第10話 赤い花の咲く町(3)

(1)

 「アデリシアがやられたって?」

魔王軍第四部隊本部にて、セラフィネシスに実地調査に出かける準備を進めていたソニアは、サボタージュついでにお茶を飲みにやってくるフィアルからの報告に戸惑いを見せた。

「ああ、さっきオレんトコの部下が、緊急搬送されるアデリシアちゃんを見たんだって」

フィアルは軍役よりも、このようにお茶をご馳走になる代わりに業務上知り得た情報を同僚に提供する方が好きだという。彼の持ってくる情報はなかなか有益である為、ソニアも特にフィアルのサボタージュを咎めたりはしないし、茶ぐらいは提供しなければならないとも思っている。

「冗談きついわよ。並みの術者(ユーザー)じゃ束になってもアデリシアには敵わないわ。そうじゃなきゃ、ディストファンクラブ筆頭の地位は務まらないし」

それは違う激戦区の話だ、とか何とかふてくされ始めたフィアルに菓子まで勧めたソニアも、準備の手を休め、ソファーに腰をかけた。

「前半部分は本当よ。彼女の魔法分子の支配力と魔法の正確性は私達『四天王』以上のものがあるわ」

――確かに、とフィアルは思った。地中に潜伏したり、魔法分子を武器化したり、並みの術者(ユーザー)が一生かけて大成する技術を、アデリシアは若年で体得していた。しかしそれが戦士としての評価と直接結びつく訳ではない。そう反論しようとした丁度その時、ソニアの部屋の扉が開いて、倒れ込むようにアデリシアが入ってきたのだった。

「アデリシア! 本当にやられちゃったの?!」

ソニアの方が彼女に駆け寄った。サボタージュ中ということもあり、早々にこの場を立ち去ろうとしたフィアルだったが、

「セラフィネシスに、ランダの子孫が現れました!」

というアデリシアの報告に、思わず足を止めてしまった。

「何ですって!?」

ソニアは一度フィアルと目を合わせた。

「それは、確かにランダの子孫なのかい?」

ソニアの代わりにフィアルが確認する。

「連中の1人に、天使(セラフィム)が付いていました。かつてランダと戦った同志の中にもセラフィムがいたと聞いています」

絶滅した筈のセラフィムだ。前者と後者は同一人物であると考えるべきだろう。

「これは……間違い無さそうだな」

フィアルが口元を掌で隠す。その一方で、アデリシアの報告を信じきれず、否、信じたくなくて、ソニアは体中の力を抜いたように床に座り込む。ランダの子孫は、15年前に潰えた筈だ。“彼”の手によって。

「待って」

その場を離れようとしたフィアルだったが、ソニアに呼び止められた。

「まだ、……誰にも言わないで」

ソニアがフィアルを呼び止めた。

「ディストにも?」

これは機密事項に関わる部分だ。ソニアはアデリシアを気にしながら続けた。

「ディストが手を下すまでもないもの」

ソニアの言葉に、アデリシアも頷いた。

「そうですわ。それに、ディスト様には先例がございます」

アデリシアのふと出した言葉に、フィアルとソニアは凍りつく。

「前回は、リノロイド様の寛大なる御処置のお陰で、謹慎処分で済みましたが――次は恐らくは……」

――雲行きが怪しくなってきた。雲の流れる音が部屋中に響く。

「ここにオレはいないことになっている。だから、ソニアちゃんから、この件は上に報告してくれな」

それまでは、この件は第四部隊の管轄だよ――フィアルはそう言って部屋を出て行ってしまった。


 フィアルの軍靴の音が消えるのを待って、ソニアが口を開いた。

「連中の顔は覚えているわね?」

アデリシアは頷いた。それを確認してソニアは決断を下した。

「それじゃあ、なるべく早く傷と魔力を回復させること」

テレポートリングのストックはある。そしてどの道、近日中に自分もセラフィネシスに赴く予定だった。ならば……

「ランダの子孫とやらを痛め返してやりましょうか」

ソニアは拳を握りしめた。光の民達から“勇者”などと祀り上げられているランダの子孫。そんな者達に同胞が傷付けられたのだ。黙って上に報告し、安々と管轄から離れて納得できるわけが無い。

 フィアルはその様子をソニアの部屋の庇(ひさし)から聞いていた。

「それは大いに結構だけど、無茶はするなよ」

勿論、その呟きはソニアに届く前に風に撒かれて消えてしまうのだが。

 それにしても――

「(遂に、ランダの子孫が現れたぞ、リノロイド)」

フィアルは薄く笑った。

(2)

 「まだ信じられねぇよ。まさかお前等が勇者・ランダの子孫だなんて」

ウルヴィスは、ベッドに横たわりながらぼやく。

「ずーっと隠れて生きてきたもんで」

リョウはソファーに寝転がって嘆いた。野郎三人、今夜は雑魚寝だ。友達の家で寝泊りしたことなど無いリョウとセイにとってはこれも一つの冒険のようなもので、不思議とテンションも高く、何だか楽しくて心が落ち着かない。一方のウルヴィスも、家族を理不尽に奪われた孤独感から一時解放され、久しぶりに明るい気持ちで過ごせる夜となった。

「本当、兄弟いるって良いよな。オレ、お前らが羨ましくなってきた」

ウルヴィスはそう言って溜息をついた。戦争は無差別に人を孤独にする。この青年も犠牲者の1人だ。

 セミダブルのベッドの縦に対して垂直に野郎三人が寝転がる絵面は若干痛々しいが、これはこれで楽しい。どうしてもベッドの尺は足らず、落ち着かない膝から下をぶらつかせたリョウは「無いものねだりなんだよ」とぼやく。そんな彼も、今でこそ「兄」という立場であるが、ずっと前には「弟」と呼ばれていたこともある。セイと再会する、もっとずっと前の話であるが。

「100ゴールドでリョウをやる。今なら喋る鳥も付けるぞ。」

この通りの不穏な発言が弟から飛び出すと、ひょっとして彼の記憶は戻ったのではないかとリョウは錯覚してしまう。

「オレの価値は100ゴールドしかねぇのかよ!?」

怒鳴りながらリョウは思う。マオと二人で暮らしていたセイは、兄弟が欲しいと思ったことはあるのだろうか、と。

「うぬぼれるな。リナだけなら5000ゴールドは下らんだろう?」

殆ど抑揚の無いセイの口調では、リョウにケンカを売っているのかウルヴィスを気遣っているのかはよく分からない。

「え? ホント? 買う買う!」

ウルヴィスもそれに乗る。「オレはマイナス査定かよ」とか何とか喚き散らしたリョウは、背を向けて小さく笑ったセイの後頭部ばかりを見ていた。

「冗談だよ!」

ウルヴィスはそう言ってリョウに笑い声を返した。

「じゃあ、5ゴールドでも良い」

とにかく引き取ってくれ、とセイが言っている。

「お、それなら今払えるぞ!」

「ちょっと待てウルヴィス!」

セイの日頃の言動から察すると、リョウには今の弟の発言は冗談に聞こえないのだった。

「冗談だよ! ったく、進展しねぇなぁ」

ウルヴィスは笑ってくれたが、

「ち……売り損ねたか」

伸びをしたセイが低く呟いた声には冗談の色が無い。記憶があろうと無かろうと、彼には兄弟など必要ないのかもしれない。頼もしいような、寂しいような――リョウは左の手を握り締めて大きく一つ溜息をついた。丁度、セイと目が合った。

「床で寝た方が、むしろ寝易いんじゃないか?」

見れば、セイもまた膝から下をぶらぶらさせ、落ち付かなさそうにしていた。

「文句垂れずにゴロゴロしてろォ。その内慣れっから!」

ウルヴィスなどはゲラゲラ笑っている。

 この双子達には、友達と呼べそうな人間は一人もいない。ましてや、その存在を魔王軍からひた隠して生きねばならなかった彼等は、他人とこのように親しく話す機会なども殆ど与えられはしなかった。

 ある意味、リナが早々に魔王軍にランダの子孫の存在を暴露したのは良かったのかも知れない。

 この状態が、いつまでも続けば良いのにとウルヴィスは感じていた。しかし、ソニアをはじめとする一行の襲撃の日が、このセラフィネシスに刻、一刻と近付いていたのであった。

(3)

 その日は風が強く、セラフィネシスの住人は赤い花の“毒”を恐れ、誰一人として家から外へ出られなかった。

「今日の作業は無理だな」

ウルヴィスは窓を見て呟いた。

「となると、今日は暇になるな」

リョウは剣の手入れを始めた。真剣の手入れなど、数日前までの弟のしていたことの見よう見まねでしかなかったが、他人より少しばかり手先が器用なリョウは、弟よりは丁寧に仕上げている自負はある。その弟・セイは、真剣の手入れの仕方も忘れているのだろう、退屈そうにソファーに座っている。仕方なく、リョウは弟の剣の手入れを始めた。

そう、本当に何もない筈の一日だったのだ。

「敵ガ来ル」

それまでじっとしていたリナが、やおら警告した。驚いたリョウが顔を上げた瞬間、窓の外を見ていたウルヴィスが窓からさっと身を隠した。

「昨日の連中だ!」

リョウも目視でかのブロンドの美人を確認した。相変わらず魔物をぞろぞろ引き連れている。「ん?」と、セイから声が上がった。

「アイツは誰だ?」

アデリシアの更に後方から、背の高い黒髪の女性が現れた。黒い外套を細身の体に纏い、泰然と歩く様は「高嶺の花」そのもので、一際目を引いた。

「ソニア!」

ウルヴィスが声を荒げた。

 ソニア・ジル・ロイ――リョウでなくとも、世界中の誰でもが知っている名前だ。魔王軍第四部隊隊長にして、リノロイドより“大地の加護”を授けられた『四天王』の1人である。

「この毒草を使って、街を廃墟にした張本人」

彼女が母親を殺したんだ、と言い放ったウルヴィスは唇を噛んだ。

「『四天王』か」

と呟いたリョウは、自然の成り行きで、レニングランド郊外の森で会ったフィアルの事を思い出していた。

 呼吸さえままならないほどの殺気とそれが呼び寄せた魔法分子の“負のチカラ”の威圧感――彼等と戦わなければならないのかと思い至ったリョウは、途端に青ざめる。

「この家が囲まれてるようだな」

セイが声をひそめた。魔物がこの家を見据えたまま静止した。どうやらこの街のあらゆる場所に、魔王軍用のモニターが取り付けられていると見るべきのようだ。“勇者”の居場所など、手に取るように分かるのだろう。やがて、ソニアが一人、窓に近づいてきた。冷や汗を握りしめたまま、リョウは彼女と窓越しに対峙した。

「初めまして、ランダの子孫。私が魔王軍第四部隊隊長のソニアよ」

強い風に、ソニアの黒く長い髪は踊るように揺れた。彼女の魔族の象徴たる長い耳には魔王軍の紋が誇らしげに入ったピアスがあった。切れ長の鋭いその瞳は凛としていて、十数万人を擁する魔王軍の部隊長としての威厳があった。それは、ほんの数日前まで田舎の山奥で修行に打ち込んでいるだけの世界しか知らないリョウとセイには無いものだ。

「先日は、ウチのアデリシアが、えらく世話になったそうじゃない? 今日は私がそのお礼をしなきゃって、こうしてここまで来たってワケよ」

勝機を探ろうとしたリョウだったが、正直彼女の威圧感に負けてしまって、喉を突いて来るべき言葉を発せずにいた。

「Aの9区にいらっしゃい。落とし前つけてもらうわよ」

もし来なかったら、この街ごと消してやるから――ソニアはそれだけ言うと魔物の大群と共に消えていった。

「これだけメチャクチャやって、まだ足らねぇのかよ!」

ウルヴィスが机に拳を叩きつけた音で、リョウは我に返った。

「リョウ、セイ、オレも一緒に連れて行ってくれ! ソニアはお袋の仇なんだ! オレがこの手で引導渡してやる!」

感情的なウルヴィスにどんな言葉を掛けてやれば良いのか分からず、リョウは窓の外を睨みつける事しか出来なかった。

「あ……」

セイが何か言いかけて止めた。

「セイ?」

「いや、別に」

頭を押さえて黙り込んだ弟を見て、リョウはハッとした。封印されたセイの記憶がウルヴィスの「仇」という言葉に敏感に反応しているのだろう。暗黒護神使によるその封印は、イザリアの解放呪文(ディスベル)を以ってしてもびくともしなかったというのに。

「一緒に行こう」

リョウが決断した。そうさせてやれと、セイに言われた気がしたのだ。

「リョウ……サンキュ」

すぐにウルヴィスは靴紐をきつく結び直し、防毒マスクを取りに走った。

「だからって無茶はするなよ!」

リョウは念を押した――結局のところ生きていなければ、何の意味も無いのだから。

「何だ。生殺しか」

すぐにセイから失笑を買ってしまったが、止むを得ないとリョウは思う。

「だって無茶はオレ等の仕事だろ」

リョウの言葉にそこそこ納得したのか、「まァ、確かだな」とセイが剣を取った。果たして彼が兄をきちんと理解しているのかどうかは定かでは無いが。

「じゃあ、行くか」

リナの羽音と共に、一行は、ソニアの元へと急いだ。

(3)

 Aの9区という場所は、セラフィネシスでも最も被害が大きかった場所である。

 ここにはもう一人も生存者はいない。当てつけなのだろうか、魔物が荒らしたのだろう辺りには今も“毒”を吹く小さな赤い花が瓦礫の上に咲き誇っている。この街のシンボルであった時計台も、管理されていない所為か、針が動く度に不気味な音がする。今、この時計台の時計の針が正午を指した。低く外れた鐘の音が辺り一帯に響き渡った丁度その時、リョウ達は時計台の前に到着した。

「遠かったなァ」

リョウが額の汗を拭う。馬車など無いこの町で、かれこれ数刻ほど走らなければならなかった為、彼等は戦う前から体力を消耗してしまっていた。ソニアの狙いはそこにあったのだろうか。

「戦えるか? この状態で」

「多分無理だ」

――というのは大袈裟だが、少なくとも戦士ではないウルヴィスが十分に戦えないのは判り切った事である。その件については、リナから小声で「任せてくれ」とあった。彼女の頭の中では、この戦いの青写真が描かれているのだろう。つくづく、彼女には驚かされる。

「オイ、見ろよ」

セイが指差した先には、一目で昨日よりも多いと分かる魔物の山!

「わぁい」と、空元気を繰り出したリョウが魔物に陽気に手を振る横で、「面倒臭え」と、溜息混じりに人生を悲観するセイは相変わらず対照的である。そんな中、この双子ほど余裕の無いウルヴィスは慌ててしまう。

「こうなりゃヤケだ!」

ウルヴィスが先ず一本目の火炎銃を取り出した。

「若者のヤケは良くないな」

などとさらりと宣う年齢不詳のリナは、既に、いわゆる“鳥”から“天使”へ変化していた。リョウとセイは同時に剣を抜く。


 開戦の狼煙が上がった。

 魔物の数は半端ではない。ウルヴィスは花を焼くための火炎銃で魔物を焼く。リョウとセイはソニアを探しながら剣で魔物を切っていく。リナは魔法で魔物達を殲滅していく。積み上がるのは魔物の屍ばかり。何の進展も無いまま、徒に数時間が過ぎていった。

「(これじゃラチがあかねぇ!)」

リョウが焦りを感じたその時、時計台にリョウは人影を見た。

「(ソニアだ!)」

彼女は目が合ったリョウに不敵な笑みを返すと、そのまま下へ飛び降りた。

「え!?」

と、リョウはぎょっとしたのだが、ソニアは、真下に控えていた大きな蜂のような蟲に乗って時計台の向こうの方へと飛んでいった。誘っているようだ。どうやらセイも気付いていたようだ。リョウの方を一度見ると、ソニアが消えた北の空を指差して見せた。

「二人はソニアを追え! ここは私とウルヴィスに任せな!」

リナは敵を蹴り散らしながら叫ぶ。彼女もまた、気が付いていたようだ。

リナの指示に同意したリョウは、一度、向こうの方で戦うウルヴィスを確認した。黙々と魔物の退治に打ち込んでいる彼は、どこか怒りの捌け口を探している様にも見える。やっとリョウに気が付いた彼は、ニッと笑ってみせた。

「気にするな! ここはオレと鳥のねぇちゃんとで何とかする!」

彼がそう言ってくれたのが救いだった。リョウは気兼ねなく、セイと共にソニアを追いかける。

 北の空を切るように飛んでいた蟲が、高度を徐々に下げ始めた。

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