第11話 ワルキューレ(1)
(1)
見るからに戦う術を知らないだろうウルヴィスは、虚ろな目を北の空に向けて佇んでいた。
「アンタ、まだ大丈夫なんだろうね?」
リョウとセイが此処を離れた頃合いを待って、リナはウルヴィスに確認した。
「実は結構ヤバかったりして」
何とか気を取り直したウルヴィスは、銃口さえ爛れて使い物にならなくなった火炎銃を放り投げ、二本目の銃と取り替えたところだ。効率が悪いが仕方ない。彼は、ただの大工見習だ。魔物の大群、ましてや四天王・ソニアと戦えるキャパシティーなど持ち合わせている筈が無い。先に無茶無謀だと言っておいた方が優しかったのかも知れないが、ここで気が付けたならば引き返す道などいくらでもある。
「私の後ろにいなよ」
リナはそう言うと、魔物の屍から大きなウロコを剥がして来て、ウルヴィスに装備させた。
「(こっわ!)」
ウルヴィスはそう思ったが黙って彼女を見守った。どうやらそのウロコは耐炎性の盾の代わりになるようだ。リナが魔法を繰り出したので、術者(ユーザー)の予備知識など無いウルヴィスにもよく分かった。
『天国への招待状(フロムフィーバス)!』
一瞬にして光がリナの手に集まった。風属性魔法分子が光を放ち、負のチカラを呼び寄せている。リナの詠唱が止むと同時か、今にもウルヴィスに襲い掛かろうとしていた魔物達が、大爆発し、影も形もなくなってしまった。
「うわっ!」
防御していたウルヴィスの体も弾き飛ばされそうな程の風が吹き荒れている。
「大丈夫だったか、ウルヴィス?」
簡易の結界呪文も知らぬ大工見習いの為、リナとしてはかなり気を遣ったつもりであるが、
「死ぬかと思った」
ウルヴィスはそんな脆弱な返事と共に、完全に酸素と化合したその「ウロコの楯」を放り投げた。彼にしてみれば、目の前で大爆発が起こり、数十の魔物を灰燼に帰していったのだ。訳が分からないのは無理もない。
リナの豪快な攻撃呪文の効果は覿面(てきめん)で、魔物達は一様に怯み出し、次々と前線から後退し始めた。
「何だい、情けないねぇ」
一体この麗女がどういった目線でこの修羅場を眺め回しているのかはさておき、ウルヴィスは漸く安心して座り込むことが出来た。
「(貴女の敵じゃなくって良かったです!)」
ウルヴィスは心の底からそう思っていたが、あえて黙っていたという。
「本当、同じ闇の民として情けないわ」
ふと、リナは背後から声を聞いた。聞き覚えのある声だと思ったら、昨日ここに来ていたアデリシアである。
「昨日の美人!」
ウルヴィスはすぐにリナの後方に控えた。いい加減、自分が戦場には場違いであることに、彼だって気付いているのである。
「美人と言われて悪い気はしないけれど、名前で覚えていただけないかしらね」
当然、アデリシアの標的も、最早脆弱な大工見習いではないようだ。
『四天王』・ソニアの副官であるアデリシアが、昨日あのような形で軍に戻ったのだ。今日のこの茶番は全て隊長であるソニアの手筈であろう。彼女が指揮監督する魔王軍第四部隊が主力部隊の魔法部門を補佐するに過ぎない性格であるということから察すると、ランダの子孫の抹殺指令がソニアに直接下されたとは考え難い。ランダの子孫が生き残っていたことは、魔王の耳にはまだ直接届いてはいないと見るべきだ。これが何を意味するのかを、リナはよく知っていた。
「ヤキ入れ上等だが、アンタも身の程は弁えて来たんだろうね?」
だからリナは敵である彼女に多少の気遣いを見せた。昨日はリョウ達を守る為に、加減もせずに致死相当量の魔法を使った。そもそもアデリシアが優れたユーザーであった為、直撃こそは免れたが、一日程度の休養で回復するようなものではない。
「心配ご無用。例え闇の民でも、光の民の味方をする輩には、全て死んでもらうのだから」
アデリシアは円盤を召喚してみせた。
「そんな……」
魔族は同胞でも殺し合うのか、と義理堅い職人町育ちのウルヴィスなどはぞっとしてしまった。
「ウルヴィス、下がってなよ」
不安そうなウルヴィスを庇うように前へ出たリナは、
「ケガ人に手加減する程、私は甘くないよ?」
と、釘を刺しておいたが、それはプライドの高いアデリシアを挑発しただけだった。
「勝ってからモノを言いなさい!」
かくして、再び戦いは始まってしまった。アデリシアから投げつけられた円盤を躱わしたところ、今日は追いかけてくる様子はない。その代わり、地中から複数の殺気を感じたリナは、着地したばかりのその場を飛び退いた。その瞬間、地中から刃が無数に飛んできた。
「ふぅーん」
リナは飛んで来た刃を躱わしきれずに左腕を浅く切られてしまった。
(2)
昨日と同じ手は喰わない!――アデリシアはリナの着地点を狙って刃を飛ばす。躱わし難いことこの上ないが、リナも闇雲に飛んでいるわけではない。
「要領の悪い女だね」
躱わしながらも間合いを少しずつ詰めていたリナは、向かってくる刃を簡易魔法球で相殺するなり、アデリシアの間合いに飛び込んだ。
「(速い!)」
アデリシアは虚を付かれてしまった。リナは魔法にも精通しているが、接近戦の方が得意なのだ。それはなかなか闇の民の、そして女性のユーザーには珍しいことだった。
「くッ!」
一般的な魔族女性ユーザーと同じく、接近戦の術がない彼女はとっさに目を閉じる。
「アンタじゃ私を仕留めきれない」
為す術を失ったアデリシアの眼前では、リナの召喚した炎属性魔法分子が強い負のチカラを放っていた。
「笑止ッ!」
アデリシアはとっさに簡易魔法球を投げ付けた。これも魔族女性ユーザーの定石である。
「分からない女だね!」
リナは向かってくる簡易魔法球をさらりと躱わして見せると、防御の遅れたアデリシアの背後に回る。
「!?」
戦士として圧倒的に身のこなしに長けたリナに対しては、絶対的にアデリシアの方が不利なのだか、プライドの高い彼女はなかなかそれを認めたがらない。仕方なく、リナは魔法の詠唱を解除し、アデリシアの首筋にダーツを立てて威嚇した。
「無駄な殺生は避けたい。ソニアがどこに行ったか教えて貰おうか?」
「教えるくらいなら、ここで死ぬわ!」
アデリシアは魔法分子でナイフの結晶を作ろうとしたが、
「粋がるんじゃないよ!」
それよりも早く、リナがダーツでアデリシアの左肩部を刺した。
「痛ッ……うッ!?」
アデリシアはその場に伏すと同時に、彼女の手に握りしめられていたナイフ状の魔法分子が緩やかに結合を解き、音も無く消えていった。
「南へ戻って、大人しくしてな」
リナの言葉の意味するところは直ぐに分かった。丁度鳥の羽を模ったダーツの針には麻痺性の毒が仕込まれているらしい。アデリシアが動けば動くほど毒が回り、彼女は動きを封じられていくだろう。
「情けなんか不要よ! 裏切り者!」
悔しさのあまり涙を流すアデリシアの強い気持ちに気圧され、ウルヴィスなどは呆気に取られてしまっている。
「ごめんごめん」
リナは鼻を鳴らしてそう言って見せた。勿論、彼女は謝れば良いなどと思ってはいないし、謝る必要があるとも思ってはいない。
「姉さん、……良いの?」
今なら敵にとどめを刺せるチャンスじゃないか、と思ったウルヴィスがリナに声をかけた。
「とどめを刺して、どうする?」
しかし、そう切り返したリナは少し笑っただけだった。腑に落ちないウルヴィスだったが、リナの続けた言葉が彼を納得させた。
「魔王軍なんてものもな、戦災孤児達の溜まり場のようなものなのさ」
きっとアデリシアという女も光の民に親を殺され、孤独になった挙句に戦士になったのだろう――リナはそう説明した。
「え……」
ウルヴィスは戸惑う。この光の民にとって凶でしか無い魔族の女の境遇が、自分と似たものだと言うのだ。
「そうでなければ、たかが闇の民が、大量殺戮など出来はしないんだよ」
ウルヴィスはまだ取り乱しているアデリシアを返り見た――彼女も自分と同じ?
「何故? 何故なのよ?!」
アデリシアはリナに問いかけた。
「どうして光の民に味方できるのよ?! あんな外道共の仲間に……!」
同じような疑問を魔族に対して持っていたウルヴィスが愕然とする横で、リナは戸惑うことなくあっさりと答えた。
「私は光の民の味方をしているつもりなんて全くないよ。ただ、私と共に生きる者が正しいと思うから、私は彼等の考えに従い、共に行動する。それだけだ」
(3)
どのくらい走らされただろうか。
走る度に景色は岩肌をむき出しにした荒れた地へと移って行く。ソニアは広い荒野の中央まで来ると、図ったようにフッと止まった。
「さあて、貴方達のチカラ、拝見させてもらおうかしら」
ソニアがくるりと振り返り、ニコリと笑った。相手が魔族でさえなければ充分愛嬌のある彼女と対峙したリョウとセイは、幾らかの戸惑いは感じながらも剣を抜いた。
「来るなら来やがれ!」
リョウが声を荒げた。荒ぶる若年の“勇者”を「ハイハイ、お待ちなさいね」などと往なしたソニアは、懐から何やら種のようなものを取り出して地面に投げつけた。
『召喚・砂虎獣(アッシュタイガー)!』
短いソニアの詠唱に応えるように、“種”を蒔かれた大地が盛り上がる。双子達が呆気に取られている間に、砂の中から大きな虎が現れた。否、
「何だ?」
獣(ケモノ)には見えるが、獣そのものではないようだ。土から現れたそれは、虎よりもはるかに大きい上、凶気に満ちている。
「彼は、私の忠実な部下の一人よ」
戸惑う双子達を見て、ソニアの微笑みは冷笑に変わる。
「“忠実な部下”ってことは……」
息を呑むリョウ達の頭上に大きな陰が過る。虎のバケモノはリョウとセイに襲い掛かってきたのだ。
「畜生め」
先ず躊躇なく踏み込んだセイが“虎”の左腹部を浅く斬りつける。流石というべきか、無謀というべきか、背面の死角からどうにか腕力で“虎”の首もとによじ登ったセイは、振り落とさんと後脚で立ち上がった“虎”の首に刃を叩きつけて切断した。すると、たちまちに首も胴体もすぐに砂となり、地面と同化していった。
「へぇ、上手ねえ」
ソニアはゆっくり瞬きをした。
「そんな無茶苦茶、今度は知らねえぞ?」
振り落とされたセイに駆け寄ったリョウは大きく溜息をついた。やはり、“虎”の爪の餌食となっていたセイの右肩から胸部は衣服も皮膚も裂けて血塗れである。回復呪文をかけるついでに、リョウは詰ってやった。
「働いてからモノを言いやがれ」
身体だけは戦い方を覚えているのだろうが、それを殆ど思い出せないセイは、彼なりにもどかしいらしい。当面はリョウの回復呪文を頼りに感覚を取り戻すしかないのだろうか、と彼は溜息を吐きかけた。
「まだよ」
とソニアが呟いただろうか。セイの目も、リョウの背後に絶望的なものを捉えたところだ。
「――リョウ、まだだ」
土と同化したように見えた砂の虎が、何と再び結合し始めている。リョウとセイは慌てて間合いを取った。
「残念ね。彼は、剣撃じゃあすぐ結合して元戻りなの。ちゃんと魔法を使ってね」
ソニアはケラケラ笑っている。7年厳しい修行したところで全く歯が立たない上に、嘲笑まで食らって、リョウには面白くなかった。
四天王・ソニアには戦う素振りが見えないので、それはそれでリョウは内心ホッとはしていたが、
「(この劣等感は何時まで続くんだろう)」
彼は思う――こうしている間にも、ソニアはこの町を壊滅寸前まで追い込んでいるというのに。
「あーあ、面倒臭ェ、お前がやれ」
セイはまたも溜息をついて兄に振った。こんな時に“面倒臭ェ”と言ってしまえるセイは、ある意味、本当に大物なのかもしれないが、近親者・兄としては迷惑極まりない。
「もう何でもかかってきやがれってんだ!」
リョウの何かが吹っ切れた。これはいわゆる自棄(やけ)である。勝機が見えたわけではないが、二人を狙って虎のバケモノが飛びかかってくるのだから、仕方がない。
『光属性魔法球(スパイラルグレア)!』
リョウの詠唱開始と共に、指先に光が集まった。先日盟約を結んで初めて扱う光属性魔法分子である。それらは瞬く間に負のチカラそのものと替わり、“虎”に真っすぐ伸びて、バケモノを形作っている砂と砂との結合を風化させ、バラバラに壊した。
「これでどうだ?」
リョウとしても、絶対元素の『光』属性の正式継承者となったばかりで、力加減が分からない。リョウは息を切らしていた。少し疲れを感じたが、“光の加護”により今まで以上に負のチカラを発動することができたことに先ず驚く。ただ、
「(何だろ……こんなもんだっけ?)」
リョウの胸の奥の奥に、まるで満たされない何かがあるような、不気味な違和が残った。祈るような気持ちで、リョウは自分の呪文でバラバラになってしまったバケモノの手足を見た。
「(動くな……頼む!)」
しかし彼の期待は裏切られてしまう。
”虎”を模っている大地属性魔法分子が然るべく働きかけ、バケモノはまた蘇る。
このような偶像を確固たる生命体と呼ぶべきではないのかもしれないが、リョウ個人の意見としては、ケモノの姿をしたそれを攻撃し続けるのは、正直気が引ける。そんな甘い事を言えるほどの手練の戦士ではないが。
「駄目か」
リョウは大きく溜息をついた――これ以上強力な呪文があっただろうか。あったとしても、このバケモノを、そしてソニアを凌ぐものだろうか。
「ランダの子孫と聞いていたけれど、随分情けないのね」
血の通わぬ土偶さえも破壊できないだなんて、と呆れたソニアも溜息を遣した。
「(でもこの程度なら……)」
――ディストが手を下すまでも無いだろう事に、ソニアは少し安堵した。
「おい、次」
リョウの中で勝機といえば、傍らの尊大な弟だった。
「あ?」
単に「次」と呼び出されただけでは、セイは怪訝な表情を兄に向けるしかない。
「魔法だよ、魔法っ!」
「魔法……ってこれか?」
セイは一つ溜息をついて、腕を伸ばす。
『大地属性魔法球(コズミックダスト)!』
詠唱や魔法属性こそ違うものの、セイの両手からはリョウが放ったものと全く同じ構造をした魔法分子の結晶が発現した。それはそうだ。セイはリョウに教わった魔法しか知らないのだから。
「何だ? 不満か?」
「いえ、結構です」
見つめあった二人の間に沈黙が走る。その沈黙を破ったのは、かのバケモノだった。
「誰も休んで良いなんて言ってないわよ」
眉を吊り上げたソニアの意図通り、虎の土人形は大きな爪をつき出し、リョウに向かって飛び掛かる。
「くっ!」
6尺はある長身の割にスピードだけは自信のあるリョウは、何とか“虎”の爪を躱わしたものの、代わりに体当たりをまともに食らい、強く弾き飛ばされた。
「リョウ!」
しかし、セイが地面に叩きつけられた兄に気を取られた僅かな隙に、“虎”はセイの間合いに飛び込んだ。今、セイの眼前に襲い掛かる“虎”の大きな爪がある。絶望する間も躱わす余裕も無く、セイは“虎”の爪と牙を正面から受け止める格好となってしまった。
「セイ!?」
尋常じゃない振動と音を感じたリョウは、状況を確認すべく、立ち上がろうとした。
「え?」
しかし、打ち所が悪かったのか混乱しているのか、足腰に力が入らず、リョウはしっかり立ち上がる事もできない。
「セイ! 返事しろ!」
やむを得ず、リョウは弟の名を叫んだが、どうも返事はない。焦りと震えを鎮め、何とか身体を反転させて顔の向きを変えたリョウの目に飛び込んできたのは、何処がどうと説明できないくらい傷んだセイの身体から噴出す大量の血液だ。
「セイ!」
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