第6話 盟約と代償(1)
(1)
翌朝、リョウとセイは中庭へ通された。イザリアは正装なのか、極彩色の衣装や化粧をしていて、何やら厚い本を持ち出している。
「頑張って得獲してきてくださいね」
始終控えめなラディンは、中庭の端の方に身を引いた。イザリアの詠唱が始まる。
『其の名乃ち闇、そして負、そして無……いざ降臨せよ、イザリア・ソア・ラージュの名に於いて……』
「(やっぱ、魔法使えるとカッコ良いよな!)」
リョウは緊張こそしていたが、召喚士(サモナー)としてのイザリアに目を奪われてしまっていた。
「(眠ィ)」
一方のセイの方は相変わらず無表情、無関心である。
――イザリアの詠唱が止んだ。
地表のその更に奥の方から音がする。地割れのような音である。やがてその音は大地を破り、一筋の光を伴ってリョウとセイの目にも明らかになった。光の筋は文字のような軌道を描いて地表を削り始める。それが文字だとして、此処に解読できる者はいなかったが、その「模様」が巨大な紋となり、結界を創り出し始めているということは分かった。光は時と共に段々と強さを増して、終いには辺りの景色の何もかもを白く塗り潰してしまったため、中庭に控えていた者達の眼がそれに慣れるまでに、暫く時間を要した。
段々と見えてきたのは、屋敷の高さの倍くらいはある白い石で造られたゲートである。そして、そのゲートの前に佇む門番……
「あ!」
その門番を見たリョウは声を上げた。
「うわーっ! カワユイっ!」
体長はウサギ程、黒色で柔らかい毛に覆われている一頭身の動物がそれだった。眼は大きいが、口・鼻といった呼吸器官や四肢は毛に覆われている所為で確認できない。ピンと立った二つの耳の内側だけが、ピンク色に透き通っている。セイは拍子抜けしてしまった。
「彼はアミュディラスヴェーゼアと呼ばれる神獣です。古代語由来なので、私も詳しい事は分からないのですが、……“暗黒獣”と強引に訳していますね、この本は」
イザリアは、今日もテンションが全く異なる双子達に説明する。
「私が闇の民ですので、暗黒獣しか召喚できないのでしょう。本当なら光獣の方も召喚したいところなのですが」
「じゃあ、“光のチカラ”とは盟約を結べないってこと?」
リョウは問うも、イザリアから明確な答えは無かった。
「その辺りの事が、残念ながら見当がつきません」
イザリアの説明によると、“絶対元素”と盟約を結ぶのは至難の技術だと言われているそうだ。
「恐らく、誰もやってみた事はないと思いますよ。“絶対元素”といっても、それは本来、ユーザー(術者)であれば誰でも持っている属性ですから」
ラディンは珍しそうにゲートを見上げ、イザリアの説明を補足した。
「ボクの知る範囲でそれをあえて為し得たのは、古代紀の勇者・ドゥーヴィオーゼとミッディルーザ」
古代紀の勇者といわれても、それは御伽噺の世界であると思っているリョウとセイにとっては、これからやろうとしている盟約そのもの自体に不安感を抱かせただけだった。
「まァ、でも入れば分かるって事だよね」
楽観的なリョウは早速、アミュディラスヴェーゼアと戯れ始めた。
「だったら、さっさと行くぞ低知能」
セイは既に緊張を解いている。行かなければ先へは進めないことが判っている以上、胡散臭くてもやるしかないと、彼は半ば諦めていた。
「気を付けていってらっしゃいませ。くれぐれも、無理だけはなさらないで」
不安そうなイザリアだが、無理は無い。光の民にとって、最後の『勇者』を得体の知れない世界へと送り出さねばならないというプレッシャーがあるのだ。それを知ってか知らずか、アミュディラスヴェーゼアは、「ミュッ」と可愛らしく一声鳴いて、扉の前に立つ。すると、扉はひとりでに開いた。
「(ひょっとして、アミューもウィザード?)」
一尺ほどの小動物に敬意の眼差しを向けるリョウと、
「(畜生の分際で)」
ワケも無く苛付いているセイ。
本日も完璧にズレている双子達は、そのまま異世界へと足を踏み入れる。
間も無く、扉はひとりでに閉じてしまった。刹那、何か強いチカラに引っ張られた双子達は、すぐ横にいた兄弟すら互いに見失ってしまっていたのである。
(2)
リョウは辺りを見回した――白い!
立っているのか浮いているのか分からないほど、周りは白一色である。
「(一体これはどういう場所だ?)」
リョウは混乱していた。上下左右が覚束ないとこんなにも落ち着かないのか、と暫くは冷静になれなかったが、
「まあ、水の中だと思えば良いかなあ」
などど、早くも「白の世界」に慣れてしまっていた。気分としては、丁度母の胎内にいる赤ん坊に近いだろうか。母親の胎内というイメージが沸いた途端に、順応性の高い彼は懐かしささえ感じた。すると、彼は漸く、自分を呼ぶ者の声に気付くことができた。
「――リョウ」
「(誰?)」
辺りを見回しても返事も無く、やはり全て白いままである。暫くそうしているうちに、瞬間的に人の姿がちらちらと視界を過るのが分かった。目を凝らそうとすると全くの白であるが、何かの拍子に明らかに違うものが視界へ入る。
「(あーっ! ワケ分からなくなってきた!)」
リョウは深呼吸した。
「(見ようとすると見えなくなっちまうんだよなァ)」
リョウは再び上下左右を見回す。3,4回は瞬間的に見えただろうか。
「(見ようとすると見えない。向こうが隠れるのかな?)」
今の位置の正面方向もじっと見つめる、が、やはり白。
「(くそっ! 見えねェ! こうなったら……)」
リョウは目を閉じた――見て見えねェなら、いっそ見ねェ!
「そう、正解」
目の前に鮮明に人影が飛び込んできた。驚いたリョウは、つい、一度目を開けてしまったが、再び目を閉じて、視野に移る人物をよくよく見てみた。目を閉じているので、その人物の背景は真っ黒。その暗黒の中に、一人の男が、大きな金のロッドを持って立っている。
「視力だけでは、ボクのコトを捉えるのは難しいんです」
声を聞くまでは一見女性かと疑いそうな程の中性的な容姿のその男は、そんな事を言ってリョウに微笑みをくれた。彼の体長と変わらないその長い長い髪には、緩くウェーヴがかかっている。幾重にも重なった白い法衣に護られるように色白で華奢な体躯が包まれている様は、例えるなら花のようでもある。
「貴方は?」
やはり目を開けると姿を見失う為、失礼とも思ったが目を閉じたままリョウは尋ねた。瞼の裏の彼は、相変わらず微笑を浮かべたまま答えをくれた。
「ボクは、“光のチカラ”を守る神を具玩化した存在です。『神』の名の下に“明護神使”と言う位を授かっています。」
リョウには全く意味が分からなかったが、この男性の不思議な笑みがリョウに安心感を与えていた。
「貴方に、光のチカラを……」
「くれるの?」
「エェ」
明護神使は、まだ口元に笑みを浮かべたままだった。
「(呆気ねえな)」
拍子抜けした途端、リョウはふと、傍らの不在が気になり始めた。
「あの、」
リョウは思い切って尋ねようとしたが、すぐに彼に悟られた。
「セイのコトですか?」
リョウは言葉が出てこなくて、思わず頷く。
「目を開けてごらんなさい。」
言われるままに、リョウは目を開ける。そして、周りを見回してみた。そこにいたのは弟ではなく、先程の明護神使である。
「……。(目ェ閉じなくても見えるんじゃん!)」
少しムッとしたリョウをよそに、明護神使はおもむろに宙を指差す。
「貴方の弟は今、この辺りです」
これは茶化されているのだろう、と判断したリョウは、「見えません」と言って睨みつけてやった。
「ここからじゃ無理ですよ。彼は今“闇のエリア”に居るのですから」
やはり明護神使はにっこり微笑んでいる。
「闇?」
リョウにはさっぱり分からない。弟は光の民である。何故、彼が“闇のエリア”に居るのだろうか?
「“絶対元素”が光と闇のチカラだということは御存知でしょう?」
確か、マオにそう教えてもらった、とリョウは頷く。
「光と闇は何に於いても相容れることの無い必然的存在。故に、光のチカラを貴方に正式に継承する為には、闇のチカラも正式に継承して貰わなければ、世界の均衡を保てません」
要するに、セイには闇属性魔法分子を扱う為の盟約を結んで貰っているという事だった。それは何となくリョウにも理解できた。理解できたが、納得がいかないのである。
「でも、セイは光の民だから……」
光の民が闇魔法分子を扱うとなれば、それはもう光の民と呼べない代物になるのではないか――リョウは変な焦燥感に駆られた。
「セイが担うことになる負荷については、ボクと、彼が盟約を結ぶ“暗黒護神使”という者の加護に任せて下さい」
それなら平気かな、と楽観的なリョウは思った。
「ただ、貴方達には、一つだけ大きなテーゼ(命題)を提示させて頂きますよ?」
「てえぜ?」
言われていることの意味が良く分からず、リョウは訊き返す。
「貴方が元の世界へ戻って間も無く、一切の観念を洗い流さなければならなくなる出来事が起こるでしょう。これは預言しておきます」
――例えば、貴方達はリノロイドという魔族の首長を抹殺する為に、この“絶対元素”を使おうとしているけれども、果たして…
「そう言われても……」
困惑しっぱなしのリョウの肩を、明護神使が優しく叩いた。
「然るべき時に、また会うことになるでしょう。それまでは、大いに迷いなさい」
「どういう意味?」
抽象的過ぎて、リョウには不安しか残らない。
「時が来れば全て分かることです。今は、早くセイの元へ帰ってあげる事です。彼は既にここを離れましたから」
やはり微笑んだまま彼は別れを切り出した――何となく嫌な予感がした。
視野を支配していた白い世界は、瞬く間に色を取り戻していく。その感覚が不思議で、リョウは何度と無く辺りを見回していた。しかし世界が色付くにつれ、リョウの体はどんどん重たくなった。それが痛みに変わったと思った瞬間、リョウは、自分が芝生の上に座り込んでいることに気が付いた。いつの間にか、元の世界に戻ってきたのだ。
しかし、リョウを待っていたのは、俄かには信じがたき報告であった。
「セイが……」
血相を変えたイザリアとラディンを見たリョウは、走って二階の借室へと駆ける。勢いに任せてノックをせずに扉を開けようものなら、露骨に不機嫌そうな表情をした双子の弟が“ウルサイ!”と一喝の上、悪態を付けてくる筈だ。
「セイ!」
ちゃんと、そこにセイは居た。それなのに……
「誰?」
殆ど同じ形をした兄の顔を見ては戸惑い、申し訳なさそうに首を傾げるセイ――そんな弟の表情らしい表情を見た事など無いリョウは、ショックのあまりに、問いに対する答えも、かける言葉も失ってしまった。
闇魔法分子と正式な盟約を結びに行った筈のセイは、記憶の一部を失っているようだ。
「セイ君、この人は、」
後から追ってきたラディンが、記憶の覚束ない少年に兄の存在を明かす。
「君の双子のお兄さんで、リョウ」
まだ何が起こっているのかが呑み込めないリョウは、放心したまま二人のやり取りを見ていた。
「成程、確かに同じ顔だな」
そう言って笑ったセイを見て、リョウは今まで自分がセイに関して持っていた印象そのものを壊す必要があると思った。というのも、こんなに自然に笑う弟を、リョウは知らない。
「(ひょっとして……)」
リョウは思った。無表情・無関心・無愛想で他人を毒舌や皮肉や鬼のような目つきで威圧するそら恐ろしい弟の性格は、自分が共有しなかった時間の中で、後天的に作られたものに過ぎないのではないか、と。
(3)
「リョウ君は、何ともありませんか?」
ラディンの問いかけにリョウは頷く。何とも無いかどうかはリョウの知ったことではないが、少なくとも、セイのように誰が何者かを見失うほど健忘しているわけではない。
「ただ、オレが会った“明護神使”ってヒトがそれとなく、セイの所へ帰ってやれって。だから、そいつもセイが記憶喪失になっていることを知っていると思う」
「つまり、セイ君が出会った何者かが、意図的に施したと考えるべきなんでしょうね」
ラディンはセイを見た。当たり前だが、以前の彼のように、無駄に周囲を威嚇するような態度は全くない。
「(出来れば記憶戻んないままで旅していたいよなァ)」
リョウは密かにそう思ってしまう。
自分と比べると随分控えめだが、セイにも表情は無くは無く、無関心というよりはややマイペースなのだろう。少なからず慌てている大人達の様子を目の当たりにしても、セイはぼんやりと窓の外を見て一息ついていたりするのだ。しかし、これくらいなら誰の害にもならない!
「本当ニ記憶無イノカ?」
突然リナが言葉を発した為、リョウは思わず喚声を上げてしまった。リナは構わず続ける。
「記憶ノ封印ノ可能性、無イノカ?」
リョウがこの妖鳥の知能の高さに唖然とする中、ラディンとイザリアは相槌を打った。
「確かに。“神使”が彼の記憶に封印をかけたという説も否めませんね」
イザリアが立ち上がった。
「実験してみる価値はありそうね」
そう言って、リョウの頭上に手をかざした。
「え? 何なに?」
慌てるリョウ。イザリアは“失礼”と一言置いて、リョウに説明する。
「心配しないで良いのよ。単に、貴方とセイに解放呪文(ディスベル)をかけるだけ」
「え? オレ何も……」
「対照実験だから、それで良いのよ」
つまり、何も封印されていないリョウと記憶の封印(の虞れ)のあるセイに同じ解放呪文をかけて得られる結果の相違を検証し、記憶の喪失か封印かを見極めるのだ。
「かなり強力な解放呪文を使うけれども、平気かしら?」
イザリアの申し出に、リョウが承諾し、セイも頷いた。
イザリアが解放呪文(ディスベル)の詠唱を開始した。
『我が名に於いて、彼の者を邪なる束縛から解き放ち給え』
集中力を高め、魔法分子結晶からより多くのチカラを引き出す為に詠唱を復唱したイザリアがリョウに向けて、色白の細い腕を伸ばしたところである。此処での一つ一つの経験が一々新鮮で、リョウは思わず溜息を吐きそうになった。
『解放呪文(ディスベル)!』
彼女のその声と同時に彼女の掌から淡い青白い光が溢れ、リョウの額へと流れた。リョウはその光を直視してしまった為、目が眩んだ。暫くは覚束ない視界だったが、やがて光も、目の痛みも消えてしまい、溢れた魔法分子はイザリアへ再び還元していった。
「これが正常な反応だとします」
イザリアはこう前置きして、次はセイの頭上に手をかざした。強い光から目を保護する為、セイはまぶたを閉じた。
「(こういうところが小賢しいんだよな)」
やはり聊か相容れぬものを感じつつも、リョウは弟の様子を見守る。
『前呪文再生(リピート)!』
イザリアの掌から先刻と同様の青い光が溢れ、セイへと移ろうとした。すると……
一同は息を呑んだ。セイの額に何色とも言い難い鈍い光を放つ七芒星が現れ、イザリアの魔法分子を打ち消したのである!
「封印ト見ルベキ」
リナがそう呟いて、セイが目を開けた。
「戻るのか? オレの記憶」
セイが尋ねた相手はリョウである。今まで弟からこういう話しかけられ方をされたことが無かったリョウは、咄嗟に頷いて安心させてやることしかできなかった。
「“神使”のゴキゲン次第だな」
分からない、と言わなかったのはせめてもの慰めである。
「そう、か」
やはり表情は乏しいが、セイが困惑していることくらい、リョウにも分かった。
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