第9話 赤い花の咲く町(2)
(1)
商店街があったのだろうと伺わせる廃墟郡――ウルヴィスの住まいもその中の一つであった。双子達は彼の家の土間で消毒を受けた。ウルヴィスもそこでやっとマスクを取った。顕になった彼の派手な金髪は元の栗毛を脱色したものだ。彼も世が世なら、工具一つを持って修行先と人生の伴侶を求めに世界に繰り出す職人の生まれである。
ただ、彼の手には今、工具ではなく、武器が握られている。
「待っててくれ、茶でも淹れてくるから」
ウルヴィスは湯を沸かし、旅人をもてなす準備を始めた。客を招くのも久しぶりだと彼は言う。
「お前、一人で住んでるの?」
失礼は承知だが、つい、リョウは部屋を見回してしまう。命を狙われないよう、隠匿されて生きてきた為、彼ら双子の兄弟に同年代の友達などいない。
「今は一人で住んでるんだ。親父は徴兵、お袋はこの毒に殺られた。本当、魔族にゃ参るぜ全く」
その言葉の重たさに打ち拉がれて、暫くは沈黙となった。
「あの赤い花はいつ頃から?」
問題の解決を探る為、改めてリョウは問うた。「勇者」だからというよりは、単に光の民として持っている闇の民・魔族に対する嫌悪感に由来する。
「三週間ぐらい前かな、見たこともない赤い花が町中に咲き始めて。最初は珍しい花だって思うくらいで全然気にしなかったけど、赤い花が不気味なくらいに蔓延るようになってから、次々と死者が出たんだ」
ウルヴィスは悔しそうに首を横に振った。母親をこの毒で亡くしている彼にしてみれば、経緯の説明も辛いのだろう。遮ろうとしたリョウだったが、ウルヴィスは気丈に笑って続けてくれた。
「それが、あの赤い花の種の所為と気付いた矢先にはもう手遅れ。どうも調べてみたら、魔王軍が種を蒔いていったらしくって。あっという間にこの街の人口の半分が死滅していたってワケ」
ウルヴィスは紅茶を淹れると自分もソファーに座った。
「で、明後日、魔王軍第四部隊が定期検査に来るんだとよ。」
うんざりしたよ、と乱暴に吐き捨てたウルヴィス同様、リョウも強い憤りを感じていた。
「(魔王を倒すことが平和に繋がるのでないとしても)」
リョウは拳を握りしめた。海を隔てたこんなところまでやってきて、次々と人間の領土を損ない、殺戮を続けている彼等魔族の行いは裁かれなければならないだろう、と彼は士気を高める。
「(これこそが「勇者」が戦う為の当然の大義名分に違いない)」
そう弟にも説明を補足しよう、とリョウは先刻から全く言葉を発しなくなったセイを見た。彼は、兄のするように紅茶に砂糖を落としていた。普段、甘いものは口にしないセイを見ているだけに、何となくリョウは罪悪感を覚え、一切の言葉を飲み込んでしまった。
突然、土間の扉が開いて、騒々しく男が入ってきた。
「オイ、ナーガスっ! 急に入るな、毒が漏れたらどうするんだ!」
ウルヴィスが怒鳴る。毒の花の町に生きる者達は皆、生き延びる為に必要な工夫を凝らさねばならなかった。ナーガスと呼ばれた男は、申し訳無さそうに一言詫びを入れると、息を切らしたまま続けた。
「魔王軍がもう街に入ってるみたいなんだ! そこらじゅう魔物がウロウロしてる!」
それは衝撃的な報告だった。
「何だって!?」
ウルヴィスは立ち上がった。リョウとセイも剣を取った。丁度、ウルヴィスの友人知人達が同様の報告をしに土間に詰め掛けてきた。
「予定より早いぞ! どの辺りだ?」「Eの4区だ。」「やべえよ、この近くじゃねえか!」
一気にウルヴィスの自宅土間は騒がしくなった。どうも、ウルヴィスがこの辺りのリーダーであるようだ。
「分かった。お前等は休んでろよ!――って、ちゃんと消毒してからだぞ?!」
ウルヴィスは防毒マスクを着け、奥の部屋から火炎銃を取り出してきた。
「オレ等も行くよ」
リョウがそう言って、セイもそれに合わせるように頷いた。
「だけど……」
それでは客人に申し訳ない、と戸惑うウルヴィスに、
「大丈夫。少なくとも、お前が独りで行くよりはマシだって」
とリョウがニッと笑った。
「怪我しても知らねぇぞ」
正直、物好きな旅人だ、とウルヴィスは思った。廃墟同然の街で、無謀な戦いを挑む自分の助けを買って出るなんて――ウルヴィスにとっては、いかなる助けの手も有難かったのだが。
「怪我は上等。何か助けになれればって思ったから、オレ等この街に入ったんだ」
リョウは立ち上がった。セイは何も言わなかったが、その手はしっかり剣を握っていた。「勇者」ならば当然である。
“とにかく魔族を絶やさねば”
(2)
ウルヴィスの友人が言っていた通り、セラフィネシス・Eの4区と呼ばれる場所では、「調査」の名目で、魔物たちが家々を次から次へと破壊している姿があった。炙り出された市民が、茫然と立ち尽くしている。激しく泣くのは子供の声だ。それを聞きつけた魔物が、エネルギー確保のため、捕食しようと子供に襲い掛かる――まるで地獄のような惨劇が繰り広げられている。
「(こんな理不尽、絶対に許されて良い筈がない!)」
リョウは剣を抜いた。
ウルヴィスは、先ず一匹、そして一匹と慣れないながらも確実に倒していく。後方から静観していたセイも、漸く剣を抜いた。
「セイ、お前こないだ教えた戦い方まで忘れちゃねぇよな?」
少なからず、リョウは心配していたが、
「戦い方? 光の民以外を斬りゃ良いんだろ?」
セイはそう言ってニヤリと笑った。どうも彼の不敵な笑みは、リョウに嫌な予感を与えてしまう。兄の焦りをよそに、セイは手にした剣を大きく振り、次々と魔物を斬っていった。魔物退治というよりは、剣の切れ味を楽しんでいるようだ。
「オレ、セイってもう少し大人しい奴なのかと思ってた。」
ウルヴィスは、セイの背中に修羅を見ていたという。
「記憶を失っても正根は変わらねぇか」
リョウは呆れながらも少し安心した。セイの剣術はやはり実践向きだ。攻撃を楽しんでいるきらいはあるが、セイの斬撃は確かで、確実に仕留めてくれていた。リョウの方も着々と、そして確実に敵を倒しているのだが、記憶を失った弟の剣にも、やはり勝てる気がしなかった。
「これで全部か?」
かれこれ、3時間は戦っていただろうか。
「ホントにタフだな、テメェらは」
リョウとセイが、まさか英雄・ランダの子孫だということなど知らないウルヴィスは、呆れた顔をこちらに向けると地面に座り込んでしまった。
「別に疲れてねぇ訳じゃねぇけどな」
リョウは深呼吸した。マオとの修行の7年間はダテでは無かったようだ。談笑できる余裕はあった。
その時である。
「!」
殺気を感じたセイが、突然地面に剣を突き立てた。「どうした?」と声をかけたウルヴィスの足元を、セイは指差す。
「何だってんだよ?」
ウルヴィスが恐る恐る足元を見ると、丁度地面から手が伸び、ウルヴィスの左足を掴んだところだった。ウルヴィスは慌てて火炎放射でその手を焼いた。その手は、一時、地面に沈んだが、次に現れたのは、ブロンドの髪に赤のカチューシャをした綺麗な女性だった。
「誰だ?」
リョウがいち早く剣を構える。このような奇妙な呪術を使うのは十中八九魔族だからだ。
「魔王軍第四部隊副隊長アデリシア・G・フィンレントである」
名乗りを上げたブロンドの美女は、何と、魔王軍高官である。戦勝かと集まっていた住民達が一斉にどよめいた。
「下等民族のくせにナメた真似してくれたわね」
こう吐き捨てたアデリシアは、人間達をツンと見下している。何万人と光の民を虐殺した彼女のその態度が許せなくて、
「お前等魔族ほど冷血じゃねえんだよ」
リョウは負けじと言い返した。こんな時、記憶の戻る前のセイのあの悪態の付け方は参考になる。
「雑魚が言ってくれるわね」
アデリシアはやおら円盤を召喚し、リョウに向かって投げ付けた。リョウはそれを剣で受け止める。鋭く回る刃と剣の刃がぶつかる音と火花を残して、円盤の回転の方が止まった。リョウの剣の方が勝ったかと思いきや、アデリシアの方がニヤリと笑ったのだ。だから気付いたのだが、この円盤は、いわゆる武器ではなく、どうやら闇魔法分子の結晶であるようだ。
「リョウ! その円盤から離れろ!」
同じく、それに気付いたウルヴィスの声が緊迫を告げた。殆どそれと同時に、円盤が軌道を変え、リョウの外套を浅く切ったのだ。
「チッ、避けたか」
セイとアデリシアが呟いた。
「おい! セイ! テメェどっちの味方してやがるんだ!」
間一髪、危機から脱したリョウは冷や汗を拭った。
「リョウ、よそ見してる場合じゃねぇぞ」
セイは静止している円盤を指差した。
「(何も記憶は無いが、逃げ惑うき奴に薄笑みを向けてしまうのは何故だろう)」
疑問には思うものの、静観は崩さないセイは、まだ吠えている兄を見遣る。
「お前も見物してねぇで助けろっ!」
戦う兄をよそに、セイはちゃっかり涼をとりながら、「なぁに命令してやがる?」と言ってのけるから恐ろしい。
「(やっぱ正根変わってねェのかよ)」
リョウはしつこく向かってくる円盤を弾き返しながら嘆いた。
「二人共こんな時にケンカしてる場合じゃねぇだろ!」
ウルヴィスが叫んでケンカは中断された。この兄弟の仲の悪さは、どうやら筋金入りらしい。
「あら。助ける隙はないんじゃなくて?」
アデリシアはもう一つの円盤を、今度はセイに向かって投げ付けた。
「チッ!」
ペースを崩されたのが面倒臭く、舌打ちしたセイは、立てそうもないウルヴィスの服の襟を掴んで円盤を躱わし、そのまま走った。
「セイ、これはこれで苦しいんだけども」
当然、傍からはウルヴィスの方がセイに振り回されているように見えていた。
「じゃあ離すぞ、こっちだって重たいんだからな」
記憶が有ろうと無かろうと、セイは凡そ「勇者」などとは程遠い人物である。
「いや……このまま走ってくれ」
命には替えられない、とウルヴィスは妥協した。
「いつまで逃げられるかしらね」
逃げ惑う人間達を嘲笑うかのように、アデリシアはここに来て、更にもう一つ円盤を召喚したのだった。
「テメェ、幾つ持ってやがる!?」
現在進行形で円盤と格闘しているリョウがとうとう怒鳴る。アデリシアは余裕の笑みすら見せた。
「無限、ね。これは私の召喚した魔法分子が創り出した武器。遠隔操作も、簡単というわけ」
たった二つをどうすることも出来ないのに、と途方に暮れるリョウ達。もう殆ど絶体絶命の展開になってきた。このまま体力の限界まで戦い続ければ、魔族の地・サテナスヴァリエに足を踏み入れることなく敗北を喫してしまう。何とか打開しなければならない。焦り始めたリョウ達の目の前に、
「!?」
フワリと白い羽根が舞う。
「(何だ?)」
襲い掛かる円盤に気を付けながら、リョウは空を確認した。
それは、アデリシアが三つ目の円盤を投げようとした時だった。その腕に強い痛みを感じ、彼女は思わず攻撃の手を止めてしまったのだ。その腕には真っ白な羽根が刺さっている。
「誰!?」
アデリシアが気配を追う。その正体はすぐに見つかった。大きな白い翼を持つ、長い髪の女性――
「え!?」
――何ということだろう。現れたのは天使だったのだ!
(3)
天使は今、フワリと大地に舞い降りた。地表に彼女の足がつくと同時に、白い翼はスッと消える。
「え? 誰? 誰?」
一体この天使が何者なのか、リョウもセイも、ましてやウルヴィスにも分からなかった。
「消えてもらうわよ!」
攻撃の邪魔をされ、既にこの天使は味方ではないと判断したアデリシアは、躊躇なく彼女に円盤を投げつけた。天使はひらりと向きを変え、その間合いで羽根のようなものを召喚したようだ。勿論、円盤は滑らかに軌道を変えて天使へと向かってくる。そこで、天使は再度羽根を広げて空へと逃れた。
「無駄よ」
アデリシアは小さく微笑んだ。円盤は滑らかに軌道を変え、上昇して天使に狙いを定める。
「無駄だな」
と、天使の声が聞こえただろうか。しかし、天使は不意に下降し、追いかけてきた円盤の中心部分(即ち一番遠心力が小さい部分)に狙いを定め、手にした羽根を投げ付けて円盤の回転速度を殺した。
「小癪な」
円盤の動きが止まる。それに気付いたアデリシアは、推進力と再回転を再度遠隔操作しなければならなくなったのだ。このほんの数秒の間で“天使”は一気に間合いを広げた。
「私から行くよ!」
と叫んだ彼女の声は、リョウもセイも聞き覚えのある声だった。彼女の魔法の詠唱と同時に、そこらじゅうの魔法分子が一気に彼女に帰属し、双子達も見たことが無いほどの強大な“魔法分子結晶が炎の塊へと変容しており、身の毛がよだちそうなほどの負のチカラを放出している。
『天使の嘆きと悪魔の囁き(エンジェルハーツ)!』
天使は、四大元素の中でも炎の属性の魔法分子を扱える術者(ユーザー)であるようだ。彼女の攻撃呪文の詠唱完結の合図で、膨大な量の負のチカラを浴びた炎属性魔法分子はアデリシアに標的を定めた。彼女の制御を離れた魔法分子結晶は熱と光を巻き込みながら、アデリシアに撃ち付ける。
「バカな!」
直撃こそ免れたものの、防御が遅れてしまったアデリシアは幾らか炎の制裁を受けてしまった。同時に、司令塔を失ったリョウ達に向けられていた円盤が、音もなく消滅した。
「帰って魔王に報告しろ」
天使は声を張り上げる。
「――“勇者”を発見した、とな!」
天使の言葉は、敵方に自分を凌ぐ術者がいたことに茫然自失していたアデリシアに追い討ちをかけた。
「勇者だ、と? ……まさかランダの――!」
魔王軍が探していた“勇者”とは即ち、ランダの子孫である。そのランダの子孫は、そうの昔にセレスの抹殺により絶えていた筈だったのだ。それが今目の前にいるこの少年達ならば――大事件だ。
「フン。ノコノコ現れたってワケね」
プライドの高い彼女はリョウ達を一様に睨みつけてそう吐き捨てた。しかし、彼女は、次の瞬間には姿を消してしまったのだ。
「テレポートリングか」
魔王軍でもこのアイテムの使用を許されている者は限られている。旅立ち早々だが、魔王軍高官にランダの子孫の存在が明らかになってしまった。果たして、これが吉となるのか、凶となるのか。
「ありがとう。でも、貴女は一体何者なんだ?」
恐る恐る、リョウは天使に尋ねた。“ランダの子孫”という自分達の素性を知って居る人物は本当にごく小数に限られている筈なのだ。敵か味方かはさておいても、とりあえず天使にはそれを明らかにしてもらわなければならない。
先程の魔法のベースは闇属性の魔法分子であり、更に尖った耳を持つ彼女が光の民ではないということはリョウにも分かるのだが、かといって、闇の民に白い翼が生えているなんて話を聞いた事など無い。
ただ、それはそれとして、彼女の長い銀髪はこの日の控えめな陽光の所為で紫掛かって見え、神秘的だった。切れ長の目は深い二重の瞼に縁取られ彼女の印象を理知的で上品なものにしていた。絹のような艶やかな糸で織られたオフホワイトのチュニックなどは、神話に出てくる天使のイメージさながらで、何とも言えず神々しかった。
「私と会うのは初めてじゃないよ」
天使は笑った。見た目の印象からするとギャップを感じるくらい、彼女の言葉遣い自体は親しみ易い。しかし、未だかつて天使に遇ったことは無いと思っていたリョウ達は、顔を見合わせて戸惑うばかりである。そこで、天使は次のように補足した。
「だって、今まで私はリョウのバッグの中に入っていたんだよ?」
きょとん、としている男性一同に、天使はニコリと笑って、彼女の首にある金の装飾品を指で突付いてみせた。
「あ!」
リョウが気付いて声を上げた。
「それ、母さんのブレスレット! 確か、出かける前にリナに……」
リョウはハッとした。
「もしかして、貴女は、リナ?!」
まさか、とウルヴィスが笑い、セイも溜息をついたが、
「そう、その通り」
あっさり彼女は肯定したのだった。
「えっ!?」
仰け反る3人をよそに、天使、もとい、リナは笑って続けた。
「申し訳ない。手出し口出しは無用と思っていたが、放って置けなくなった」
それは良い意味でもあり、悪い意味でもある。
この双子、“勇者”となるにはあまりに幼いが、魔王・リノロイドが組織した魔王軍の脅威は、この双子達の成長を待ってくれるほど悠長ではない。
世界に“勇者”の到来を告げることは、勇者達の成長や魔王軍打破の近道でもある。
但し、最も危険な道でもあるが。
「そうそう、鳥になる前に言っておきたい事がある。」
まだ落ち着かないリョウ達を制する意味で、リナはやや静かに切り出した。
「私をあのちっちゃいバックに詰めるのは止めてね」
察するに、かなり切実に伝えたいことであったようだ。「やっぱり!」とウルヴィスは思ったが、口には出さなかった。
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