第7話 盟約と代償(2)

(1)

 所変わって、ここは魔王軍本部である。

 サテナスヴァリエと呼ばれる魔族専住地の首都・アンドローズに位置し、魔王リノロイドを主とするアンドローズ城の一室で、魔王軍の幹部の会議が行われている。戦争終結のため、一刻も早く人間を絶滅させねばならない。

 今、その為の一大プロジェクトが全会に承認されたところである。

「賛成多数により、第四部隊によるプロジェクトCを明日より決行致します」

緩くウェーヴのかかった飴色の長い髪を揺らして、本会議長である戦闘司令部部長がそう宣言すると、周囲から拍手が沸く。彼女は、魔王軍第三部隊隊長も兼ねているエリートキャリアウーマンであり、主君から“水の加護”を引き継いだ『四天王』の1人である。名を、アレスという。

「それでは、第四部隊から、概要を改めて説明してください」

アレスのすぐ隣に控えている副議長が、第四部隊隊長ソニアにそう促す。彼女もまた、『四天王』であり、“大地の加護”を引き継いでいる。ソニアは、しかし、自分の部隊に一任された重要プロジェクトの説明よりも、気になることがあった。

「あの、第一部隊隊長が熟睡中なんだケド」

先程から、彼女の目の前に爆睡している男がいるのだった。

「ったく!」

もの凄い形相でその熟睡中の第一部隊隊長フィアルに詰め寄るアレスに、全会は戦慄を感じている。フィアルもまた、『四天王』であり、主君により“炎の加護”を引き継いでいる事は既述の通りなのだが、このゴキゲンなお兄さんは本日も、睡魔に従順だった。

「フィアル! フィアルっ! 起きて下さい! アレスさんが!」

フィアルの天敵・アレスが来る前に必死でフィアルを起こそうとするのは、第二部隊隊長・ディスト。彼は(不幸にも)フィアルの親友である。大概このようにして始まるフィアルとアレスのケンカの仲裁が日々の日課であるこの青年もまた、“風の加護”を委ねられた『四天王』の一人である。

「あーっ! よく寝たわ」

背伸びしようとしたその瞬間に、フィアルは議長・アレスと目が合う。

「ご快眠何よりです、フィアル」

顔は笑っていたものの、会議室内には殺気が満ち溢れていた。

「(ヤバイ!)」

フィアルがそれを察した瞬間にも、もう彼の五感が爆音と熱と痛みを感じていたのだが、そこで一度、彼の記憶は途絶えている。

 

 「あのゴリラ女め!」

と愚痴をこぼすフィアルに同情する者が、あいにく、この魔王軍にはいない。

「会議中に、貴方が熟睡なんかするからですよ」

ただこの不真面目極まりない男の愚痴に付き合うのも仕事の内と思っている親切な友人・ディストがいるだけである。

「しかも、今後の戦況を左右しかねない巨大プロジェクト施行の為の、重要な重要な会議だったんですよ? アレスさんのお怒りも、ごもっともです」

そもそもフィアルがアレスに命じられた会議室の後片付けを手伝いながら、ディストも彼に説教を始めた。

「ハイハイ。スンマセン、スンマセン」

亜麻色の髪を掻くフィアルは平謝りで親友の諫言を受け流す。反省の色は何処にも見当たらない。

「全く……」

ディストは溜息混じりで、掃除すら怠け始めたフィアルの前にメモを差し出した。

「ハイ。これ貴方の熟睡中の会議内容です。今のうちに目を通しておいてください」

このディストの人の良さは結果的にフィアルの怠惰を助長させているのだが、それはそれで良いとディストが思っている限り、この悪しき傾向は続くだろう。

「何だかんだ言って尽くしてくれるアナタがす・き」

フィアルはディストに背後から飛びついた(100kg重)。

「痛い! 痛いですってば! 少しは反省してください!」

全軍が認める美貌を歪め、ディストは必死に抵抗する。

 このディストという青年は、この性格で魔王軍の機密事項に係わる仕事を一手に引き受けている。彼のこのような穏やかな表情を見られるのも親友特権であるので、フィアルはその利権に与ることにしている。

「おぉ! そういえば、先日面白い奴等に会ったんだ」

メモにあった“レニングランド州”という文字を見て、思い出すままにフィアルは声を上げた。

「レニングランドで、双子の兄弟見つけたんだ。リョウとセイって名前だったかな。すんごい仲悪くてさァ。マジで殺し合い始めそうだったから、オレ見兼ねて止めてやったぐらいだよ」

ディストは掃除をしながら彼の笑い話に耳を傾けていたが、やがて大きな溜息をついた。

「フィアル、確か昨日まで、貴方の部隊はサンタバーレ近海で待機命令が出されていたのでは?」

「うん、そうそう。あぁ、副隊長泣いてたなァ」

フィアルの率いている第一部隊は、魔王軍で最も大きな主力部隊である。隊長フィアルを筆頭に、副隊長が三人、その補佐が各二人ずつ付いている。隊長フィアルのサボタージュ中も、彼等が一生懸命軍務を勤めてくれているという。

「そろそろリノロイド様もお怒りですよ」

「怖いわ怖いわディストちゃんタスケテ」

フィアルは欠伸交じりで親友の忠告を華麗に受け流すと、再びディストから渡された資料に目を通し始めた。その彼の不敵な態度の真意をディストもよく知っているので、あえて今更追及はしない。むしろ彼の関心は別のところにあった。

「それにしても、レニングランド出身というのは……気がかりですね」

長い金色の髪を掻いて、おもむろにディストは呟いた。

「気にし過ぎだよ。もう、ランダの子孫は潰えたんだ」

フィアルは資料から目を離し、ディストに笑みを返した。そして、こうも言ったのである。


「お前が、一番よく知っているだろ?」


――晩鐘の音。それが鳴り止むまで、二人は沈黙を守る。

「そうだと良いのですが」

ディストがそう言い終わらないうちに、会議室のドアが勢いよく開いた。

「お疲れ様ァ! フィアル、お掃除頑張ってるかい?!」

入ってきたのはソニアである。彼女は、机に座っているフィアルとその横で箒とちりとりを持っているディストを一瞥しただけで、それまでの満面の笑みを変えて、

「ちょっと! どうしてディストに掃除させてんのよ!」

と怒りだした。ソニアの糾弾を受けたフィアルは苦笑し、

「それより、何かあったのかい?」

と話題を変えて取り繕った。すると、たちまちソニアの顔には笑みが溢れる。彼女のテンションの激しさと豊かな表情は、ともするとただ暗いだけの軍内を明るくしてくれている。

「今回のプロジェクトの成功を祈願して、盛りあがろうぜぃ! ……っていうお誘い」

大体、このようなイベントを思いつくのが彼女の役割である。「ナイス!」とフィアルが直ぐに便乗し、ディストもすぐに掃除道具を片付ける。フィアルとソニアの会話が続く。

「アレスも妹さんと一緒にロビ―で待ってるよ。アレスの機嫌直すのに苦労したんだから! もう会議中寝るのは止めてよね」

「え!? アレスも来んの? オレ妹のアリスちゃんだけで十分だよ。大体どうしてアリスちゃんは可憐極まりねェのに、アレスの奴は鬼ババアで口喧しくって恐ろしい女になっちまったのかねェ、双子なのに」

フィアルは嘆息をもらす。が、刹那に周囲の不気味な沈黙と悪寒を感じた彼は、恐る恐る扉方向を振り返った。

「落ち度があるのはどちらの方かと思い至れば、鬼ババアにもなりますでしょう?」

何と、ソニアの背後にアレスと、その双子の妹のアリスが控えていたのだ。

「ワォ」

フィアルは氷ついていた――勿論、数秒後にフィアルはアレスにより攻撃を受けることになる。

「ソニアさん、プロジェクト採択おめでとうございます」

一通り片付け終えたディストは、漸くソニアに話し掛けることができた。

「うん、ありがとうね。頑張るよ」

彼の一言で、ソニアは顔を赤らめる。何せ、稀代の美男子だと噂されているディストから声を掛けてもらうことは、この軍で働く女性達にとって“誉”とされているのだ。

「サンタウルス攻略は、ソニアさんの部隊にかかってるんですね。オレの部隊も、及ばずながらサポートします。人材派遣等、何か補強が必要なら、いつでも声をかけてくださいね」

片やディストも、軍人らしさなど微塵もないソニアの屈託のなさに好感を抱いているようだ。

 ――良いムードの二人であったが、すぐに現実に直面してしまった。

「ちょっと、姉さん! いくら何でもフィアルさん死んじゃう!」

「えぇ、それが一番望ましい事よ!」

「ディストー! ヘルプミー!」


 四天王達を始めとする魔王軍も、着々とサンタウルスへの戦略を押し進めている最中であった。勇者達は、一刻も早くサテナスヴァリエへ踏み込む必要がある。

(2)

 「なァ、セイ、本気で何も覚えてねェの?」

借室に戻ったリョウとセイは、荷をまとめているところだ。二人は、明日にでもこの屋敷を発とうと考えていた。闇雲でもとにかく動いて、何か記憶の戻るきっかけが掴めれば良いと願って。

「覚えていないというか……例えば、机とかソファーとか物の名前なら判る。しかし、人の名前や過去の出来事は全く」

失ったものが記憶だとして、それが戻れば、またセイは空恐ろしい野蛮極まりない人物に戻るだろう。しかしリョウにとっては、一連の弟の粗相よりも、今の不安そうな彼の表情の方が見るに堪えないものがあった。

「じゃあ、剣や、魔法は覚えてる?」

リョウはその手を休めて尋ねた。正直、リョウは弟の戦闘能力の高さをアテにしているところがあった。この問いだけは、肯定して欲しかったのだが……

「マホウ? イザリアがやったアレのコトか? あれは、オレにもできるコトなのか?」

セイの回答に、リョウは青ざめた。

「お前、盟約結びに行って魔法忘れたってワケ?」

「それはマズイ事か?」

「マズイっていうか……ヤバイ!」

リョウは立ち上がってセイの腕を掴み、外へ連れ出した。魔法に関するキャパシティーは互角かリョウの方がやや得意としているところもあったが、戦闘での魔法の使い方は場数を踏んだセイに頼る部分が多いと思っていたのだ。

「何だ?」

セイは急に掴まれて痛めた腕を摩る。不服そうだが、仕方ない。

「本日はこれより、リョウ君の『よく分かる魔法講座①』をおっ始めたいと思います!」

「は?」

セイは戸惑うばかりである。

 

 結局、この魔法レッスンに加え、剣術の方もラディンの協力を得てセイに思い出させようと尽力した結果、出発は翌々日まで延びることとなってしまったのだった。

「攻撃呪文の威力は前よりも上がったようだケド、やっぱ剣は前のお前の方が数段上だな。まあ、実戦すりゃ、体にしみついてるのが出てくると思う」

リョウはランプを灯した。

「なァ、兄さん、」

突然、セイから“兄さん”という言葉が出たので、リョウは心臓が止まりそうになったが、「オレのコトはリョウって呼び捨てて良い」と苦笑して繕った。

「じゃあ、リョウ、」

と律儀に呼び直して、「一つ気になったんだが、」と続けたセイは、

「オレ達は、何をしようとしているんだ?」

と尋ねた。つまり、こんなに剣や魔法の練習をして、一体自分達は何と戦おうとしているのか? ということだった。そこから説明すべきだったな、と前置きこそ入れたが、リョウは即答した。

「魔王を倒しに行くんだよ」

しかしこの回答では、弟はまだ不思議そうな顔をしていたので、リョウは更に補足しなければならなかった。人間を皆殺しにしようとする魔王・リノロイドを倒して、人間を元の幸せに戻す為だ、と。

 全て戦いの趣旨を話したが、セイはまだ少し不安そうな顔で確認した。

「その、リノロイドという魔王を倒せば、人間は幸せになるんだな?」

「そうだよ」

リョウは更に自分達の曾祖父が魔王の封印を成功させた事、そして、リノロイド復活後、曽祖父と父親が魔王軍に殺害された事を話した。

「そして、この戦いを終わらせて、また人間が幸せに暮らせるようにオレ達は……」

「そのリノロイドを殺すんだな?」

「そう、そういう事」

とりあえず要点が伝わったところで、リョウは安心した。「だが、」と、セイがこの逆接を発するまでは――

「仮に、オレ達がリノロイドを殺ったとして、本当に戦争は終わるのか?」

そんなこと、考えたこともなかったリョウは、きょとんとした表情をそのまま弟に返してしまった。

「ランダが一度リノロイドを封じて得たという人間の幸せは、現に今は無いんだろう?」

封じるくらいなら、その時に殺せば良かった筈だ、とセイは言った。

「……まァ、そうだよな」

リョウは絶句してしまった。

「その理屈だと、オレ達も本当に戦争を止めることなんて、出来やしないんじゃないのか?」

(3)

 結局、セイのその問いにリョウは何も答えることができなかった。

 何故、ランダはリノロイドを殺さず封印するに留めたのだろう? リョウはベッドに寝転がって考えていた。

“貴方は再び下界へ戻った時、一切の観念を洗い流さなければならない”

不意に明護神使の言葉がリョウの脳裏をよぎる。

「(ひょっとしてこのことなのか?)」

だとしたら、これは彼の言う“テーゼ”なのだろう。


 自分の周りにいた大人達は、魔王を殺せば戦争は終わると言っていた。思えば、自分は疑うことなくそれを信じていただけだった。セイは今までの記憶を封じられている。そのおかげで、彼は“魔族の首長さえ倒せば、人間は幸せになれる”という観念がそもそも無い。だからそこに改めて注目できたのだ。

「(魔王を倒せば、平和になるんじゃないのか?)」

――でも、それでいいのだろうか?

「平和って、どうすりゃいいんだ?」

思わずリョウは呟いていた。

「何?」

その声に驚いたセイが尋ねる。

「いや、別に何でも……」

リョウが上手く説明できないので、セイの方が質問を流した。

「お前は、物好きな奴だな」

記憶の無い自分は戦いの足手まといになるだろう、とセイは言った。リョウが、「ある意味」世界最強だと思っていた弟も、流石に思い出の無い世界に突如放り込まれて、殊勝な人物になっているようだった。

「そりゃあ、」

リョウはニッと笑ってやった。

「オレが限りなくやさしーお兄様だからに決まってんじゃん」

……本人自身、言った後で鳥肌が立つほど照れ臭かったという。

「やさしー?ああ、甘チャンって事か」

段々と、セイもこの兄の扱い方が分かってきたようだ。しかし、反論する前に、リョウは“優しい”と“甘チャン”の絶妙なズレが可笑しくて、吹き出してしまった。

「それ、昔のお前にもよく言われてたな」

案外、セイの記憶は早く戻るのかもしれない。幸か不幸かは別として――リョウはまた吹き出しそうになった口元を掌で覆った。丁度セイがカーテンを閉めたところだった。そろそろ寝ようかと、リョウもランプの火を消した。

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