通し、頭脳明晰で人望が厚い、所謂「リーダー」を絵に描いたような人物である。命を懸けろなどと魔王は言うが、魔王勅命軍にとって、最も欠いてはならない人物がアレスだという事ぐらいは見失って欲しくなかった。わざとらしくそう呟いてみたフィアルは、漸く立ち上がると、瞬間移動呪文(テレポート)で何処かへと向かった。
王座のリノロイドが、その彼の気配を拾っていた。
「フィアルめ」
リノロイドは溜息をついた。近くにフィアルが潜伏していることなどは百も承知なのだ。逐一彼を咎めないのは、魔王がそれを欲さないからだろうか、関心が無いからだろうか。
セラフィネシスの一件から、魔族軍の動きが慌しくなってきた。
(2)
「はァ!?」
旅立つ前であったが、相変わらずリョウは吠えていた。
「どうしたんだ一体?」
昨晩の酒が残った頭を初夏の朝の風で冷やしながら、ウルヴィスが尋ねた。
「だってセイが魔法全く覚えてないって」
リョウも若干酔いの残る頭を掻き毟りながら説明した。
「覚えてねぇもんは覚えてねぇ。大体、魔法を使う光の民の方がよっぽど珍しいじゃねぇか」
セイの言っていることは正しいのだが、これからの戦いに勝ち続ける為には、あのセイの魔法キャパシティーは必須条件となる。リョウは諦めきれない。
「だけど、お前ちゃんと魔法で砂の虎を」
「知らん! 何度言えば分かるんだこの低能!」
記憶の事で追及されるのは煩わしくて、セイも口調が尖る。ただ、“低能”という訊き馴染んだフレーズも飛び交うようになった最近の口ゲンカにつけ、戦闘中の剣の扱いにつけ、遅かれ早かれ、セイの記憶は戻りつつあるのかもしれないという明るい兆しも無いわけではない。リョウは、そこに懸けることにした。
「戻んねえなら戻んねえ方が平和で良いけどなー」
半分本音で半分建前という複雑な台詞を吐いた兄に、早速セイが噛み付いた。
「記憶戻ったらまっ先に叩っ切ってやるから、首洗って待ってろよ」
記憶が戻ろうが戻らなかろうが、ケンカが達者な方はセイである。ウルヴィスもこの双子の事がよく分かってきた。
「ハイハイハイハイ! 止めろ止めろーッ!」
ウルヴィスが強引に割って入り、双子達はムッとしたままそっぽを向いた。しかし、こういう時の仕草は、これほどケンカの絶えぬ二人でも図ったように同じだから、何だか微笑ましい。
「鳥の姉ちゃん、コイツ等、いつもこうなのか?」
ウルヴィスはやり場のない苦笑をリナに向けた。
「飽キナイダロ?」
彼女は溜息をついた(と思われるような仕草)後、こう続けた。
「リョウ。セイノ記憶喪失、一時的ナモノ。命ノ危険ナイ限リ、魔法使エナイカモ」
リナはそう分析しているようだ。
「じゃあ、瀕死になんないと魔法使えないのか?」
難儀だなあ、と唸るウルヴィスに、リナは静かに頷いた(と思われるような仕草をした)。魔王を倒すという旅である以上、常に危険は付きまとうだろうが、常に命を危険に晒す訳にも行かない。
「じゃあ、」
リョウが挙手した。
「もし敵が現れたら、オレがセイを剣で突いてダメージを与える。そうすればさっさと魔法も使えるし、オレのストレスも十分に解消」
リョウが説明し終わらないうちに、
「そんな事やってみろ、魔王の前にお前殺ってやる」
セイは普通にしていても鋭い目じりを更に吊り上げ、兄を睨みつけた。事の重大性の認識は、この二人にはあまり無いようだが、それで良い。リナは羽根を広げた。
あの赤い花の“毒”が嘘のように消え、セラフィネシスにも復興の兆しが見え始めた。あの事件以来、約二日間かけて、リョウ達は傷を癒し、今これからセラフィネシスを出るところだ。
「さて、そろそろ行きますか!」
リョウが背伸びした。セイも道具袋を取って肩にかけた。リナはリョウの肩に止まった。
「じゃあな、ウルヴィス!」
リョウは手を振った。
「ああ、魔王倒したら、絶対また来いよ! そんときゃ、オレの彼女拝ませてやっからな」
ウルヴィスも大きく手を振った。
「ほぉそりゃあ楽しみだ!」
更に大きく手を振るリョウに合わせて、セイも手を揚げた。
「絶っ対戻って来いよ! リョウ! セイ!」
一つの出会いと別れを胸に、また、彼らは旅に出た。
(3)
まだ復興途中のセラフィネシスは交通の便が悪く、市門を出るまでに数日を要してしまったが、この日までは、順調に旅は進んでいた。
「この森を抜けると、ダーハってトコに着くな」
リョウが地図を確認する。休憩無しというハードスケジュールになるが、今日の日暮れにはダーハの町に到着できるだろう。
地図上の線を目で辿ったリョウは、聞いているのか否か分からない弟に、見通しを説明する。ダーハで何をしようとしていたのかは、記憶を失う前の弟に聞かなければ分からないが、船がどうのと言っていたような気はする。
「あ、」と小さく声を上げ、セイが立ち止まった。
「何だよ、また死体でも発見したのかよ?」
リョウも弟に合わせて立ち止まった。
「人がいる」
山育ちで目が良いセイは、十数メートル先の木陰を指差した。黒い外套に身を包み、亜麻色の髪を肩で束ね、煩いくらいたくさんのピアスを付けた男が、ちょこちょことこちらを窺っている。隠れているつもりなのかも知れないが、生憎彼は7尺足らずのスラリとした長身。どうしたって目立つ。
「あのさ、そこのお兄さんは、ひょっとしてフィアル?」
リョウがそう叫ぶと、その男は、スッと消え、今度はリョウ達の目の前に立っていた。
「ちぇっ、驚かせようと思ってたのに」
魔王軍第一部隊隊長は舌打ちし、口を尖らせた。相変わらず、ユルい男だ。
「リョウ、こいつは?」
ソニアやアデリシアと同じ、魔王軍幹部の紋の入った制服を見たセイが警戒し、間合いを取って兄に問う。
「あぁ、魔王軍の隊長さんで、フィアル」
リョウがこう紹介すると、セイは剣を取ろうとした。
「コワーイ!」
そんな奇声を発してリョウの陰に隠れて見せたフィアルの態度に面食らったセイは、思わず剣の柄を下ろした。間も無く、この判断は正しいことにセイは気付いた。フィアルに戦う様子が無いこともあるが、何より、横のリョウが完全に警戒を解いていたからだ。
「しかし、まさかのまさかでお前らがランダの子孫だなんて……本当、世の中おかしいよなぁ」
どうやらこの男にまで、リョウとセイがランダの子孫であることが知られてしまっているらしい。組織で戦う魔王軍の情報網はダテでは無い、とリョウは戦慄を感じたが、どうも、フィアルについては第一印象から好感が持てたので、
「ああもう、それ聞き飽きた聞き飽きた」
と、ふて腐れて笑ってみせた。案の定、フィアルも嬉しそうに笑うのだった。
「リョウちゃんも相変わらずだなぁ、普通、オレとハチ会う光の民は、大概逃げるか攻撃するかなのにさァ」
それを言うならこのフィアルという男も相当な変わり者だ。目の前にいるのは、魔王軍がこの15年間血眼で捜してきた「ランダの子孫」なのに。
「フィアルが目立ちすぎるから、皆ビビっちまうんじゃない?」
「そんなぁ。オレはこんなに慎ましいのに!」
談笑する兄と魔王軍隊長――この兄から直々に、「魔族は敵」だと教わったセイには不思議な光景だった。だから、つい、
「何故、和んでるんだ?」
セイは尋ねてみたのだ。
「えぇっ! セイってばオレのコト忘れたの? お兄サンは悲しいゾ」
フィアルがセイに抱きついたので、セイは必死でもがいた。
「フィアル、セイは記憶喪失になってなぁ」
リョウはそれだけを伝えた。
「まだこんなに若いのに……お労しやっ!」
同情したフィアルに更に強く抱きしめられたセイは、とうとうぐったりしてしまった。
「もしもし? 大丈夫かい?」
「……!」
セイは平謝りするフィアルを睨んでみた。心配そうに覗く碧眼に悪意は感じ取れない。どうやら害意は無いようだ。この男も兄同様、全く警戒を解いている。それが何故なのかを問う前に、フィアルの方から勝手に話を進めてしまう。
「あ、そうそう、良いネタがあるんですよ、兄さん方」
まるで胡散臭いダフ屋のような口ぶりで、フィアルは数枚の資料を取り出した。どうやらそれが本題のようだ。
「これを見てくれ」
リョウとセイはその資料を見て驚愕の声を上げた。
「フィアル、これ全部柔文字で!」
「内容の方だよ!」
フィアルはムスッと突っ込みを入れる。
“ジェフズかい にて ランダのしそん ふたりを かいしゅう する ”
文頭それから始まる文書は、紛れもなく魔王軍第三部隊の実行者会議の議事録の写し書きである。文末には、実行者の欄、そしてそこにはしっかりと、
“アレス”
という文字があった――また、『四天王』の登場だ。
「ジェフズ海っていったら、これから行くダーハの町に面した海だよな?」
リョウは地図を確認しながらそう言った。セイは黙ってその資料に見入っていた。
「仕方ないけど、目的地変えた方がいいかな」
リョウが溜息をついた。
「いや、ここを見ろ」
セイが二枚目の資料を指差した。
「えーと、ランダの子孫がこれを無視した場合、ダーハの街に総攻撃を仕掛ける……って、本気かよ?」
リョウはフィアルを見た。彼は申し訳なさそうに笑って、頷いただけだった。
「アレスというのは?」
アレスについての予備知識を失ったセイが、フィアルに質問した。
「魔王軍第三部隊及び、戦闘指令隊の隊長。軍ではトップクラスの優れた能力を持ってる、四天王の中でもエリート中のエリート――」
説明の途中だが、フィアルの表情は見る見るうちに変わっていった。
「……というのは赤の他人の言うことで、頭でっかちのやかましい女で、それでいて狂暴で、人が寝てりゃあ水ぶっかけたり、強化魔法球(ブラスト)ぶっ放す、とんでもねぇ女!」
フィアルは、何か忌々しいものを思い出すかのように説明した。
「(ヤなコトあったのかな?)」
リョウは呆気に取られてしまっていたが、それはさておき、非常に厄介な事になってしまった。不安げな表情の双子達に、フィアルは、
「大丈夫、大丈夫。お前ら強運だから、きっとまた、うまい具合に解決するって」
と、笑いながらそう励ましてくれた。相変わらず良い奴だ。でも――ふと、リョウは気になった。
「でも、何でこんな機密情報をオレ等に教えてくれるんだ?」
先刻からリョウと同じ疑問を持っていたセイも、渡された資料からフィアルへと視線を移した。こんな他愛も無い問いかけに四天王たる彼が何を恐れたのかは分からないが、彼の碧眼が怯んだような色を見せたのだ。それを遮る瞼が一度瞬くほんの合間に、
「それは内緒」
などと、またもおどけてみせた彼が、ニンマリ笑ったことで、真相は有耶無耶にされた。不自然な態度ではあったが、リョウとセイは追求を避けた。訊かれたくない事をあえて訊くことも無いと思っているからだ。まるで友人にするような、それである。
「あぁ、そうそう。その資料には載ってないけど、もう一人、ツェルスって奴を付け加えておいて。こいつが一番あれがこれなもんで……うーんと……いやあ、まぁ、どうかなぁ……」
ニヤリと笑ったフィアルが資料越しにチラチラと双子達を見た。
「何だよ、気になるじゃねぇかよ」
リョウは一応突っ込んだ。言って差し障りが無いことならば、フィアルはきちんと話してくれる筈だから、という確信が、根拠も無くリョウにはあったのだ。
「あ! そろそろ会議の時間だ。じゃあな、お二人さん。健闘祈っとりますぜ!」
また忙しなく何処かへ消えてしまったフィアルのお陰で、キーパーソンがツェルスという者であることは判った。
「あーあ。本当厳しいな、ランダの子孫って」
リョウは再び溜息をついた。前のセイみたいに言ってみたいものだ。「面倒臭え」と。
「行くのか? ダーハへ」
行かなければならないことは分かっているが、あえてセイは問う。案の定、兄からはなかなか返事が無かった。見兼ねたリナが、「リョウ?」と声をかけた。
「挑発に乗んなきゃ、ダーハの町が壊滅だし。ただ、」
おかしなタイミングだが、リョウは背伸びした。心地の良い森の風を身に受けて、最早、飲み込めなかったネガティブな言葉に塞ぎそうな気持ちだけでも払い飛ばしたかったのだ。
「ヤな予感がする」
根拠は無いが、リョウもセイも、強い不安を感じていた。
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